認識に対する喜びでは、我々は能動から受動への移行を難なく見分けて、後者が入りこめば前者が終るということを明瞭に認めることができます。これに反して美に対する喜びでは、能動と受動とのあいだにそのような過程は見分けられず、ここでは反省が感情と完全に融合してしまうので、我々は形式を直接、感じると倍じるのです