▽「文脈から外れたことを言いたくない」という枷に邪魔されている
nora.icon(/unnamedcampについて)三ヶ月くらい前のページに言及したところ、更新順で上位に上がったことで意見交換が生まれたようで、なんか嬉しい。 nora.icon@rashita2 ちょっとアクティブになっていきたいところです。読解や発想のやり方としてどうも文脈依存がかなり強いようなので、「文脈がずれた話はしたくないなあ」という枷があり、それから解放される契機にしたいなと思っています。
nora.icon話者の文脈を読んで、文脈に沿ったコメントをする、というのは多分割と得意で(褒められたことがあるので、多分)、生活する上で役に立ってはいるのだが、文脈を読めないときに「拙者がここに文脈を作るでござる」的なことは「自分の場」以外では精神的なハードルが高く不得手で、少し困ることがある。
nora.icon話題を提供する一人に頼っていると「反応」ばかりが上手くなって創造性が失われる(育たないというより「失われる」)ような感じがする。リソースの振り分けの問題によって。
nora.icon「読む人」のポジションに安住しないで何かを築いていく、みたいな。場所は交流がある場でも自分の場でもなんでもいいけど。とにかく、「消費する人」であることを選択するとその選択のたびに自分の組成が「消費する人」の成分に組み変わっていく気がする。(選択はその度に選択の動機が強化される)
nora.icon「文脈がずれているかもしれない」は強力な枷である…。(約十日ぶりの感想)
nora.icon「文脈がずれている」ということをとても悪いことと感じているというのがある。文脈のずれはつまり広がりを生むものでもあるが、「ずらしていきますよ」という了解が相互に取れないと駄目だと感じてしまっている。
nora.iconそれは「常に文脈をずらされる」「どんなに頑張っても文脈を捕まえてもらえない」というストレスを感じ続けてきたからであろう…。すごく頑張って…頑張ったのに…これ以上何をどうすれば…。
nora.icon駄目なものは駄目なのでそれはもう駄目なものと諦めることとして、そのことと「文脈をずらしてはならない」という意識を頑なに持ちつづけようとすることは切り離していかなければならないなと思う。