Lab|己を拒絶する人のために自分自身を語りたい
何度試みても一所に定住できなかったのは、自分が書いて投稿したものが、結局のところ好きではなかったからだ。書けば書くほど、自分が嫌いになっていく。無理をして生きているのがわかる。年月を置いて振り返るまでもなく、自分自身が痛々しいとすぐに気づいてしまう。
無理をしているということはつまり。
少しでもまともに見せたい――今の自分はきっとまともの域に達していないから――と背伸びをすることは、自分自身を否定し侮辱することに他ならない。
そもそも。
自分という存在は、恰も雪玉を転がしていくように、少しずつ大きくしていくものだ。(中略)より大きくなる過程は無限に続いていても、完成した人間になる過程など最初から存在しない。
私はずっと「無」に生きていた。
己の存在を否定しながらの日々は、自分の中に何らの輝きも生み出さなかった。振り返って「よく生きたなあ」と噛み締められるほど、自分自身に責任を取って生きられた瞬間がない。嫌いな存在に責任など持てないし、死ぬのは嫌でも究極のところ己がどうなってもいいかのように生きていたのだ。
そして今、ブログを始め直すということ。
自分自身を語ることは、己の話しかしないようでありながら、実際には他の誰かが自分自身になるための力強い手助けになる。そう信じているから、私もそうしようと思って、今になってこのブログを開設しようと決意した。
(ブログ記事の方にはもっと解像度高く書いているのでそちらを読んでもらえると嬉しいです。)