してみれば、美を我々の第二の創り主とよぶのは、詩的表現として許されるばかりでなく、哲学的にも正しいのです。というのも、美は単に人間性を可能にするだけで、我々がそれをどれほど実現しようとするかは我々の自由意志に任すとはいえ、この点でまさに我々の根源的な創り主、自然と相通じるものがあるからです。この自然も同様に人間性に対する能力を我々に与えただけで、その使用については我々独自の意志決定に任せているのですから