『僕らの生存戦略』の過去の目次案
ver1.0
はじめに
第一章 タテからヨコへのシフト
第二章 ライト・コミットメント
ライフデザイン
第三章 コネクト指向 コネクト思考 つなげる力・つながる力
第四章 三つの戦略 ストーリー、ギバー、バーベル
ここまでの話を整理(振り返り)
第五章 僕らの武器と防具
第六章 新しい小さな共へ
おわりに
ver.2.0(2019/3/20)
空っぽ
ver.2.1(2019/3/20)
僕らとは誰か?
これまでのマスメディアが伝えてきたこと
伝統的なマスメディアが対象としてきたもの
ズレが生じさせる生きづらさ
これからの社会はどうなるのか?
タテからヨコへの変化
どんな風に変化は進むのか?
やること過剰社会とは何か?
コミットメント過剰社会
自由の拡大
個人の責任の拡大
不安も大きい
旧来のやり方ではダメだ、このやり方が正しいんだってほんと?
予測できないことと個人の多様性
SAOのあおりプレイヤー
他人のロールモデルはあてにならない
だったらどうしたら?
自分でつくるしかない
計画からデザインへ
コントロール性との付き合い
やるおわプログラミングマインクラフト
ゲームとルールの関係
勉強の哲学
予測不能性
変化の速さ
多様性の拡大
迷わず進む?
自分の強みがわからない?
知るというよりも、確かめる感覚
自分のことは、案外自分も知らない
コンビニ、物書き、よく喋るという自分の特性
価値とは何か?
価値とは見出されるものである
価値の作り方
変換について
変換がエネルギーを生み出す
つなぐこと・つながること
Linkによって形成されるネットワーク
自分を高めていけばいいのか?
でもどこまで
自己啓発の危うさ
ブログをどう使っていけばいいのか?
どうやって儲けるのか?
なぜ発信するのか?
ビーコン
ピンを打つ
アクティブソナー
必要なのは武器なのか?
武器だけでいいのか?
防具も必要ではないか?
ときには魔法も
「人生はやっぱり戦士で成功する」とか言われたら変じゃないか?
いろいろな役割があり、必要とするものも違う
武器の副作用
『弱者の戦略』から学べること
『反脆弱性』から学べること
学ぶ力・変化する力
世代ごとで戦略は異なるか?
不安定な状態に対する二つの方法
安定な状況を手にする
不安定な状況でもやっていけるようにする
凡人のための方法が必要
何者かになる(ひとかどの人物)
僕らでいいのか?
個から小さな公共へ
ver.2.2(2019/3/21)
僕らとは誰か?
これまでのマスメディアが伝えてきたこと
伝統的なマスメディアが対象としてきたもの
それは機能不全なのではないか。
ズレているのではないか
そしてそれは、社会全体の機能不全の一つの象徴でしかないのではないか?
ズレがうみだす生きづらさ
社会が提供し、整えるロールモデルが機能不全を起こしていると生きづらさを抱える人たちは増える。
馴染める人もいるが、そうでない人もいる。
そうでない人の数が、少しずつ増えてきているのかもしれない。
機能不全社会
社員を丸抱えできない企業
共同体の弱体化
スクラップ&ビルドなしで進んできた
働き方改革が象徴するもの
これからの社会はどうなるのか?
タテからヨコへの変化
沈没する船(タイタニック号)
どんな風に変化は進むのか?
ゆっくりと確実に進んでいく。
マスメディアの視野の外の方から
毛沢東「革命は常に辺境から始まる」
それが変化するとどうなるか?
まずコミュニケーションが変わる
空気を主とした言葉が少ない(定義を考えなくてよい)コミュニケーションではなく
知らない人同士の異文化交流が増える。
昔の日本のコミュニケーションスタイルでは人間関係がうまく構築できない
それだけではない。
会社の看板にぶら下がっていばるようなことも難しくなる。
個人に求められるスキルみたいなものも変わってくる
言うことに従える人ではなく、考えて発現できる人
タフなネゴシエーションをこなせる人
離れた文化の橋渡しができる人
『管理ゼロで成果はあがる』から学べること
セルフマネジメントできる人だけが、管理の厳しい会社から離れられる
ライフスタイルの変化
大量消費社会とコモディティライフ
やること過剰社会とは何か?
コミットメント過剰社会
自由の拡大
個人の責任の拡大
不安も大きい
旧来のやり方ではダメだ、このやり方が正しいんだってほんと?
予測できないことと個人の多様性
SAOのあおりプレイヤー
他人のロールモデルはあてにならない
だったらどうしたら?
自分でつくるしかない
計画からデザインへ
コントロール性との付き合い
やるおわプログラミングマインクラフト
ゲームとルールの関係
勉強の哲学
予測不能性
変化の速さ
多様性の拡大
迷わず進む?
自分の強みがわからない?
知るというよりも、確かめる感覚
自分のことは、案外自分も知らない
コンビニ、物書き、よく喋るという自分の特性
価値とは何か?
価値とは見出されるものである
価値の作り方
変換について
変換がエネルギーを生み出す
つなぐこと・つながること
Linkによって形成されるネットワーク
自分を高めていけばいいのか?
でもどこまで?
自己啓発の危うさ
ブログをどう使っていけばいいのか?
どうやって儲けるのか?
なぜ発信するのか?
ビーコン
ピンを打つ
アクティブソナー
必要なのは武器なのか?
武器だけでいいのか?
防具も必要ではないか?
ときには魔法も
「人生はやっぱり戦士で成功する」とか言われたら変じゃないか?
いろいろな役割があり、必要とするものも違う
武器の副作用
『弱者の戦略』から学べること
『反脆弱性』から学べること
学ぶ力・変化する力
世代ごとで戦略は異なるか?
不安定な状態に対する二つの方法
安定な状況を手にする
不安定な状況でもやっていけるようにする
凡人のための方法が必要
何者かになる(ひとかどの人物)
「決して何者にもなれないお前たちにつぐ」(まわるピングドラム)
僕らでいいのか?
個から小さな公共へ
「僕ら」はいかに形成されるのか?
たとえば「僕」が目指しているもの
統計的に処理される「僕ら」
フィルターバブル
別の層(クラスタ)の情報が入ってこない
断絶が生じる
憎悪の手紙問題
非対称性に注目する
小さな売上げは予想できる、そこそこのヒットなら演出できる、しかし巨大なヒットは運の要素が大きすぎる
多くの人が注目する巨大なヒットの「方程式」はない。運だった、という共通点を除いて
前提条件みたいなものはあるかもしれない。
小さいことなら言えることはいろいろある。
打席に立つ回数が多いほど、その運をつかめる可能性も少しはあがる。宝くじは1枚買うよりも、2枚買った方が当たりやすい。2倍ほど?
株式投資では?
退場しないこと。損切りの徹底。リスクをしょいすぎないこと。
上昇相場では、だいたい何を売り買いしても勝てる。状況を見極めること。
ブログブームの頃の話。
ブームだったころは、ただブログを書いているだけで注目された
しかし、人が増えるとそうではなくなる。
だから、本当は人は増えて欲しくない。そういう人は他人をブログに呼び寄せそうとはしない。
しかし、先行きが暗くなると、「ブログの方法」というので利益を出そうとする人が出てくる
その時点では、データ的に正しいように見えるけれども、失敗が(あるいは大苦戦が)約束されている世界へのいざない
『ハーバードの個性学入門』から学べること
『あなたが与える』から学べること
『富の法則』から学べること
『人間の条件』から学べること
人間が生きている、とはどういう状態のことを指すのか?
「あなたは誰なのか?」という問いにどう答えていくのか
アレントの「誰」
性質の個条書きが「誰」を示すわけではない。
しょうもないツイートの連続の方がはるかに「誰」に迫る
「物語」というフォーマット
金太郎飴ブログが語る「誰」
ver.2.4(2019/3/25)
僕らとは誰か?
これまでのマスメディアが伝えてきたこと
伝統的なマスメディアが対象としてきたもの
それは機能不全なのではないか。
ズレているのではないか
そしてそれは、社会全体の機能不全の一つの象徴でしかないのではないか?
ズレがうみだす生きづらさ
社会が提供し、整えるロールモデルが機能不全を起こしていると生きづらさを抱える人たちは増える。
馴染める人もいるが、そうでない人もいる。
そうでない人の数が、少しずつ増えてきているのかもしれない。
機能不全社会
社員を丸抱えできない企業
共同体の弱体化
スクラップ&ビルドなしで進んできた
働き方改革が象徴するもの
これからの社会はどうなるのか?
タテからヨコへの変化
沈没する船(タイタニック号)
どんな風に変化は進むのか?
ゆっくりと確実に進んでいく。
マスメディアの視野の外の方から
毛沢東「革命は常に辺境から始まる」
それが変化するとどうなるか?
まずコミュニケーションが変わる
空気を主とした言葉が少ない(定義を考えなくてよい)コミュニケーションではなく
知らない人同士の異文化交流が増える。
昔の日本のコミュニケーションスタイルでは人間関係がうまく構築できない
それだけではない。
会社の看板にぶら下がっていばるようなことも難しくなる。
個人に求められるスキルみたいなものも変わってくる
言うことに従える人ではなく、考えて発現できる人
タフなネゴシエーションをこなせる人
離れた文化の橋渡しができる人
『管理ゼロで成果はあがる』から学べること
セルフマネジメントできる人だけが、管理の厳しい会社から離れられる
ライフスタイルの変化
大量消費社会とコモディティライフ
やること過剰社会とは何か?
コミットメント過剰社会
自由の拡大
個人の責任の拡大
不安も大きい
旧来のやり方ではダメだ、このやり方が正しいんだってほんと?
予測できないことと個人の多様性
SAOのあおりプレイヤー
他人のロールモデルはあてにならない
だったらどうしたら?
自分でつくるしかない
計画からデザインへ
コントロール性との付き合い
やるおわプログラミングマインクラフト
ゲームとルールの関係
勉強の哲学
予測不能性
変化の速さ
多様性の拡大
迷わず進む?
自分の強みがわからない?
知るというよりも、確かめる感覚
自分のことは、案外自分も知らない
コンビニ、物書き、よく喋るという自分の特性
価値とは何か?
価値とは見出されるものである
価値の作り方
変換について
変換がエネルギーを生み出す
つなぐこと・つながること
Linkによって形成されるネットワーク
自分を高めていけばいいのか?
でもどこまで?
自己啓発の危うさ
ブログをどう使っていけばいいのか?
どうやって儲けるのか?
なぜ発信するのか?
ビーコン
ピンを打つ
アクティブソナー
必要なのは武器なのか?
武器だけでいいのか?
防具も必要ではないか?
ときには魔法も
「人生はやっぱり戦士で成功する」とか言われたら変じゃないか?
いろいろな役割があり、必要とするものも違う
武器の副作用
『弱者の戦略』から学べること
『反脆弱性』から学べること
学ぶ力・変化する力
世代ごとで戦略は異なるか?
不安定な状態に対する二つの方法
安定な状況を手にする
不安定な状況でもやっていけるようにする
凡人のための方法が必要
何者かになる(ひとかどの人物)
「決して何者にもなれないお前たちにつぐ」(まわるピングドラム)
僕らでいいのか?
個から小さな公共へ
「僕ら」はいかに形成されるのか?
たとえば「僕」が目指しているもの
統計的に処理される「僕ら」
フィルターバブル
別の層(クラスタ)の情報が入ってこない
断絶が生じる
憎悪の手紙問題
非対称性に注目する
小さな売上げは予想できる、そこそこのヒットなら演出できる、しかし巨大なヒットは運の要素が大きすぎる
多くの人が注目する巨大なヒットの「方程式」はない。運だった、という共通点を除いて
前提条件みたいなものはあるかもしれない。
小さいことなら言えることはいろいろある。
打席に立つ回数が多いほど、その運をつかめる可能性も少しはあがる。宝くじは1枚買うよりも、2枚買った方が当たりやすい。2倍ほど?
