note|ネタかぶり恐怖症
別所で小説を投稿するということをずっとしてきたからか、「人と同じ発想を後から投稿してしまった」ということが起こることをとても恐ろしく思っている。
しかしながら、
何を言っても、基本的にはどこかの誰かが言っているに違いない。
それでも自分が今なにかを表現するということの価値は?
情報の洪水に溺れているような現代では、類似のものがあちこちで発信されることでそのうちのどれかが視界に入ってきてくれる可能性が高まるということに価値があるようにも思う 誰かが一回言っただけでは伝わっていかない。いろんな人がいろんなタイミングであの手この手で語り続けるからそのうち浸透していくのだろう。
と、わかっていながら恐れているのは。自分で考え出したことを誰かのパクリと見做されるのが嫌だからだ。
でも車輪の再発明は避けられない。すべてのことを誰かはどこかで言っている。それらを網羅することはできないし、誰しも先行する言説を探し当てるまでもなく自力で辿り着いてしまうことの方がきっと多い。 自力で何かを見出した時、それが「既にそれを発見した人はいるよ」というだけのことで一切無価値になったら困る。だってその人の人生は私にはほとんど関係がない。先人に学ぶことは自分がより安全に賢明に自由に生きられるためにするのであって、先人に学ぶことが必要以上に厳しい義務になって後進を萎縮させたら本末転倒だ。
でも私がひとりで恐れているだけで、みんなは自由なのかもしれない。もしそうだとしたら、私ももっと自由に生きたい。