『僕らの生存戦略』
ほぼ原稿は揃っているが、一度ゼロベースで構成を再検討したい。
どのように再検討を進めるか?(2019/3/5)
章立てそのものをゼロベースで考え直すことに(2019/3/18)
章立ての変化を記録していく
章立てに手を入れるときは、コピペしてから
ギリギリまでフラットな状態で進めていく、という実験。
スライドを作るかのように、本が書けるか?
『画家とハッカー』のような構成はどうか?2019/3/23
フラットにsectionが並んでいる形
理路整然と語ることが、この本の役割として適切なのだろうか?
理論の展開は堅苦しすぎないか?
語りが強すぎると説教くさくなる可能性も
入り口と出口だけは見えている2019/3/25
「僕ら」という言葉の機能不全から、この社会が私たちに提供しているものの機能不全へと話をつなげる
「僕」から「僕ら」へということで(個から小さな公共へ)、再びこの言葉に戻ってくる。
この間をどうデザインするのか(いかに語るのか)
いったん冒頭の議論を整理してみたい。
そこからどんな話に接続するのがスムーズか
章構造の骨組みは見えてきた(2019/5/1)
ただし順番と章題はまだ確定ではない
ここからどう進めていくか?
既存の項目を目次案に組み込んでいく
必要そうな文章をすべてScrivenerに読み込む
そこからは?
以降は目次アウトラインの拡充
項目を下から上に移動 ver.2.9(2019/5/6)
アウトライン外にあったメモを、すべてどこかのブロックに所属させることが完了(2019/5/15)
冒頭と章題「タテからヨコへの社会の変化」のアウトラインの整理と均し(2019/5/15)
冒頭と章題「タテからヨコへの社会の変化」をいったんScrivenerに(2019/5/15)
冒頭と章題「タテからヨコへの社会の変化」を別ページとして切り出し(2019/5/15)
章題「戦略と人生デザイン」の流れが渋滞気味(2019/5/22)
いったん別ページに切り出した。
困ったときの「とりあえず書いてみる」を実行。
とりあえず各章を切り出した。
やはり全体の見通しが著しく悪くなる。
ここからどうするか?(2019/6/16)
章題「戦略と人生デザイン」の章題が嵌っていない気がする(2019/6/17)
全項目をうまくまとめる表現ではあるが、この章の「いいたいこと」は表していない。
では「いいたいこと」とは何か?
人生デザインと必要な戦略
ストーリーテリング型へのシフト
脱ロールモデル型
ロールモデルから人生デザインへ(ストーリーテリングへ)
多様性だからこその戦略
弱者の(ための)戦略と人生デザイン
→別ツールで検討してみることに
とりあえず、「この章でいいたいことは何か?」にフォーカスして考えて見る
一度切り出した項目を、このページに戻す作業(2019/6/24)
全項目のcallback完了(2019/6/27)
今後の指針の決定(2019/7/2)
このページでは、キーワードを集めていく。
その後、それを切り出す
章ごとのページは、キーワードへのリンク集という形を取る
Dynalsitで、temporary-indexを作成する。
章だけの構造を管理するもの。
Dynalistで、rough-lineを作成する
構造を考えずに、話の流れだけを管理するもの。
temporary-indexをベースに、Scrivenerでファイル構造を作り、そこにrough-lineの内容を流し込んでいく
徹底的に分解して、読み手が自由に構築できるようにする?
攻略マップを示して、どこからでも自由に進んで下さい、的な指針を示す?
それぞれの章で文章の書き方を変える?(2019/8/30)
概要
「僕ら」とは誰か
マスメディアの使う「僕ら」と現実の「僕ら」のズレ
そのズレが象徴する機能不全とそこから要請される戦略
社会が変化する中で、これまでの生き方とは違う生き方が必要になった
しかし、その新しい生き方は、「成功を手にする」ためのものとは違う
本来社会制度や文化が用意しておくべきものが欠落しているので、それを埋めるようなもの
社会的環境の理解と自分の手札の理解が共に重要
そこから自分で価値を生み出していく方法、なんとかやりくしていく方法を知る
さらに、最終的に「自分」だけの話から「自分たち」への話へと
目次案(章レベル)
はじめに:「僕ら」って誰のこと?
第一章:タテからヨコへの社会の変化
第二章:戦略思考と人生デザイン
第三章:この社会を渡り歩くための20の断章
第四章:僕らの武器・防具・魔法
第五章:個から小さな公共圏へ
おわりに:僕(ら)の生存戦略
現在の目次案(アウトライン未満)ver.4.0(2019/6/27)
書き出し案
これから、「僕ら」に向けて手紙を書こうと思う。きっと長い手紙になるだろう。
まずは、この「僕」が誰なのかを説明しなくちゃならない。
"たぶん長い手紙のようなものになると思います。"
『自分をいかして生きる』
手紙とは誰かに送られる(贈られる)もの
「僕ら」という言葉の機能不全
「僕ら」は、同じ属性を持つ集団を指す言葉
マスメディアが使う「僕ら」は果たして機能しているのか?
共通項が崩れつつあるのではないか?
それは機能不全なのではないか。
機能してないとしたら、なぜ機能していないのか?
伝えるべき情報や対象にズレが生じているのではないか?
そしてそれは、社会全体の機能不全の一つの象徴ではないのだろうか?
ズレとそこからもたらされる苦しさがある。
「これまでの生き方」が通用しなくなる。
うんうん、たしかに。
「これからは、こういう生き方ですよ」という提案が出てくる。
あれっ、それっておかしくないですか?
