バーンスタイン
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シュミット・ルネサンス
だがショイアーマンの健闘虚しく「20年以上経った今では、「いわゆるシュミット・ルネッサンス」は本物の津波になってしまった」。無論、現代に至ってなおシュミットは「物議を醸す者」であることにはかわりなく、むしろ「シュミットの公的・私的な書き物のいずれにも露骨な反ユダヤ主義的中傷が認められることや、また彼がナチスの政策を施行するのにあたってじつに迅速かつ精力的に尽力したことも、以前とは比べものにならないほど詳しくわかっている」。バーンスタインはそうした批判を認めた上で、「しかしそうだとすると、シュミットに対する今日の熱狂ぶりにどう説明をつけたらよいのだろうか」とするのだ。そこで昨今の「シュミット・ルネッサンス」における文献に見られる主張をいくつか挙げる。そこでバーンスタインは「自由主義に対する辛辣な分析」、左派を魅了する「カント主義の(...)解毒剤」、「政治神学」などの業績と系譜を挙げて「シュミットの重要性は決して誰も疑いえないだろう」とするのだ。 リベラルやネオリベラルなどといった「現実に存在する」さまざまな民主主義に対する幻減が広がるにつれて、若きシュミットの―そしてその後も変わらぬ―自由主義に対する辛辣な分析は、現代の(ありとあらゆる種類の)自由主義に対する、最も鋭利で衝撃的な批判の一つとして考えられるようになってきた。同時代の自由主義に対するシュミットの極端な診断を拒否する人々でさえ、彼が自由主義の最も深刻な弱点や問題の一端を突き止めていることを認めている。シュミットは二〇世紀のどの政治理論家よりもはるかに鋭く、民主主義と自由主義のあいだの深刻な緊張関係を露呈させた。議会制民主主義の危機に対する初期シュミットの分析は、主にヴァイマール共和国に関するものであるとはいえ、現代にいたるまで長らく自由民主主義を蝕んできた諸問題を見抜いている。シュミットは自由主義的ヒューマニズムの偽善を暴露している―このヒューマニズムは、敵を打ち負かすのみならず、その完全な殲減を目的とするような新手の危険な戦争イデオロギーとして正当化してきたものなのである。主に法思想家としてシュミットに迫ろうとする人々は、彼が法学理論上の最も深刻な問題の一つ―「法的不確定性の謎」―を明らかにしたことを認める。自由主義的な法的主張においては、法的決定は法の支配にのみ基づくべきであるということが明言されるが、それにもかかわらず、実際にはいかなる法的規範も限界を設けられず、不確定的であることが避けえないとシュミットは主張する。これが意味しているのは、ショイアーマンが述べているように「いかなる法的決定も困難な事案なのである。法を明確化し成文化しようという自由主義的な要求は、そもそも欠陥を抱えている。なぜなら、いかなる法的規範の体系であれ、法的意思決定の内部で規則性や確実性を最低限度保証することすら望みえないからである」。法的規範と実際の司法上の決定の関係をめぐるシュミットの極端な見解がたとえ斥けられるにしても、「法の支配」のあらゆる擁護論において最も論争喧しく、今なお論争中の問題を彼は切り開いたのである。それは、法を解釈し適用するさいの「自由裁量」の限界は何か(そして何であるべきか)という問題である。
次にカントの解毒剤たるシュミットの有効性について論ずる。下記で論ずる観点はまさにムフやラクラウの系統に引き継がれてゆくのだ。 シュミットが左派の思想家を惹きつけている理由の一つは、ジョン・ロールズやユルゲン・ハーバーマスといった思想家たちの規範主義や合理主義を批判し、暴露するための鋭利な武器を与えてくれることにある。シュミットは、今日の政治理論や哲学の大半を牛耳るカント主義の「息苦しさ」に対する解毒剤なのである。熟議民主主義にあっては、政治的決定における熟議の役割や理性への訴求が過度に強調されるが、シュミットはそうした熟議民主主義の理論の不十分さを暴く。シュミットの擁護者たちは、現実政治―たとえ民主主義的な政治であれ―の本質は、熟議でもなければ「合理的な」合意の達成を求めることでもなく、むしろ激しい闘技的な争いと敵意なのだと主張する。こうしてシュミットは、争いと敵意が「現実政治」の心臓部にあることを見てとる洞察力をそなえた人物だと呼ばれることになる。 最後に政治神学を紹介する。これはモルトマンなどによって斬新的に発展したり、アガンベンによって批判的に踏襲されたりしている。 『政治神学』は、「例外において決定する者が主権者である」という劇的な主張とともに始まり、「近代国家におけるすべての重要概念は世俗化された神学概念にほかならない」と宣言する。シュミットのこのたった二つの主張をめぐり、これまで延々と論評が繰り広げられてきた。シュミットが登場する以前、主に一九世紀において「政治神学」という表現は、彼自身も述べているとおり、悪態として用いられていた。しかし今日、「政治神学」はほぼ一個の文化産業になっている。