シャンタル・ジャケ
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パラグラフ
序論
嗅覚は五感のうちで最も低位な対象として扱われる。
人間はしばしば第六感を夢見るが、そのくせ第四感までに甘んじているようである。耳が聴こえない場合や目が見えない場合、一般的にこれらは障がいとして理解されているが、無嗅症はその例ではなく、嗅覚の問題としてのその名前まで忘れられている。鼻を失い、サンクトベテルブルクの道々を探しさまようコワリョーフ少佐の災難は、隣欄よりも嘲笑をかうのだ。半信半疑、好奇心で寄り集まる人々は、何がおこっているかを見ても、もらい泣きはしない。味覚と触覚にしても、視覚と聴覚に比べれば感覚としての地位は低いが、それでも嗅覚よりは高い。従来、真ん中の位置を与えられてはいるが、嗅覚は一般的には、五感中で間違いなく最下位のものなのである。
哲学における嗅覚も同様である。
文学は
その証拠に、この能力に重点を置いた哲学の著書は見当たらない。テオプラストスは古代に『匂い論』を書いたが、これは例外にあたり、そもそも現在読まれているのだろうか。嗅覚と嗅覚の器官に多少触れる哲学論は、せいぜい幾つか見られる程度である。パスカルがクレオパトラの臭を引き合いに出したのは有名な話であるし、コンディヤックの彫像の覚醒を導くバラの香りもよく知られている。が、これくらいが一般的に知られた哲学命題である。多くの場合、哲学においてこれ以外は参照されず、また、そこでの考えは大して展開されない。もしあえて挙げるとすれば、文学と詩の分野であり、思い当たるままに幾つかの珠玉を挙げれば、シラノ・ド・ベルジュラックの長台詞、ボードレールの「コレスポンダンス」、もっと最近ではジュースキントの『香水』が一般的に思い起こされる。知識人なら、スターンのトリストラム・シャンディとその身に対する滑稽な瞑想なり、ユイスマン作の『さかしま』の主人公で、ノイローゼになったデ・ゼッサントの嗅覚の実験なり、またはイタロ・カルヴィーノの『ジャガーの太陽の下で』(Sous le soleiljaguar)の中で、感覚をめぐる一連の物語の最初である「名前、鼻」なりを挙げるだろう。それでもリストは長くはなく、鼻は良くて文学の対象であり、おおかた笑わせるための駄酒落か、もしくは様々な共感覚を生みだす美的興味に過ぎない。 しかし今日、何かが変わってきているように見える。というのも、物理学、生物学、そして人文学でも、嗅覚、匂い、香りについての研究が次々と進められているのだ。歴史学者のアラン・コルバンは、一九八二年発行の『においの歴史』という著作によって、嗅覚の沈黙を破るのに大いに貢献したと自負している。一八世紀と一九世紀の嗅覚と社会の想像力についての研究の中で、彼は現在の環境の無菌化につながった大規模な消臭事業の軌跡を辿っている。この、汚臭に対する嫌悪そして浄化の歴史には、良い香りのするブルジョワと、垢を落として消毒する必要のあるプロレタリアとの社会の軋轢とその表象がよく描かれている。コルバンはこうして新規の研究分野の道を拓き、新しい学問の対象を正当化した。人類学者、社会学者、そして情報伝達科学の研究者たちは彼に追随した。このことは、単著であれ共著であれ、往々にして複数の分野にわたる多数の著作が出ていることで分かる。フランスのみではなく外国でもそれはいえ、コンスタンス・クラッセンの『感覚の力』(Worldof senses)と、デイビッド・ハウスとアントニー・シノットとの共著である、『アローマ』(Aroma, The cultural history of smell)などは参照される資料の一つとなっている。