今こそSF的発想で、10xな習慣を見直してみる(具体例紹介つき)
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1日は起きて始まる。目覚ましをかける人は多いかもしれないけど、少し前の時代は決められた時間に音を鳴らすことしかできなかったみたい。
でも今は違う。過去の睡眠ログから最も睡眠効率がいい時間に起こしてくれる。起こす時間をあえて厳密に定義せず、眠りが浅い時に腕を叩くことで気持ちよく目覚められるようにしてくれる
iPhoneが手が届かない場所にあっても、Siriは同じiCloudアカウントでログインしているデバイスで全く同じ振る舞いをしてくれる。 少し前は「人工知能」というキーワードは漠然とした未来への希望を表すものでしかなくて実態は感じられなかったけど、落合陽一という哲学者が示した未来通り、"デジタルネイチャー"という言葉で十分説明ができる。 すると、今日の天気から今起こっているニュース、自分が登録したリマインダーやカレンダーから抜き出してきて教えてくれる。
HomePodの「パーソナルリクエスト」という機能らしいが、自分の声を認識してその人のカレンダーに登録されたものから教えてくれるらしい。試したことはないけど、HomePodに他の人が話しかけると、"それ"は自分が質問した時とは違う予定を教えてくれる機能もある モノが見当たらなければHomePodに「私の鍵はどこ?」と聞けば、AirTagというキーホルダーが音を鳴らして自分の場所を主張する。それでも見つからなければ、iPhoneを使って拡張現実の上にマッピングすることも可能だ。 眠いまま、シャワーを浴びる。3ヶ月ほど前からアメリカのニューヨークに引っ越してきたが、今住んでいる家はバスタブがあって朝からお風呂に浸かれるのはとても気持ちい。
科学的にはお風呂に20分ほど浸かると健康にいいらしいのでSiriに頼んでお湯に浸かると同時にタイマーをセットする。
最新のiPhoneはもちろん、だいぶ前の世代のものから防水なのでお風呂に持ち込める。タイマーがなるまでの間はDuolingoという語学学習アプリを開く。 (多くの人が想像できる単語で言うと)ゲームのように語学を学ぶことができるのだ。確かにこの世界では機械学習という、人智を吸い上げて単一の言語モデルとし、ほとんどのトピックについて人類の平均よりも優れた回答ができるけど、まだまだ言語の壁というのはある。
それに、言語も人間と人間のコミュニケーションの方法の1つであって、まだまだ生き方として言語を学ぶ必要があるし、まだ知らない世界・概念を言語を通して学ぶのは楽しい。
人間の思考は言語に基づいている。論理空間を構成する主体は言語に依存していて、相対的であることだけに意味があるということを言語学者は言ってるが、それは同時に思考は言語に依存するという意味でもある
だからこそ、言語学習は思考を広げるための一つの思索行為なのだと思いながら英語を勉強する
https://www.youtube.com/watch?v=RKK7wGAYP6k
このアプリを開くと iPhoneは集中モードに入るように自分は設定してある。 KindleやDuolingoなど、自分が集中する必要があるアプリを使うときは自動で集中モードに切り替わるように設定している。これで自分がスマホを使っている間に通知が来て興味が移り変わったりすることを防ぐことができる。 思うに、「アテンション」というものは自分が持つ貴重な資源であり、強い刺激・報酬系に晒されることで1日を通して減っていく。使えるアテンションが減ると同じ作業でも時間がかかるし、現にこの文章を書いてるのはポロモードテクニックを使っている。 思うに「ライフハック」とは"最大効率を出すため技術"であり、学び・鍛えることができるものの1つだと思う このDuolingoもインターネットが存在したからこそ実現したものの1つで、世界中で5億人以上が使っている。
これもインターネット、そして最近の波だと機械学習の恩恵があったから出来た世界線だ。群衆の知恵が言語学習を加速させた。 世界中の人が言語学習を手元のiPhoneから、パソコンから出来るようになったし、元々の世界にはあった高いお金を出さないと会場にすら行けない名ばかりの「統一テスト」があったらしいが、今では全てDuolingoから、手元のスマートフォンから大学に行くための試験を受けられる。
最近ではもう一度冷戦がはじまろうとしているが、ロシアの中でウクライナ語を学習する人が増えたらしい。 そんなところで風呂に浸かって20分間経つとタイマーがなって時間を教えてくれる。今日の学習もまずまずだろう。
この少し熱いシャワーを浴びて1日を始めると気分がいいし、個人的にはそれが習慣になっている。どうやら啓蒙思想を持った医者たちも進めているので、自分にとってはおまじないのようなものだけど別に悪い話ではないので楽しくやっている。 さて、風呂に浸かり、シャワーを浴び全身を洗って身支度に取り掛かる。
そういえば自分は幼少期に、親に言いつけられた就寝時間を守らずに布団の中で寝ながら3DSというゲーム機を触っていたことがあったからか、視力が日常生活できるほどではない。「視力」というある単位で言うと、0.1に相当するそうだ。
