シラー
私は、美しい社会の理想として、多くの複雑なターンで形づくられながら、巧みに踊られた英国式ダンス以上にふさわしいイメージを知りません。バルコニーの観客は、交錯する無限に多様な動きを目にするのですが、その動きは、決定的に、しかし気ままに方向を変えながら、けっして互いに衝突ずるごとがないのです。すべてがこのように整えられているために、各々の踊り手は、他の人が来るときにはもうその場を空け渡していています。すべてが互いにとても巧みに、しかしわざとらしくなく適合しているために、誰もが思うがままにしているように見えるのに、けっして他の人を遮ることがないのです。そうしたダンスは、個人的に主張される自己自身の自由と、尊重された他者の自由との、完全な象徴なのです。
1791年に病に倒れ、財政的にも困窮していたシラーに対し、デンマークの王子フリードリヒ・クリスティアン・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=アウグステンブルク公は、3年間に渡って年間1000ターラーを給付した。シラーはアウグステンブルク公に対する感謝の証として、自らの芸術哲学を公にする前に書簡の形で書き送ることを約束し、1793年6月13日に第1信を送るとこから始まった。それゆえ本書は「美と芸術について私の調べえたところを、一連の手紙にしてあなたに差しあげることをお許し願えることと思います」から始める。この意味でディルタイはシラーを、人間社会における芸術家の機能の意義を認めた最初の人であり、創造的芸術家の自覚と誇りを無限に昂揚せしめるあらゆることが、ことごとく彼の中から出発している、と論じている。
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「自然国家家(der Naturstaat)」から「倫理的国家(der sittliche Staat)」へ、「肉体的人間」(der physische Mensch)から「道徳的人間」(der moralische[Mensch])への改良には、何らかの中間項が必要となる。シラーによれば、それこそが「芸術」(die schöne Kunst)の「美的教育」なのだ。
第一信
まずシラーは「美と芸術」についての「魅力と価値」を下記のように論じる。
そしてシラーは「私の考えは、豊富な世才とか読書から得たものというよりも、自分自身との単一な交際によって得たもの」として「これから述べる主張の拠りどころの大部分が、カントの原理であること、それを私はここで隠しだてしようとは思いません」とする。つまりシラーの理論はカントに依拠したフッサール的な作業によって成し得た、人間の実存を解き明かす理論なのである。
知性が内的感性の対象となったものを、自分自身のものにしようとするには、まずそれを破壊してかからなければならないことです。分析を術とする化学者と同様に、哲学者もまた分解してみてはじめて結合をさとり、芸術を拷問にかけてみてはじめてそれが自発的な自然の作品であることを知るのです。(...)美しい肉体を概念の中でこま切れにして、見すぼらしい言葉の骸骨の中に、その潑剌とした精神をしまい込まなければならないのです。(...)それゆえにあなたも、これから先の研究が、その問題を知性に近づけようとするとき、そのために感性から遠ざけられるようなぐあいになっても、どうかよろしくお許し願いたく、道徳的経験について語られるところは、さらにいっそう高い程度で、美の現われについて語られてるはずです。
これは第三書簡を読めば理解できよう。上記でいう感性と知性は、自然的「現実」と道義的「形式」の二項に対応できる。つまり「知性に近づける」とは道義的形式(=道徳的経験)の側に近づけるという意味であり、―美をもって「自然的国家(現実)」を、より高度な「道義的国家(イデア)」に達するように、美はその二項の均衡であるからして―そうすることで「いっそう高い程度で、美の現われについて語」ることが可能になるのだ。
第二信
著者が本書を綴ったときは、フランス革命直後であり「政治的自由」を最も問われた時代であった。そうした時代であるからこそ、政治の問題から距離のあるように見える美の問題にあえてとりくむことの是非を論ずる。
だがシラーの思いに反し、物質への欲望や有用性が支配的になり、芸術の意義が認められない時代背景にあることを次のように論ずる。