この熱は心理学者と精神療法医の間だけでなく、精神生物学ではブノワ・シャール、神経学ではアンドレ・ホレイ(Andre Holley)といった研究者の間にも広がっている。もっと最近では、二〇〇四年に二人のアメリカ人が、嗅覚に関する研究で生理学と医学分野でノーベル賞を受賞したばかりである。心理学と微生物学を修めたリンダ・R・バック(Linda R. Buck)と、同僚の生化学のリチャード・アクセル(RichardAxel)は、遺伝子及び分子の段階での匂いにおける知覚、識別と記憶の仕組みを解明し、それによって、それまでほとんど知られていなかった嗅覚系の働きを明らかにした。長い間忘れられ、または無視されてきた嗅覚は今や一躍、思いもかけなかった人気の的となっているのだ。芸術家と調香師も遅れをとっていない。ディオールとロッシャの有名な香水のクリエーターであるエドモン・ルドニッカ(Eamond Roudnitska)が、著書の『問われる美学』(Esthetique en question)において、真実の嗅覚美を造ろうと果敢な挑戦をしているのがよい例である。この本で彼が試みているのは、カントのモデルを嗅覚に移行し、それに基づいた美の哲学を香水の制作者に教えるのと、哲学者たちに香水の成分とその特有の問題について気づかせて、その考察がより深く、知識に裏付けられたものになるようにすることである。 哲学者であり歴史学者でもあるアニック・ル・ゲレ(AnnickLe Guerer)であり、彼女は主に時代を通しての匂いの力と、なぜ哲学者と精神分析者は匂いに対して懐疑的であったのかを模索した。この著作は社会学者、人類学者、そして香水のクリエーターの間で大変な評判となったが、哲学の世界ではあるべき反応がなく、その結果この分野の研究が稀で、懐疑の壁に突き当たることとなってしまった。(...)コンスタンス・クラッセンは、西洋においては視覚が特に重要視されているのに準じて、視覚と目に見えるものについての学術研究は、研究所でまじめに取り扱われるのに対し、嗅覚を分析しようとする試みは必ず軽々しく扱われ、裏付けに欠けると思われる可能性があると述べている。(...)この意味で、五感への賛辞を謳い上げるミシェル・セールと、『草薬の芸術』(LArt de joui)で「鼻の軽蔑者たち」を批判し、嗅覚を擁護する唯物主義の哲学者の流れをくむと宣言して、批評におけるイニシアチブをとったミッシェル・オンフレイの二人は敬意に値する。それでも匂いと嗅覚は彼らの研究の中では副次的なものにとどまり、主な調査の的となりうる対象ではない。『五感』(Cingsens)の著者であるセールが、実際には四感しか扱ってないという点を指摘してもいいのだ。嗅覚を重要視はするものの、ミッシェル・セールは一度たりともそれに独立した位置を与えず、「テーブル」(tables)の章で、味覚と切り離せないものにしている。触覚は「ヴェール」(voiles)、聴覚は「ボックス」(boites)、視覚は「探訪」(visites)、と、他の感覚はそれぞれ共感覚的な舞台正面を飾っているのに、鼻のための個別の章はなく、「テーブル」の最後に出演しているだけなのだ。 確かにすべての感覚がそれぞれ作用して、ある対象が全体的に捉えられるのだから、その働きを別々に分析するのは難しく、的を射ていないとも言える。が、それならなぜ嗅覚と味覚に与えられないものが、視覚、聴覚もしくは触覚に与えられていいものか。匂いと味はお互いに強く結びついていて、香りと芳香という言葉は嗅覚と味覚両方に関係するくらいであり、無嗅症はよく味覚の損失を伴うが、それでもいつも混同していいというものではない。お互いに干渉しあってはいても、嗅覚組織は味覚組織とは生理学的に別のものだ。匂いなら呼吸器官経由、味覚に関連する芳香なら後鼻孔(retronasale)経由で匂いの分子を採知する感覚神経によって感じとられる。