株式投資では?
退場しないこと。損切りの徹底。リスクをしょいすぎないこと。
上昇相場では、だいたい何を売り買いしても勝てる。状況を見極めること。
ブログブームの頃の話。
ブームだったころは、ただブログを書いているだけで注目された
しかし、人が増えるとそうではなくなる。
だから、本当は人は増えて欲しくない。そういう人は他人をブログに呼び寄せそうとはしない。
しかし、先行きが暗くなると、「ブログの方法」というので利益を出そうとする人が出てくる
その時点では、データ的に正しいように見えるけれども、失敗が(あるいは大苦戦が)約束されている世界へのいざない
『ハーバードの個性学入門』から学べること
『あなたが与える』から学べること
『富の法則』から学べること
『人間の条件』から学べること
人間が生きている、とはどういう状態のことを指すのか?
「あなたは誰なのか?」という問いにどう答えていくのか
アレントの「誰」
性質の個条書きが「誰」を示すわけではない。
しょうもないツイートの連続の方がはるかに「誰」に迫る
「物語」というフォーマット
金太郎飴ブログが語る「誰」
ver.2.5(2019/4/8)
「僕ら」とは誰か?
共通項が崩れつつあるのではないか?
マスメディアが使う「僕ら」は果たして機能しているのか?
それは機能不全なのではないか。
ズレているのではないか
機能してないとしたら、なぜ機能していないのか?
そしてそれは、社会全体の機能不全の一つの象徴でしかないのではないか?
「これまでの生き方」が通用しなくなる。
うんうん、たしかに。
「これからは、こういう生き方ですよ」という提案が出てくる。
あれっ、それっておかしくないですか?
共通項が崩れつつあるのではなかったのか。
さらに変化が早く、未来の見通しはどんどん悪くなってくる
そうして提示される「新しい生き方」が万人に(少なくとも、僕らに)通用する保証はどこにあるのか?
再現性の問題ではない。個性や置かれた環境の問題
誰かの生き方を、そのままロールモデルとするのは、もはや難しいのではないか。
少なくとも、そういう立場に置かれている人は結構いっぱいいるのではないか。
じゃあ、どうしたらいいのか?
まったく打つ手無し?
生きづらさを・合わない感覚を・違和感を持っている人は、なすがままに流されて生きていくしかないのか?
本書で一緒に考えていきたいのは、このこと。
この社会はどんな社会か
社会にどういう変化が訪れようとしているのか。
細かい部分はわからなくても、大局はわかる
たとえば、日本人の人口は時間共に減少する
人間も、遅かれ早かれ死ぬ。統計的には。
タイタニック号も、いつかは沈む
ただし、その乗客ひとりひとりがどうなるのかまではわからない。予想できない。
タテからヨコへのゆっくりとした変化
ヨコ形社会とは?
社会は急には変わらない
ネット的なものの普及
その付き合い方を知ることは大切
「インターネット的」
異文化交流
やること過剰社会
広告と、自由の拡大、
均一から多様へ
均一でないことを受け入れる
大勢向けのノウハウは、ほぼ無用になる
上昇相場であれば、どんな銘柄でも勝てる。ライフスタイルにもそれと似たような時代があった
そうして語られるノウハウは、そもそも再現性などない一時的なフェイクだった。
ガラスの靴を手に入れればハッピーエンドが訪れるわけではない
結果、社会の変化に合わせて、生き方・ライフスタイルの変化も生じる
しかし、社会の方に、その準備が十分に整っていない可能性がある
だから戦略が必要となってくる
変化に合わせたシフトが必要になる
脱ロールモデルから、ライフデザイン(ストーリーテリング)に。ライフシフト。
価値・つながりを、自分で生み出す→仕事を作る
それは、これまで社会制度や共同体が準備してくれていたものだった。
それを期待しにくくなる社会
看板にぶら下がり続けるのは難しい。
「お仕事は?」と聞かれたときに、なんとこたえるか
価値は生み出すもの。価値は見出されるもの。
規定された「価値」をやりとりするだけ、パイの奪い合いをするだけがゲームのやり方ではない
価値について考える
失われている価値、今ない価値は何か?
たとえば、書店からネット書店への変化は、価値がどう動いたか?
顧客の創造 ドラッカー
必要なものは何か?
では、どうやってそれを為すのか?
自分を宣言する
自分の強みを活かす? ほんとに?
武器になるもの
防具になるもの
魔法になるもの
魔法の注意点
未知なる状況に対応する
将来はわからない
自分もわからない
未知なる「僕」に出合うこと
つなぐこと、つながること
世界にあなたを「宣言」する。
あなたは誰ですか?に答えられるようにする。
場を作る
自分の居場所を自分で作る
場所の維持に努める
ブログという場所
ネットとどう付き合うか?
ギバーになる
世界に貢献する
変換
「僕」から「僕ら」へ
個から小さな複数の公共圏へ
「僕」だけではいずれつまらなくなる
しかし「全て」は重すぎる。
僕らというネットワーク
ver.2.5(2019/4/8)
「僕ら」って誰のこと?
同じ属性を持つ集団をくくる言葉
共通項が崩れつつあるのではないか?
マスメディアが使う「僕ら」は果たして機能しているのか?
それは機能不全なのではないか。
ズレているのではないか
機能してないとしたら、なぜ機能していないのか?
そしてそれは、社会全体の機能不全の一つの象徴でしかないのではないか?
「これまでの生き方」が通用しなくなる。
うんうん、たしかに。
「これからは、こういう生き方ですよ」という提案が出てくる。
あれっ、それっておかしくないですか?
共通項が崩れつつあるのではなかったのか。
さらに変化が早く、未来の見通しはどんどん悪くなってくる
そうして提示される「新しい生き方」が万人に(少なくとも、僕らに)通用する保証はどこにあるのか?
再現性の問題ではない。個性や置かれた環境の問題
誰かの生き方を、そのままロールモデルとするのは、もはや難しいのではないか。
少なくとも、そういう立場に置かれている人は結構いっぱいいるのではないか。
じゃあ、どうしたらいいのか?
まったく打つ手無し?
生きづらさを・合わない感覚を・違和感を持っている人は、なすがままに流されて生きていくしかないのか?
本書で一緒に考えていきたいのは、このこと。
この社会はどんな社会か
社会にどういう変化が訪れようとしているのか。
細かい部分はわからなくても、大局はわかる
たとえば、日本人の人口は時間共に減少する
人間も、遅かれ早かれ死ぬ。統計的には。
タイタニック号も、いつかは沈む
ただし、その乗客ひとりひとりがどうなるのかまではわからない。予想できない。
タテからヨコへのゆっくりとした変化
ヨコ形社会とは?
社会は急には変わらない
ネット的なものの普及
その付き合い方を知ることは大切
「インターネット的」
異文化交流
やること過剰社会
広告と、自由の拡大
そこに自由があることは素晴らしい。しかし、それはそれとして無限の選択肢(可能性)の前に立たされると人は選択できなくなる。では、どうするか。
均一から多様へ
均一でないことを受け入れる
大勢向けのノウハウは、ほぼ無用になる
上昇相場であれば、どんな銘柄でも勝てる。ライフスタイルにもそれと似たような時代があった
そうして語られるノウハウは、そもそも再現性などない一時的なフェイクだった。
ガラスの靴を手に入れればハッピーエンドが訪れるわけではない
結果、社会の変化に合わせて、生き方・ライフスタイルの変化も生じる
しかし、社会の方に、その準備が十分に整っていない可能性がある
だから戦略が必要となってくる
変化に合わせたシフトが必要になる
脱ロールモデルから、ライフデザイン(ストーリーテリング)に。ライフシフト。
価値・つながりを、自分で生み出す→仕事を作る
それは、これまで社会制度や共同体が準備してくれていたものだった。
それを期待しにくくなる社会
看板にぶら下がり続けるのは難しい。
「お仕事は?」と聞かれたときに、なんとこたえるか
価値は生み出すもの。価値は見出されるもの。
規定された「価値」をやりとりするだけ、パイの奪い合いをするだけがゲームのやり方ではない
価値について考える
失われている価値、今ない価値は何か?
たとえば、書店からネット書店への変化は、価値がどう動いたか?
顧客の創造 ドラッカー
必要なものは何か?
では、どうやってそれを為すのか?
自分を宣言する
自分を語る
個性を活かす
個性とは何か?
自分の強みを活かす? ほんとに?
武器になるもの
防具になるもの
魔法になるもの
魔法の注意点
未知なる状況に対応する
将来はわからない
自分もわからない
未知なる「僕」に出合うこと
つなぐこと、つながること
世界にあなたを「宣言」する。
あなたは誰ですか?に答えられるようにする。
場を作る
自分の居場所を自分で作る
場所の維持に努める
ブログという場所
ネットとどう付き合うか?
ギバーになる
世界に貢献する
変換
「僕」から「僕ら」へ
個から小さな複数の公共圏へ
「僕」だけではいずれつまらなくなる
しかし「全て」は重すぎる。
僕らというネットワーク
ver.2.6(2019/4/24)
「僕ら」って誰のこと?
同じ属性を持つ集団をくくる言葉
共通項が崩れつつあるのではないか?
マスメディアが使う「僕ら」は果たして機能しているのか?
それは機能不全なのではないか。
ズレているのではないか
機能してないとしたら、なぜ機能していないのか?
そしてそれは、社会全体の機能不全の一つの象徴でしかないのではないか?
「これまでの生き方」が通用しなくなる。
うんうん、たしかに。
「これからは、こういう生き方ですよ」という提案が出てくる。
あれっ、それっておかしくないですか?
共通項が崩れつつあるのではなかったのか。
さらに変化が早く、未来の見通しはどんどん悪くなってくる
そうして提示される「新しい生き方」が万人に(少なくとも、僕らに)通用する保証はどこにあるのか?
再現性の問題ではない。個性や置かれた環境の問題
誰かの生き方を、そのままロールモデルとするのは、もはや難しいのではないか。
少なくとも、そういう立場に置かれている人は結構いっぱいいるのではないか。
じゃあ、どうしたらいいのか?
まったく打つ手無し?
生きづらさを・合わない感覚を・違和感を持っている人は、なすがままに流されて生きていくしかないのか?
本書で一緒に考えていきたいのは、このこと。
戦略を考えるために、まず私たちが生きるこの社会について考えてみる。
この社会はどんな社会か
社会にどういう変化が訪れようとしているのか。
細かい部分はわからなくても、大局はわかる
たとえば、日本人の人口は時間共に減少する
人間も、遅かれ早かれ死ぬ。統計的には。
タイタニック号も、いつかは沈む
ただし、その乗客ひとりひとりがどうなるのかまではわからない。予想できない。
タテからヨコへのゆっくりとした変化
ヨコ形社会とは?
社会は急には変わらない
スクラップアンドビルドの起きない世界
徴兵されることもない
ネット的なものの普及
その付き合い方を知ることは大切
「インターネット的」
異文化交流
やること過剰社会
やること過剰社会とは何か?
