章題「戦略と人生デザイン」@『僕らの生存戦略』
社会の状況に、戦略を持ってアプローチしなければ、生きづらさが過大に付きまとうだろう、というのが前の章の終わりにくると想定
では、戦略とは何か? というところから話を始めたい。
人生に戦略を持ち込む理由
なぜ戦略などというまどろっこしいものなのか?
攻略法や必勝法・成功法といったものではないのか?
そういうものさまざまな要因から成立しないから
時代の変化、多様性の変化、予測不能性、
だからそ、戦略です。
そもそも、戦略とは何か?
戦略の定義をひく
状況に対応しながら、目的を達成するための方法論(考え方)
戦略は弱者にこそ必要
『弱者の戦略』に学ぶ
戦略と多様性(≒それは攻略法ではない)
生存戦略は成功法ではないし、攻略法でもない。
成功法を語るには、まず成功を定義しなければならない。
しかし、成功もまた多様化してしまった。
よって、成功法は、非常に限定的な領域でしか成り立たない
攻略法は、ゲームのルールが決まっている場合に通じる。
が、そういうものはない。
未来は予測できない。
攻略法というのも、ありえない。
つまり、成功法とか攻略法という発想を捨てること。
もちろん、人生設計みたいなものも捨て去ってしまう。
「人生には計画がいる」という考え方から、こちらにシフトすること。
画一性からの脱却
生き方もまた多様性に開かれていく
No Hard Work
自分でマネジメントできる人だけが迎えられるフリーマネジメントな世界
こぼれおちる人が当然出てくる
考え方・生き方をシフトする(ロールモデルからデザインへ(あるいはストーリーテリングへ)
人生をどう捉えるか、ということも変化に合わせたシフトが必要になる
ロールモデルという考え方
無駄ではない。
人はいろいろある、という認識のスタート地点にはなる。
ペルソナの数々
その総体が個性であろう。
個性は断片では出せない。見出してもらえない。
長い語りが必要。
いくつかのタイプがあるという認識は重要だが、今度はそれが個性を閉じ込めてしまうことがある。
脱ロールモデルから、ライフデザイン(ストーリーテリング)に。ライフシフト。
価値・つながりを、自分で生み出す→仕事を作る
それは、これまで社会制度や共同体が準備してくれていたものだった。
それを期待しにくくなる社会
看板にぶら下がり続けるのは難しい。
「お仕事は?」と聞かれたときに、なんとこたえるか
価値は生み出すもの。価値は見出されるもの。
規定された「価値」をやりとりするだけ、パイの奪い合いをするだけがゲームのやり方ではない
価値について考える
失われている価値、今ない価値は何か?
たとえば、書店からネット書店への変化は、価値がどう動いたか?
顧客の創造 ドラッカー
必要なものは何か?
人生をどんなゲームだと捉えるか?
旧来のやり方ではダメだ、このやり方が正しいんだってほんと?
大学に行くか、オンランサロンに入るか、という二択
他の人の生き方の真似するという生き方
横並び、ということの無意味さ
予測できないことと個人の多様性
『夜と霧』 p.110
一切の選択がない状況。無限のそして全てが等価でありうる(何が起こるのかわからない)扉に囲まれた状況。
閉塞感
無限の扉
『自由という牢獄』
やりがい、希望、感触
白黒思考
価値観を変えるには痛みを伴う
痛み、左目の封印SAO
SAOのあおりプレイヤー
他人のロールモデルはあてにならない
だったらどうしたら?
自分でつくるしかない
自分という在り方にも「正解」を求めてしまう
答えを誰もしらないことの肯定的な意味
自分で答えを見つけていける
研究
計画からデザインへ
コントロール性との付き合い
やるおわプログラミングマインクラフト
ゲームとルールの関係
勉強の哲学
的外れな努力という概念とConnecting The Dots
戦略が必要、と認識することが、生存戦略の第一歩
生き方をデザインしていくこと。最大の生存戦略。
デザインという言葉。
動的なデザイン。
帳尻あわせ。
他の人の話はまったく必要なく、単に思うがままに直進すればいい?