匂いの分子と味の分子は同一の物ではなく、すべての香りと芳香が味わえるわけではない。味覚とは一緒には出来ない鼻の特性は存在するのだ。こうして見ると、ミッシェル・セールは視覚の優位性を問題視し、すべての感覚にそのあるべき位置を返そうとしているが、その試みの中でさえ、バルサム(訳注:植物から分泌される芳香性の脂)と甘松香について筆致に勢いはつくものの、皇は味と食卓美術のおまけにすぎず、そこから決して完璧には逃れ得ないのだ。そうすると、嗅覚の純粋な美は存在し得ず、嗅覚は哲学の一分野としての対象にはなりえないと結論づけるべきであろうか。そこで、ハーモニーと音楽についてや、絵画と目に見えるものについての研究は数多くされているのに、それに対応するような嗅覚についての哲学的思考が存在しないのは、単なる先入観のせいなのか、外的で周然に生じた原因に基づくのか、それとも匂いに特有の性質によるものなのか知る必要がある。
匂いの芸術
香水の芸術化における認識論的障害
香りの即時性
香りの再現性について
しかして、香りの物理的性格は否定できない。味覚、触覚と同じく嗅覚に関する対象は、現代において芸術と判定されない。ヘーゲルはまさにこうした触覚的美学を非芸術であると批判する。その意味で現代の芸術観とはもっぱらヘーゲル的芸術観なのであり、美しい匂い、味、感触などと言われ思い浮かばない者は、自らの芸術観念が如何にヘーゲル的に歪められているかがわかるだろう。それを超克するべくジャケはヘーゲルの美学観をとりあげる。
確かに調香師の技とは、化学的な体系によるものであることは間違いない。しかし、それはイデアに秩序づけられた方法論に過ぎないのである。
香水には精神が宿り、それは香水瓶を通して渡ってゆく。精神の外交官は、化学的な手続きによってより精巧に、そして再現可能な方途となるのだ。それは公式、楽譜、レシピのように作者のイデアを幾度なく再現=表象する。
香水ではなく香水瓶
したがってまた香水の芸術は、香水瓶の芸術でもある。なぜなら、入れ物は中身を表し、香りを連想させ、それを嗅ぎたいという欲望を引き起こさなければならないからだ。香水は大概、その品質そのものが判断される前にまず最初に香水瓶から送られるメッセージによって表現される。大規模な宣伝では香りを直接嗅がせたりサンプルを送るなどということはできない。それゆえ香水の広告はまずは香水瓶の見た目で勝負し、そこで香水の匂いの質を示唆し、消費者にその購買を促さなければならない。したがって香水瓶の芸術は香水の芸術とは絶対に切り離せないものなのだ。
現代の非芸術なる香水市場
調香師の作品が独自性に富み発明的で、権利としては真実の芸術作品を構成しているにしても、事実としては結局のところその商業上の使命から逃れられず、その結果香りの芸術家と独自的な創造というものを周囲に認められる地位のものとするための宣言は未だなされていない。真実の芸術として推進しようという努力にも関わらず、エドモン・ルドニツカが望んでいた香水の美学は、香水の製造とその使途にからんだ理由により計画途上のままである。自然物よりずっと安くつく合成物の発見による香水産業の工業化に引き続いて、エッセンスの製作の考え方に大きな変化が訪れた。匂いの新しい分子の研究は大規模な工業グループ傘下の研究所で行われ、その経営的かつ商業的必需性にしたがっている。独立を保っているシャネル化粧品を除いては、香水の主なブランドは国際的グループに属し、自分自身ではもうその香りは作らず、製作会社に任せている。これらのブランドを買収するグループは香水が専門ではなく、嗅覚美学についての一貫した政策も長期にわたる眺望もなしに、即時の収益性のみを目指している。