共通項が崩れつつあるのではなかったのか。
さらに変化が早く、未来の見通しはどんどん悪くなってくる
そうして提示される「新しい生き方」が万人に(少なくとも、僕らに)通用する保証はどこにあるのか?
その方法論の再現性の有無の問題ではない。個性や置かれた環境の問題。
誰かの生き方を、そのままロールモデルとするのは、もはや難しいのではないか。
少なくとも、そういう立場に置かれている人は結構いっぱいいるのではないか。
じゃあ、どうしたらいいのか?
まったく打つ手無し?
生きづらさを・合わない感覚を・違和感を持っている人は、なすがままに流されて生きていくしかないのか?
本書で一緒に考えていきたいのは、このこと。
戦略を考えるために、まず私たちが生きるこの社会について考えてみる。
はたしてこの社会はどんな社会なのだろうか?
強固に残るタテ型の構造
外国人技能実習生問題
人をこき使うことで成立していた産業が、その構造を破壊しないままに、日本人をこきつかえなくなりつつあるので、外国人でそれを行うことでなんとか生きながらえている、ということだろう。
戦略とは何か?
人生に戦略を持ち込む理由
なぜ戦略などというまどろっこしいものなのか?
攻略法や必勝法・成功法といったものではないのか?
そういうものさまざまな要因から成立しないから
時代の変化、多様性の変化、予測不能性、
だからそ、戦略です。
そもそも、戦略とは何か?
戦略の定義をひく
状況に対応しながら、目的を達成するための方法論(考え方)
戦略は弱者にこそ必要
『弱者の戦略』に学ぶ
戦略と多様性(≒それは攻略法ではない)
生存戦略は成功法ではないし、攻略法でもない。
成功法を語るには、まず成功を定義しなければならない。
しかし、成功もまた多様化してしまった。
よって、成功法は、非常に限定的な領域でしか成り立たない
攻略法は、ゲームのルールが決まっている場合に通じる。
が、そういうものはない。
未来は予測できない。
攻略法というのも、ありえない。
つまり、成功法とか攻略法という発想を捨てること。
もちろん、人生設計みたいなものも捨て去ってしまう。
「人生には計画がいる」という考え方から、こちらにシフトすること。
画一性からの脱却
生き方もまた多様性に開かれていく
No Hard Work
自分でマネジメントできる人だけが迎えられるフリーマネジメントな世界
こぼれおちる人が当然出てくる
考え方・生き方をシフトする(ロールモデルからデザインへ(あるいはストーリーテリングへ)
人生をどう捉えるか、ということも変化に合わせたシフトが必要になる
ロールモデルという考え方
無駄ではない。
人はいろいろある、という認識のスタート地点にはなる。
ペルソナの数々
その総体が個性であろう。
個性は断片では出せない。見出してもらえない。
長い語りが必要。
いくつかのタイプがあるという認識は重要だが、今度はそれが個性を閉じ込めてしまうことがある。
脱ロールモデルから、ライフデザイン(ストーリーテリング)に。ライフシフト。
価値・つながりを、自分で生み出す→仕事を作る
それは、これまで社会制度や共同体が準備してくれていたものだった。
それを期待しにくくなる社会
看板にぶら下がり続けるのは難しい。
「お仕事は?」と聞かれたときに、なんとこたえるか
価値は生み出すもの。価値は見出されるもの。
規定された「価値」をやりとりするだけ、パイの奪い合いをするだけがゲームのやり方ではない
価値について考える
失われている価値、今ない価値は何か?
たとえば、書店からネット書店への変化は、価値がどう動いたか?
顧客の創造 ドラッカー
必要なものは何か?
人生をどんなゲームだと捉えるか?
旧来のやり方ではダメだ、このやり方が正しいんだってほんと?
大学に行くか、オンランサロンに入るか、という二択
他の人の生き方の真似するという生き方
横並び、ということの無意味さ
予測できないことと個人の多様性
『夜と霧』 p.110
一切の選択がない状況。無限のそして全てが等価でありうる(何が起こるのかわからない)扉に囲まれた状況。
閉塞感
無限の扉
『自由という牢獄』
やりがい、希望、感触
白黒思考
価値観を変えるには痛みを伴う
痛み、左目の封印SAO
SAOのあおりプレイヤー
他人のロールモデルはあてにならない
だったらどうしたら?
自分でつくるしかない
自分という在り方にも「正解」を求めてしまう
答えを誰もしらないことの肯定的な意味
自分で答えを見つけていける
研究
計画からデザインへ
コントロール性との付き合い
やるおわプログラミングマインクラフト
ゲームとルールの関係
勉強の哲学
的外れな努力という概念とConnecting The Dots
戦略が必要、と認識することが、生存戦略の第一歩
生き方をデザインしていくこと。最大の生存戦略。
デザインという言葉。
動的なデザイン。
帳尻あわせ。
他の人の話はまったく必要なく、単に思うがままに直進すればいい?
そういうわけではない。
戦略の引き出しとして。
それまでの考え方(ロールモデル型)からの脱却
何か有効な「生き方」というものがあって、その通りにやっていれば一定の成果が約束されていると信じること。
多様性→生物多様性→『弱者の戦略』。
ロールモデルは、みんな一緒、ということ。少なくとも、手渡す人と受け取る人が一緒ということ。
でも、そうではない。特にこの本は、そうではない人たちに向けての本。
疎外されて落ち着かない気分を、偽りの包摂で安心感を与えてもいいが、実際必要なのはそういうことではない。
疎外された状況から、話を始めること。
「生存」という部分にも言及したい
ただ生きることが目的なのか?
