「相応しいだろうか」感との戦い
どういう話か
「この書き込みは相応しいだろうか」と考える癖がついてしまっている
それはある程度人として当たり前の確認だとは思うが
非常識なことを言わないということ
答えが出ない時に困る
ドレスコードがわからないまま出向かなきゃいけないみたいな感覚
原因・実態
仮説
文脈の把握に依存しており、文脈が捉えきれない時に不安になっている気がする
平均値的なものがわからなくて自分の位置づけが掴めない
自分が期待されるもの、その場で自分が発揮できる個性がわからない
つまり?
自分というものを結局常に相対的な尺度で捉えている
これが私なのだドーン!といかない
その結果のある種の内弁慶
別に家の中でイキってるというのではないが、自分の裁量で自由にやれるところだと迷うところがあまりないのでおどおどしない
そのまま外出ちゃいけない気がするので補正したいが、どう補正したらいいのかがわからないとおろおろ
そのまま外出ちゃいけないのかどうかがまずわからない
根本原因?
自分はどんな集団にも馴染めないという思いがある
どうせ馴染まないのだから最初から場を「読んで」合わせて行動しようという癖がついている
不快とか邪魔とかいう印象を与えるタイプでは多分ないので邪険にされることはあまりないが、ただどこにも馴染んでいない
自己開示は難しくない
「相手」に対してひらくことはできる
ひらいた状態で居続けるのが難しい
「場」に対してひらくことができない
振り返ってみるに
子どもの頃から、人見知りではないのにぎこちなくなるということがあった
人間関係に困ったことは(悪ガキ系の連中といざこざになる他は)なかった
しかし「場」のルールに適応するのがなんか難しかった
自分の知らない暗黙のルールみたいなのがあって困惑することが多かった
子どもの頃は転勤族で「場」が頻繁に変わったのが恐怖体験になっている
行く先々全部違うルールがあるので学習があんまり役に立たなかった
すごく頑張って擬態しているような感覚だった
宇宙人が地球人の真似しているタイプの漫画の宇宙人状態
自分をポケモンで例えるならメタモン
「集合体恐怖症(トライポフォビア)」にかけて今造語した
対人関係に恐怖を覚えるタイミングがあるのだが、「対人恐怖症(社会不安障害)」ではないので対人恐怖症の記述は当てはまらない
恥をかくことになるのを恐れる気持ちはある
身体症状は出ない
自覚上の主訴としては「感じ方を共有できないことでその共同体での当事者になれない」という感じ
どこでも「客」「旅人」「通りすがり」という感覚がある
「恐怖」というより「不安」か
でももはや「共同体」を回避している(可能な限り)
「グループ」みたいなものが無理になっている