そういうわけではない。
戦略の引き出しとして。
それまでの考え方(ロールモデル型)からの脱却
何か有効な「生き方」というものがあって、その通りにやっていれば一定の成果が約束されていると信じること。
多様性→生物多様性→『弱者の戦略』。
ロールモデルは、みんな一緒、ということ。少なくとも、手渡す人と受け取る人が一緒ということ。
でも、そうではない。特にこの本は、そうではない人たちに向けての本。
疎外されて落ち着かない気分を、偽りの包摂で安心感を与えてもいいが、実際必要なのはそういうことではない。
疎外された状況から、話を始めること。
「生存」という部分にも言及したい
ただ生きることが目的なのか?
ストーリーテリングとデザイン(状況に応じて、でも必要なものは確保する)
調整と帳尻あわせ
人生をデザインしていくこと
会社をデザインしていくこと
『NO HARD WORK!』
競争しない生き方
しかし、生き延びる生き方
他の人の真似をしない
自分で見出し、自分で決め、自分で変えていく。
その代わり、責任も自分で負うことになる。少なくとも、その決定に関しては。
生き方をデザインする
ライフシフト
デザイン型へのシフト
自由さでもあり
負担でもある
ここが問題
上の世代の話は頼りにはならない。
他の人の戦略は役立たずか?
むしろ役立つ
後付けのストーリー
でも抽象的に理解して
自分の戦略を立てるには?
手持ちの資源の確認
自分というリソース
「自分をいかして生きる」(人生デザイン、自分デザイン)
自主性を発揮するとは違う
ほこることなく、おごることなく、その人の生がただそこにある、ということを認めること。
状況の理解
敗北条件や達成条件
敵を知り己を知れば
人生の作り方
生き方をデザインすることと、シェイク
不安定な状態に対する二つの方法
不安定な状況でもやっていけるようにする
安定な状況を手にする
そういう安定さは、欺瞞的なビジネスへのセキュリティーホールになってしまう
生き方のデザイン、働き方のデザイン
ロールプレイングからロールプレイングツクールへ
Minecraftはどう位置付けられるか
人生はゲームかもしれないが、ビデオゲームではない
人生にはプロパティウィンドウは存在しない
人生のメンタルモデル
人生というのを、どのように捉えているか
人が生きるということを、どう考えているか
どんな知識や経験が必要か?
人生を作るとは、自分を作ること
新しい自分を発見していくプロセス
自分実験
18才で人生など決められない
決めることは、捨てること
未知なる状況に対応する
将来はわからない
自分もわからない
未知なる「僕」に出合うこと
資格試験的発想
人生は資格試験ではない
「○○を満たせば、○○が得られます」
戦略ブロック
戦略を一緒に見つけ出していく
そのためのヒントを提示する
世代ごとで戦略は異なるか?