ストーリーテリングとデザイン(状況に応じて、でも必要なものは確保する)
調整と帳尻あわせ
人生をデザインしていくこと
会社をデザインしていくこと
『NO HARD WORK!』
競争しない生き方
しかし、生き延びる生き方
他の人の真似をしない
自分で見出し、自分で決め、自分で変えていく。
その代わり、責任も自分で負うことになる。少なくとも、その決定に関しては。
生き方をデザインする
ライフシフト
デザイン型へのシフト
自由さでもあり
負担でもある
ここが問題
上の世代の話は頼りにはならない。
他の人の戦略は役立たずか?
むしろ役立つ
後付けのストーリー
でも抽象的に理解して
自分の戦略を立てるには?
手持ちの資源の確認
自分というリソース
「自分をいかして生きる」(人生デザイン、自分デザイン)
自主性を発揮するとは違う
ほこることなく、おごることなく、その人の生がただそこにある、ということを認めること。
状況の理解
敗北条件や達成条件
敵を知り己を知れば
人生の作り方
生き方をデザインすることと、シェイク
不安定な状態に対する二つの方法
不安定な状況でもやっていけるようにする
安定な状況を手にする
そういう安定さは、欺瞞的なビジネスへのセキュリティーホールになってしまう
生き方のデザイン、働き方のデザイン
ロールプレイングからロールプレイングツクールへ
Minecraftはどう位置付けられるか
人生はゲームかもしれないが、ビデオゲームではない
人生にはプロパティウィンドウは存在しない
人生のメンタルモデル
人生というのを、どのように捉えているか
人が生きるということを、どう考えているか
どんな知識や経験が必要か?
人生を作るとは、自分を作ること
新しい自分を発見していくプロセス
自分実験
18才で人生など決められない
決めることは、捨てること
未知なる状況に対応する
将来はわからない
自分もわからない
未知なる「僕」に出合うこと
資格試験的発想
人生は資格試験ではない
「○○を満たせば、○○が得られます」
戦略ブロック
戦略を一緒に見つけ出していく
そのためのヒントを提示する
世代ごとで戦略は異なるか?
戦略について
攻略法ではない
生き延びるための戦略も一つではない。
生物界がお手本になる
アイゼンハワー大統領の「計画(プラン)に価値はない。計画立案(プラニング)こそがすべてだ」
二種類の戦略
Strategy(特定の目的に対する枠組みや方向性)
tactics(単なる策)
doctrine, philosophy
(our) Life design Strategy
カール・フォン・クラウゼヴィッツは『戦争論』で個々の戦闘で問題となる戦術と対比し「戦略とは戦争目的を達成するために戦闘を組み合わせる活動だ」
さらにヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケは「戦略は知識以上であり、実際生活への応用であり、流動的な状況に従う創造的な思考の発展であり、困難な状況における行為の芸術である」と述べている。
生物学の分野、特に生態学の個体群生態学や行動生態学の分野では「個々の生物種あるいは個体が複数の行動を取りうるときに、それぞれの行動や行動の組み合わせ」を戦略と呼び
レトリックも戦略
戦略とは
目的を手段に釣り合わせること『大戦略論』
歴史に学ぶことと理論を構築することの両方が必要になる。
目的を手段と釣り合わせるとなれば、歴史に学ぶことと理論を構築することの両方が必要になるはずだが、両者の間には大きな隔たりがある。歴史家は、事例に特化した調査が結果を生むと知っているので、理論を導き出すための安易な一般化を戒める。だから彼らは複雑さをよしとし、過度な単純化を否定する。一方、理論家は、社会科学者と見られたがっているので、結果の再現性にこだわる。そして予測可能性を高めるべく、複雑さを排除して単純化しようと試みる。一般的な知識と固有の知識、普遍的な知識と限定的な知識を結びつけることこそが戦略を進化させ成熟させるにもかかわらず、歴史かも理論家も両者の関係を無視しているのである。そしてこの不備を覆い隠そうとするかのように、歴史かも理論かもひどくわかりにくいことを書いている。
『大戦略論』
原則はスケールを超えて活用される
よく訓練された兵士が何の準備もない兵士よりよく戦えるのは、言うまでもないことである。とはいえクラウゼヴィッツは「訓練」という言葉で何を意味していたのだろうか。それは、時間と空間を超えて有効な原則に従うことである。そうすれば、過去にうまくいったやり方とうまくいかなかったやり方を峻別する感覚を体得することができる。その感覚を、今度は目の前の状況に適用すればよい。このとき、原則はスケールを超えて活用されることになる。その結果として計画が策定される。計画は、過去から学び、現在と結びつけ、将来の目的を達成するためのものである。
『大戦略論』
理論と現実の衝突としての摩擦
だが戦闘は、必ずしも計画通りにはいかない。まず、相手の出方次第という面がある。これを元国防長官のドナルド・ラムズフェルドは「既知の未知」(known unknowns)と表現している。これは、大地震など予測できないことが認識されている事象を意味する。だが、それだけではない。「未知の未知」(unknown unknowns)もある。9・11テロのように、起こりうるとは夢にも思っていなかったような事象である。戦争では、敵と遭遇しないうちに想定外の出来事が起きて窮地に陥ることが十分にあり得る。フラウゼヴィッツはこれらを総合して「摩擦」と呼ぶ。言い換えれば、理論と現実の衝突である。
『大戦略論』
歴史に学ぶことと理論を構築することの両方が必要になる。
摩擦に直面したら、臨機応変に対応するしかない。だがそれは、成り行き任せとはちがう。ときには計画に従い、ときには計画を修正し、ときには計画を捨てる。現在地と最終目的地の間に何があろうとも、リンカーンのように、心の磁石は正しく北を指しているはずだ。そして頭の中には、マキアヴェリのように幾多の労苦と危険の中で学んだ教訓に基づくいくつかの選択肢が浮かび上がってくることだろう。それらを踏まえたうえで、あとは自分んの力量次第ということになる。
『大戦略論』
戦略とはデザインである。
必要な叡智
ハリネズミとキツネ
主にハリネズミの話が良く出回る
キツネはこき下ろされる(そうされても仕方がない一面はある)
ファスト&スロー
二種類の「知性」のちょうど良いバランス
両方が働くということ
フィッツジェラルドのテスト
失敗を恐れない/恐れる。
リスクや練習の感覚
スポーツ・ゲーム・ギャンブル
時間戦略
他にも〜〜戦略というカテゴライズはどうか?
