ブログ記事を構成するブロックを掴む必要がある、
nora.iconそういえば、小説を書くとするとこれくらいの要素で何千字、とかいうのを計算して誤差1割に収めるとか結構やっていたけど(寄稿するときとか)、そうでない文章だとどのくらいでどうなるかとか全くわからないな。「すごく書いた」と思って4000~6000字くらいかなという感じはするが…。(そしてその量になると読むのが大変になってくるのはわかる)
nora.iconひとつのユニットとなる範囲と単位がまだよくわかってない。
nora.iconなんかあんまり意識がブログを書くことに向かわないのも、「よくわかってない」からかもしれない。書き始めれば書くが、書き始めるというところに足を向けないという。
nora.iconレゴブロックのお城的に書きたいのに、今は砂場で砂山つくるみたいなもので、砂場に行って遊べばまあ結果的に砂山はつくれるのだが、事前に設計とかができなくていまいちビジョンがないのでそもそも砂場に行こうとしない。
nora.iconそこでアウトライナーですよ、とはいかないんですよねこれがね。文章の体をなし得るブロックの姿がわからないと、アウトライナーに書き込まれるものはブロックにはならず、集めようがまとめようが結局のところ砂場の砂でしかないという感じ。
nora.icon例えばブログ記事を書くに必要なブロックというのは、イコール豆論文ひとつ、というわけでもない。そこには「言語化」と「文章化」の違いがある。記事としての体をなすには、様々な役割を持つブロックがそれぞれ必要であり、豆論文にしたもの(つまり記事の核)ひとつに対して、形の異なるブロックがいくつか必要になる。そのブロックがどんなもので、それが文量として如何ほどかがまだよくわかっていない。そして(論文ではなく個人の個性を反映した記事に於いては)ブロックの形と大きさには文体が関わってくるわけで、単純に文章術を学べばわかるわけでもない。