人間の意識や魂は、OS(Windowsのような)みたいなもの、と思うことがある。
人間の意識や魂は、Windowsみたいなもの、と思うことがある。
それの乗っているハードウェアはそれぞれの境遇で違うし、そこにインストールされたアプリケーションや扱ってきたデータも違うし、つながってるネットワークも違うけど、WindowsはWindowsで、どれをとっても一緒。
「私が死んでも代わりはいるもの」どころではなく、子供や弟子がゲノムやミームを継いでくれるどころでもなく、認知機能として見て全く同等の機能がすでに世界中の各所にばらまかれている。
個々の自我の感じる苦痛や苦悩なんてのは、そのOSが機能としてエラー値を返しまくってるだけで、
自分が死ぬとなって一番苦しいのは、
自分が死んでも世界は続くということ。それなりに楽しそうに。
ちょっと哀れみくらいは向けてくれるかもしれないし、残念がったり寂しがったり悲しかったりするかもしれないけど、でもそれもすぐ忘れて、誰も自分ほどには失わない。
自分の見れない未来を、みんなは見る。
「なんで自分だけが、先に去らないといけない?!」と、
やくたいもない「なぜ」の気持ちがわきあがる。
でも、それも「ロボット三原則」のような形で、「持ち場のある個体が、最大限持ち場をまっとうするように」OSに組み込まれたプログラム仕様の一つに過ぎない。
タグ 生老病死、人生、救済、アラーム
from 20190117-20190123