それにより、もし期待された通りの利益が得られなければ、さっさと買うか売るかしてしまう企業の戦略の変化によって、方針と研究が非常に不安定なものとなっている。香水の創造者を雇う制作会社はマーケテイングにしたがっており、香りの構想は、受ける注文によって左右されている。このように「宴」の行動の自由は狭められ、その創造性には手綱がかけられる。というのも、彼らは金銭帳簿に従い、顧客の要求、値段、標的とされている客層によっての製品のイメージにしたがって香水を作成するための方針会議にも服従しているからだ。したがって、なるべく多くの人間、もしくは標的となっている顧客に気に入られるような製品を市場に出すため、できるだけその欲求、その世界観、その生活様式に合うように努力する結果、美しい香水の探求は後回しとなる。独創的で特異であるどころか、香水は往々にしてヒット間違いなしの香りに少々手を加えただけのコピーであり、なるべく多くの人間を引きつけ市場を占有するために、ありきたりで無難なものとなる傾向がある。ある香水が売り出されるには、まずその品質に頼るのではなく、大々的な広告の助けでなされるのだ。香水の世界的な売り出しは、巨大な広告の予算によっている。一九九五年のカルバン・クラインの《CK One》を売り出すのにはおよそ一億ドルかかった。アニック・ル・ゲレが一九九九年にインタビューしたジャン=ピエール・プチディディエによれば、「ある香水の販売値段の八〇%以上が広告とマーケティングに占められている。香水の中で何か匂いがするもの、香りの元となる成分は大体二%しかない。したがって、それが二%しか占めない以上、八〇フランでオードトワレを買うとすると、一・六フランということだ。香りをつける生産物が一・六フラン分だとすると、あたりまえのことだが、値段の張る生産物を入れるわけにはいかない。薔薇でもジャスミンでもなく、安い合成生産物ということだ」。こういった条件では、香水の品質にそれが反映され、芸術的創造については殆ど問題にもならない。この視点からいけば、LVMHの香水と化粧の社長であるパトリック・コエルが表明した製品製作の規則は非常に雄弁である。「コンセプトのはっきりした単純な考えを練り上げ、次いでそれを反映するような名前を見つけ、そして独特の瓶とパッケージを創造し、適切な発表のためのキャンペーンを促進し、そして最後に香水液を作るのである。私は故意に香水の創造を後に回す」。確かに、フレデリック・マル、オリヴィア・ギャコベッチといった、独立した創造者の内、何人かは香水の芸術にとっては破滅的行為であるこの傾向に立ち向かおうとしているが、彼らは非常に少人数である。香水工業がグローバル化して正道を踏み外した影響は、フレグランスの創造にだけでなく、その評価の仕方にも感じられる。嗜好の判断は大々的な促進キャンペーンによって形成されていて、全く自由には行われていない。このようにアニック・ル・ゲレは、マーケティングによる操作の力は「「目隠し」で行われるテストでは、「アルページュ」が「シャネルのNo.5」より好まれるが、この二つの香水のそれぞれの位置がマーケティングの影響を受けると、つまりその名前とともに見せられると、反対になる」。ということを述べている。したがって、香水のオーラは往々にして、不純な想像力と、広告によって徐々に注入されて規格化された幻想を含み、その結果、判断は最初から目隠しされているのである。それでもなお、商業的な攻勢をかわすための努力が実るとしても、純粋な嗅覚芸術の組成は、香水の目的に関連した障害に打ちあたるのだ。嗅覚的な作品は、カントの言葉を借りれば、目的なき合目的性ではなく、装飾品、誘惑の道具としての香りの使途に従属しているのだ。
ユイスマン
香りとは形而上学的
香りの現代アート