「コンビニ店長感」を出さないとおう戦略
平均的なコンビニにおいて個性を出す戦略
ちいにぃちゃん戦略
ギバー戦略
与える人とは何か?
価値を作る人?
つなげる人?
バーベル戦略
不確定性への対処
〜〜のために与えるのではなく、ただ与えることを肯定すればいい。
"狭き門より入りなさい"
そう、エンタメでもビジネスでもなんでもいいのですが、あたらしい遊びを作ったやつらが最強なんです。これは、少し前の話でいえば、ネットもブログもそうです。今でいえばYoutuberも同じです。
なぜ、価値を生みだす必要があるか?
生存戦略と「価値」の関係。
価値と勝ち
自分のゲームをプレイすること
あなたが何かの価値を見出す
結果、自分の価値が見出されるようになる
人がやっていないこと。
誰かに与えること
価値とは何か?
価値とは見出されるものである
価値の作り方
価値は見出されるものである
他者に価値を見出してもらいうるものを持つこと
研鑽?
いろんな形の「貢献」がある
ギバー戦略
つなぐこととギフト
手持ちの資源は豊富ではない、という前提
大ヒットは予想できない
いかにベットするか?
ヒットの法則と基本原理
ネットワークとべき乗則
小さな売上げは予想できる、そこそこのヒットなら演出できる、しかし巨大なヒットは運の要素が大きすぎる
多くの人が注目する巨大なヒットの「方程式」はない。運だった、という共通点を除いて
前提条件みたいなものはあるかもしれない。
小さいことなら言えることはいろいろある。
打席に立つ回数が多いほど、その運をつかめる可能性も少しはあがる。宝くじは1枚買うよりも、2枚買った方が当たりやすい。2倍ほど?
株式投資では?
退場しないこと。損切りの徹底。リスクをしょいすぎないこと。
上昇相場では、だいたい何を売り買いしても勝てる。状況を見極めること。
バーベル戦略
退場しないこと
リスクの取り方
具体的な価値の作り方
非対称性に注目する
「作る」「翻訳する」「貯める」「改造する」「コメントする」
翻訳者になる(価値の翻訳者、情報の翻訳者)
キュレーター、目利き
のような価値の作り方のいろいろ
勝手に価値が生まれる/価値の生まれ方は変化する
ブログブームの頃の話。
ブームだったころは、ただブログを書いているだけで注目された
しかし、人が増えるとそうではなくなる。
だから、本当は人は増えて欲しくない。そういう人は他人をブログに呼び寄せそうとはしない。
しかし、先行きが暗くなると、「ブログの方法」というので利益を出そうとする人が出てくる
その時点では、データ的に正しいように見えるけれども、失敗が(あるいは大苦戦が)約束されている世界へのいざない
時間の価値が増大し、試しにくくなっている時代
リスクについての考え方
種銭、という考え方
変換について
変換がエネルギーを生み出す
変換が価値を生み出す
貿易
リンゴが落ちているときに、何を「見る」のか?
他者との差をどう評価するのか
つなぐこと・つながること
Linkによって形成されるネットワーク
評価軸が成長の方向を決定する。
たとえば「僕」が目指しているもの(僕のゲーム)
いまだ架かっていない場所に橋を架ける
自分にしか見つけられない溝や傷
物語ること
プロフィールは「誰」ではない。
「あなたは誰ですか?」にどう答えるか
何者かになる(ひとかどの人物)
「決して何者にもなれないお前たちにつぐ」(まわるピングドラム)
凡人のための方法が必要
Mobである、ということ
何者にもなれない僕たちに慣れない僕たち
自分の武器はどこにあるのか?
可能性を広げること
好きなことを追求すること
この辺の話にある、なんとなく嫌な感じにも気をつける
人に受けやすいこともあるし、そうでないこともある。
何が社会から必要とされるのか
物を売る経験
仕事の問題
このへんはアレントを。
何を「仕事」とするのか?
仕事は本当に必要なのか?
「何」(ペルソナ)を手にすればいいのか?
夢や目標について
かすみを食べて生きているわけではない
なんらかの接点を持たなければならない
リンクポイント
インターフェース
人それぞれ
好きを仕事にする、という話。
それができなければ人生は「失敗」なのだろうか。
社会と自分の接点を見出す、ということ
書きたいことと書けること
そのための方法は無限ではないけれども、たくさんあるし、ときには新しく作っていける。
ユーチュバー
レンタルなんにもしない人
何にもしない人がレンタルされる時代
何かしないではいられない。
行為に過剰に意味を乗せてしまう。
時間の有効利用
正しい答えがあるわけではない。出した答えを正しくすればいいというものでもない。その中間のどこかに、偶然(運命)と意志がちょうどよく同居できる地点がある。
選択肢は作っていける
現実は変えうる、という認識
ハリボテなものは結構ある
生き方を狭めているのは何か?