役立つことが、時代の大きな偶像で、すべて力あるものは、これをよろこび、すべて才能あるものは、これに仕えなければならなくなっています。この粗雑な秤の上では、芸術の精神的功績などは、なんの重みももちません。いっさいの激励も奪いとられて、芸術は世紀の騒がしい市場から姿を消していきます。
だからこそシラーはデンマークの王子フリードリヒ・クリスティアン・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=アウグステンブルク公に向けて「政治的問題を経験の中で解決するためには、美的問題を通ってその道に出なければならないこと、なぜならば、自由にまでたどりつく道が美であることを知って欲しいのです」と愬えたのだ。
第三信
シラーはまず人間像を二つに区別する。それが「自然的必然性」(物的、形而下的、肉体的)が支配的な人間と、「道徳的必然性」(心的、形而上的、精神的)が支配的な人間である。
人間をまさに人間たらしめるものは、いつまでも粗野な自然がつくりだしたままのものにとどまっていず、自然が前もってつれて歩いてくれた道を、逆に理性によって後戻りをし、必要から強制される仕事を、自由な選択による仕事につくりかえ、そして自然的 physisch (物的、形面下的、肉体的) 必然性を道徳的必然性に高める能力にあるのです。人間は官能的な仮眠から我にかえり、自分を人間として認め、自分の周囲を見まわして、自分を―国家の中に見いだすのです。人間がその自由によってこの地位を選べるようになるまでは、欲望の強制が、人間をそこに投げこんでいたのです。人間が理性の法則に従って動けるまでは、必要が粗野な自然律によって、いっさいを処理していたのです。
こうした「粗野な自然律」或いは「自然的必然性」が支配的な状態を「盲目的な必然性」と言い換えた上で、それらによる「野卑な性質」を「高貴なもの」に塗り替えるのが「美」なのである(この意味で"己の美学"という語をシラー的に解釈するなら、「粗野な自然律」に基づく人間本性を新たなる姿に規定することこそ自身を秩序づける美学だと言えるだろう)。
ここでこの構図を国家論に発展させる。では「自然的国家」から「道義的国家」への改造には何が必要か。そこでシラーは「自然的人間は実在的で、道義的人間は未確定」であるとしたうえで、「人間が自分の意志で、しっかりと法則に身を託す時間をもたないうちに、理性がその足もとから自然の様子を引きさらってしまうことになる」と改良主義的見解を展開する。
つまり「道義的国家」に至るためには歯車を止めてはならぬのであり、それゆえに「自然的」なものと「道徳的」なものの両者を媒介する「第三の性格」としての「美」を用いて、緩やかに改良すべきだと論ずるのだ。なぜなら「美」とは次の引用にあるように、「前述の二者と近親」であると同時に、それらを「目に見えない道義の感覚的な担保として」結びつけ「一本の道に開」くことが可能であるからだ。
第四信
ここで指しているのも「自然的必然性」(物的、形而下的、肉体的)と「道徳的必然性」(心的、形而上的、精神的)の話である。つまり自らが理想とするイデアの「不変の統一体」、即ち完全に「道徳的必然性」のもとに行為する「理想的人間」と、自然律と道徳律が入り乱れた流転的な「自分」。こうした二項があり、後者を前者に固定させる、言い換えるなら「一致させることが、生存の上に課せられた大きな問題」なのだ。
上記から詳細な国家論の描写にはいる。先程論じた「理想的人間」や「道徳的必然性」(心的、形而上的、精神的)が支配的な人間とは、イデアという語が用いられるように、自らの「うち」にある「客観的」なものであることをまずは留意せなばならない。その自分の「うち」の、「客観的人間性」の代表的なものが「国家」なのであり、それゆえ理性に要求されて「理想的人間」を目指した者は「国家」を規準とするのである。そうした意味で国家が提示する「客観的人間性」が、「自然」に根差す「多様性」を排他せずに「客観的なものに高め」ることを(=反理性偏重主義)、重要視するのであり、またその文脈で国民の「主観的人間性を、それが客観的なものに高められている程度に応じて」、国家のレヴェルが計れる(=尊敬できる)と述べるのである。その意味で次のように結論づけるのである。
第五信
三信で論じた「第三の性格」の要請に照らして同時代の社会と人間のあり方が批判される。まさに本信の冒頭はそれを象徴するテーゼである。
今日の時代―現在起こっている諸事件―それが私たちに示しているものが、はたしてこの性格でしょうか?
