章題「タテからヨコへの社会の変化」@『僕らの生存戦略』
それと同じ変化がインターネットによって生じている
社会にどういう変化が訪れようとしているのか。
先進国の停滞と発展途上国の躍進
細かい部分はわからなくても、大局はわかる
日本の人口の減少
人間も、遅かれ早かれ死ぬ。統計的には。
タイタニック号も、いつかは沈む
ただし、その乗客ひとりひとりがどうなるのかまではわからない。予想できない。
これまでの社会のベースだったものが崩れていく
固い基盤が破壊されていく。
地球は中心ではなくなり
人類は神の子ではなくなり
強固な構造は脱構築され
アメリカはテロに怯える
ナショナリズムも相対化された
あえて、作らなければ、固い基盤は生まれない
『世話やきキツネの仙狐さん』が見せる暗さ
日本の構造が壊れ始めている
コンビニの24時間問題
アイドル/グループの露呈
少なくとも昔と同じとは言えない
情報が限られていた時代だから成り立っていた無理(会社の文化を常識だと考える)
既存のタテ型・ムラ型の社会構造が崩れていく(その形や権威を保てなくなる)
終身雇用という神話の崩壊
社員を丸抱えできない企業
経団連の誰かの発言があったが、予言というよりは事実の追認であり、昔に機能していた幻想がもはや機能不全になったことの表明でもある。
単に終身雇用できなくなったということではなく(そんなものはとうの昔に大多数には維持されていない)、その理念を表明することすらできなくなった、ということが価値観の変化を示している。
共同体の弱体化
企業だけでなく地域社会も繋がりを失い、田舎は過疎化に向かって進んでいる
ハローワークにはろくな仕事がない
タテから放り出された人は、ヨコ型でつながる選択を選べるようになる
鎖国・護送船団方式による構造の維持が不可能になる
ITによる情報流通革命によって、変化の速さも極大化する
個人の自由が確立され、多様性の許容は広がっていく
予測不能性が高まっていく
高度経済成長と大量生産を前提とした社会がだんだんと崩れていく
一時的な機能不全社会へと陥っていく。
そうした変化はゆっくりと確実に進んでいく。
社会は急には変わらない
文化は自身の維持・模倣のベクトルを持つ
社会システムの対応は常に後手になる
人は共同体の中ではじめて生きることができる
しかし、実情に合わせて共同体は変化していく
タテもしばらくは残る
そこにいる人と、そうでない人の断絶が生まれる
断絶は共感を弱める(民主主義の危機)
ズレが必ず生じる
だから、共同体に100%従うのは、無理がある
「自分が悪い」「自業自得です」。ロスジェネ世代に話を聞いていると、自分を責める人が多いように感じる。努力したくてもできなかったり、努力しても報われなかったり。そんな人々すら「自己責任」の一言で切り捨てる時代の空気は、この世代にも影を落としている。
「大学時代にやりたいことが見つからず、決めるべき時に決められなかった。自分が悪いところがあり、就職氷河期のせいにはできないと思っています」
努力、という言葉が意味するもの(ある指標達成のための行動を取ること)
ズレを感じる人は一定数必ず出てくる
昔はリセットがあった。シンゴジラのセリフ
今は、大規模なスクラップアンドビルドが起きない世界
焼け野原が起きることも、徴兵されることもない。
国境線が侵略されることもない。
だからこのままの状態がゆるゆると続いてく
その変化はあまり捉えられていない
マスメディアの視野の外で進んでいく
毛沢東「革命は常に辺境から始まる」
これがズレということ
ズレとそれがうみだす生きづらさ
個性が大切だと言いながら、単一の指標で競争がある社会
そんお時点で社会に必要とされている資質と、文化資本によって身に付く資質のズレ
いろいろな幻想(文化的名残・慣性)
旧来の価値観による評価軸と、現実社会で必要な評価軸のズレ
それが優劣・良し悪し・正しい/間違いを決定してしまう
ズレを認識できずに壊れゆくタテ構造を維持するための贄になってしまう危うい可能性もある。
社会が提供し、整えるロールモデルが機能不全を起こしていると生きづらさを抱える人たちは増える
馴染める人もいるが、そうでない人もいる
そうでない人の数が、少しずつ増えてきているのかもしれない。
それに抗うこと。抗うすべ。
それが本書で考えていきたいこと。
うまくすれば、生きづらさを力にかえる、かもしれない
「生きる」という行為についての認識をかえる
会社員がデフォルトの選択になってしまっている状況
会社に正社員として勤めることが、人生の選択におけるデフォルトになっている。人生設計もそれを元に組み立てられる。そいう構図になっていた方が企業は楽。「働きましょう」と説得しなくていいのだから。でも、それって変じゃないのか、という無意識のアレルギー的反応が不登校だったり、引きこもりだったりするのかもしれません。
一方でやっかいなのが、その虚構に一部の事実が含まれているところ。社会的動物である私たちは、他の人の役に立つことを好ましく感じる。それ自体は悪いことではないし、それがあるからこそ大勢での社会生活になんらかの意味が宿り、円滑に進んでいくようになるのだけれども、それは「会社に身を捧げるために生きる」こととは随分と距離がある。簡単に接続していいものではない。じゃあ、どうするかについては、やっぱり自分で考えて、答えを出していくしかない。
フリーランスの不安定さと時間の使い方の自由さ
自分が感じた、フリーランスという働き方の実感。
どちらがよいということではなく、選ぶことができるんだ、という認識。
社会の変化は個人の生き方にも変化を与える?