自分の強みがわからない
あこがれ
発散と、収束
そもそも「自分」がわかっていない
そんなに早い決断が必要だろうか?
遊びは不要だろうか?
新卒就活の不合理性
トップダウン、ロールモデル型の思考からの脱却
いろいろなプロがいる
職業ははじめから存在していたわけではない
考え方をシフトする
ロールモデル
トップダウン方式からの離脱
世界の様々な片隅で現実のあるいは象徴的な満員列車に揺られている私たちは何を読めばいいのでしょう? 何を書けばいいのでしょう? 何を考えて、どのようにして自分を意識すれば道は見えてくるのか? それが最近私が考えているテーマです。
仕事とは社会の接点(メディア)
仕事とアイデンティティ
規模や目的が自分が求めているものと合致する
二つの意味で仕事(働くこと)は大切
金銭を得る
社会とつながる
仕事は大切
お金の問題をどう考えるか?
仕事は社会と私のインターフェースの一つ
それだけではないが、選択肢の一つではある
でも、「日本で働く」「企業で働く」だけが仕事ではない
働き方とっても、一つではなくなりつつある。
それもまた、自分でデザインしていく
この「デザイン」という言葉にある主体性の強さをどうにかしたい
ゼロではないが、かといって100でもない。
ビジネスの経験がないのに、突然ビジネスなことをやってしまう危うさ
勘所のなさ、経験の少なさ
自分の強みを活かす? ほんとに?
何者かにならなくては、という願いあるいは怯え
らしさアディクション
エニアグラム的なもの
鏡を覗いている部分はある
ありのままって本当によいですか?
むかついた→怒る、というのが「ありのまま」
菩薩みたいなのは、ぜんぜんありのままではない。
自分について何かを書き出したりすると、なんとなく自分についてわかったような気がしてしまう
何かに絶望しているとき、その感覚を絶対的に肯定している自分がいる
可能性を狭めてしまう
レベルアップの閾値
自覚には時間がかかることも
0でないことを
『好き嫌い』の話。好きがいかに生まれるか?
自分の思い通りの人生を生きることが良いことなのか。
「自分の人生」と「自分らしい生き方」の差異
迷わず進む?
自分の強みがわからない?
知るというよりも、確かめる感覚
自分のことは、案外自分も知らない
コンビニ、物書き、よく喋るという自分の特性
天職に転職したい?
青い鳥?
そうはいっても、向き不向き
「自分の仕事」を他の人と比較しても仕方がない
私は「誰」なのか。私は「誰か」なのか。
ヨコ型社会では、誰を他者に向けて示す必要が出てくる。
「あなたは誰なのか?」という問いにどう答えていくのか
アレントの「誰」
性質の個条書きが「誰」を示すわけではない。
しょうもないツイートの連続の方がはるかに「誰」に迫る
「物語」というフォーマット
金太郎飴ブログが語る「誰」
いつまで「自分探し」を続けるのか?
探索問題
何が起こるのかもわからない
後からしかわからないこと
ステ振りについての考え方
探索問題とペルソナと個人の理解
摩擦がないことのデメリット
自己と免疫
経験によってわかること
何者問題
何者かであることを求める理由
白馬の王子様問題(ピーターパンシンドローム)
辻褄、帳尻をあわせる
失敗も学びもさまざま
出した答えに納得する
納得できる答えを出すわけではない
絶対に後悔しない「答え」というのがあるわけでもない
答えが重要なのではない。
出した答えに納得できるかどうかが重要。
そこでは、プロセスが鍵を握る。
悩むときは大いに悩めばいい。
あっさり提示される「答え」を受け取ってしまっては、そのプロセスが省略されてしまう。
メディアがネット的になった
マスからニッチへ
日本におけるブログの価値
こうやって振り返ってみると、結局は「SNSとブログで作った信頼・信用と文章書きスキル」の話なんですよね。SNSでバズるだけでもだめで、ブログでのコンテンツ作成力、そしてリアルでの課題を「面白がれる」能力。そして、これらを一定期間続けること。これらがうまくかみ合うと、人生がとっても面白くなる。
世界にあなたを「宣言」する。
あなたは誰ですか?に答えられるようにする。
自分を宣言する
自分を語る
個性を活かす
個性とは何か?
ブログを書き続けてわかる「自分」
望まれていることをやる、という地獄
わかりながら生きていく
ゆっくり自分への理解を広げていくこと
先に意味を探さない
自分が楽しんだことが、人の役に立つなら、それ以上のことはない。そのかわり、とことん楽しめ。誰も真似できないくらいに。
実践的社会学者
自分は何も持っていない、という感覚は嘘
異なるからこそ、見出してもらえる価値が生まれ得る
日常というフィールドワーク
報告する、という仕事
ライクアローリングストーン
答えは一つではないし、結論(主題)は後から変えていい。
予想外の出来事と、新しいゲーム
要素の組み合わせが個性を生み出す?
掛け算のポジショニングは本当に有効か
セグメントの細分化の限界
ある資格があれば、それに見合う世界が得られるという発想は本当に正しいのか?