そこでひきあいにだされるのが、「野蛮人」と「未開人」である。それは四信の最後に、教養なき人間として紹介される。「人間は、自分自身と二重の方法で対立しているようです。つまり感情で原理を支配してかかる場合の未開人(Wilder)としてか、あるいは原理が感情を破壊する場合の野蛮人(Barbar)としてです。(...)しかし教養ある人間は、自然を自分の友とし、その専横を抑制しながら、その自由を尊んでいます」(ここだけ小栗孝則訳ではなく石原達二訳を使用)。雑に還元するなら、理性偏重主義が野蛮人(Barbar)であり、動物的な方が未開人(Wilder)である。 今日この時代の演劇の中で写しだされている姿は、なんという有様でしょう!ここには野蛮化、かしこには虚脱、―人間退廃の二つの極端が二ついっしょに、一つの時期の中に集中しています。一段と低級な多数の階級の中には、野卑な無法な衝動が現われ出ていて、市民的秩序の紐帯がゆるめばすぐに身を脱し、制しがたい狂暴さを表わして、動物的な満足に向かって走り出しています。
ここで指している「人間退廃の二つの極端」が先程紹介した「野蛮人」と「未開人」である。「野蛮化」が「野蛮人」なのは字義通りであるが「虚脱」が「未開人」なのは、その次の「市民的秩序の紐帯がゆるめばすぐに身を脱し、制しがたい狂暴さを表わして、動物的な満足に向かって走り出しています」にかかっている。この二極がシラーの時期に集中しているのである。本信の末尾に「われわれの見るところの時代精神は、背理と粗暴との間を、不自然とただ単なる自然との間を、迷信と道徳的な無信仰との間を動揺しています」とあるのは、まさに二極での揺れを象徴している。「不自然」とは「野蛮人」であり、「ただ単なる自然」が「未開人」であることからもわかるだろう。
自然児からは、彼が道を踏みはずすと狂人が生まれ出ますし、(...)理性の啓蒙―、これを洗練された階級の人たちが自慢にするのは、べつにさしつかえないことですが、全体からみて、これが思念の高貴化に影響をあたえたことはほとんどなく、むしろ腐敗を格言的に証拠立てているようなものです。
第六信
野蛮的或いは未開的な近代人に対して、ギリシア人を対置する。そして彼らを近代人の「模範」とまで高め評する。
ギリシア人(...)は、技芸のあらゆる魅力とあらゆる品位とに結びつきながら、しかも、私たちの場合のように、それらの犠牲になっていないのです。ギリシア人が私たちを凌駕しているのは、現代には縁遠くなった素朴さばかりではありません。彼らは、私たちがなにかにつけて自分らの風習の反自然性に対する慰めとしている上述の長所の点で、私たちの競争者であると同時に、ときには私たちの模範でさえあるのです。形態に満ちていると同時に蘊蓄に富み、思索しつつ同時に形成し、繊細であると同時に精力的で、空想の若々しさと理性の男らしさとが一つになって、すばらしい人間となっているのです。
またシラーは近代の離散的性格にも批判を投じる。第四信で「国家というものは、単に客観的なまた発生的なものばかりではなく、個々人の中にある主観的なまた特殊的な性格をも尊敬すべき」及び「国家は、部分が全体のイデエにまで高められているかぎり、実在しうる」とあるように、シラーは国家に個と全体の調和を求める。これは下記引用を見る限り「ギリシア国家」が、その模範たりえることがわかるだろう。しかし近代というのは理性に任せて分解が為され、機械的な断片の集合になっているとするのだ。
