自分の文章を読みたくなるか
経緯
issacさんのツイート
自分はどうだろう🤔
nora.iconの場合は読み返せるものと読み返せないものがある
読み返せないもの
人に何かを説明しようとした類の文章
教えてあげよう!みたいなスタンスのもの
昔書いた吐露系の文章
人に聞いてもらいたいという動機で書いたもの
こんな自分も受け入れてもらえるだろうか?ということを試すために書いたようなもの
冷笑を含む文章
(単純に性格が悪い文章)
読み返せるもの
自分のために書いた文章
私はこう感じている、ということを言語化していくことが目的のもの
自分語りを含めず冷静にきちんと書いた文章
普通に何らかの必要があって書いたもの
nora.iconの場合は文章そのものにコンプレックスは感じないので(自分の文章が下手な気がして恥ずかしいみたいなこと)、動機が痛々しいことを自分で知っている時にその文章を読めなくなる
以前は痛々しい動機での投稿が多かったので読み返せないしブログはいくつも閉鎖した
近年ではnoteの投稿で失敗しているのでもはやnoteは開きもしていない
Obsidianとかのツールの話をしているのは大丈夫なんだけど、もっと前に「noteを書くには」みたいなテーマで色々書いていたのが自分で痛々しくて耐えられなくなってしまった(多くは既に削除した)
まず書く人にならなきゃと思って「投稿するために投稿する」みたいなことをしていたから気持ち悪い文章になっていた
「背伸び」があると自分の文章が後からとてつもないストレス源になったりする
読み返せる文章については「なかなかうまいこと書いてるじゃないかフフン」という感じで気分良く読み返すことが多い
自力で見つけ出したことやオリジナリティがそこにあるから嬉しいのだろう
昔書いた文章に「文章は下手くそだけど思いつきはいいぞ!」と思うこともある
自分は痛々しさが読めなさの原因になっているけど、他にも色々と理由はあり得ると思う
自分の文章にコンプレックスがないのはなぜか?
褒められることがあるから
自分より上手い人はまあ数限りなく存在するけど、自分より下手な人の方がそれより多そうなら安心ということにしている(何事も)
Twitterで成功体験を積んだ
バズらせたとかではなく
140字に自分の見解とその支えをぴしっと書き込むチャレンジを延々やった
自分の見解そのものの是非は置いておくとして、とりあえず「書きたいことを書くことができる」という自信を得た
誰かが「なるほど」と言ってくれれば、その文章は読める形に書けているのだと思える
🤔
しかし、褒められたことがあって且つ平均以上であろうと思われるものでもコンプレックスになっているものはある
何であれコンプレックスになるかどうかは人生経験次第だなという感じがする…
たまたま良い気分になったか、たまたま不安に襲われたか