組み合わせるというよりも、長く語る。
一文字よりも140字、140字よりも2000字、そして2万字。同じものが出てくる可能性は下がっていく。
自然と生まれる組み合わせ
長く語れば、要素の組み合わせが自然と生まれる。
視点を柔らかく持つこと
好きなことを語る?
似た人はいない?
他人に合わせるようにしていけば生まれる・
「みんな」に合わせること
平均の自己成就
セルフブランディング的思考
メディアがネットになった
スターだけが注目される世界ではなくなった
それによって、ファンの幅も増えニッチでも生きていける可能性が広がった
誰しもが同じ資質を備えているわけではない。
スター向きでない人もいる
知識の扱いとアマチュア
差異とイテレーション
ブログをどう使っていけばいいのか?
どうやって儲けるのか?
なぜ発信するのか?
ビーコン
ピンを打つ
アクティブソナー
メディアとどう付き合うか
有効なネットワークの形
手を挙げる、声を上げる、旗を揚げる(コネクトの方かも)
答えが返ってくる、質問の投げ方
曖昧につぶやいても、手助けはされにくい
開かれた知性と多様な社会システム(ネットワーク)
開かれた知性はネットワークのところ
異文化交流のはなし
二種類の志向
多様性を受け入れる考え方
ネットという救いの手とその危険性
いきなり他者とつながる
異世界交流の技術を持たない
ビジネスや経済の判断ができない状態で
ネットワークではなく、多重のネットワーク
一つのアイデンティティーは重い
自我すらも最終的には重い
どれだけ放り投げるか
でも、本当にすべてを捨ててしまっては何も残らない
たくさんの物語をくぐり抜けること
ネットワークの作り方と集合知が機能するシチュエーション
ネットワークの作り方のコツ
魂の速度と社会の速度
フィルターバブル的な問題
フィルターバブル
別の層(クラスタ)の情報が入ってこない
断絶が生じる
憎悪の手紙問題
自分から絡んでいく
三つのあげる
遅い回路を持つ
ネットワークの一つの形
ゲゼルシャフトとゲマインシャフト
つなぐこと、つながること
つなぐこととギフト
場を作る
自分の居場所を自分で作る
場所の維持に努める
ブログという場所
ネットとどう付き合うか?
世界に貢献する
つながり・コミュニケーションについて
知らない分野は怖く思える
ヨコのつながりが生まれにくい
接続点としての知識や好奇心
つながることは、何を生み出すのか?
隣の芝生は青い。そして、その芝生が一杯ある。
コミュニティーの問題
サロンはどのような位置づけを持つか
誰かに見てもらえるようにする
しかし、シリアルキラーな趣味を持つ人は、かなり厳しい(それを趣味と呼ぶかどうかは別にして)
とにかく切断が難しい時代。
情報がまとわりつき、記録が追いかけてくる。
無責任の復興が求められている?
物語と本を読むこと
自分が知っている世界は、世界の一部でしかない
世界や視野が狭いと二択に閉じ込められる
異なる世界を想像する自由
確かにみなさんも私たちも、そうした世間や組織の論理に従わなければ生きていくことはできません。しかし同時にそんな世間の人びとも、現在の社会のありようとは異なった社会のありようを自由に想像してみる機会がなければ、きっと息苦しくて窒息してしまうに違いないのです。例えばですが、アニメーションの世界で展開される、動物たちが重力に抗って飛んだり跳ねたり膨らんだり縮んだりする自由自在な世界は、冗談でなくこの世界の希望なのです。だからみなさんがこの論系で学んでこられたことは、世間の人びとが蔑んできた人間の自由な表現に、それ独自の価値を見出すことだったのだと思います。その想像力の学習は、ただ自分の快楽や欲望を充足させるためだけのものではなく、世界中の弱い人たちへの想像力を鍛え上げるためのものであったはずだと私はかたくなに信じております。
想像力を鍛えて、社会の「当たり前」に抗すること
たくさんの本(物語)を読み重ねることで、共有知を発揮させる。
ロールズの正義論。無知のヴェール。あるいは千葉雅也さんの来るべきバカ。 他者論
多重に物語を重ねていくこと
"改めて要約しておけば、本書のメッセージは単純で、第一に物語を読むことは素晴らしく、第二にたくさんの物語を読むことはさらに素晴らしく、第三にたくさん読むのと同じくらい何度も読み直すことが素晴らしい、ということだ"
武器になるもの
一生使える武器と即効性
学ぶ力
対話し議論する力
科学的な推論を立てる力
常に学ぶ姿勢
好奇心による個性
個性の積み重ね
学ぶ力・変化する力・反応していける力
責任
ヒノキの棒とドリームキラー
装備を整えるかレベルを上げる職業的な相性装備を整えるかレベルを上げる職業的な相性
背中を押すなら面倒を見る。
武器の副作用
武器で問題を解決しようとする思考
魔法使いや僧侶や武闘家の存在が考慮されていない
画一的な思考
ハンマーを持つ人は〜
ハンマーを手にするものは
ゲームでは「装備できない」が表示される
自分を高めていけばいいのか?
でもどこまで?
自己啓発の危うさ
必要なのは武器なのか?
武器だけでいいのか?
防具も必要ではないか?
ときには魔法も
「人生はやっぱり戦士で成功する」とか言われたら変じゃないか?