嗅覚芸術の挑戦をまず受けて立ったのは間違いなくマルセル・デュシャンである。「レディ・メイド」の発明者は絵画がまず視覚芸術であることを否定し、嗅覚への強い依存を強調する。一九四九年に書かれたアルベール・フランケンシュタインへの手紙で明言して曰く「絵画は嗅覚的慣習である。本職の芸術家が絵を描き続けるのは、ピグメントとワンスの匂いを常に嗅いでいないと、やっていけないからだ。芸術家はその卓と美術市場の奴隷である」。隷属と重なる習慣を捨て去ろうという願望のもと、彼は芸術にテレビン油以外の匂いを挿入し、表面と他に限定されすぎているその次元を広げることで、絵画芸術の束縛から逃れようとする。香りは自由の息吹のごとく空間を広げ、芸術に生の力を与える親密な空気のごとく作品の中に潜り込んでいくのである。このダイナマイトの活力は、一九三八年のパリのギャラリー・デ・ボザールでのシュルレアリスムの国際展覧会の折に、見事なまでに発揮される。デュシャンは一二〇〇の炭袋を天井の代わりに吊るし、枯れ葉を敷き詰めた床に蘆と睡蓮で沼を作って、ブラジルの煎ったコーヒーがしつこく匂い漂う、一種の薄暗い洞窟を設置した。匂いと香りを入れたことは芸術に複数の次元の広がりを与えようという願望の現れだが、デュシャンの作品においては単なる一例限りのことではない。ニューヨークで一九四二年に「シュルレアリスムについての最初の記録」と題された展覧会はヒマラヤ杉の香りの高い空気の中で開かれた。一九五九年に彼はウビガン社のフラッテリー(お世辞)という香水を使い、コルディエでのエロス展に匂いをつけたのである。デュシャンが嗅覚美術に先を付けたが、数多くの芸術家が彼のまねをした。まずはベンであるが、澱んだ水から着想を得て悪臭を駆使する「フルクサス」の活動的メンバーである。ピエロ・マンゾーニは吐き気を催すような挑発においてもっと上を行き、缶詰に自分の排泄物を入れ、「芸術家の糞の缶詰」というラベルをつけ、当時の金の相場で販売した。最も臭く嫌悪感を催すものを缶詰にし金と同じ値段で売るということの目的は、人心を騒がせたいという願望を越えて、美術市場と、芸術家に「糞ったれな」作品しか製作しないように仕向け、観客にはそんな作品を美術館という缶詰工場で大量に消費させている創造的商品化を告発することであった。 オドラマについて
挑発、もしくは匂いの局所的な使用を越えて、全ての感覚の実験を目指し、嗅覚美学への強まる興味を証明する近代美術の進化について注目すべきである。この新しい方向は、香り産業と嗅覚学の研究に関連した最新技術の出現によって数を増やしている。ジャックリーヌ・ブラン・ムーシェにより実現された最初のフランスのオドラマ(訳注:odoramas オドラマとは、何らかの仕掛けや装置を使用して、特定の匂い環境を作り出す仕組みを指す。例えば、映画館で特定のシーンで観客が匂いのしみ込んだ紙をこすり、映画の視覚体験と共に嗅覚体験も同時に行うことを、オドラマ・システムと呼ぶ)は、一九八六年にヴィレットのシテ科学産業博物館のために構想されたが、想像力を強く刺激し、芸術的思考の回復に貢献した。ジャックリーヌ・ブラン・ムーシェは共感覚に興味をもっており、それ以降、匂いと香りの演出をするのが仕事のエージエントTransens社を創立し、雰囲気装置、一九九〇年にデザイン大賞を獲得したプログラム可能な匂いの拡散器、イメージと音と匂いを遺携させるキャビンをもつオドラマといった舞台装置の道具を制作した。このように例えば、映画『バベットの晩資会』には匂いがつき、三つの嗅覚的な雰囲気に伴われていた。AC2i といったような会社が教育的、商業的、芸術的な可能性を倍増するような嗅覚的新技術を発明し促進しようとしている。一九九九年にAC2iは、技術OlfaComを完成させるが、これは取り外し可能なカートリッジと弁で芳香と香りを拡散させるものである。