章題「インターフェースとしての自分の仕事」@『僕らの生存戦略』
物語ること
プロフィールは「誰」ではない。
「あなたは誰ですか?」にどう答えるか
何者かになる(ひとかどの人物)
「決して何者にもなれないお前たちにつぐ」(まわるピングドラム)
凡人のための方法が必要
Mobである、ということ
何者にもなれない僕たちに慣れない僕たち
自分の武器はどこにあるのか?
可能性を広げること
好きなことを追求すること
この辺の話にある、なんとなく嫌な感じにも気をつける
人に受けやすいこともあるし、そうでないこともある。
何が社会から必要とされるのか
物を売る経験
仕事の問題
このへんはアレントを。
何を「仕事」とするのか?
仕事は本当に必要なのか?
「何」(ペルソナ)を手にすればいいのか?
夢や目標について
かすみを食べて生きているわけではない
なんらかの接点を持たなければならない
リンクポイント
インターフェース
人それぞれ
好きを仕事にする、という話。
それができなければ人生は「失敗」なのだろうか。
社会と自分の接点を見出す、ということ
書きたいことと書けること
そのための方法は無限ではないけれども、たくさんあるし、ときには新しく作っていける。
ユーチュバー
レンタルなんにもしない人
何にもしない人がレンタルされる時代
何かしないではいられない。
行為に過剰に意味を乗せてしまう。
時間の有効利用
正しい答えがあるわけではない。出した答えを正しくすればいいというものでもない。その中間のどこかに、偶然(運命)と意志がちょうどよく同居できる地点がある。
選択肢は作っていける
現実は変えうる、という認識
ハリボテなものは結構ある
生き方を狭めているのは何か?
自分の強みがわからない
あこがれ
発散と、収束
そもそも「自分」がわかっていない
そんなに早い決断が必要だろうか?
遊びは不要だろうか?
新卒就活の不合理性
トップダウン、ロールモデル型の思考からの脱却
いろいろなプロがいる
職業ははじめから存在していたわけではない
考え方をシフトする
ロールモデル
トップダウン方式からの離脱
世界の様々な片隅で現実のあるいは象徴的な満員列車に揺られている私たちは何を読めばいいのでしょう? 何を書けばいいのでしょう? 何を考えて、どのようにして自分を意識すれば道は見えてくるのか? それが最近私が考えているテーマです。
仕事とは社会の接点(メディア)
仕事とアイデンティティ
規模や目的が自分が求めているものと合致する
二つの意味で仕事(働くこと)は大切
金銭を得る
社会とつながる
仕事は大切
お金の問題をどう考えるか?
仕事は社会と私のインターフェースの一つ
それだけではないが、選択肢の一つではある
でも、「日本で働く」「企業で働く」だけが仕事ではない
働き方とっても、一つではなくなりつつある。
それもまた、自分でデザインしていく
この「デザイン」という言葉にある主体性の強さをどうにかしたい
ゼロではないが、かといって100でもない。
ビジネスの経験がないのに、突然ビジネスなことをやってしまう危うさ
勘所のなさ、経験の少なさ
自分の強みを活かす? ほんとに?
何者かにならなくては、という願いあるいは怯え
らしさアディクション
エニアグラム的なもの
鏡を覗いている部分はある
ありのままって本当によいですか?
むかついた→怒る、というのが「ありのまま」
菩薩みたいなのは、ぜんぜんありのままではない。
自分について何かを書き出したりすると、なんとなく自分についてわかったような気がしてしまう
何かに絶望しているとき、その感覚を絶対的に肯定している自分がいる
可能性を狭めてしまう
レベルアップの閾値
自覚には時間がかかることも
0でないことを
『好き嫌い』の話。好きがいかに生まれるか?
自分の思い通りの人生を生きることが良いことなのか。
「自分の人生」と「自分らしい生き方」の差異
迷わず進む?
自分の強みがわからない?
知るというよりも、確かめる感覚
自分のことは、案外自分も知らない
コンビニ、物書き、よく喋るという自分の特性
天職に転職したい?
青い鳥?
そうはいっても、向き不向き
「自分の仕事」を他の人と比較しても仕方がない
私は「誰」なのか。私は「誰か」なのか。
ヨコ型社会では、誰を他者に向けて示す必要が出てくる。
「あなたは誰なのか?」という問いにどう答えていくのか
アレントの「誰」
性質の個条書きが「誰」を示すわけではない。
しょうもないツイートの連続の方がはるかに「誰」に迫る
「物語」というフォーマット
金太郎飴ブログが語る「誰」
いつまで「自分探し」を続けるのか?
探索問題
何が起こるのかもわからない
後からしかわからないこと
ステ振りについての考え方
探索問題とペルソナと個人の理解
摩擦がないことのデメリット
自己と免疫
経験によってわかること
何者問題
何者かであることを求める理由
白馬の王子様問題(ピーターパンシンドローム)
辻褄、帳尻をあわせる
失敗も学びもさまざま
出した答えに納得する
納得できる答えを出すわけではない
絶対に後悔しない「答え」というのがあるわけでもない
答えが重要なのではない。
出した答えに納得できるかどうかが重要。
そこでは、プロセスが鍵を握る。
悩むときは大いに悩めばいい。
あっさり提示される「答え」を受け取ってしまっては、そのプロセスが省略されてしまう。