20190117-20190123
なんだかんだで、通勤が体をあたためる運動になっている。可能性
ゲーム性
若い頃、仕事を楽しむ、というのは「自発的にごく小さな範囲に背伸びした目標を立ててみて、それを攻略する楽しさを感じてみる(報酬を内的なものに引き寄せる)」というのがあった。
しかし、歳をとるにつれて、眼高手低がひとくなって、目標を立てることが精神的に苦しくなってきた自分がいる。
効率厨は早くにボケるか
厨ってほど、忠実でもないが。
ボケないための
恋をする
毎日、いつもとは違った選択を何かする
驚きと感動を忘れない
運動
いつも同じにしてないと、迷っちゃうじゃないか
平日の朝は必ず納豆ご飯で、気分を変えるのに「今日はパン」ということもないし、ご飯のおともを「今日は佃煮」ということすらしない。
そして備蓄を切らすことには異様に神経質だ。
衣食住に労力を使いたくない。
そして週1〜2回の在宅勤務選択日には、昼食は必ず目玉焼きだったりする。
妻さんには「いつもなの?」と呆れられることがあるが、
まったく、くされ主人公のくされ現実が!
ボケるか現実を見下すだけでは足りなくて、「自分」という今生の“皮”を突き放さないとつらくなる。
知は自分の外側にだけあればいい人たち、というのはいるか?
常に「周りの人たちと同じようにする」
コミュニケーションに情報は求めない
質問すらも知識を増やすためではなく、コミュニケーションのため
くじはひかない
不確実な世界なので1周まわって、というのを別にすると、若い頃の方が宝くじは当たりそうな気がしている。統計的・経済学的に考えてそういうことをしなくなり、期待値に基づいてこうどうするようになって大人(一人前)。 特に大穴は、定期的にコツコツと買い続けても、生きている間に当たりを引けない確率がかなり高い。
それを避けていくのが大事。
……なのだが、人生が不確実で、社会が閉塞していると、なるべく「ハズレのデメリットが少なく、大当たりのときのリターンが大きい」チャレンジをしていくしかなかったりする。(いきおい、確率は小さい)
そして、何もチャレンジをせずに生きていくことができない。ここの二重性が結構苦しい。
もう一つ、フォローしてRTするだけ、というほど失う時間もお金も少ない場合だったらどうなのか、という別問もある。
ムーンプランナー
dreams
スーパー系になる
理論や蘊蓄
傾奇者であり、被差別者の再チャレンジというところ。
頭の中のざわざわを、薬で消したくなる
衣食住とネットと保育・教育・医療・介護は、タダで提供されていてほしいものだ。
電気を含む。