コミットメント過剰社会
自由の拡大
なんでも無限にできる現代
個人の責任の拡大
やること誘惑社会→やること過剰社会
できることが増えたことによる弊害
強化され続けるマーケティング・プロモーション
迷いもまた増える
運任せにできない
自我の領土化欲求が強い。ときに強すぎる。
不安も大きい
広告と、自由の拡大
そこに自由があることは素晴らしい。しかし、それはそれとして無限の選択肢(可能性)の前に立たされると人は選択できなくなる。では、どうするか。
単に選択肢があるだけでなく、そこに「煽られた万能感」も関わってくる。あなたは何でもできるんです、という甘い声。
結果的に、その声に誘われることは、その人から「誰」を剥奪することにつながる。「なんでもできる人」は、誰でもない。
自由は必ずしもメリットだけではない
自由によって、選ばれない人が出てくる社会。
自由を維持するためのコスト
自由の重さ
そこから逃れたいと思う気持ちがある
パンドラの箱は開きつつある。
パンドラの箱
自由の困難さ
いろいろな困難が出てくる、最後に残されるのは、はたして希望か?
"ゼウスがパンドラに持たせた、あらゆる災いの詰まった箱(本来は壺)。彼女が地上に着いたとき好奇心から開けたところ、すべての災いが地上に飛び出したが、急いでふたをしたので希望だけが残ったという。"
『デジタル大辞泉』
均一から多様へ
均一でないことを受け入れる
大勢向けのノウハウは、ほぼ無用になる
上昇相場であれば、どんな銘柄でも勝てる。ライフスタイルにもそれと似たような時代があった
そうして語られるノウハウは、そもそも再現性などない一時的なフェイクだった。
ガラスの靴を手に入れればハッピーエンドが訪れるわけではない
結果、社会の変化に合わせて、生き方・ライフスタイルの変化も生じる
しかし、社会の方に、その準備が十分に整っていない可能性がある
大量生産と、それに合わせたライフスタイルの押しつけが残っている
だから戦略が必要となってくる
変化に合わせたシフトが必要になる
脱ロールモデルから、ライフデザイン(ストーリーテリング)に。ライフシフト。
価値・つながりを、自分で生み出す→仕事を作る
それは、これまで社会制度や共同体が準備してくれていたものだった。
それを期待しにくくなる社会
看板にぶら下がり続けるのは難しい。
「お仕事は?」と聞かれたときに、なんとこたえるか
価値は生み出すもの。価値は見出されるもの。
規定された「価値」をやりとりするだけ、パイの奪い合いをするだけがゲームのやり方ではない
価値について考える
失われている価値、今ない価値は何か?
たとえば、書店からネット書店への変化は、価値がどう動いたか?
顧客の創造 ドラッカー
必要なものは何か?
では、どうやってそれを為すのか?
自分を宣言する
自分を語る
個性を活かす
個性とは何か?
自分の強みを活かす? ほんとに?
武器になるもの
防具になるもの
魔法になるもの
魔法の注意点
未知なる状況に対応する
将来はわからない
自分もわからない
未知なる「僕」に出合うこと
つなぐこと、つながること
世界にあなたを「宣言」する。
あなたは誰ですか?に答えられるようにする。
場を作る
自分の居場所を自分で作る
場所の維持に努める
ブログという場所
ネットとどう付き合うか?
ギバーになる
世界に貢献する
変換
「僕」から「僕ら」へ
個から小さな複数の公共圏へ
「僕」だけではいずれつまらなくなる
しかし「全て」は重すぎる。
僕らというネットワーク
「僕ら」はいかに形成されるのか?
ver.2.9(2019/5/6)
書き出し案
これから、「僕ら」に向けて手紙を書こうと思う。きっと長い手紙になるだろう。
まずは、この「僕」が誰なのかを説明しなくちゃならない。
「僕ら」って誰のこと?
同じ属性を持つ集団をくくる言葉
共通項が崩れつつあるのではないか?
マスメディアが使う「僕ら」は果たして機能しているのか?
それは機能不全なのではないか。
ズレているのではないか
機能してないとしたら、なぜ機能していないのか?
そしてそれは、社会全体の機能不全の一つの象徴でしかないのではないか?
「これまでの生き方」が通用しなくなる。
うんうん、たしかに。
「これからは、こういう生き方ですよ」という提案が出てくる。
あれっ、それっておかしくないですか?
共通項が崩れつつあるのではなかったのか。
さらに変化が早く、未来の見通しはどんどん悪くなってくる
そうして提示される「新しい生き方」が万人に(少なくとも、僕らに)通用する保証はどこにあるのか?
再現性の問題ではない。個性や置かれた環境の問題
誰かの生き方を、そのままロールモデルとするのは、もはや難しいのではないか。
少なくとも、そういう立場に置かれている人は結構いっぱいいるのではないか。
じゃあ、どうしたらいいのか?
まったく打つ手無し?
生きづらさを・合わない感覚を・違和感を持っている人は、なすがままに流されて生きていくしかないのか?
本書で一緒に考えていきたいのは、このこと。
戦略を考えるために、まず私たちが生きるこの社会について考えてみる。
この社会はどんな社会か
「タテからヨコへの社会の変化」
社会にどういう変化が訪れようとしているのか。
細かい部分はわからなくても、大局はわかる
たとえば、日本人の人口は時間共に減少する
人間も、遅かれ早かれ死ぬ。統計的には。
タイタニック号も、いつかは沈む
ただし、その乗客ひとりひとりがどうなるのかまではわからない。予想できない。
これからの社会はどうなるのか?
タテからヨコへの変化
予測不能性
変化の速さ
多様性の拡大
沈没する船(タイタニック号)
どんな風に変化は進むのか?
ゆっくりと確実に進んでいく。
マスメディアの視野の外の方から
毛沢東「革命は常に辺境から始まる」
それが変化するとどうなるか?
まずコミュニケーションが変わる
空気を主とした言葉が少ない(定義を考えなくてよい)コミュニケーションではなく
知らない人同士の異文化交流が増える。
昔の日本のコミュニケーションスタイルでは人間関係がうまく構築できない
それだけではない。
会社の看板にぶら下がっていばるようなことも難しくなる。
個人に求められるスキルみたいなものも変わってくる
言うことに従える人ではなく、考えて発現できる人
タフなネゴシエーションをこなせる人
離れた文化の橋渡しができる人
『管理ゼロで成果はあがる』から学べること
セルフマネジメントできる人だけが、管理の厳しい会社から離れられる
タテからヨコへのゆっくりとした変化
ヨコ形社会とは?
社会は急には変わらない
ライフスタイルの変化
大量消費社会とコモディティライフ
流通の変化
情報の流通、お金の流通、人(仕事)の流通
それらがタテからヨコへと移り変わっていく
スクラップアンドビルドの起きない世界
徴兵されることもない
ネット的なものの普及
その付き合い方を知ることは大切
「インターネット的」
異文化交流
機能不全社会
社員を丸抱えできない企業
共同体の弱体化
スクラップ&ビルドなしで進んできた
働き方改革が象徴するもの
高度経済成長と大量生産を前提とした社会
均質的
ライフスタイルと
日本の構造が壊れ始めている
コンビニの24時間問題
アイドル/グループの露呈
ズレがうみだす生きづらさ
個性が大切だと言いながら、単一の指標で競争がある社会
社会が提供し、整えるロールモデルが機能不全を起こしていると生きづらさを抱える人たちは増える。
馴染める人もいるが、そうでない人もいる。
そうでない人の数が、少しずつ増えてきているのかもしれない。
それに抗うこと。抗うすべ。
生きづらさを力にかえる
やること過剰社会
やること過剰社会とは何か?
コミットメント過剰社会
自由の拡大
なんでも無限にできる現代
個人の責任の拡大
やること誘惑社会→やること過剰社会
できることが増えたことによる弊害
強化され続けるマーケティング・プロモーション
迷いもまた増える
運任せにできない
自我の領土化欲求が強い。ときに強すぎる。
不安も大きい
広告と、自由の拡大
そこに自由があることは素晴らしい。しかし、それはそれとして無限の選択肢(可能性)の前に立たされると人は選択できなくなる。では、どうするか。
単に選択肢があるだけでなく、そこに「煽られた万能感」も関わってくる。あなたは何でもできるんです、という甘い声。
結果的に、その声に誘われることは、その人から「誰」を剥奪することにつながる。「なんでもできる人」は、誰でもない。
自由は必ずしもメリットだけではない
自由によって、選ばれない人が出てくる社会。
自由を維持するためのコスト
自由の重さ
そこから逃れたいと思う気持ちがある
パンドラの箱は開きつつある。
パンドラの箱
自由の困難さ
いろいろな困難が出てくる、最後に残されるのは、はたして希望か?
"ゼウスがパンドラに持たせた、あらゆる災いの詰まった箱(本来は壺)。彼女が地上に着いたとき好奇心から開けたところ、すべての災いが地上に飛び出したが、急いでふたをしたので希望だけが残ったという。"
『デジタル大辞泉』
人生の成功と失敗に関する定義の変転
均一から多様へ
均一でないことを受け入れる
大勢向けのノウハウは、ほぼ無用になる
上昇相場であれば、どんな銘柄でも勝てる。ライフスタイルにもそれと似たような時代があった
そうして語られるノウハウは、そもそも再現性などない一時的なフェイクだった。
ガラスの靴を手に入れればハッピーエンドが訪れるわけではない
情報が限られていた時代だから成り立っていた無理(会社の文化を常識だと考える)
結果、社会の変化に合わせて、生き方・ライフスタイルの変化も生じる
しかし、社会の方に、その準備が十分に整っていない可能性がある
大量生産と、それに合わせたライフスタイルの押しつけが残っている
だから戦略が必要となってくる
では、どうやってそれを為すのか?
「戦略と人生デザイン」
変化に合わせたシフトが必要になる
脱ロールモデルから、ライフデザイン(ストーリーテリング)に。ライフシフト。
価値・つながりを、自分で生み出す→仕事を作る
それは、これまで社会制度や共同体が準備してくれていたものだった。
それを期待しにくくなる社会
看板にぶら下がり続けるのは難しい。
「お仕事は?」と聞かれたときに、なんとこたえるか
価値は生み出すもの。価値は見出されるもの。
規定された「価値」をやりとりするだけ、パイの奪い合いをするだけがゲームのやり方ではない
価値について考える
失われている価値、今ない価値は何か?
たとえば、書店からネット書店への変化は、価値がどう動いたか?
顧客の創造 ドラッカー
必要なものは何か?
生き方をデザインすることと、シェイク
不安定な状態に対する二つの方法
安定な状況を手にする
不安定な状況でもやっていけるようにする
僕らの生存戦略
生き方のデザイン、働き方のデザイン
画一性からの脱却
No Hard Work
自分でマネジメントできる人だけが迎えられるフリーマネジメントな世界
こぼれおちる人が当然出てくる
ロールプレイングからロールプレイングツクールへ
Minecraftはどう位置付けられるか
他の人の生き方の真似するという生き方
横並べ、ということの無意味さ
人生をデザインしていくこと
会社をデザインしていくこと
『NO HARD WORK!』
競争しない生き方
しかし、生き延びる生き方
他の人の真似をしない
自分で見出し、自分で決め、自分で変えていく。
その代わり、責任も自分で負うことになる。少なくとも、その決定に関しては。
生き方をデザインする
ライフシフト
デザイン型へのシフト
自由さでもあり
負担でもある
ここが問題
上の世代の話は頼りにはならない。
未知なる状況に対応する
将来はわからない
自分もわからない
未知なる「僕」に出合うこと
旧来のやり方ではダメだ、このやり方が正しいんだってほんと?
予測できないことと個人の多様性
SAOのあおりプレイヤー
他人のロールモデルはあてにならない
だったらどうしたら?
自分でつくるしかない
計画からデザインへ
コントロール性との付き合い
やるおわプログラミングマインクラフト
ゲームとルールの関係
勉強の哲学
「価値とゲームの作り方」
価値とは何か?