実際、最近の時代では目が悪いことはある程度のお金を出せばなんの障害にもならない。 しかも、ここで言う"ある程度のお金"は、たかが安いメガネやコンタクトなんて、1日5時間程度の労働を1週間程度もすれば余裕で買えるだろう。これがイノベーションだ、コモディティ化だ。 元々、人間という種が生まれた20万年前ぐらいは狩りをしていたらしいから、もしコンタクトがなければ死活問題だろう。「俺は目が悪いから近づいてくる虎に気付けず、獲物を捉えられず、餓死した。」そんなこともあっただろう。
「障害」という概念は環境によって規定されると木村敏が言っていた。彼の言いたいことが全てわかるわけではないけど、現代で視力がさほど死活問題にならないということは、まぁ障害とはこんな感じなんだろう。 「ほとんどのやらなければいけないことに関しては何をやらせてもコンピューターがやった方が便利」というassumptionに世の中がそろそろ達してきた頃、自分の脳内は覚えておかないといけないことを置く場所ではなくなっていった。
そうすると、前時代からADHDと。これまた"障害"の命名の1つだ。日本語で言うと、注意欠陥や多動性障害と言われるものだったらしいけど、それのおかげで自分の脳内は次にやりたいことでたくさんだ。 自分の脳の片隅に置いておくよりも、「Hey, Siri」と言った後に「『作り置きできる日本食を調べる』をリマインダーに追加」と言うだけで外部記憶領域に保存できる。
これほど喜ばしい社会はないだろう、なぜかって、自分が本来やりたかったことを100%近く脳のリソースを使うことができるのだ。
もう一度天気を聞いて散歩をするために服を着る。流石に未だ、家以外の外の世界の空調の概念はない。ジオエンジニアリングという領域の学問だそうだ、将来は気候を人類自ら制御できるようになっているかもしれない。 それでも、Siriは「今日は2℃」と。コートが必要そうだ。
AirPodsは耳にかけておけばそこから音楽を楽しむこともできるし、中にSiriが入っている。その腕時計は私が散歩したことを検知して、適切な情報を教えてくれる。コーヒーを買いに行こう。
人生は一度きりだ。iPhoneでも写真は撮れるけど、工芸品としてのカメラを持ち歩くのは身体性があって気持ちい。ハードウェアに触れて自分が感動できる一回性を探り当てる感覚、瞑想に近い。質量とフォトンの間で。
https://gyazo.com/83ca0f62b27f2e8fcbce155596fbc825
家に帰ってきてパソコンを開く。もちろんメールやSNSはスマホでも見れるんだけど、身体的には明確に違う。結局自分たちを制御するアテンションや、その元になるドーパミンはその実質性を判断できない、身体から得られる情報が全てだ。
"出来ることは同じなんだけど、気持ち的に違う"という感覚は大事にした方がいい。あなたが感じてることが全てだ。
まぁそんなことでパソコンからメールを読んだり、書いたりするとスマホで完結させるのとは違う集中、思考の性質を持つと自分は思っている。だからこそ儀式性、記号としての意味が必要なのだ。
そんなことより、メールって知ってるか?今主流のFacebookやTwitter、他のいろいろなSNSが作り上げるよりも前にあったもので、なんとメール自体のプロトコルはどこの利益団体にも独占されてないんだ。
個人的に、この凄さというか魅力はまだ多くの人には伝わっていないように思う。多分、「メールとSlack, Discordどっちがいい?」と聞くと、ほとんどの人が後者を選ぶように思える。 予想だが、これは人類が繰り返してきた分散化と集中化の揺れ返のゲームの途中にいるので、いつかまた反対のassumptionが世の中を覆うだろう。
自分は今、誰にでも伝わるようにいうと「クリプトのプロジェクトのfounder」だ。で、何をやっているのか?というと説明に困る。ただ感動を求めて生きているだけなのに。
メールボックスには以前からコミュニケーションを取っていた、ある学者とのやり取りの続きがあった。その宛先のメンバーは、世界ではそこそこ大きいIT企業のリサーチチームを率いる経済学者と、ある国のdigital minister、そのほか色々なバックグラウンドを持った研究者や起業家、まぁ平たくいえば「もっと世界をよくしようとしている人たち」が含まれている。
この状況はいろんなふうに解釈できる。
自分は世界中の「世界はもっとより良くできる」と考えている人たちとのチャット、思索だと思っているけど、他の人は「仕事」という単語を使うこともあるらしい。
来週にはこの人たちに会いにBerkeleyまで行く。画面を介してしか話したことはなかったけど、質量世界でインターネット市民のみんなに会えるのは楽しみだ。 これも他の人は「学会」という単語を使って表現することが多いらしい。自分にとったら生きること、好奇心に従うことの1つでしかない。義務ではない。好奇心に駆られた結果なのだ。 たまたま自分が興味のある領域である程度関連知識があって、相手はそれを知らなさそうだったのでリファレンスとして記事のURLを送ってみる。たかが数分で、Thanks for passing alongと返ってきた。知ってると思わずに共有していてよかったね。