理性は、人間の天性を分解し、それらを自分のすばらしい神々の世界に拡大して、そのまま投げちらしていますが、しかしそれは粉々に引きちぎるのでなく、さまざまに混ぜ合わしてのことです。実際ギリシアのどの神の中にも、完全な人間は欠けていないのです。私たち近代人の場合は、なんという違いでしょう!私たちの場合にも、種の像が個の中に拡大されて、別々に投げ出されてはいます、―しかしそれは断片の形で、変化のある混合の形でなく、したがって種族の総体性を拾い集めるためには、個体から個体へと訊ねまわらなければならないのです。(...)ギリシア国家の―個々がみな自主的な生活をたのしみながら、いざとなれば、全体になることのできる―あのポリープ的性質は、いまはただ一個の精巧な時計仕掛けに―数かぎりなく無数の、しかも生命のない部分部分のつなぎ合わせがつくる、全体で一個の機械的生活に―その席をゆずっているのです。国家と教会、法律と風習とは引き裂かれ、快楽は労働から、手段は目的から、離されています。永遠にただ全体の一個の小さな断片に縛りつけられたまま、人間自体もただ断片として、自分をつくりあげているのです。永遠にただ自分が乗りまわす車輪の単調なひびきを耳にするだけで、人間は決して自分の存在の協和性を発展させていませんし、また自分の天性の中にある人間性を明瞭に刻印するかわりに、ただ自分の職業、自分の知識の複製品となっているだけです。しかも部分をわずかに全体に結びつけている零細な取るに足らない接合物さえが、自発的に彼らの示す形式に頼らず (もっともあのような精巧で、明るさの嫌いな時計仕掛けを彼らの勝手にさせられましょうか?)、―細心な几帳面さをもって彼らを、彼らの自由な見解を拘束することになる法式どおりに動かしているのです。 シラーによれば、こうして断片化が進行した社会には国家という機能が個にとって不要のものとなり崩壊の一途を辿るという(下記言明は、恐らく合理化の結果としてのフランス革命、即ち次期国王アウグステンブルク公に向けて王政国家の崩壊の理由を示唆していると言えるだろう)。
こうして実際に個々の具体的生活はだんだんと、全体の抽象がその貧弱な生存をつなぎとめているために、すり減らされてしまい、そして永遠に国家というものが、その人民にとって無縁なものになっていくのです。なぜなら感情は、どこにも国家というものを見ないからです。余儀なく統治する側は、人民の多様性を等級別によって弱め、使い古しの演技を通して見るよりほかに人間を見ることができず、 結局は、人間を単なる理性の作り物と混同しているうちに、その姿をまったく眼界から見失ってしまうのです。(...)少しも楽にしてくれない公約をいつまでも国家が持ちつづけていることに倦み果てたあげく、既成社会は(いままでにすでに多くのョーロッパの国家の運命が示しているように)道徳的な自然状態の中に崩潰してしまい、そこでの団体的な力は、ただ単に一党派だけに限られ、それを必要とするものからは憎まれたり背かれたりし、それがなくても困らないものからだけ尊重されているのです。
ただそれは原体制の真っ向からの批判ではないことを理解しなければならない。シラーは「現代の人々が、単位としてみても、知性の秤にかけてみても、昔の最善の人の前で立派に主張できる長所をもつこと」を認めているし「種族としては、実に有利なものを持っている」とする。そのうえで更にシラーは「個々人は、その本質のこのような細分化によって何も得るものは無かったにせよ、人類という種は、これ以外の仕方では進歩し得なかったであろう、ということを私はあえて申し上げたいのです」として、機械的国家の到来は進歩に必然的な歩みと理解するのである。