価値とは見出されるものである
価値の作り方
価値は見出されるものである
他者に価値を見出してもらいうるものを持つこと
研鑽?
つなぐこととギフト
非対称性に注目する
「作る」「翻訳する」「貯める」「改造する」「コメントする」
翻訳者になる(価値の翻訳者、情報の翻訳者)
キュレーター、目利き
のような価値の作り方のいろいろ
ヒットの法則と基本原理
ネットワークとべき乗則
リスクについての考え方
種銭、という考え方
変換について
変換がエネルギーを生み出す
変換が価値を生み出す
貿易
つなぐこと・つながること
Linkによって形成されるネットワーク
ギバーになる
変換
評価軸が成長の方向を決定する。
たとえば「僕」が目指しているもの(僕のゲーム)
いまだ架かっていない場所に橋を架ける
自分にしか見つけられない溝や傷
「インターフェースとしての自分の仕事」
物語ること
プロフィールは「誰」ではない。
「あなたは誰ですか?」にどう答えるか
何者かになる(ひとかどの人物)
「決して何者にもなれないお前たちにつぐ」(まわるピングドラム)
凡人のための方法が必要
Mobである、ということ
何者にもなれない僕たちに慣れない僕たち
物を売る経験
仕事の問題
このへんはアレントを。
何を「仕事」とするのか?
仕事は本当に必要なのか?
「何」(ペルソナ)を手にすればいいのか?
夢や目標について
かすみを食べて生きているわけではない
なんらかの接点を持たなければならない
リンクポイント
インターフェース
人それぞれ
好きを仕事にする、という話。
それができなければ人生は「失敗」なのだろうか。
社会と自分の接点を見出す、ということ
そのための方法は無限ではないけれども、たくさんあるし、ときには新しく作っていける。
ユーチュバー
レンタルなんにもしない人
何にもしない人がレンタルされる時代
何かしないではいられない。
行為に過剰に意味を乗せてしまう。
時間の有効利用
正しい答えがあるわけではない。出した答えを正しくすればいいというものでもない。その中間のどこかに、偶然(運命)と意志がちょうどよく同居できる地点がある。
選択肢は作っていける
トップダウン、ロールモデル型の思考からの脱却
いろいろなプロがいる
職業ははじめから存在していたわけではない
考え方をシフトする
ロールモデル
トップダウン方式からの離脱
世界の様々な片隅で現実のあるいは象徴的な満員列車に揺られている私たちは何を読めばいいのでしょう? 何を書けばいいのでしょう? 何を考えて、どのようにして自分を意識すれば道は見えてくるのか? それが最近私が考えているテーマです。
仕事とは社会の接点(メディア)
仕事とアイデンティティ
二つの意味で仕事(働くこと)は大切
金銭を得る
社会とつながる
仕事は大切
仕事は社会と私のインターフェースの一つ
それだけではないが、選択肢の一つではある
でも、「日本で働く」「企業で働く」だけが仕事ではない
働き方とっても、一つではなくなりつつある。
それもまた、自分でデザインしていく
この「デザイン」という言葉にある主体性の強さをどうにかしたい
ゼロではないが、かといって100でもない。
ビジネスの経験がないのに、突然ビジネスなことをやってしまう危うさ
勘所のなさ、経験の少なさ
自分の強みを活かす? ほんとに?
「自分の人生」と「自分らしい生き方」の差異
迷わず進む?
自分の強みがわからない?
知るというよりも、確かめる感覚
自分のことは、案外自分も知らない
コンビニ、物書き、よく喋るという自分の特性
天職に転職したい?
青い鳥?
そうはいっても、向き不向き
「自分の仕事」を他の人と比較しても仕方がない
私は「誰」なのか。私は「誰か」なのか。
ヨコ型社会では、誰を他者に向けて示す必要が出てくる。
「あなたは誰なのか?」という問いにどう答えていくのか
アレントの「誰」
性質の個条書きが「誰」を示すわけではない。
しょうもないツイートの連続の方がはるかに「誰」に迫る
「物語」というフォーマット
金太郎飴ブログが語る「誰」
「メディア的に生きる」
世界にあなたを「宣言」する。
あなたは誰ですか?に答えられるようにする。
自分を宣言する
自分を語る
個性を活かす
個性とは何か?
ブログを書き続けてわかる「自分」
メディアがネットになった
スターだけが注目される世界ではなくなった
それによって、ファンの幅も増えニッチでも生きていける可能性が広がった
誰しもが同じ資質を備えているわけではない。
スター向きでない人もいる
知識の扱いとアマチュア
ブログをどう使っていけばいいのか?
どうやって儲けるのか?
なぜ発信するのか?
ビーコン
ピンを打つ
アクティブソナー
「多重ネットワークのススメ」
有効なネットワークの形
ネットワークではなく、多重のネットワーク
ネットワークの作り方と集合知が機能するシチュエーション
ネットワークの作り方のコツ
フィルターバブル
別の層(クラスタ)の情報が入ってこない
断絶が生じる
憎悪の手紙問題
ネットワークの一つの形
ゲゼルシャフトとゲマインシャフト
つなぐこと、つながること
つなぐこととギフト
場を作る
自分の居場所を自分で作る
場所の維持に努める
ブログという場所
ネットとどう付き合うか?
世界に貢献する
つながり・コミュニケーションについて
つながることは、何を生み出すのか?
隣の芝生は青い。そして、その芝生が一杯ある。
コミュニティーの問題
サロンはどのような位置づけを持つか
誰かに見てもらえるようにする
しかし、シリアルキラーな趣味を持つ人は、かなり厳しい(それを趣味と呼ぶかどうかは別にして)
たくさんの本(物語)を読み重ねることで、共有知を発揮させる。
ロールズの正義論。無知のヴェール。あるいは千葉雅也さんの来るべきバカ。 他者論
「僕らの武器・防具・魔法」
武器になるもの
学ぶ力・変化する力・反応していける力
責任
ヒノキの棒とドリームキラー
装備を整えるかレベルを上げる職業的な相性装備を整えるかレベルを上げる職業的な相性
背中を押すなら面倒を見る。
武器の副作用
ハンマーを手にするものは
ゲームでは「装備できない」が表示される
自分を高めていけばいいのか?
でもどこまで?
自己啓発の危うさ
必要なのは武器なのか?
武器だけでいいのか?
防具も必要ではないか?
ときには魔法も
「人生はやっぱり戦士で成功する」とか言われたら変じゃないか?
いろいろな役割があり、必要とするものも違う
防具になるもの
防具としての知識
自分を知ることは身を守るためにも必要
体調やメンタル
ストレスを感じやすいもの
魔法になるもの
魔法の注意点
個から小さな複数の公共圏へ
国破れて山河あり
統計的に処理される「僕ら」
僕(ら)の生存戦略
「僕」だけではいずれつまらなくなる
しかし「全て」は重すぎる。
僕らというネットワーク
「僕ら」はいかに形成されるのか?
「〈僕〉から〈僕ら〉へ」
ver.3.0(2019/5/7)
書き出し案
これから、「僕ら」に向けて手紙を書こうと思う。きっと長い手紙になるだろう。
まずは、この「僕」が誰なのかを説明しなくちゃならない。
「僕ら」って誰のこと?
同じ属性を持つ集団をくくる言葉
共通項が崩れつつあるのではないか?
マスメディアが使う「僕ら」は果たして機能しているのか?
それは機能不全なのではないか。
ズレているのではないか
機能してないとしたら、なぜ機能していないのか?
そしてそれは、社会全体の機能不全の一つの象徴でしかないのではないか?
「これまでの生き方」が通用しなくなる。
うんうん、たしかに。
「これからは、こういう生き方ですよ」という提案が出てくる。
あれっ、それっておかしくないですか?
共通項が崩れつつあるのではなかったのか。
さらに変化が早く、未来の見通しはどんどん悪くなってくる
そうして提示される「新しい生き方」が万人に(少なくとも、僕らに)通用する保証はどこにあるのか?
再現性の問題ではない。個性や置かれた環境の問題
誰かの生き方を、そのままロールモデルとするのは、もはや難しいのではないか。
少なくとも、そういう立場に置かれている人は結構いっぱいいるのではないか。
じゃあ、どうしたらいいのか?
まったく打つ手無し?
生きづらさを・合わない感覚を・違和感を持っている人は、なすがままに流されて生きていくしかないのか?
本書で一緒に考えていきたいのは、このこと。
戦略を考えるために、まず私たちが生きるこの社会について考えてみる。
この社会はどんな社会か
「タテからヨコへの社会の変化」
社会にどういう変化が訪れようとしているのか。
細かい部分はわからなくても、大局はわかる
たとえば、日本人の人口は時間共に減少する
人間も、遅かれ早かれ死ぬ。統計的には。
タイタニック号も、いつかは沈む
ただし、その乗客ひとりひとりがどうなるのかまではわからない。予想できない。
これからの社会はどうなるのか?
タテからヨコへの変化
予測不能性
変化の速さ
多様性の拡大
沈没する船(タイタニック号)
どんな風に変化は進むのか?
ゆっくりと確実に進んでいく。
マスメディアの視野の外の方から
毛沢東「革命は常に辺境から始まる」
それが変化するとどうなるか?
まずコミュニケーションが変わる
空気を主とした言葉が少ない(定義を考えなくてよい)コミュニケーションではなく
知らない人同士の異文化交流が増える。
昔の日本のコミュニケーションスタイルでは人間関係がうまく構築できない
それだけではない。
会社の看板にぶら下がっていばるようなことも難しくなる。
個人に求められるスキルみたいなものも変わってくる
言うことに従える人ではなく、考えて発現できる人
タフなネゴシエーションをこなせる人
離れた文化の橋渡しができる人
『管理ゼロで成果はあがる』から学べること
セルフマネジメントできる人だけが、管理の厳しい会社から離れられる
ドラッカーのマネジメント→セルフマネジメント
タテからヨコへのゆっくりとした変化
ヨコ形社会とは?
社会は急には変わらない
終身雇用の崩壊
経団連の誰かの発言?
ライフスタイルの変化
大量消費社会とコモディティライフ
流通の変化
情報の流通、お金の流通、人(仕事)の流通
それらがタテからヨコへと移り変わっていく
スクラップアンドビルドの起きない世界
徴兵されることもない
ネット的なものの普及
その付き合い方を知ることは大切
「インターネット的」
異文化交流
機能不全社会
社員を丸抱えできない企業
共同体の弱体化
スクラップ&ビルドなしで進んできた
働き方改革が象徴するもの
高度経済成長と大量生産を前提とした社会
均質的
ライフスタイルと
日本の構造が壊れ始めている
コンビニの24時間問題
アイドル/グループの露呈
僕たちはどう生きるか?
君たちはどう生きるか、という表現との対比
ズレがうみだす生きづらさ
いろいろな幻想(文化的名残・慣性)
個性が大切だと言いながら、単一の指標で競争がある社会
社会が提供し、整えるロールモデルが機能不全を起こしていると生きづらさを抱える人たちは増える。
馴染める人もいるが、そうでない人もいる。
そうでない人の数が、少しずつ増えてきているのかもしれない。
それに抗うこと。抗うすべ。
生きづらさを力にかえる
基準が一つなら、答えも一つになる
基準が増えれば、答えも増える。
やること過剰社会
やること過剰社会とは何か?