カートリッジは異なる匂いの分子を含み、匂いの分子は通風装置によってその香りを発生させる。弁の開口部と閉口部は、あるソフトウェアによって制御されている。器具はコンピューターに接続された周辺装置のように作動し、イメージの投影機と対になった匂いの拡散器を備えている。映像と音に対応した芳香を拡散し、バルジャベルが願ってやまなかった、匂いのする映画を発明することが可能になっているのだ。ロンドンの若い芸術家であるアレックス・サンドベールは、《共感覚的核家族》(Synesthesia Naclear Families)を作成する際にこの方法を使った。これは初めて二〇〇〇年一〇月にニューヨークのヘンリー・アーバック建築ギャラリー (galerie darchitecture Henry Urbach)で、次いでは二〇〇二年にロンドン王立美術大学で紹介されている。視覚の影響力を減少し、未だかつて存在しなかった感覚の芸術的宇宙を踏査する狙いをもって、アレックス・サンドヴェールは観客に、主婦の食事の用意を見に来るように招くが、そこでは匂いと写真とビデオと音が集められている。三メートル以上のスクリーンに五〇年代の食堂を映し、彼は台所の扉と料理出し入れ口の開口部を通して、この女性の仕事を見て嗅がせるのである。料理をしているか、洗っているか、給仕しているかによって、サルビア、鶏、漂白剤、もしくは葡萄のタルトの匂いが回廊に広がり、観客を主観的、共感的、そして当惑させる経験で包み込む。現代アートにおいてオドラマは倍増し、往々にして様々な分野に渡った取り組みを試みている。二〇〇三年一二月一三日から一八日まで、カルティエ財団による現代美術のための「遊牧民の夜会」内で開催されたオドラマサイクルは、この動きの典型的なものであり、このおかげで今までにないような感覚の宇宙が探求され、匂いについての芸術的研究が豊かになった。芸術家、建築家、振付家、デザイナー、調理師、調香師が各自その独自のスタイルにおいて嗅覚パフォーマンスを制作し、芳香と香りを賛美した。これらの超-芸術的探求により、香りの新しい地位を定義し、芸術の限界を広げることができる。しかしながら匂いと香りが前例のない美的な広がりを獲得するのは、おそらくインスタレーションの実践を通してである。 インスタレーションについて
不滅の芸術と、美術館に閉じ込められた永続的な作品が神聖なものとしてとらえられなくなったことによって、儚さという特徴をもつパフォーマンスとハプニングが好まれるようになったが、匂いはその揮発性ゆえ、これに特に適応している。知覚の新しい可能性を試すのが目的で、習慣と視覚の覇権を再検討させるインスタレーションといったような独自の形が発達することは、嗅覚、味覚、触覚といった忘れられた感覚の探求に適している。インスタレーションという言葉は、意味ははっきりとは確定していないが、イベント、介入、企画の形で、映画、ビデオ、空間演出、そして往々にして動きがあり私的な内的空間を探求するようになっている建築的要素、といった関連する媒体の種類全体を纏めたものである。インスタレーションは展覧会ごとに移動し、ポータブルで柔軟な使用を生み、特定の場所に置かれっぱなしで、オブジェの創造と定義してきた。固定された芸術の観念を捨て去るようにと導いている。このように、ニコラ・ド・オリベイラ (Nicolasde Oliveira)によれば、「インスタレーション芸術は、かつて芸術が場所に与えていた優先権をもっと大きな自由と柔軟性に譲り、永続するオブジェか固定した場所への依存全てから抜け出た芸術家を“儚さの市民”に変えた」のである。これより、儚く、不安定で無形であるという匂いの性質は、その芸術作品としての体質への障害ではすでになく、その反対に、ノマドのような移動性、儚さ、変幻自在の動きを求める芸術家の注意を引く可能性があるのである。知覚は媒体の変化と、空間を破壊しこれを再考する新しい情報伝達技術ならびに交流の循環の増加に適応しなければならないが、嗅覚的作品の出現は知覚の流動的で常に変化する性格に対応しているのだ。このインスタレーションの実践の例は、オズワルド・マシアから、香辛料と香りを体系立てて使っているエルネスト・ネトまで数多くある。 オズワルド・マシア