ギリシア人(...)が、もっと高い発達に向かって進もうとしたならば、ちょうど私たちと同じように、その本性の総体性(totalität)を放棄して、真理を別々に分けられた道のうえで追求しなければならなかったと思います。人間の中にある多種多様の素質を発展させるには、それらを互いに対立させておく以外の方法はなかったのです。このいろいろの力のアンタゴニズム(対敵作用)は文化の大きな器具です。しかしそれはただ単なる器具です。なぜならば、これが続いているあいだはまさに人は文化への途上にあるからです。 しかし、人間の中では個々の力が孤立し、そして勝手に一つの法を立ててわがもの顔に振舞っているために、つい事物の真理と衝突を起こし、やむなく、ふだんは惰性から安閑と外面的な現象に満足している常識を、対象の奥底深く押しこめてしまうのです。(...)力の行使における一方性は、必ず個人を誤謬に導くものですが、しかし種族を真理へ導こうとはしているのです。私たちが自分の精神の全精力を一つの焦点に集め、そして自分の全本性をただ一つの力の中に収縮することによって、はじめて私たちはその個々の力に、いわば翼をつけ、自然が定めたかに見える垣を巧妙に飛び越えるのです。 Totalitätは小栗は相対性と訳すが、上記では石原訳ベースで援用
即ち、シラーによれば合理は「真理へ導く」と同時に「真理は(...)多くの殉教者つくっていくでしょう」とするのだ。合理は恩寵をもたらしたことを理解したうえで、シラーはそのためだからと言って全体性或いは調和を失ってはならないと強く訴えるのである。そしてそのために美或いは芸術を再建すべきだとシラーは王子に説くのだ。
しかし、いったい人間はなにかある目的のために、自分自身の身仕舞いを忘れてもいいものでしょうか?自然がその目的のために、私たちから完全性を―私たちのために理性が、その目的のために規定したものを―響い取ってもいいのでしょぅか?要するに個々の力の発達が、やむなくその総体性を犠牲にするということが間違いなのです。あるいは、たとい自然の法則が、現に非常な努力をそれに払っていようとも、技術によって破壊された私たちの天性の総体性を、あるより高い技芸に再建することは、私たちの手に一任されていることなのです。
第七信
「第三の道」として美或いは芸術を以て総体性を再建することを論ずる前に、それを試みることは国家には可能であるかという問いに対してシラーは次のように答える。
この作用を国家の手に期待すべきでしょうか?それは駄目です。なぜならば、現にいまあるような 国家がその禍をひき起こしているからです。また理性が、イデエにまかしきっているような国家は、こうしたよりよい人間性を打ち建てることはできず、むしろ自分自身をまずその上に築きあげなければなりません。
第八信
第九信
個人「の中にある多様性を、理想とする統一性に服従させる」ため、「国家が手渡してくれないある道具を捜しださなければなりませんし、またいっさいの政治的腐敗のもとにあっても、つねに純粋で澄み切っている泉をひらかなければなりません」としてシラーは美に達する。
いまこそ私は、これまでの自分のいっさいの考察がめざしてきた主点に達しました。その道具とは美の芸術です。その泉は、美の芸術の不滅な典型の中にひらかれているものです。
シラーはそのもとにドイツ流の息苦しさを感じさせる芸術家の当為論を展開する。それは普遍のみを追いかけんとする芸術家の在り方を説いている。シラーはその意味で芸術家「にとって時間というものはないのです」として、時代に呑み込まれることを徹底的に斥ける。
そしてシラーは万人を導く力をそこに見る。嗜好にアクセスできる芸術にこそ、唯一あらゆる教えから同時代の者を解放する方途となるのである。
第十信(以下:石原訳ベース)
すなわち、人間は自己の使命から二つの相対立する方向へ逸脱しうるものであり、我々の時代はまさに実際、この二つの邪道へと迷いこんでおり、(...)我々の時代はこの二重の迷妄から美によって引戻されねばなりません。
