与える戦略のパラドックス
「得るためではなく、ただ与えたいから与える人が、最終的に得られる」という法則を知った人が、「そうか。ただ与えたいから与えるようにしていれば、得られるんだったら、そうしよう」と思って行動すること。
得るための戦略の中に、与える戦略が内包されてしまっている。 ある人がいたとします。その人はギバーです。その人はギバーとして振る舞い、大きな成功を収めました。 それを後ろで見ていた誰かが(偉そうに)こう言います。「ほら、あの人はギバーとして振る舞ったから、成功したんですよ。あなたたちも、成功したいのであれば、ギバーとして振る舞いなさい」
情報伝達における変換が、うまくいっていません。
ギバーな人は、成功を求めてギバーとして振る舞ったわけではありません。そうしたいから、そうしたのです。それが結果的に成功につながった、というだけのお話。
さて、ここには伝達におけるジレンマがあります。
話をわかりやすくしようとすると、ねじ曲がる恐れがあるのです。
「これこれこういうことをしました。だからこうなりました。さあ、あなたもこうしましょう」
わかりやすいノウハウです。でも、ここには「予想外のこと」が織り込まれていません。
しかし、はたしてそれを織り込むことはできるのでしょうか。
「予想外のことが起こりますよ」
というのは、予想内ではないでしょうか。予想内で予想外のことが起こる? いささかざらついた感触があります。