強すぎるアラームが上がる
強すぎるアラームが上がる
痛みや悩みなどの、生体が上げてくるアラームが強すぎると感じることはよくある。
たとえば、虫歯の痛み。
そうだね、異常があること、放置しちゃいけないということを、脳に知らせてくれてるんだね、ありがとう。
だから、もう歯医者の予約をしたよ、今日の夕方だ。そうしたらひとまずおさまるし、それまでは合理的に考えて、それよりも最善の方法というのはないんだよ。
だからさあ、そろそろそのアラーム切ってくれないかなあ! 今の仕事に集中できないだろ! 定時までは仕事をしなきゃならないんだよ俺はよ!
なんで、すねをぶつけたとか、足の小指をぶつけたとかで、しゃがみこむほど痛いんだよ!
かえって不合理だろ! なにも行動できないじゃないか!
以下は、『オデッセウスの鎖』よりの抜粋。本の本題とは、少し外れているけど。
食物を見つけるために多大な労力が要求され、栄養の欠乏によって既に体力が弱まった者にとっては容易なことではない。しかしその場合でも、強烈な空腹感があれば、合理的な計算ではできないやり方でエネルギーを振り絞って食料を探すことができる。
どうも、生体というのは、「弱っているときは安静に」というのを許さないシステムを持っているようだ。
冷静にさせない強度で、ガンガンアラームを上げてくる。
精神的な苦境やトラウマも、そういうものかもしれない。社会的生物としての生体の生存に合理的な強度よりも、アラームが強すぎる
可能性は常にある。
それに流されない方がいい場面は多いだろうけど
それこそがその人の体験している騒音なんだって部分もある。
タグ 実話の寓話、ヒューリスティック、強すぎるアラーム、弱っているときこそ安静に、たぶん恐怖とか思春期の恋愛も。もしかすると茶番センサーや赤ちゃんの泣き声や、対人恐怖も。
from 20190411