当時シュミット以外にも、政治神学にあからさまな関心を示した者たち―そのうち最も有名なのはヴァルター・ベンヤミンである―が存在したとはいうものの、今日の政治神学をめぐる広範な議論を引き起こした立役者はやはりシュミットであると言うのが妥当であるように思われる。ドイッの政治理論家ハインリヒ・マイアーは、政治神学がシュミットの全著作の核心そのものであると主張している。政治神学は、シュミットを理解するための鍵なのである。そのためマイアーは、政治神学(カール・シュミット)と政治哲学(レオ・シュトラウス)とをはっきり対置させている。 こうして現代の「シュミット・ルネッサンス」の部分的であるが壮大な地平を明らかにすることでバーンスタインはショイアーマンを跳ね除け「シュミットの重要性は決して誰も疑いえないだろう」とするのだ。
友敵理論
バーンスタインは本説で友敵の区別が導入された『政治的なものの概念』に焦点を絞り、下記の三つの問いを明らかにしようとする。 (1)誰が敵で誰が友であるかはいったいどうやって決定されるのか。(2)現実世界のうちで、そうした決定やその政治的判断との関係はどのように理解できるのか。(3)シュミットの「反ヒューマニズム」のアポリアに満ちた性格はどのように理解できるのか」
ただ前掲書はどうやら「見かけほど単純ではない」らしい。なぜなら「『政治的なものの概念』はもともと1927年に小論として公にされたが、1932年に短めの単行本として出版するにあたり改訂され、1933年に再度改訂された」。更に「ハインリヒ・マイアーによれば、1932年版と1933年版ではレオ・シュトラウスとの「隠された対話」による影響の有無が認められるたて、両版は決定的に異なる」のだ。更に更にショイアーマンによると「マイアーの主たる関心は、シュトラウスがシュミットに与えた衝撃を時代順に追うことにあるため、『政治的なものの概念』の基本的な議論における真に重大な変化が1932年と1933年のあいだではなく、1927年と1932年のあいだに生じたという事実が見えにくくなっている」として、シュトラウスの影響も一部認めた上で「シュミットの思考において生じたいっそう根本的な変化は、1927年版と1932年版のあいだに認めることができる」とするのだ。それゆえ「この書物の第何版を考慮すべきなのか」は非常に重要なのである。そこでバーンスタインは「こうした学問的議論に巻き込まれるのを避け、以下ではレオ・シュトラウスの註解とともに英訳された1932年原典に焦点を絞る」としたうえで論を進める。そして第一に「政治的なもの」を明らかにするべく「国家」概念との結節点を考える。 シュミットは『政治的なものの概念』を、端的ながらも重大な次のような言い回しで始めている。「国家という概念は、政治的なものという概念を前提としている」国家の概念は、政治的なものを前提しているだけではない。この二つの概念は別個のものであり、混同されてはならない。シュミットは政治的なものを定義するさい、その適用範囲を不問にしておくだけに、この区分は重要である。「政治的なもの」は、国家以外の「単位」や集団を指すこともある。また本来政治的とは言えない「国家」も存在しうる。シュミットは同書の後半で、いわゆる自由主義的な国家というものが実際には政治的ではないことを示唆するさいに、語気荒くこう断言している。「自由主義的な政策は、商業政策・教会および教育政策・文化政策としては存在するが、しかしおよそ自由主義的な政治なるものは決して存在しないのであって、それはいつでも政治の自由主義的な批判であるにすぎない」同書でシュミットは、国家を定義したり、国家の本質を特徴づけることには一切関心をもっていない。しかしながらシュミットの発言のうちには、国家が何かを説明する言葉遣いもみられる。「国家とは、あるまとまった地域内で組織された国民の政治的な状態である」、「国家とは、語義および歴史的発生からするならば、国民という特殊な実体である」といった表現がそれにあたる。しかし国家と政治の同一視は、「国家と社会が浸透しあうにつれて、正しさを失い誤った方向に進んでゆくことになる」。国家と社会が同一であるなら、つまりすべての「これまで「中立的」であった領域―宗教、文化、教養、経済―が「中立的」でなくなる」なら、国家は「全体国家」になる。「したがってそうした国家では、可能性としては少なくとも一切が政治的であり、国家を引きあいにしても、「政治的なもの」の際立った特徴を基礎づけるのは到底不可能である」要するに、国家の概念に話を限定することで政治的なものを定義しようとするなら、政治的なるものの独自の特徴は曖昧になってしまうのである。 つまり、非自由主義「国家」は概念的基礎づけとして「政治的なもの」を含意しようとするが、これらは「別個のものであり、混同されてはならない」。なぜなら「「政治的なもの」は、国家以外の「単位」や集団を指すこともある」からなのである。それゆえ「国家の概念に話を限定」して「政治的なもの」を論ずることを拒むのだ。ではいかにして「シュミットは「政治的なもの」をどう定義してゆくのか」。まずシュミットは「道徳や美学や経済学といった他の「活動」や分野からも峻別できる」対象として「政治的なもの」を扱う。