自由と多様性を手にできる
タテ型の構造の外でも生きていけるようにはなる
流通の変化
情報の流通、お金の流通、人(仕事)の流通が変わっていく
インターネット、クラウドファウンディング、クラウドワーキング
タテ構造が支配していた流通が、ヨコ的・ネット的に広がっていく
ネット的なものの普及
『インターネット的』なこと
それによって必要なコミュニケーションも変わる
空気を主とした言葉が少ない(定義を考えなくてよい)コミュニケーションではなく
昔の日本のコミュニケーションスタイルでは人間関係がうまく構築できない
会社の看板にぶら下がっていばるようなことも難しくなる。
個人に求められるスキルみたいなものも変わってくる
言うことに従える人ではなく、考えて発言できる人
タフなネゴシエーションをこなせる人
離れた文化の橋渡しができる人
『管理ゼロで成果はあがる』から学べること
セルフマネジメントできる人だけが、管理の厳しい会社から離れられる
ドラッカーのマネジメント→セルフマネジメント
さらにライフスタイルも変化していく
大量消費社会とコモディティライフ
均質的なものを作り、均質的にそれを消費するという工業ベースの社会構造
固定的なタテ型構造の中で、将来設計がしやすかった時代。ライフスタイルの固定化。
「勝ち筋」が決めやすかった
そこから個人の生き方、多様性を認める生き方になる
働き方改革が象徴するものは多様性の確保と維持
それがヨコ型のつながり(資格による場の形成)を乱す
僕たちはどう生きるか?という切実な問い
『君たちはどう生きるか』という本が話題になったが、その疑問文が原著が出版された時代とはまた違った意味で切実性を帯びる時代
「立派に生きる」が答えか?
しかし、何が立派なのかを決める価値基準が必要で、それはあまり当てにならない
確実性は欲しいが、不安定な状況での確実性はフェイクの可能性が高い
"Only within the scaffolding of these truths, only on the firm foundation of unyielding despair, can the soul's habitation henceforth be safely built." A Free Man's Worship by Bertrand Russell
「これ以後、魂の安全な住家は、動かしようもない絶望の固い基盤の上にのみ建てられる」
自分と社会のどちらがズレている?
社会がズレていることもあるが、基本的に自分がズレていることもある
社会が悪いと叫んで、自分について何も考えないと適切な変化は起こせない
敵を知り己を知れば
自由のデメリット
自由によって、選ばれない人が出てくる社会。
そこに自由があることは素晴らしい。しかし、それはそれとして無限の選択肢(可能性)の前に立たされると人は選択できなくなる。
単に選択肢があるだけでなく、そこに「煽られた万能感」も関わってくる。あなたは何でもできるんです、という甘い声。
結果的に、その声に誘われることは、その人から「誰」を剥奪することにつながる。「なんでもできる人」は、誰でもない。
自由を維持するためのコスト
自由の重さ
そこから逃れたいと思う気持ちがある
自由の困難さ
パンドラの箱は開きつつある。
いろいろな困難が出てくる、最後に残されるのは、はたして希望か?
"ゼウスがパンドラに持たせた、あらゆる災いの詰まった箱(本来は壺)。彼女が地上に着いたとき好奇心から開けたところ、すべての災いが地上に飛び出したが、急いでふたをしたので希望だけが残ったという。"
『デジタル大辞泉』
やること過剰社会の到来
やること過剰社会とは何か?
情報過剰社会
コミットメント過剰社会
自由の拡大
広告の拡大
なんでも無限にできる現代
個人の責任の拡大
できることが増えたことによる弊害
やること誘惑社会→やること過剰社会
強化され続けるマーケティング・プロモーション
迷いもまた増える
運任せにできない
自我の領土化欲求が強い。ときに強すぎる。
不安も大きい
木を隠すには森の中
森の中にある木は見つけにくい(情報に埋もれて見えなくなってしまうもの)
では、どうするか。
時間の価値の拡大
無駄なことはできない
時間の価値が増大するほど、失敗できなくなる
遊びも余裕もなくなってくる
何でもできるは、何にもできない
ドアの実験
均一から多様へ
人生の成功と失敗に関する定義の変転
ガラスの靴を手に入れればハッピーエンドが訪れるわけではない
成功すらも多様化してしまった
成功法も一つでは語られない
均一でないことを受け入れる
大勢向けのノウハウは、ほぼ無用になる
基準が一つなら、答えも一つになる
基準が増えれば、答えも増える。→働き方改革
『No hard work』の世界
これまでとは違った価値観で運営されている
それでも利益が上がっている
結果、社会の変化に合わせて、生き方・ライフスタイルの変化も生じる
しかし、社会の方に、その準備が十分に整っていない可能性がある
大量生産と、それに合わせたライフスタイルの押しつけが残っている
だったらどうしたらいいんですか? に他人が正解を与えてくれない社会。
生き延びるという課題、生きるという問題に自分で取り組まなければいけない
生き延びるのには何が必要かを、自分で問わなければならない。
だから戦略が必要となってくる