コミットメント過剰社会
自由の拡大
なんでも無限にできる現代
個人の責任の拡大
やること誘惑社会→やること過剰社会
できることが増えたことによる弊害
強化され続けるマーケティング・プロモーション
迷いもまた増える
運任せにできない
自我の領土化欲求が強い。ときに強すぎる。
不安も大きい
広告と、自由の拡大
そこに自由があることは素晴らしい。しかし、それはそれとして無限の選択肢(可能性)の前に立たされると人は選択できなくなる。では、どうするか。
単に選択肢があるだけでなく、そこに「煽られた万能感」も関わってくる。あなたは何でもできるんです、という甘い声。
結果的に、その声に誘われることは、その人から「誰」を剥奪することにつながる。「なんでもできる人」は、誰でもない。
自由は必ずしもメリットだけではない
自由によって、選ばれない人が出てくる社会。
自由を維持するためのコスト
自由の重さ
そこから逃れたいと思う気持ちがある
パンドラの箱は開きつつある。
パンドラの箱
自由の困難さ
いろいろな困難が出てくる、最後に残されるのは、はたして希望か?
"ゼウスがパンドラに持たせた、あらゆる災いの詰まった箱(本来は壺)。彼女が地上に着いたとき好奇心から開けたところ、すべての災いが地上に飛び出したが、急いでふたをしたので希望だけが残ったという。"
『デジタル大辞泉』
人生の成功と失敗に関する定義の変転
均一から多様へ
均一でないことを受け入れる
大勢向けのノウハウは、ほぼ無用になる
上昇相場であれば、どんな銘柄でも勝てる。ライフスタイルにもそれと似たような時代があった
そうして語られるノウハウは、そもそも再現性などない一時的なフェイクだった。
ガラスの靴を手に入れればハッピーエンドが訪れるわけではない
情報が限られていた時代だから成り立っていた無理(会社の文化を常識だと考える)
結果、社会の変化に合わせて、生き方・ライフスタイルの変化も生じる
しかし、社会の方に、その準備が十分に整っていない可能性がある
大量生産と、それに合わせたライフスタイルの押しつけが残っている
だから戦略が必要となってくる
では、どうやってそれを為すのか?
「戦略と人生デザイン」
変化に合わせたシフトが必要になる
脱ロールモデルから、ライフデザイン(ストーリーテリング)に。ライフシフト。
価値・つながりを、自分で生み出す→仕事を作る
それは、これまで社会制度や共同体が準備してくれていたものだった。
それを期待しにくくなる社会
看板にぶら下がり続けるのは難しい。
「お仕事は?」と聞かれたときに、なんとこたえるか
価値は生み出すもの。価値は見出されるもの。
規定された「価値」をやりとりするだけ、パイの奪い合いをするだけがゲームのやり方ではない
価値について考える
失われている価値、今ない価値は何か?
たとえば、書店からネット書店への変化は、価値がどう動いたか?
顧客の創造 ドラッカー
必要なものは何か?
生き方をデザインすることと、シェイク
不安定な状態に対する二つの方法
安定な状況を手にする
不安定な状況でもやっていけるようにする
僕らの生存戦略
生き方のデザイン、働き方のデザイン
画一性からの脱却
No Hard Work
自分でマネジメントできる人だけが迎えられるフリーマネジメントな世界
こぼれおちる人が当然出てくる
ロールプレイングからロールプレイングツクールへ
Minecraftはどう位置付けられるか
他の人の生き方の真似するという生き方
横並べ、ということの無意味さ
人生をデザインしていくこと
会社をデザインしていくこと
『NO HARD WORK!』
競争しない生き方
しかし、生き延びる生き方
他の人の真似をしない
自分で見出し、自分で決め、自分で変えていく。
その代わり、責任も自分で負うことになる。少なくとも、その決定に関しては。
生き方をデザインする
ライフシフト
デザイン型へのシフト
自由さでもあり
負担でもある
ここが問題
上の世代の話は頼りにはならない。
未知なる状況に対応する
将来はわからない
自分もわからない
未知なる「僕」に出合うこと
旧来のやり方ではダメだ、このやり方が正しいんだってほんと?
予測できないことと個人の多様性
SAOのあおりプレイヤー
他人のロールモデルはあてにならない
だったらどうしたら?
自分でつくるしかない
計画からデザインへ
コントロール性との付き合い
やるおわプログラミングマインクラフト
ゲームとルールの関係
勉強の哲学
「価値とゲームの作り方」
価値とは何か?
価値とは見出されるものである
価値の作り方
価値は見出されるものである
他者に価値を見出してもらいうるものを持つこと
研鑽?
つなぐこととギフト
非対称性に注目する
「作る」「翻訳する」「貯める」「改造する」「コメントする」
翻訳者になる(価値の翻訳者、情報の翻訳者)
キュレーター、目利き
のような価値の作り方のいろいろ
ヒットの法則と基本原理
ネットワークとべき乗則
小さな売上げは予想できる、そこそこのヒットなら演出できる、しかし巨大なヒットは運の要素が大きすぎる
多くの人が注目する巨大なヒットの「方程式」はない。運だった、という共通点を除いて
前提条件みたいなものはあるかもしれない。
小さいことなら言えることはいろいろある。
打席に立つ回数が多いほど、その運をつかめる可能性も少しはあがる。宝くじは1枚買うよりも、2枚買った方が当たりやすい。2倍ほど?
株式投資では?
退場しないこと。損切りの徹底。リスクをしょいすぎないこと。
上昇相場では、だいたい何を売り買いしても勝てる。状況を見極めること。
ブログブームの頃の話。
ブームだったころは、ただブログを書いているだけで注目された
しかし、人が増えるとそうではなくなる。
だから、本当は人は増えて欲しくない。そういう人は他人をブログに呼び寄せそうとはしない。
しかし、先行きが暗くなると、「ブログの方法」というので利益を出そうとする人が出てくる
その時点では、データ的に正しいように見えるけれども、失敗が(あるいは大苦戦が)約束されている世界へのいざない
リスクについての考え方
種銭、という考え方
変換について
変換がエネルギーを生み出す
変換が価値を生み出す
貿易
つなぐこと・つながること
Linkによって形成されるネットワーク
ギバーになる
変換
評価軸が成長の方向を決定する。
たとえば「僕」が目指しているもの(僕のゲーム)
いまだ架かっていない場所に橋を架ける
自分にしか見つけられない溝や傷
「インターフェースとしての自分の仕事」
物語ること
プロフィールは「誰」ではない。
「あなたは誰ですか?」にどう答えるか
何者かになる(ひとかどの人物)
「決して何者にもなれないお前たちにつぐ」(まわるピングドラム)
凡人のための方法が必要
Mobである、ということ
何者にもなれない僕たちに慣れない僕たち
物を売る経験
仕事の問題
このへんはアレントを。
何を「仕事」とするのか?
仕事は本当に必要なのか?
「何」(ペルソナ)を手にすればいいのか?
夢や目標について
かすみを食べて生きているわけではない
なんらかの接点を持たなければならない
リンクポイント
インターフェース
人それぞれ
好きを仕事にする、という話。
それができなければ人生は「失敗」なのだろうか。
社会と自分の接点を見出す、ということ
そのための方法は無限ではないけれども、たくさんあるし、ときには新しく作っていける。
ユーチュバー
レンタルなんにもしない人
何にもしない人がレンタルされる時代
何かしないではいられない。
行為に過剰に意味を乗せてしまう。
時間の有効利用
正しい答えがあるわけではない。出した答えを正しくすればいいというものでもない。その中間のどこかに、偶然(運命)と意志がちょうどよく同居できる地点がある。
選択肢は作っていける
トップダウン、ロールモデル型の思考からの脱却
いろいろなプロがいる
職業ははじめから存在していたわけではない
考え方をシフトする
ロールモデル
トップダウン方式からの離脱
世界の様々な片隅で現実のあるいは象徴的な満員列車に揺られている私たちは何を読めばいいのでしょう? 何を書けばいいのでしょう? 何を考えて、どのようにして自分を意識すれば道は見えてくるのか? それが最近私が考えているテーマです。
仕事とは社会の接点(メディア)
仕事とアイデンティティ
二つの意味で仕事(働くこと)は大切
金銭を得る
社会とつながる
仕事は大切
仕事は社会と私のインターフェースの一つ
それだけではないが、選択肢の一つではある
でも、「日本で働く」「企業で働く」だけが仕事ではない
働き方とっても、一つではなくなりつつある。
それもまた、自分でデザインしていく
この「デザイン」という言葉にある主体性の強さをどうにかしたい
ゼロではないが、かといって100でもない。
ビジネスの経験がないのに、突然ビジネスなことをやってしまう危うさ
勘所のなさ、経験の少なさ
自分の強みを活かす? ほんとに?
「自分の人生」と「自分らしい生き方」の差異
迷わず進む?
自分の強みがわからない?
知るというよりも、確かめる感覚
自分のことは、案外自分も知らない
コンビニ、物書き、よく喋るという自分の特性
天職に転職したい?
青い鳥?
そうはいっても、向き不向き
「自分の仕事」を他の人と比較しても仕方がない
私は「誰」なのか。私は「誰か」なのか。
ヨコ型社会では、誰を他者に向けて示す必要が出てくる。
「あなたは誰なのか?」という問いにどう答えていくのか
アレントの「誰」
性質の個条書きが「誰」を示すわけではない。
しょうもないツイートの連続の方がはるかに「誰」に迫る
「物語」というフォーマット
金太郎飴ブログが語る「誰」
いつまで「自分探し」を続けるのか?
探索問題
「メディア的に生きる」
世界にあなたを「宣言」する。
あなたは誰ですか?に答えられるようにする。
自分を宣言する
自分を語る
個性を活かす
個性とは何か?
ブログを書き続けてわかる「自分」
メディアがネットになった
スターだけが注目される世界ではなくなった
それによって、ファンの幅も増えニッチでも生きていける可能性が広がった
誰しもが同じ資質を備えているわけではない。
スター向きでない人もいる
知識の扱いとアマチュア
ブログをどう使っていけばいいのか?
どうやって儲けるのか?
なぜ発信するのか?
ビーコン
ピンを打つ
アクティブソナー
「多重ネットワークのススメ」
有効なネットワークの形
ネットワークではなく、多重のネットワーク
一つのアイデンティティーは重い
自我すらも最終的には重い
どれだけ放り投げるか
でも、本当にすべてを捨ててしまっては何も残らない
たくさんの物語をくぐり抜けること
ネットワークの作り方と集合知が機能するシチュエーション
ネットワークの作り方のコツ
フィルターバブル
別の層(クラスタ)の情報が入ってこない
断絶が生じる
憎悪の手紙問題
ネットワークの一つの形
ゲゼルシャフトとゲマインシャフト
つなぐこと、つながること
つなぐこととギフト
場を作る
自分の居場所を自分で作る
場所の維持に努める
ブログという場所
ネットとどう付き合うか?
世界に貢献する
つながり・コミュニケーションについて
つながることは、何を生み出すのか?
隣の芝生は青い。そして、その芝生が一杯ある。
コミュニティーの問題
サロンはどのような位置づけを持つか
誰かに見てもらえるようにする
しかし、シリアルキラーな趣味を持つ人は、かなり厳しい(それを趣味と呼ぶかどうかは別にして)
たくさんの本(物語)を読み重ねることで、共有知を発揮させる。
ロールズの正義論。無知のヴェール。あるいは千葉雅也さんの来るべきバカ。 他者論
「僕らの武器・防具・魔法」
武器になるもの
学ぶ力・変化する力・反応していける力
責任
ヒノキの棒とドリームキラー
装備を整えるかレベルを上げる職業的な相性装備を整えるかレベルを上げる職業的な相性
背中を押すなら面倒を見る。
武器の副作用
ハンマーを手にするものは
ゲームでは「装備できない」が表示される
自分を高めていけばいいのか?
でもどこまで?
自己啓発の危うさ
必要なのは武器なのか?