これが第五信から第九信までの概略である。美は野蛮人や未開人など如何なる邪道な者をも特定の方向に導くことが可能である。「しかしどのようにして美的陶冶はこの二つの相対立する疾患に対応するとともに、二つの相矛盾する性格をみずからのうちに統合することができるでしょうか」。が、ここでシラーは「美に対する感情を育てれば道徳の教化に役立つ」というありきたりな主張をするわけではない。そして寧ろ道徳と美は相反することを主張する。そこで例証するのは「芸術が栄え、趣味が支配したどの時代においても、人間性はほとんど決って堕落」していることだ。
アテネとスパルタがその独立性を確保し、各々の制度の法に対する尊敬の念が基礎としてはたらいていたあいだは、趣味はまだ成熟しておらず、芸術はまだ幼年時代にありました。そして美は心を支配するまでにはなかなか達していませんでした。(...)ペリクレスやアレキサンダー大王のもとで芸術の黄金時代がやって来て、趣味が広く一般に支配するようになったとき、ギリシャはもはや力と自由を失っていました。雄弁が真実を偽造し、智慧をソクラテスの口のなかで、徳をフォキオンの生活のなかで侮辱したのです。ローマ人は、御存知のように内乱によってその力を費消しつくし、そしてその性格の剛直に対してギリシャ芸術が勝ち誇るのを見るよりも早く、東洋的奢侈によって女々しくなり、幸福なる君主のくびきの下に身を屈しなければなりませんでした。アラビア人においても、その文化の曙光が現れたのは、その戦闘精神のエネルギーがアッバス朝の玉笏の下で衰えてからのことです。近イタリアで美術が出現したのは、ロンバルディアのみごとな同盟が崩れ、フィレンツェがメディチ家の支配下に服し、あの勇ましきすべての都市にみちていた独立不羈の精神が不名誉な服従に道を譲るに至った後のことでした。このうえ近代国家の例をまだ思い出してみるのはほとんど余計なことで、その美的洗練はその独立性の衰退と比例しておりました。過去の世界のどこへ眼をむけようと、趣味と自由とは互に避けあい、美は英雄的な徳の没落した後ではじめて支配権を握るという事実を我々は見出すのです。 ペリクレス、アレキサンダー大王、アッバス朝、メディチ家のもとで芸術の台頭が起こったのは、「都市にみちていた独立不羈の精神が不名誉な服従に道を譲る」ことによって誘因され、その意味で「美は英雄的な徳の没落した後ではじめて支配権を握るという事実を我々は見出すのです」。こうした理由をもって「高度で偉大な普遍性をもった美的陶冶が、政治的自由や市民的徳性と手を携え、また美的習慣が善い習慣と、振舞の洗練性がその真実性と手を携えて歩んだというただ一つの例さえあげることができない」と結論づけるのだ。
では美的陶冶は民を道徳的に強化させることは不可能であるのか。そこで重要なのは、さきほど例を挙げた歴史的即ち経験的「美」と「経験以外にその源泉をもつ美の概念」の異なる性質を理解することにある。確かに「現実性」に基づく前者の「美」のもとに教化を志向するならば失敗に終わるかもしれないが、シラーは後者の「美」をもとに教化を試みることでそれを可能的なものに昇華するのだ。
概略するならシラーが美的陶冶を以て道徳に導かんとする「美」とは、「純粋な理性概念」、「抽象の道」、「先験的な道」として「現実性」を越える「美」のことを指すのである。それゆえ、例証したトレードオフな道徳と美の歴史を指して「美の影響力に関してこれまでの経験が教えたことだけを頼っているならば、人間の真の陶冶にとってそれほど危険な感情を育成することは、そんな気に乗ることではありますまい。(...)しかしながら、経験はおそらくこういう問題を決定する裁判所ではありますまい」とするのだ。
第十一信
本信からはシラーの人間論に入る。シラーは本性を「人格」と「状態」を区分し、前者に静的で後者に動的な性格を与える。そしてこの性格が無矛盾であるには、両者が混ざり合ってはならないことを説明する。
