感覚の受動的状態から思考や意志の能動的状態への移行は、ほかならぬ美的自由という中間の状態によって起るものであり、またこの状態は、それ自身においては我々の理解や心性に対してなにごとかを決定する―つまり、我々の知的、道徳的価値を問題にする―ものでは全然ないとはいえ、我々が一定の理解や心性に到達しうるための必然的条件なのです