武器だけでいいのか?
防具も必要ではないか?
ときには魔法も
「人生はやっぱり戦士で成功する」とか言われたら変じゃないか?
いろいろな役割があり、必要とするものも違う
防具になるもの
防具としての知識
自分を知ることは身を守るためにも必要
体調やメンタル
ストレスを感じやすいもの
魔法になるもの
魔法の注意点
ダークサイドなもの
炎上
危うい商売
副作用
ソーシャルゲームと自己啓発セミナーの共通点
過剰なコミットメントを要求してくる
サンクコストが発生し、自発的に逃れられなくなる
認知的不協和で、自分がそれがはじめから好きなのだ、という認識が生まれる
個から小さな複数の公共圏へ
国破れて山河あり
統計的に処理される「僕ら」
つながりが生んでしまう疎外
断片的な僕たち
全てはできない
完璧な安全は、強力な共同体の復興につながる。現代では、それはプラットフォームになるだろう。多様性の喪失。
自己犠牲ではない形で
ヒーロー幻想とポストヒーロー
24時間は戦えない
世界は救えない
価値を強調しようと頑張ると、無価値の領域は増えていく
過剰な接続を切断することは有用
なにもかもが孤立することが正解か?
国家と大きなプラットフォーム問題
巨大プラットフォームではない、かといって孤立した個でもない
マストドン
プラットフォームが勝者となるだろうこの世界で
みんなを救おう、というのは無理
でも、自分の手が届くだけ、というのは狭いし、広がりがない。
閉塞的ですらある。
少し、手を伸ばす。
それがたくさんあれば、誰かが包摂される、かもしれない。
ずっと繋がり続けている必要もない。ネットワークは変化していく。
可能ならば一つの手を伸ばす
たとえそれが少しの背伸びなのだとしても
生きづらいこの社会を言祝げるか?
難しくても、憎悪では何も生まれない。
憎悪がもたらすもの
剣で栄えたものは、剣で滅びる
つながりすぎないつながり
ぐねぐねと変質するネットワークのイメージ
自己犠牲を美化しない。かといって、自己に閉じこもることも賞賛しない。
僕(ら)の生存戦略
YOU ARE (NOT) ALONE.
「僕」だけではいずれつまらなくなる
しかし「全て」は重すぎる。
僕らというネットワーク
「僕ら」はいかに形成されるのか?
「〈僕〉から〈僕ら〉へ」
ver.3.2(2019/5/12)
書き出し案
これから、「僕ら」に向けて手紙を書こうと思う。きっと長い手紙になるだろう。
まずは、この「僕」が誰なのかを説明しなくちゃならない。
"たぶん長い手紙のようなものになると思います。"
『自分をいかして生きる』
手紙とは誰かに送られる(贈られる)もの
「僕ら」って誰のこと?
同じ属性を持つ集団をくくる言葉
共通項が崩れつつあるのではないか?
マスメディアが使う「僕ら」は果たして機能しているのか?
それは機能不全なのではないか。
ズレているのではないか
機能してないとしたら、なぜ機能していないのか?
そしてそれは、社会全体の機能不全の一つの象徴でしかないのではないか?
「これまでの生き方」が通用しなくなる。
うんうん、たしかに。
「これからは、こういう生き方ですよ」という提案が出てくる。
あれっ、それっておかしくないですか?
共通項が崩れつつあるのではなかったのか。
さらに変化が早く、未来の見通しはどんどん悪くなってくる
そうして提示される「新しい生き方」が万人に(少なくとも、僕らに)通用する保証はどこにあるのか?
再現性の問題ではない。個性や置かれた環境の問題
誰かの生き方を、そのままロールモデルとするのは、もはや難しいのではないか。
少なくとも、そういう立場に置かれている人は結構いっぱいいるのではないか。
じゃあ、どうしたらいいのか?
まったく打つ手無し?
生きづらさを・合わない感覚を・違和感を持っている人は、なすがままに流されて生きていくしかないのか?
本書で一緒に考えていきたいのは、このこと。
戦略を考えるために、まず私たちが生きるこの社会について考えてみる。
この社会はどんな社会か
「タテからヨコへの社会の変化」
社会にどういう変化が訪れようとしているのか。
あらゆるものの固い基盤が破壊されていく。
地球は中心ではなくなり
人類は神の子ではなくなり
強固な構造は脱構築され
アメリカはテロに怯える
ナショナリズムも相対化された
あえて、作らなければ、固い基盤は生まれない
『世話やきキツネの仙狐さん』が見せる暗さ
No hard workの世界
これまでとは違った価値観で運営されている
それでも利益が上がっている
細かい部分はわからなくても、大局はわかる
たとえば、日本人の人口は時間共に減少する
人間も、遅かれ早かれ死ぬ。統計的には。
タイタニック号も、いつかは沈む
ただし、その乗客ひとりひとりがどうなるのかまではわからない。予想できない。
これからの社会はどうなるのか?
タテからヨコへの変化
予測不能性
変化の速さ
多様性の拡大
沈没する船(タイタニック号)
どんな風に変化は進むのか?
ゆっくりと確実に進んでいく。
マスメディアの視野の外の方から
毛沢東「革命は常に辺境から始まる」
それが変化するとどうなるか?
まずコミュニケーションが変わる
空気を主とした言葉が少ない(定義を考えなくてよい)コミュニケーションではなく
知らない人同士の異文化交流が増える。
昔の日本のコミュニケーションスタイルでは人間関係がうまく構築できない
それだけではない。
会社の看板にぶら下がっていばるようなことも難しくなる。
個人に求められるスキルみたいなものも変わってくる
言うことに従える人ではなく、考えて発現できる人
タフなネゴシエーションをこなせる人
離れた文化の橋渡しができる人
『管理ゼロで成果はあがる』から学べること
セルフマネジメントできる人だけが、管理の厳しい会社から離れられる
ドラッカーのマネジメント→セルフマネジメント
タテからヨコへのゆっくりとした変化
ヨコ形社会とは?
社会は急には変わらない
終身雇用の崩壊
経団連の誰かの発言?
ライフスタイルの変化
大量消費社会とコモディティライフ
流通の変化
情報の流通、お金の流通、人(仕事)の流通
それらがタテからヨコへと移り変わっていく
スクラップアンドビルドの起きない世界
徴兵されることもない
ネット的なものの普及
その付き合い方を知ることは大切
「インターネット的」
異文化交流
機能不全社会
社員を丸抱えできない企業
共同体の弱体化
スクラップ&ビルドなしで進んできた
働き方改革が象徴するもの
高度経済成長と大量生産を前提とした社会
均質的
ライフスタイルと
日本の構造が壊れ始めている
コンビニの24時間問題
アイドル/グループの露呈
不安定な状況での指針
"Only within the scaffolding of these truths, only on the firm foundation of unyielding despair, can the soul's habitation henceforth be safely built." A Free Man's Worship by Bertrand Russell
「これ以後、魂の安全な住家は、動かしようもない絶望の固い基盤の上にのみ建てられる」
僕たちはどう生きるか?
君たちはどう生きるか、という表現との対比
立派に生きる?
何が立派なのかを決める価値基準がある
ズレがうみだす生きづらさ
いろいろな幻想(文化的名残・慣性)
会社員というデフォルトの選択
会社に正社員として勤めることが、人生の選択におけるデフォルトになっている。人生設計もそれを元に組み立てられる。そいう構図になっていた方が企業は楽。「働きましょう」と説得しなくていいのだから。でも、それって変じゃないのか、という無意識のアレルギー的反応が不登校だったり、引きこもりだったりするのかもしれません。
一方でやっかいなのが、その虚構に一部の事実が含まれているところ。社会的動物である私たちは、他の人の役に立つことを好ましく感じる。それ自体は悪いことではないし、それがあるからこそ大勢での社会生活になんらかの意味が宿り、円滑に進んでいくようになるのだけれども、それは「会社に身を捧げるために生きる」こととは随分と距離がある。簡単に接続していいものではない。じゃあ、どうするかについては、やっぱり自分で考えて、答えを出していくしかない。
個性が大切だと言いながら、単一の指標で競争がある社会
社会が提供し、整えるロールモデルが機能不全を起こしていると生きづらさを抱える人たちは増える。
馴染める人もいるが、そうでない人もいる。
そうでない人の数が、少しずつ増えてきているのかもしれない。
それに抗うこと。抗うすべ。
生きづらさを力にかえる
「生きる」という行為についての認識をかえる
フリーランスの不安定さと時間の使い方の自由さ
基準が一つなら、答えも一つになる
基準が増えれば、答えも増える。
人は共同体の中ではじめて生きることができる
しかし、実情に合わせて共同体は変化していく
ズレが必ず生じる
だから、共同体に100%従うのは、無理がある
「自分が悪い」「自業自得です」。ロスジェネ世代に話を聞いていると、自分を責める人が多いように感じる。努力したくてもできなかったり、努力しても報われなかったり。そんな人々すら「自己責任」の一言で切り捨てる時代の空気は、この世代にも影を落としている。
「大学時代にやりたいことが見つからず、決めるべき時に決められなかった。自分が悪いところがあり、就職氷河期のせいにはできないと思っています」
努力、という言葉が意味するもの
自分と社会のどちらがズレている?
やること過剰社会
やること過剰社会とは何か?
コミットメント過剰社会
自由の拡大
なんでも無限にできる現代
個人の責任の拡大
やること誘惑社会→やること過剰社会
できることが増えたことによる弊害
強化され続けるマーケティング・プロモーション
迷いもまた増える
運任せにできない
自我の領土化欲求が強い。ときに強すぎる。
不安も大きい
木を隠すには森の中
森の中にある木は見つけにくい
情報過剰社会
コミットメント過剰社会
広告と、自由の拡大
そこに自由があることは素晴らしい。しかし、それはそれとして無限の選択肢(可能性)の前に立たされると人は選択できなくなる。では、どうするか。
単に選択肢があるだけでなく、そこに「煽られた万能感」も関わってくる。あなたは何でもできるんです、という甘い声。
結果的に、その声に誘われることは、その人から「誰」を剥奪することにつながる。「なんでもできる人」は、誰でもない。
自由は必ずしもメリットだけではない
自由によって、選ばれない人が出てくる社会。
自由を維持するためのコスト
自由の重さ
そこから逃れたいと思う気持ちがある
時間の価値の拡大
無駄なことはできない
時間の価値が増大するほど、失敗できなくなる
遊びも余裕もなくなってくる
何でもできるは、何にもできない
ドアの実験
パンドラの箱は開きつつある。
だったらどうしたらいいんですか?に他人が正解を与えてくれない社会。
パンドラの箱
自由の困難さ
いろいろな困難が出てくる、最後に残されるのは、はたして希望か?
"ゼウスがパンドラに持たせた、あらゆる災いの詰まった箱(本来は壺)。彼女が地上に着いたとき好奇心から開けたところ、すべての災いが地上に飛び出したが、急いでふたをしたので希望だけが残ったという。"
『デジタル大辞泉』
人生の成功と失敗に関する定義の変転
均一から多様へ
成功すらも多様化してしまった
成功法も一つでは語られない
均一でないことを受け入れる
大勢向けのノウハウは、ほぼ無用になる
上昇相場であれば、どんな銘柄でも勝てる。ライフスタイルにもそれと似たような時代があった
そうして語られるノウハウは、そもそも再現性などない一時的なフェイクだった。
ガラスの靴を手に入れればハッピーエンドが訪れるわけではない
情報が限られていた時代だから成り立っていた無理(会社の文化を常識だと考える)
結果、社会の変化に合わせて、生き方・ライフスタイルの変化も生じる
しかし、社会の方に、その準備が十分に整っていない可能性がある
大量生産と、それに合わせたライフスタイルの押しつけが残っている
だから戦略が必要となってくる
では、どうやってそれを為すのか?