いろいろな役割があり、必要とするものも違う
防具になるもの
防具としての知識
自分を知ることは身を守るためにも必要
体調やメンタル
ストレスを感じやすいもの
魔法になるもの
魔法の注意点
焦りが喚起するもの
ダークサイドなもの
炎上
危うい商売
副作用
何者かになるための特別な場所
危ういビジネスが提供してくるもの
ソーシャルゲームと自己啓発セミナーの共通点
過剰なコミットメントを要求してくる
サンクコストが発生し、自発的に逃れられなくなる
認知的不協和で、自分がそれがはじめから好きなのだ、という認識が生まれる
お金とソウルジェムの話
虚無
たとえば1000はてブをゲットしたときに感じたもの
自分が求めるものが、自分が欲しているものと合致するわけではない
流行りや、端的なものへの注意
儲かる話の注意点
穴の空いた公共空間
どこに向かっていけばいいのか?
動員が答えか?
極端な考え方
二者択一
自己啓発について考える
自己啓発と自己責任論の接続
自己啓発が自己責任と癒着して、他者の阻害が始まる
これを回避したい
やりがいを与えること。
意味を与えること。
作法・行動規則・手順を与えること
他者によって啓発される自己啓発
自己啓発の危険性
自分だけが、という考えになりやすい
自己責任論を喚起しやすい
自己に対する罪悪感を惹起しやすい
国破れて山河あり
統計的に処理される「僕ら」
つながりが生んでしまう疎外
できることは限られている。だからできる。
個人という考え方が苦しめるもの。
断片的な僕たち
全てはできない
人は皆自分が解決できる問題に取り組む。解決すべき問題ではなく。
完璧な安全は、強力な共同体の復興につながる。現代では、それはプラットフォームになるだろう。多様性の喪失。
自己犠牲ではない形で
ヒーロー幻想とポストヒーロー
24時間は戦えない
世界は救えない
価値を強調しようと頑張ると、無価値の領域は増えていく
過剰な接続を切断することは有用
なにもかもが孤立することが正解か?
国家と大きなプラットフォーム問題
アウトサイダー
アウトサイダーであることをしぶしぶ受け入れる
はぐれていること、違っていくことを活かす
情報とは差異
喫煙者と元喫煙者
どちら側の気持ちもわかる
こうもり
簡単に断罪できない
自分が少数派だからこそ、多様な価値観を認めることに是と言いたい
でなければ、自分たちが多数派になって別の人を少数派に押しやることしかできない
巨大プラットフォーム力学
巨大プラットフォームではない、かといって孤立した個でもない
マストドン
プラットフォームが勝者となるだろうこの世界で
みんなを救おう、というのは無理
でも、自分の手が届くだけ、というのは狭いし、広がりがない。
閉塞的ですらある。
少し、手を伸ばす。
それがたくさんあれば、誰かが包摂される、かもしれない。
ずっと繋がり続けている必要もない。ネットワークは変化していく。
可能ならば一つの手を伸ばす
たとえそれが少しの背伸びなのだとしても
生きづらいこの社会を言祝げるか?
外れているからそこ、その人にしか書けないもの
難しくても、憎悪では何も生まれない。
憎悪がもたらすもの
剣で栄えたものは、剣で滅びる
巨人にもいろいろなサイズがある
逃げ道だったネットに、リアルが浸食してきた状況について
つながりすぎないつながり
ぐねぐねと変質するネットワークのイメージ
自己犠牲を美化しない。かといって、自己に閉じこもることも賞賛しない。
具体的に何をすればいいか?
敵を知り己を知れば
環境が多様化している
敵も己も十全に知りようはない
人生何が起こるかわからない
自分ことを自分もよくしらない
個の話が、孤の話で終わるのは寂しい
僕たちは、現実の観察からはじめなせればいけない。
「僕」あるいは「私」に関する話ばかりだったが、他者はどうなるのか
未来を思うことは、そんなに悪いことではない
思い通りにならいから苦しむのであって、その「思い」を捨ててしまえば楽になる
でも、本当にそれでいいの?
変えられない、という認識は本当に正しいの?
現在を未来の手段とするのではなく、未来を現在の手段とする
次なる一歩を目指す人たちへのアドバイス
ビジネス
縁を大切に
擬態も大切
YOU ARE (NOT) ALONE.
「僕」だけではいずれつまらなくなる
しかし「全て」は重すぎる。
僕らというネットワーク
「僕ら」はいかに形成されるのか?
「〈僕〉から〈僕ら〉へ」
Webが失ったもの、まだキープしているもの
スケールメリットと文脈を超えたつながり
リスクは小さくてもゼロではない。ゼロを求めると、新しいことは何もできなくなる。発信の心得。
入り組んでいるが、入り組んでいることが大切。路地裏には大きなトラックは入って来れない。なぜそうなのかは、明らかになる。
ゲンナリするQ&Aブロック
どんなことにアンテナを張り巡らせればいいですか
どんな知識を身につければいいですか
どんな職業につけばいいですか
どんな資格を取得すればいいですか
どんな人たちと交流すればいいですか
書籍ブロック
『コンテナ物語』から学べること
『インターネット的』から学べること
『タテ社会の人間関係』から学べること
『弱者の戦略』から学べること
『大戦略論』から学べること
『良い戦略、悪い戦略』から学べること
『反脆弱性』から学べること
『ハーバードの個性学入門』から学べること
『あなたが与える』から学べること
『無知の科学 わかったつもり』から学べること
『仕事は楽しいかね?』から学べること
『僕は君たちに武器を配りたい』から学べること
武器だけでいいのか?