コロンビアの芸術家であるオズワルド・マシアは《メモリースキップ》と名付けられた、視覚的、音的、嗅覚的な作品を創ったが、この題はメモリースキップが「記憶の運搬車」と「記憶の乏または飛躍」どちらをも意味するという英語の駄酒落からきている。作品は一九九五年のものであるが、奇矯であると同時になじみ深い特徴を備えている。なぜなら、これは松のエッセンスのエキスを含んだゴミ収集車を密閉された部屋に設置するというものなのだ。この作品には視覚的イメージと嗅覚的イメージという二つの矛盾する者が同居している。廃棄物の臭い汚れに、松の心地よい匂いが対比されているが、松は洗剤と、周辺の空気の消臭に使われているため、清潔感を喚起する。《メモリースキップ》には「匂いの音」と名付けられた録音機器が一緒にあって、このサウンドトラックは松の針を粉砕する音を出しているのだが、松の匂いが部屋中に充満すると共に終わっていた。 デルモット・オブライアン
同じ年にデルモット・オブライアンは《無題》というインスタレーションを設置しているが、これは言語の感覚的広がりが対象である。回廊の壁に彼は丸くて色のついた、小さな空気の消臭剤を並べている。この消臭剤は点字を形作っており、視覚健常者には読めず、視覚障害者と盲目者には読めるのである。視線は触覚的かつ嗅覚的な感覚の中に迷い込む。卓は匂いを判読し、手は点字を触って解読するように促されている。 シセル・トラース
同じ内容で、シセル・トラースは、一般の人々がある場所を知覚する方法を試すための、感覚実験に類似したインスタレーションを作成している。《とある場所の気候(空気)、パートワン、汚れその一》という題の二〇〇一年の作品で、彼女は香水工業の最新技術を使っているが、これはある場所に固有の匂いの見本を収集するためのものであり、この場合はロンドンのデットフォードであったが、彼女は一人の調香師の助けを借りて《汚れその一》という香水を作った。展示の最中に彼女は犬にくくり付けられたカメラで撮影された映像のビデオを映すが、このカメラはサウンドトラックを伴っており、それが局地の気象予報と救世軍のオーケストラによって演奏される旋律を中継放送している。シセル・トラース エルネスト・ネト
エルネスト・ネトもまた擬人化された世界を作り、その圧倒的な彫刻に生の力と有機体の感じを与えるために、香辛料と香りを使っている。真の嗅覚的建築の発明者であるこのブラジルの芸術家は、インスタレーションをポリアミドとライクラとラバーの外皮の形で構想しているが、これは器官と手足を想起させており、空間に表皮の壁のように張られているか、陰嚢か重力に引かれた房状の皮のごとくに垂れ下がっている。観客は、ウコンと胡椒と丁字の芳香が満たすこれらの半透明の覆いでできた柔軟な立体の内側の感覚的な旅へと誘われ、巨大であり同時に脆くもある体の内臓を嗅ぐのである。嗅覚的かつ触覚的な印象は視覚を圧倒し、観客は見るのみならず嗅ぐようにも誘われるのだ。このように、例えば、二〇〇五年にイヴォン・ランベール(Yvon Lambert) ギャラリーで行われた二回目の個展「世界しか見えない」においてエルネスト・ネトは、観客を一つの感覚的空間の構築と、場所を再定義する主役になるようにと、一つの建築物の真ん中に導いた。ギャラリーの一番大きな部屋に、彼は皮のように軽い生地で覆われたメタリックの柱がそびえる垂直の構造物を構築し、四つの円の交差した上に据えられている建築的物体を作成した。