永続的なものは人間の人格とよばれ、変転するものは人間の状態とよばれます。我々が必然的な存在者〔神〕のなかでは同一不二のものと考える、この人格と状態―自己とその規定性―は、有限の存在者〔人間〕においてはいつも二つに分かれています。いくら人格が不動でも状態は変り、いくら状態が変っても人格は不動です。(...)有限な存在者としての人間においては、人格と状態とは分れているのですから、状態が人格にもとづくことも、人格が状態にもとづくこともできません。もし後者の場合だったら、人格は変化せねばならず、前者の場合だったら、状態は不動のはずです。
ここから始まるのはデカルト=カント的図式である。存在は絶対的及び必然的な原則から始まらなければならない。ゆえに人格こそが「自己自身の根拠」なのである。
我々が存在するのは、思考し、意欲し、感じるからではありません。また我々が思考し、意欲し、感じるのは、存在するからではありません。我々は存在するがゆえに存在するのであり、また我々の外になにか他のものが存在するがゆえに感じ、思考し、意欲するのです。したがって、人格は自己自身の根拠でなければなりません。というのも、永続的なものは変化から出てくることはできないからです。それで我々は第一のものとして、絶対的で自己自身のうちに基礎をもつ存在の理念、すなわち自由をもつことになりましょう。(...)我々は第二のものとして、一切の依存的存在ないし生成の条件、すなわち時間をもつことになりましょう。「時間は一切の生成の条件である」というのは、同一律的命題です。なぜなら、それは「継起は結果として生じるものの条件である」というにすぎないからです。永遠に不動の自我において、そしてただそこにおいてのみ自己を示す人格は、生成すること、時間のなかで始まることはできません。なぜなら、かえって逆に時間がそのなかで始まり、不動のものが変異の根拠にならなければならないからです。
これは第一信での言及、そして後に続く「人間はこれを空間においては自分の外にあるものとして、また時間においては自分のなかで変化するものとして」とあるように、超越論的感性論であると言えよう。シラーは、こうしたカント的自我のもとに「相対立」する「二つの根本法則」を紹介する。「第一は絶対的実在性にむかう」ような「感性的衝動」で、「第二は絶対的形式性にむかう」ような「形式衝動」である(衝動の定義は一二信で行われる)。シラーはそのアンビバレントな例として花をあげる。 不動のものが変移の根拠にならなければならない(...)花が咲き、そして萎む、と言うとき、我々は花をこの変化における永続的なものとするのであり、二つの状態〔咲くと萎む〕がそこにおいて表される、いわば一つの人格を花に付与しているわけです。
第一二信
我々の内なる必然的なものを現実化し、我々の外なる現実的なものを必然性の法則に従わせるという、この二重の課題を果たすために、我々は二つの相対立する力によって突き動かされます。この力はその目的の実現にむかって我々を駆りたてるのですから、衝動とよぶのがふさわしいでしょう。この衝動の第一のものは、感性的衝動と私が名づけようと思うもので、人間の身体的存在、すなわちその感性的本性に発し、(...)人間性の完成を不可能にするものもやはりこの衝動にほかなりません。それはより高く志向する精神を断ちがたき鎖で感性界につなぎとめ、抽象概念を無限への自由な飛翔から現存世界の制約へとよび戻すのです。次に、二番目の衝動は形式衝動と名づけることができるもので、これは人間の絶対的存在、すなわちその理性的本性から発し、人間を自由にし、その現象の多様性を調和させ、状態の変化にかかわらずその人格を確保することに努めるのです。 換言するなら、感性的及び身体的に「現存世界」へつなぎとめるのが「感性的衝動」であり、理性的及び精神的に「抽象概念」への無限な飛翔へと導くものが「形式衝動」であるのだ。その具体例として音楽をあげる。