戦略について
攻略法ではない
生き延びるための戦略も一つではない。
生物界がお手本になる
アイゼンハワー大統領の「計画(プラン)に価値はない。計画立案(プラニング)こそがすべてだ」
二種類の戦略
Strategy(特定の目的に対する枠組みや方向性)
tactics(単なる策)
doctrine, philosophy
(our) Life design Strategy
カール・フォン・クラウゼヴィッツは『戦争論』で個々の戦闘で問題となる戦術と対比し「戦略とは戦争目的を達成するために戦闘を組み合わせる活動だ」
さらにヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケは「戦略は知識以上であり、実際生活への応用であり、流動的な状況に従う創造的な思考の発展であり、困難な状況における行為の芸術である」と述べている。
生物学の分野、特に生態学の個体群生態学や行動生態学の分野では「個々の生物種あるいは個体が複数の行動を取りうるときに、それぞれの行動や行動の組み合わせ」を戦略と呼び
レトリックも戦略
戦略とは
目的を手段に釣り合わせること『大戦略論』
歴史に学ぶことと理論を構築することの両方が必要になる。
目的を手段と釣り合わせるとなれば、歴史に学ぶことと理論を構築することの両方が必要になるはずだが、両者の間には大きな隔たりがある。歴史家は、事例に特化した調査が結果を生むと知っているので、理論を導き出すための安易な一般化を戒める。だから彼らは複雑さをよしとし、過度な単純化を否定する。一方、理論家は、社会科学者と見られたがっているので、結果の再現性にこだわる。そして予測可能性を高めるべく、複雑さを排除して単純化しようと試みる。一般的な知識と固有の知識、普遍的な知識と限定的な知識を結びつけることこそが戦略を進化させ成熟させるにもかかわらず、歴史かも理論家も両者の関係を無視しているのである。そしてこの不備を覆い隠そうとするかのように、歴史かも理論かもひどくわかりにくいことを書いている。
『大戦略論』
原則はスケールを超えて活用される
よく訓練された兵士が何の準備もない兵士よりよく戦えるのは、言うまでもないことである。とはいえクラウゼヴィッツは「訓練」という言葉で何を意味していたのだろうか。それは、時間と空間を超えて有効な原則に従うことである。そうすれば、過去にうまくいったやり方とうまくいかなかったやり方を峻別する感覚を体得することができる。その感覚を、今度は目の前の状況に適用すればよい。このとき、原則はスケールを超えて活用されることになる。その結果として計画が策定される。計画は、過去から学び、現在と結びつけ、将来の目的を達成するためのものである。
『大戦略論』
理論と現実の衝突としての摩擦
だが戦闘は、必ずしも計画通りにはいかない。まず、相手の出方次第という面がある。これを元国防長官のドナルド・ラムズフェルドは「既知の未知」(known unknowns)と表現している。これは、大地震など予測できないことが認識されている事象を意味する。だが、それだけではない。「未知の未知」(unknown unknowns)もある。9・11テロのように、起こりうるとは夢にも思っていなかったような事象である。戦争では、敵と遭遇しないうちに想定外の出来事が起きて窮地に陥ることが十分にあり得る。フラウゼヴィッツはこれらを総合して「摩擦」と呼ぶ。言い換えれば、理論と現実の衝突である。
『大戦略論』
歴史に学ぶことと理論を構築することの両方が必要になる。
摩擦に直面したら、臨機応変に対応するしかない。だがそれは、成り行き任せとはちがう。ときには計画に従い、ときには計画を修正し、ときには計画を捨てる。現在地と最終目的地の間に何があろうとも、リンカーンのように、心の磁石は正しく北を指しているはずだ。そして頭の中には、マキアヴェリのように幾多の労苦と危険の中で学んだ教訓に基づくいくつかの選択肢が浮かび上がってくることだろう。それらを踏まえたうえで、あとは自分んの力量次第ということになる。
『大戦略論』
戦略とはデザインである。
必要な叡智
ハリネズミとキツネ
主にハリネズミの話が良く出回る
キツネはこき下ろされる(そうされても仕方がない一面はある)
ファスト&スロー
二種類の「知性」のちょうど良いバランス
両方が働くということ
フィッツジェラルドのテスト
失敗を恐れない/恐れる。
リスクや練習の感覚
スポーツ・ゲーム・ギャンブル
時間戦略
他にも〜〜戦略というカテゴライズはどうか?
「コンビニ店長感」を出さないとおう戦略
平均的なコンビニにおいて個性を出す戦略
ちいにぃちゃん戦略
ギバー戦略
与える人とは何か?
価値を作る人?
つなげる人?
バーベル戦略
不確定性への対処
〜〜のために与えるのではなく、ただ与えることを肯定すればいい。