自然的生命という随意な分野においてもすでに、人間はその道徳的生活を開始しなければなりません。その受動のなかにも自発性を、その感性的制限の内部においても理性の自由をはたらかせはじめなければなりません。その性向にもすでに自己の意志の法則を課さねばなりません。こんな言い方を許していただけるなら、人間は自由という聖地で物質という恐しい敵と戦うことから解放されるために、物質自身の領域内でその戦いを遊び楽しまなければならないのです