自分が生まれ育った地で学んだ言語と、世界中で使われている主流の言語は違うものだったので少し苦労しているが、基本的にはDeepLというバベルの塔と、ChatGPTという世の中のassumptionを学習して推論が非常にうまいツールを使えば苦労することはない。 重要なのは「ツールを使いこなす人が最終的に目指したい世界線はどこか」であって、言語というツールがないことは問題ではない。
と返信をした後、たまたま見つけたのがある国のdigital ministerがどの会話に参加してることに気がついた。メールには署名と言って、最後に自分の名前や所属を書く慣習があるのだが、彼は自分のそれを読むのだろう。
そこに私がなんと書いているかというと、自分の名前と今進めているプロジェクトだ。つまり、そういうことだ。
最近ではそれを言葉尻だけ捉えて、非中央集権という単語だけが一人歩きをしているらしい。 思うに、世界の熱狂というものは偏りから生まれるものだと思う。確かにこのDAOで統治技術の透明性は上がったが、いつの時代もインナーサークルから歴史始まる。 そう、このメールのやり取りは7人しかいないし、別に誰もが見れるわけではない。自分がここに入れているのは、Twitterを通してプロジェクトを説明し、その前提となっている論文の著者に感想と自己紹介を送ってみたからだ。
インターネットはこういうことができる。たとえ自分が学位を持っていなくても、言語が違うくても、それでも言論一つで巡り合うことができるのだ。 「知恵への間口」は間違いなく広くなった。インターネットさえあれば世界中の人たちと文字通り繋がれるようになって、「未来の当たり前」と、「そこに向けてまだ世の中が気づいていないギャップ」に言及できるセンスさえあれば、どこにいても絶対に見つけてくれる。
まぁそんな感じで、自分はなんとか(?)ここにいる。
自分をその土台に上げてくれる人たちがいることにも感謝しなければいけない。長い人類の歴史でいうと、若者は常に先輩を時代の1つとして見るべきだし、この長い歴史を続けていくためにも全ての先輩を超えていくことが、若者として、後輩としての1つの使命なように思う。もちろん自分も後の世代に継いでいくことだけが価値だ。
すると、Apple Watchが座りすぎを教えてくれて「身体を動かそう」という通知を送ってくる。はいはい、歩きますよ。 最近は自重トレーニングにハマっている。ヨガマット1つだけでここまで生活は変わるものなのかと感じる。 大衆は健康になるためにジムに行ったり、パーソナルトレーニングをつけたりしているらしいが、自分から言わせるとそれは「自分のアテンションとモチベーションをどう焦点を合わせるか」という問題でしかない。 それが出来ないと、高いお金を払ってもなんの成果も得られなかったり、逆にお金がなくても成果をあげられたりする。
「大衆とは何か?」に関しては大衆の反逆が面白かった。 自重トレーニングの技術自体は本でも学べるが、もっと簡単にGoogleで調べるだけで手に入る。Youtubeという動画サイトもある、文章しかやりとりできなかったWebも今では情報を大量に転送することが可能になり、世の中に動画を含めた上質なコンテンツは指数関数的に増加している。
「無料でも手に入るものに対してお金を払う」というのは色々な理由があるが、そもそもそれを知らない人たちは払うしかないと思っているのだろう。
健康を維持するのに必要なのはお金ではなくて知識の1つだと思う。
最近、目に見えて身体つきも良くなってきてるし、健康になった気もする。毎日目覚める時は以前よりも気持ちがいい、気のせいかもしれないけど十分だ。
資本主義の中で最も高いものは健康そのものなんだ、でもお金じゃ買えないんだ。資本主義でも実現できないものがある、自我だ。自我の芽生え、きちんと絶望を経験すること。能動的ニヒリズムを前提とすることでしか見えない世界というのは確かに存在すると思う。そして、それが前提の人たちではそこからしか全てははじまらない。 全てのことに意味はないし、俺もお前も全員が別に存在している意味はない。そこから始めよう、その中で自分自身が信じるものを見つけられるかというものが人生であり、希望なんだと思う。
場所を変え続けると自分は長く集中ができる気がするので、WeWorkというコワーキングオフィスに行く。資本主義は偉大、通貨のおかげでそれさえ信じればインセンティブをアラインができるからね。 つくと自動的にWork modeに切り替わる、仕事(さっきこの単語を否定したけど)に必要な通知のみが届くように切り替わる。
そして、これを書く。テックでライフハックは出来るけど、究極の"人生の意味"みたいなことは自分じゃないと答えが出せない、答えかどうかなんてわからない。自分が納得できるものを探すのみ。
最後に自分がやっているライフハックをまとめておく。
人生におけるモチベーション
ライフハック
知的生産
Macの設定
iPadの設定
iPhoneの設定
Apple Watch周り
最近20になった高木俊輔より。