思考のログは読みやすくて読みにくい
前提
「思考のログ」とは、ここでは例えばScrapboxに「考えた順」にどんどん書き込んでいるようなものを指す
読み物として合理的な組み立てになるようには編集されていないもの
内容自体は飛躍や省略がないよう十分丁寧に書き込まれているものとする
以下は自分自身のそのような種類のページを眺めて読み手の気持ちを想像して書いている
気持ち
ある種の読みやすさがある
その人のことがわかる
整えられた文章では、文体と主張とプロフィールから人物像を想像するしかない
同時に大変な読みにくさもある
話がわからない
まず書いている本人が行き先不明のまま書いている
思考のログは公開するべきか(公開する価値があるか)?
個人的には、上記の理由により人となりを知る機会として見たい
ので、Scrapboxというのは読み手としても概ね面白いと感じている
スパッと持論を組み立てているかのような人も途中はごちゃごちゃうにょうにょ考えているということを知ると面白いなと思う
一方で、書く側としては「これ誰が読むねん」という冷たいツッコミが幻聴として聞こえる
一方自分の思考のログは自分にとってどうか?
読み込まないと話はわからない
気持ちは再現される
読んでいて面白いと感じる
以前は「あっ!」と思ったものだけをメモする形でしか作れていなかった
すぐに文脈を忘失し、メモ全体がゴミ化していた
もはや記録ではなく、再び連想ゲームする際の取っ掛かりになるかならないかみたいな状態
くどいようでも逐一書くというのが本当に大事