道義的性格が自然的性格を犠牲にしなければ自分を主張できないような場合は、必ずどこかまだ教養不足なところのあることを示しています。それゆえ、ただ多様性の排気によって統一を生みだすことのできるような憲法は、まだまだ不完全至極なものといわなければなりません。国家というものは、単に客観的なまた発生的なものばかりではなく、個々人の中にある主観的なまた特殊的な性格をも尊敬すべきで、道義の不可視の領域をひろめながら、現象の領域をさびれさせないようなものでなければなりません