生き延びるという課題、生きるという問題
生き延びるのには何が必要か。
「戦略と人生デザイン」
人生をどんなゲームだと捉えるか?
「どう生きているか」
たとえば、自分の作品とどう向き合っているか?
「自分をいかして生きる」(人生デザイン、自分デザイン)
自主性を発揮するとは違う
ほこることなく、おごることなく、その人の生がただそこにある、ということを認めること。
変化に合わせたシフトが必要になる
脱ロールモデルから、ライフデザイン(ストーリーテリング)に。ライフシフト。
価値・つながりを、自分で生み出す→仕事を作る
それは、これまで社会制度や共同体が準備してくれていたものだった。
それを期待しにくくなる社会
看板にぶら下がり続けるのは難しい。
「お仕事は?」と聞かれたときに、なんとこたえるか
価値は生み出すもの。価値は見出されるもの。
規定された「価値」をやりとりするだけ、パイの奪い合いをするだけがゲームのやり方ではない
価値について考える
失われている価値、今ない価値は何か?
たとえば、書店からネット書店への変化は、価値がどう動いたか?
顧客の創造 ドラッカー
必要なものは何か?
生き方をデザインすることと、シェイク
人生の作り方
不安定な状態に対する二つの方法
安定な状況を手にする
不安定な状況でもやっていけるようにする
僕らの生存戦略
生き方のデザイン、働き方のデザイン
画一性からの脱却
No Hard Work
自分でマネジメントできる人だけが迎えられるフリーマネジメントな世界
こぼれおちる人が当然出てくる
ロールモデルという考え方
無駄ではない。
人はいろいろある、という認識のスタート地点にはなる。
ペルソナの数々
その総体が個性であろう。
個性は断片では出せない。見出してもらえない。
長い語りが必要。
いくつかのタイプがあるという認識は重要だが、今度はそれが個性を閉じ込めてしまうことがある。
ロールプレイングからロールプレイングツクールへ
Minecraftはどう位置付けられるか
人生はゲームかもしれないが、ビデオゲームではない
人生にはプロパティウィンドウは存在しない
人生のメンタルモデル
人生というのを、どのように捉えているか
人が生きるということを、どう考えているか
どんな知識や経験が必要か?
人生を作るとは、自分を作ること
新しい自分を発見していくプロセス
自分実験
大学に行くか、オンランサロンに入るか、という二択
他の人の生き方の真似するという生き方
横並べ、ということの無意味さ
18才で人生など決められない
決めることは、捨てること
人生をデザインしていくこと
会社をデザインしていくこと
『NO HARD WORK!』
競争しない生き方
しかし、生き延びる生き方
他の人の真似をしない
自分で見出し、自分で決め、自分で変えていく。
その代わり、責任も自分で負うことになる。少なくとも、その決定に関しては。
生き方をデザインする
ライフシフト
デザイン型へのシフト
自由さでもあり
負担でもある
ここが問題
上の世代の話は頼りにはならない。
未知なる状況に対応する
将来はわからない
自分もわからない
未知なる「僕」に出合うこと
資格試験的発想
人生は資格試験ではない
「○○を満たせば、○○が得られます」
旧来のやり方ではダメだ、このやり方が正しいんだってほんと?
予測できないことと個人の多様性
『夜と霧』 p.110
一切の選択がない状況。無限のそして全てが等価でありうる(何が起こるのかわからない)扉に囲まれた状況。
閉塞感
無限の扉
『自由という牢獄』
やりがい、希望、感触
白黒思考
価値観を変えるには痛みを伴う
痛み、左目の封印SAO
SAOのあおりプレイヤー
他人のロールモデルはあてにならない
だったらどうしたら?
自分でつくるしかない
自分という在り方にも「正解」を求めてしまう
答えを誰もしらないことの肯定的な意味
自分で答えを見つけていける
研究
計画からデザインへ
コントロール性との付き合い
やるおわプログラミングマインクラフト
ゲームとルールの関係
勉強の哲学
的外れな努力という概念とConnecting The Dots
「価値とゲームの作り方」
"狭き門より入りなさい"
そう、エンタメでもビジネスでもなんでもいいのですが、あたらしい遊びを作ったやつらが最強なんです。これは、少し前の話でいえば、ネットもブログもそうです。今でいえばYoutuberも同じです。
退場しないこと、誰かに与えること
価値とは何か?
価値とは見出されるものである
価値の作り方
価値は見出されるものである
他者に価値を見出してもらいうるものを持つこと
研鑽?
つなぐこととギフト
いろんな形の「貢献」がある
非対称性に注目する
「作る」「翻訳する」「貯める」「改造する」「コメントする」
翻訳者になる(価値の翻訳者、情報の翻訳者)
キュレーター、目利き
のような価値の作り方のいろいろ
ヒットの法則と基本原理
ネットワークとべき乗則
小さな売上げは予想できる、そこそこのヒットなら演出できる、しかし巨大なヒットは運の要素が大きすぎる
多くの人が注目する巨大なヒットの「方程式」はない。運だった、という共通点を除いて
前提条件みたいなものはあるかもしれない。
小さいことなら言えることはいろいろある。
打席に立つ回数が多いほど、その運をつかめる可能性も少しはあがる。宝くじは1枚買うよりも、2枚買った方が当たりやすい。2倍ほど?
株式投資では?
退場しないこと。損切りの徹底。リスクをしょいすぎないこと。
上昇相場では、だいたい何を売り買いしても勝てる。状況を見極めること。
ブログブームの頃の話。
ブームだったころは、ただブログを書いているだけで注目された
しかし、人が増えるとそうではなくなる。
だから、本当は人は増えて欲しくない。そういう人は他人をブログに呼び寄せそうとはしない。
しかし、先行きが暗くなると、「ブログの方法」というので利益を出そうとする人が出てくる
その時点では、データ的に正しいように見えるけれども、失敗が(あるいは大苦戦が)約束されている世界へのいざない
時間の価値が増大し、試しにくくなっている時代
リスクについての考え方
種銭、という考え方
変換について
変換がエネルギーを生み出す
変換が価値を生み出す
貿易
リンゴが落ちているときに、何を「見る」のか?
他者との差をどう評価するのか
つなぐこと・つながること
Linkによって形成されるネットワーク
ギバーになる
変換
評価軸が成長の方向を決定する。
たとえば「僕」が目指しているもの(僕のゲーム)
いまだ架かっていない場所に橋を架ける
自分にしか見つけられない溝や傷
「インターフェースとしての自分の仕事」
物語ること
プロフィールは「誰」ではない。
「あなたは誰ですか?」にどう答えるか
何者かになる(ひとかどの人物)
「決して何者にもなれないお前たちにつぐ」(まわるピングドラム)
凡人のための方法が必要
Mobである、ということ
何者にもなれない僕たちに慣れない僕たち
自分の武器はどこにあるのか?
可能性を広げること
好きなことを追求すること
この辺の話にある、なんとなく嫌な感じにも気をつける
人に受けやすいこともあるし、そうでないこともある。
何が社会から必要とされるのか
物を売る経験
仕事の問題
このへんはアレントを。
何を「仕事」とするのか?
仕事は本当に必要なのか?
「何」(ペルソナ)を手にすればいいのか?
夢や目標について
かすみを食べて生きているわけではない
なんらかの接点を持たなければならない
リンクポイント
インターフェース
人それぞれ
好きを仕事にする、という話。
それができなければ人生は「失敗」なのだろうか。
社会と自分の接点を見出す、ということ
書きたいことと書けること
そのための方法は無限ではないけれども、たくさんあるし、ときには新しく作っていける。
ユーチュバー
レンタルなんにもしない人
何にもしない人がレンタルされる時代
何かしないではいられない。
行為に過剰に意味を乗せてしまう。
時間の有効利用
正しい答えがあるわけではない。出した答えを正しくすればいいというものでもない。その中間のどこかに、偶然(運命)と意志がちょうどよく同居できる地点がある。
選択肢は作っていける
現実は変えうる、という認識
ハリボテなものは結構ある
生き方を狭めているのは何か?
自分の強みがわからない
あこがれ
発散と、収束
そもそも「自分」がわかっていない
そんなに早い決断が必要だろうか?
遊びは不要だろうか?
新卒就活の不合理性
トップダウン、ロールモデル型の思考からの脱却
いろいろなプロがいる
職業ははじめから存在していたわけではない
考え方をシフトする
ロールモデル
トップダウン方式からの離脱
世界の様々な片隅で現実のあるいは象徴的な満員列車に揺られている私たちは何を読めばいいのでしょう? 何を書けばいいのでしょう? 何を考えて、どのようにして自分を意識すれば道は見えてくるのか? それが最近私が考えているテーマです。
仕事とは社会の接点(メディア)
仕事とアイデンティティ
規模や目的が自分が求めているものと合致する
二つの意味で仕事(働くこと)は大切
金銭を得る
社会とつながる
仕事は大切
お金の問題をどう考えるか?
仕事は社会と私のインターフェースの一つ
それだけではないが、選択肢の一つではある
でも、「日本で働く」「企業で働く」だけが仕事ではない
働き方とっても、一つではなくなりつつある。
それもまた、自分でデザインしていく
この「デザイン」という言葉にある主体性の強さをどうにかしたい
ゼロではないが、かといって100でもない。
ビジネスの経験がないのに、突然ビジネスなことをやってしまう危うさ
勘所のなさ、経験の少なさ
自分の強みを活かす? ほんとに?
何者かにならなくては、という願いあるいは怯え
らしさアディクション
エニアグラム的なもの
鏡を覗いている部分はある
ありのままって本当によいですか?
むかついた→怒る、というのが「ありのまま」
菩薩みたいなのは、ぜんぜんありのままではない。
自分について何かを書き出したりすると、なんとなく自分についてわかったような気がしてしまう
何かに絶望しているとき、その感覚を絶対的に肯定している自分がいる
可能性を狭めてしまう
レベルアップの閾値
自覚には時間がかかることも
0でないことを
『好き嫌い』の話。好きがいかに生まれるか?
自分の思い通りの人生を生きることが良いことなのか。
「自分の人生」と「自分らしい生き方」の差異
迷わず進む?
自分の強みがわからない?
知るというよりも、確かめる感覚
自分のことは、案外自分も知らない
コンビニ、物書き、よく喋るという自分の特性
天職に転職したい?
青い鳥?
そうはいっても、向き不向き
「自分の仕事」を他の人と比較しても仕方がない
私は「誰」なのか。私は「誰か」なのか。
ヨコ型社会では、誰を他者に向けて示す必要が出てくる。
「あなたは誰なのか?」という問いにどう答えていくのか
アレントの「誰」
性質の個条書きが「誰」を示すわけではない。
しょうもないツイートの連続の方がはるかに「誰」に迫る
「物語」というフォーマット
金太郎飴ブログが語る「誰」
いつまで「自分探し」を続けるのか?