『7つの習慣』から学べること
『星の王子様』から学べること
『富の法則』から学べること
『働かないアリに意義がある』から学べること
『ネットで成功しているのは〈やめない人たち〉である』から学べること
『考える生き方』から学べること
『いかにして問題を解くか』から学べること
答えではなく解き方
もっと言えば取り組み方
『夜と霧』から学べること
人が生きていくとはどういうことか?
『人間の条件』から学べること
人間が生きている、とはどういう状態のことを指すのか?
"どのような時間であれ、それはあなたの人生である"
参考資料ブロック
造りブロック
宇宙旅行
スイングバイ
暗黒世界の旅
英雄の帰還
よくある自己啓発の理路を通りながら、途中で道を曲がること
そっちには進まないこ
まどマギの構成(流れ)
まずは、よくある魔法少女もの(ただし不穏さは微かに明示される)
3話で一気に鬱展開に
やがて視点がほむらになり、物語の語り手と語られ手がひっくりかえる
その上で、一つスケールの大きな世界へと転じ、「よくある魔法少女もの」を壊すことなく、メタな世界観が提示される
隣町の斉藤さん風に?
ずっしり長い本を書きたいが、長い本を読む力が無ければ読めない本だとしたら、この本の役割は担えるのだろうか?
章の上に第一部、第二部、第三部などを設定し、それぞれの部で趣を変える?
これだけのことを書けば、相当に長い量になるだろう。
はたしてそれでいいのか?
今の若い人は、どんな風に本を読むのか?
生存戦略大全のような形で書く?
気がついた。
この本は何かを「教える」本ではない
だから、これまでの本と同じ構造は使えない
だから、新しい書き方が必要になっている
複雑で難解で美しいかもしれないけど、誰も寄せ付けないような理論でもなく、かといって人を過剰に単純化されたコンテンツに夢や希望をトッピングして引きつけ、猪突猛進を促すようなコンテンツでもない。そういう場所を目指す。
数学ガールは、数学と対話と学びに関するコンテンツであった。ではこの本はどんな軸があるだろうか
説教くさくらないないか?という心配もあったが、多少積極くさいのもありでは、というコメントもあった
理論や論説でもなく、エッセイでもない、話の流れの中に「教訓1:○○は○○」みたいなものが挟み込まれていく感じのコンテンツはどうか
リファクタリング・ウェットウェアはどうなっていた?
説教はなくても、説得は必要かもしれない。
認知を変えてもらう
「真面目」に受け取られるのは避けたい
「〜〜ということがあるかもしれない」という形の希望
自分の人生について、自分で考え、自分で判断し、自分でその結果を引き受けること
意識高い系との差異は何か?
一緒に考えていくこと
そのためには何が必要か
経験によって得たことを「答え」として渡すことで、ショートカットはできる。
それは望ましいのかどうか
いかにして魚の釣り方を伝えるのか
釣りには、釣り方と釣り竿が最低限必要
漁場は与えられるか?
そこに池があること
こうして魚を獲得したという経験
釣りの仕組み
この三つがあればよいか
足りないとすれば何か
最初にめちゃくちゃ問題を提示しておいて、章を進めていく中で、そこに解となりそうなもの、あるいはそのヒントを提示する
ミニ問題→解決→ミニ問題→解決、の流れではなく
問題・問題・問題・問題→ヒント・ヒント・ヒント・ヒント
というような流れ
ミステリーの書き方?
絶望を希望と共に語ること。希望を絶望をもって語ること。
あっちから、こっちへどうシフトするのか
架空のキャラ、たとえばコペル君的なものを作り、たとえばどうすればいいかを読者と一緒に考えていく?
希望の力はどこまで必要か
フェイトゼロのライダーの矜持
冒頭にいきなり結論めいたものを並べていて、そこだけ読んでも何か意味がある形にする
小冊子が冒頭についていような形
それ以降は、より深く知りたい人用、というコンテンツの分離
それぞれの章の末に「まとめ」を提示して、そこだけでも拾い読みできるようにする?
"「体重を減らせ!」という恫喝と、「いまの食生活から排除できる不健康なものはなんだろう?」というという問いかけのあいだには、大きな違いがある。"
自分で考えることを、どう刺激するか?
クイズ?
「この中から、すきな武器を持っていくといい」
救いはどこにあるのか
どこにもないという答えはどこまで機能するのか
わかりやすくするためには、「ひとりの物語」として語るのがいい。
誰かの話にすると、理解しやすい
でも、それで良いのか?
仮初めの主人公を設定し、彼がどのように「生きるのか」をたとえば各章の冒頭に持ってくる?
情報摂取の技法と、思考の技術はどこまで必要か
情報摂取のやり方や、気持ちの整理の仕方などは、あまりに具体的すぎるだろうか?
あるいはそういうものがいくつか配置されていた方が読まれやすいだろうか?
「長く続けていれば、何かしら意味が生まれます」なんて耳触りのよい事はいえない
むしろ何の成果にもならないかもしれないけど、あなたはそれをやりたいと思いますか?と問い返すしかない
ネットワークビジネスのキラキラ感にいかにこうするか?
トライの木馬的?
生きることについて考えること、その実践?
縦糸と横糸は何か?
思想と実践
イメージの問題
華々しいイメージを別のイメージにすり替える?
アウトサイダーの価値をどこまで強調するか
ブログについて書きたいが、ブログについて書けばいいのか
それともブログはあくまで一例か?
虚構を正そうなどと思わなくてもいい。そこに虚構があることを示せば、その虚構との付き合い方はそれぞれの人が見つけていくだろう。
読者を信頼すること。
実用書として完璧に機能するように書く?
『ブラックスワン』?
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