章題「僕ら」って誰のこと?@『僕らの生存戦略』
同じ属性を持つ集団をくくる言葉
マスメディアが使う「僕ら」は果たして機能しているのか?
共通項が崩れつつあるのではないか?
それは機能不全なのではないか。
機能してないとしたら、なぜ機能していないのか?
伝えるべき情報や対象にズレが生じているのではないか?
そしてそれは、社会全体の機能不全の一つの象徴ではないのだろうか?
ズレとそこからもたらされる苦しさがある。
「これまでの生き方」が通用しなくなる。
うんうん、たしかに。
「これからは、こういう生き方ですよ」という提案が出てくる。
あれっ、それっておかしくないですか?
共通項が崩れつつあるのではなかったのか。
さらに変化が早く、未来の見通しはどんどん悪くなってくる
そうして提示される「新しい生き方」が万人に(少なくとも、僕らに)通用する保証はどこにあるのか?
その方法論の再現性の有無の問題ではない。個性や置かれた環境の問題。
誰かの生き方を、そのままロールモデルとするのは、もはや難しいのではないか。
少なくとも、そういう立場に置かれている人は結構いっぱいいるのではないか。
じゃあ、どうしたらいいのか?
まったく打つ手無し?
生きづらさを・合わない感覚を・違和感を持っている人は、なすがままに流されて生きていくしかないのか?
本書で一緒に考えていきたいのは、このこと。
戦略を考えるために、まず私たちが生きるこの社会について考えてみる。
はたしてこの社会はどんな社会なのだろうか?