時間中に存在するものはすべて継起的ですから、何かが存在するということは、その他の一切のものが締出されるということにほかなりません。楽器で一つの音を聴くとすれば、可能的に与えられるすべての音のうちこの唯一の音が現実的であるということです。人間は現存するものをそれゆえこの衝動だけがもっぱら活動するときは、必然的に最高の限定が現存するわけです。
第一三信
一見したところの二つの衝動の傾向は、一方が変化へ、他方が不変へとむかうことによってこれ以上相対立するものもないように見えます。にもかかわらず、、人間性の概念を汲みつくすのはこの二つの衝動であり、両者を媒介しうるような第三の根本衝動などはまったく考えられない概念です。ではこの本源的で徹底的な対立によって完全に廃棄されてしまったように見える人間性の統一を、どのようにして再建したらよいのでしょうか。
第一四信
そこでシラーは「人間性の統一」を再建する「遊戯衝動」を提案する。 「人間は自己の実在性を犠牲にして形式を求めてはならず、また形式を犠牲にして実在性を求めてもなりません(...)。」(...)十全な意味で人間であるということは、この二つの衝動のうち一方だけを、あるいは一つずつを順々に満足させるにとどまるかぎりでは、決して知ることができません。(...)しかしもし彼がこの二様の経験を同時にする場合、つまりおのれの自由を自覚するとともにおのれの現存を感受する(...)場合が経験のなかに出現しうるとすれば、それは人間のなかに一つの新しい衝動を目覚めさせることになるでしょう。前述の二つの衝動は人間のなかで協働しているのですから、一つ一つして見れば、この衝動はその各々と対立しており、新しい衝動と言ってもよいでしょう。感性的衝動は、変化が存在し、時間がないようをもつことを欲し、形式衝動は、時間が廃棄され、いかなる変化もないことを欲します。したがって、両者が結合してはたらくこの衝動(私が名称の意味を説明するまで、遊戯衝動とよぶことをさしあたりお許しください)―この遊戯衝動は、時を時のなかで廃棄し、生成を絶対的存在に、変化を同一性に結びつけうるようにむけられるもの、ということになりましょう。
ここで言われる「遊戯衝動」は、「根本衝動」でないことを理解しなければならない。あくまで「根本衝動」である「感性的衝動」と「形式衝動」の「結合」によってうまれる二次的衝動が「遊戯衝動」であるのだ。
感性的衝動はその主体からすべての自己活動性と自由を締出し、形式衝動はその主体からすべての依存性と受動を締出します。しかし自由を排除するものは自然的必然性であり、受動を排除するものは道徳的必然性です。したがって両衝動ともに、一方は自然法則によって、他方は理性の法則によって心に強制を加えます。(...)感性的衝動は自然的であらざるをえず、形式衝動は道徳的であらざるをえない
即ち、第三信での「自然的必然性」(物的、形而下的、肉体的)と「道徳的必然性」(心的、形而上的、精神的)とそれを結ぶ「第三の性格」としての「美」はそれぞれ、「感性的衝動」、「形式衝動」、「遊戯衝動」に対応するのだ。そして両衝動は、人間を駆り立てる意味で双方向から「心に強制」を加える。「遊戯衝動」はこれらを昇華する。
両衝動がそのなかで結合している遊戯衝動は、心を道徳的かつ自然的に同時に強制することになるでしょう。ところが遊戯衝動は一切の偶然性を廃棄しますから、一切の強制をもまた廃棄し、人間を自然的にも道徳的にも自由にするはずです。
一五信
一六信
一七信
一八信
一九信
二十信
知性というのは秩序、すなわち合目的性を喜ぶが、しかし空想力(ファンタジー)・想像力(イマジネーション)は無秩序を楽しむ