展覧会の第二部では彼はより親密的な空間を設置しているが、これは休憩室であり、ほとんどもう見るものは何もなく、体は休息し、静かに流れる時に浸ることができる。裸足でインスタレーションの内部に入ると、観客は積極的な感覚の探求へと招待され、ラバーの塊のくぼみの中に適当に手を差し込み、その度に漂う異なる香辛料を嗅ぐことができる。客は展示を辿りながら、例えば空間を通るために押すスタンプなどによって、少しずつこの場所を自分のものとするようになっていく。あちらこちらを触るようにと常に要請されることで、この空間が自分のものとなっていくことが表される。手は導線の役割を果たし、押し、かき混ぜ、部屋の真ん中のプラスチックの玉で遊ぶのである。この玉は、その上に座り、屈むことができる丸い受け皿の中に入れられている。しかし昇もまたガイドの役割をする。より親密で息抜きと休息にあてられた空間で、流動的な巣にいる一種の巨大な蜘蛛に似た最後の部屋では、たくさんの香辛料がその跡を伝え、順路を示している。しかしこれにより、ブラジルのこの芸術家は嗅覚を先陣におき、その作品は嗅覚芸術の典型であると結論づけるのはおそらく行き過ぎであろう。ネトは視覚の覇権に対して立ち上がり、嗅覚的かつ触覚的要素を導入する共感覚的な芸術を促進しているが、鼻よりはまず触覚の詩人である。実際彼は、自分の芸術作品において決定的な役割を果たすのは、触覚的、表皮的広がりであると言っている。そうすると、全ての感覚を集め、嗅覚に特等の地位を与えるインスタレーションを越えて、最終的に、香りが創造の本質そのものを構築しているような、特に嗅覚的な芸術が存在するのかどうか問うことが可能である。 セルジュ・リュテンス
この発想では、調香師芸術家であるセルジュ・リュテンスの取り組みに敬意を表せねばなるまい。彼はまずはディオールと資生堂で働き、香りを商業的地位から引き離してその想起的な力を強調しようとした。セルジュ・リュテンスは二〇〇四年にリールで嗅覚的迷宮(香りのラビリンス)を造ったが、これは高さ七メートルの未加工のコンクリートの迷路の形をしており、中心においては四角に狭まっている彼は、芳香が漂っている通路にそって、その生誕地の北部、ガスの上で常に暖められているコーヒーポットの熱いチコリの匂い、香料入りの洗剤の泡の匂い、コキーユのブリオッシュと焼き直されたムールとフリットの匂い、石畳の上の雨と刈られた生け垣のイボタノキの立ち上る匂い、等に色付けられた子供時代の郷土の記憶におけるプルースト風の旅に観客を誘っている。次々と香りに埋められる空間は新しい時間性の表現となるが、それは記憶の情緒的螺旋と、思い出の関連にぴったり一致しているため、一本調子とは縁遠い。入り口には芸術家の法の貧言が見られる「嗅覚的迷宮は一つの道であり、記憶を刺激するものである。ここにある芳香それぞれはあなたに嗅覚の国境を制限はしない。喜びから嫌悪、趣味に合うものから不快感まで!私はその建築を本当の研究所ではなく「迷路」(dedale、これが作成者の付けた呼称である)のように想像し、それがここでは導き手であり、夢であり、ドイツ表現主義から生まれた目印のない場所であり、その映画、その絵画、そのユートピアであります。光と芳香の伝導性の宇宙・・・・・コンクリートの大聖堂」。このようにこの迷宮は、芸術家と観客では必然的には同じ記憶は思い起こさせない嗅覚的知覚の曖昧さを操りつつ、過去の情感の記憶を復元する匂いの小説のようなものなのである。したがってこの迷路は相手の親密性を嗅ぐことでも、自分自身の親密性に潜り込むことでもある。このように各段階が、分かれたもしくは独特な記憶のもつれの中での滞在、同時に違いもし同じでもある経験を構築している。