探索問題
何が起こるのかもわからない
後からしかわからないこと
ステ振りについての考え方
探索問題とペルソナと個人の理解
摩擦がないことのデメリット
自己と免疫
経験によってわかること
何者問題
何者かであることを求める理由
白馬の王子様問題(ピーターパンシンドローム)
辻褄、帳尻をあわせる
失敗も学びもさまざま
出した答えに納得する
納得できる答えを出すわけではない
絶対に後悔しない「答え」というのがあるわけでもない
答えが重要なのではない。
出した答えに納得できるかどうかが重要。
そこでは、プロセスが鍵を握る。
悩むときは大いに悩めばいい。
あっさり提示される「答え」を受け取ってしまっては、そのプロセスが省略されてしまう。
「メディア的に生きる」
メディアがネット的になった
マスからニッチへ
日本におけるブログの価値
こうやって振り返ってみると、結局は「SNSとブログで作った信頼・信用と文章書きスキル」の話なんですよね。SNSでバズるだけでもだめで、ブログでのコンテンツ作成力、そしてリアルでの課題を「面白がれる」能力。そして、これらを一定期間続けること。これらがうまくかみ合うと、人生がとっても面白くなる。
世界にあなたを「宣言」する。
あなたは誰ですか?に答えられるようにする。
自分を宣言する
自分を語る
個性を活かす
個性とは何か?
ブログを書き続けてわかる「自分」
望まれていることをやる、という地獄
わかりながら生きていく
ゆっくり自分への理解を広げていくこと
先に意味を探さない
自分が楽しんだことが、人の役に立つなら、それ以上のことはない。そのかわり、とことん楽しめ。誰も真似できないくらいに。
実践的社会学者
自分は何も持っていない、という感覚は嘘
異なるからこそ、見出してもらえる価値が生まれ得る
日常というフィールドワーク
報告する、という仕事
ライクアローリングストーン
答えは一つではないし、結論(主題)は後から変えていい。
予想外の出来事と、新しいゲーム
要素の組み合わせが個性を生み出す?
掛け算のポジショニングは本当に有効か
セグメントの細分化の限界
ある資格があれば、それに見合う世界が得られるという発想は本当に正しいのか?
組み合わせるというよりも、長く語る。
一文字よりも140字、140字よりも2000字、そして2万字。同じものが出てくる可能性は下がっていく。
自然と生まれる組み合わせ
長く語れば、要素の組み合わせが自然と生まれる。
視点を柔らかく持つこと
好きなことを語る?
似た人はいない?
他人に合わせるようにしていけば生まれる・
「みんな」に合わせること
平均の自己成就
セルフブランディング的思考
メディアがネットになった
スターだけが注目される世界ではなくなった
それによって、ファンの幅も増えニッチでも生きていける可能性が広がった
誰しもが同じ資質を備えているわけではない。
スター向きでない人もいる
知識の扱いとアマチュア
差異とイテレーション
ブログをどう使っていけばいいのか?
どうやって儲けるのか?
なぜ発信するのか?
ビーコン
ピンを打つ
アクティブソナー
「多重ネットワークのススメ」
メディアとどう付き合うか
有効なネットワークの形
手を挙げる、声を上げる、旗を揚げる(コネクトの方かも)
答えが返ってくる、質問の投げ方
曖昧につぶやいても、手助けはされにくい
開かれた知性と多様な社会システム(ネットワーク)
開かれた知性はネットワークのところ
異文化交流のはなし
二種類の志向
多様性を受け入れる考え方
ネットという救いの手とその危険性
いきなり他者とつながる
異世界交流の技術を持たない
ビジネスや経済の判断ができない状態で
ネットワークではなく、多重のネットワーク
一つのアイデンティティーは重い
自我すらも最終的には重い
どれだけ放り投げるか
でも、本当にすべてを捨ててしまっては何も残らない
たくさんの物語をくぐり抜けること
ネットワークの作り方と集合知が機能するシチュエーション
ネットワークの作り方のコツ
魂の速度と社会の速度
フィルターバブル的な問題
フィルターバブル
別の層(クラスタ)の情報が入ってこない
断絶が生じる
憎悪の手紙問題
自分から絡んでいく
三つのあげる
遅い回路を持つ
ネットワークの一つの形
ゲゼルシャフトとゲマインシャフト
つなぐこと、つながること
つなぐこととギフト
場を作る
自分の居場所を自分で作る
場所の維持に努める
ブログという場所
ネットとどう付き合うか?
世界に貢献する
つながり・コミュニケーションについて
知らない分野は怖く思える
ヨコのつながりが生まれにくい
接続点としての知識や好奇心
つながることは、何を生み出すのか?
隣の芝生は青い。そして、その芝生が一杯ある。
コミュニティーの問題
サロンはどのような位置づけを持つか
誰かに見てもらえるようにする
しかし、シリアルキラーな趣味を持つ人は、かなり厳しい(それを趣味と呼ぶかどうかは別にして)
とにかく切断が難しい時代。
情報がまとわりつき、記録が追いかけてくる。
無責任の復興が求められている?
物語と本を読むこと
自分が知っている世界は、世界の一部でしかない
世界や視野が狭いと二択に閉じ込められる
異なる世界を想像する自由
確かにみなさんも私たちも、そうした世間や組織の論理に従わなければ生きていくことはできません。しかし同時にそんな世間の人びとも、現在の社会のありようとは異なった社会のありようを自由に想像してみる機会がなければ、きっと息苦しくて窒息してしまうに違いないのです。例えばですが、アニメーションの世界で展開される、動物たちが重力に抗って飛んだり跳ねたり膨らんだり縮んだりする自由自在な世界は、冗談でなくこの世界の希望なのです。だからみなさんがこの論系で学んでこられたことは、世間の人びとが蔑んできた人間の自由な表現に、それ独自の価値を見出すことだったのだと思います。その想像力の学習は、ただ自分の快楽や欲望を充足させるためだけのものではなく、世界中の弱い人たちへの想像力を鍛え上げるためのものであったはずだと私はかたくなに信じております。
想像力を鍛えて、社会の「当たり前」に抗すること
たくさんの本(物語)を読み重ねることで、共有知を発揮させる。
ロールズの正義論。無知のヴェール。あるいは千葉雅也さんの来るべきバカ。 他者論
多重に物語を重ねていくこと
"改めて要約しておけば、本書のメッセージは単純で、第一に物語を読むことは素晴らしく、第二にたくさんの物語を読むことはさらに素晴らしく、第三にたくさん読むのと同じくらい何度も読み直すことが素晴らしい、ということだ"
「僕らの武器・防具・魔法」
武器になるもの
一生使える武器と即効性
常に学ぶ姿勢
好奇心による個性
個性の積み重ね
学ぶ力・変化する力・反応していける力
責任
ヒノキの棒とドリームキラー
装備を整えるかレベルを上げる職業的な相性装備を整えるかレベルを上げる職業的な相性
背中を押すなら面倒を見る。
武器の副作用
武器で問題を解決しようとする思考
魔法使いや僧侶や武闘家の存在が考慮されていない
画一的な思考
ハンマーを持つ人は〜
ハンマーを手にするものは
ゲームでは「装備できない」が表示される
自分を高めていけばいいのか?
でもどこまで?
自己啓発の危うさ
必要なのは武器なのか?
武器だけでいいのか?
防具も必要ではないか?
ときには魔法も
「人生はやっぱり戦士で成功する」とか言われたら変じゃないか?
いろいろな役割があり、必要とするものも違う
防具になるもの
防具としての知識
自分を知ることは身を守るためにも必要
体調やメンタル
ストレスを感じやすいもの
魔法になるもの
魔法の注意点
焦りが喚起するもの
ダークサイドなもの
炎上
危うい商売
副作用
何者かになるための特別な場所
危ういビジネスが提供してくるもの
ソーシャルゲームと自己啓発セミナーの共通点
過剰なコミットメントを要求してくる
サンクコストが発生し、自発的に逃れられなくなる
認知的不協和で、自分がそれがはじめから好きなのだ、という認識が生まれる
お金とソウルジェムの話
虚無
たとえば1000はてブをゲットしたときに感じたもの
自分が求めるものが、自分が欲しているものと合致するわけではない
流行りや、端的なものへの注意
儲かる話の注意点
個から小さな複数の公共圏へ
穴の空いた公共空間
どこに向かっていけばいいのか?
動員が答えか?
極端な考え方
二者択一
自己啓発について考える
自己啓発と自己責任論の接続
自己啓発が自己責任と癒着して、他者の阻害が始まる
これを回避したい
やりがいを与えること。
意味を与えること。
作法・行動規則・手順を与えること
他者によって啓発される自己啓発
自己啓発の危険性
自分だけが、という考えになりやすい
自己責任論を喚起しやすい
自己に対する罪悪感を惹起しやすい
国破れて山河あり
統計的に処理される「僕ら」
つながりが生んでしまう疎外
できることは限られている。だからできる。
個人という考え方が苦しめるもの。
断片的な僕たち
全てはできない
人は皆自分が解決できる問題に取り組む。解決すべき問題ではなく。
完璧な安全は、強力な共同体の復興につながる。現代では、それはプラットフォームになるだろう。多様性の喪失。
自己犠牲ではない形で
ヒーロー幻想とポストヒーロー
24時間は戦えない
世界は救えない
価値を強調しようと頑張ると、無価値の領域は増えていく
過剰な接続を切断することは有用
なにもかもが孤立することが正解か?
国家と大きなプラットフォーム問題
アウトサイダー
アウトサイダーであることをしぶしぶ受け入れる
はぐれていること、違っていくことを活かす
情報とは差異
喫煙者と元喫煙者
どちら側の気持ちもわかる
こうもり
簡単に断罪できない
自分が少数派だからこそ、多様な価値観を認めることに是と言いたい
でなければ、自分たちが多数派になって別の人を少数派に押しやることしかできない
巨大プラットフォーム力学
巨大プラットフォームではない、かといって孤立した個でもない
マストドン
プラットフォームが勝者となるだろうこの世界で
みんなを救おう、というのは無理
でも、自分の手が届くだけ、というのは狭いし、広がりがない。
閉塞的ですらある。
少し、手を伸ばす。
それがたくさんあれば、誰かが包摂される、かもしれない。
ずっと繋がり続けている必要もない。ネットワークは変化していく。
可能ならば一つの手を伸ばす
たとえそれが少しの背伸びなのだとしても
生きづらいこの社会を言祝げるか?
外れているからそこ、その人にしか書けないもの
難しくても、憎悪では何も生まれない。
憎悪がもたらすもの
剣で栄えたものは、剣で滅びる
巨人にもいろいろなサイズがある
逃げ道だったネットに、リアルが浸食してきた状況について
つながりすぎないつながり
ぐねぐねと変質するネットワークのイメージ
自己犠牲を美化しない。かといって、自己に閉じこもることも賞賛しない。
僕(ら)の生存戦略
具体的に何をすればいいか?
敵を知り己を知れば
環境が多様化している
敵も己も十全に知りようはない
人生何が起こるかわからない
自分ことを自分もよくしらない
個の話が、孤の話で終わるのは寂しい
僕たちは、現実の観察からはじめなせればいけない。
「僕」あるいは「私」に関する話ばかりだったが、他者はどうなるのか
未来を思うことは、そんなに悪いことではない
思い通りにならいから苦しむのであって、その「思い」を捨ててしまえば楽になる
でも、本当にそれでいいの?
変えられない、という認識は本当に正しいの?
現在を未来の手段とするのではなく、未来を現在の手段とする
次なる一歩を目指す人たちへのアドバイス
ビジネス
縁を大切に
擬態も大切
YOU ARE (NOT) ALONE.
「僕」だけではいずれつまらなくなる
しかし「全て」は重すぎる。
僕らというネットワーク
「僕ら」はいかに形成されるのか?
「〈僕〉から〈僕ら〉へ」
ver.4.0
はじめに:「僕ら」って誰のこと?
第一章:タテからヨコへの社会の変化
第二章:戦略思考と人生デザイン
第三章:目的について(仮)
第四章:自分の手札(リソース)について(仮)
第五章:状況について(仮)
第六章:僕らの武器・防具・魔法
第七章:個から小さな複数の公共圏へ
おわりに:僕(ら)の生存戦略