道徳における「善と悪」、美学における「美と醜」、経済学における「採算がとれるものと採算がとれないもの」。シュミットはこれらに対応する或いは相当する「政治的なもの」の「対立」区分があるのだと示唆しているのである。またそれは「政治に特有の範疇や区別」なのであると同時に、「これらさまざまな領域相互の独立性」を念頭に置いているのである。そしてそこで提唱されるのが友敵理論なのである。 だがこうした「独立した領域」としての友敵はマイアーとショイアーマンに言わせれば「1927年のオリジナル版」的な見解であるとしたうえで、「1932年版」では「むしろ他の対立的な区別が政治的なものの下に包摂されうるありさまを示している」という。
以下では更にこの政治的区分「友と敵」をより詳細に検討することとする。そこでバーンスタインは「公的な敵であって、たんに私的な敵ではない」こと、そして「友と敵の概念は、具体的かつ実在的である」ということである。
これは「私的で個人主義的な」意味で考えられてはならない。もっぱら政治的な意味での敵が、人格的に憎むべきものである必要はない。「敵は、一般的な意味での競争相手や対戦相手ではないし、個人的に反感を覚える対立者でもない。敵とは、少なくとも偶発的に、つまり現実的な可能性に従って他の同類の総体と対立する、抗争中の人間の総体である」要するにシュミットは、ある戦闘集団が別の集団と対立する場合の政治的で公的な友/敵の区別と、私が別の個人(や集団)に抱く私的で個人主義的な敵意とを峻別しているのである。それゆえ敵は公的な敵であって、たんに私的な敵ではない(これはまた政治的な友にも当てはまる)。こうして友と敵の概念は「規範的な対立でもなければ、「純粋に精神的な」対立でもない」と言われる。
シュミットが「具体的」という表現を用いるときはたいてい、歴史上の特定のものを指している。友/敵という区別の具体的な意味を理解したいのであれば、友と敵が存在した歴史上の特定の文脈や状況を把握する必要がある-さもなければ、無意味な抽象化に陥る恐れがある。しかし他方、「実在的」という表現は、政治的なものにつねに伴う特徴を指すために用いられている。この意味で実在的なものは、いかなる歴史的文脈をも超越している。その要点を換言すれば、(歴史上の時代区分にかかわりなく)政治的なものについて適切に語るときにはいつでも私たちは「実在的な意味で」友と敵について語っているということになる。
つまり友/敵とは、政治という概念体に対して超越的に基礎づけられていると同時に、それらを指す場合は無意味な抽象化に陥らないためにも歴史的文脈に位置づけなければならない、というアンビバレントな様相をしているのだ。そしてこうした「政治的なもの」と「友/敵」の緊密な関係を論じたシュミットゆえ下記のように結論づけるのだ。
では彼は人間本性をなんと心得るか。彼の考えるそれはホッブズの政治理論と似て非なるものである。実際「シュミットはホッブズの大いなる賞賛者」であったわけだが、「シュトラウスが指摘して」シュミット自身もホッブズとの「相違を自覚していた」。
ホッブズが述べているように「戦争の本質は、実際の戦闘にあるのではなく、むしろ戦闘に対する明確な志向にある」。これはシュミットの言い回しを用いれば、自然状態(status naturalis)は本来政治的な状態であるということを意味する。というのも、これまたシュミットによれば、「政治的なもの」は「戦闘それ自体のうちにあるのではなく(...)むしろ戦闘の現実的な可能性によって規定された行動のうちにある」。ホッブズが自然状態について語るとき、彼は明らかに個人について語っているのであって、政治集団について語ってはいない。加えてこの自然状態の特徴づけは、ホッブズの政治哲学にとって根本的である。しかしシュミットにとって、友と敵の政治的区別は公的な区別である。この区別は集団化を指しており、孤立した個人を指してはいない。なるほど、政治国家の内部でも、友と敵の内的な不破は存在するかもしれない。これが内戦の条件である。シュミットもホッブズも、内戦の回避に深い関心を寄せている。しかしシュトラウスは、シュミットとホッブズのあいだのこの相違を強調する。「たしかにシュミットは、ホッブズとは根本的に異なるやり方で自然状態を規定している。ホッブズにとって自然状態は、諸個人の戦争状態である-これに対して、シュミットにとって自然状態は集団(とりわけ国民)の戦争状態である。ホッブズにとって、自然状態では万人が万人に対する敵である-これに対してシュミットにとって、すべての政治的行動は友と敵に向けられている」。(...)自然状態を導入するホッブズの目的は、万人の万人に対する戦争によって生じる問題に合理的な解決を提示することである。人々に自然状態の帰結を自覚させ、それを恐れさせることこそ、ホッブズがリヴァイアサンを「創作」した動機である。リヴァイアサンは、保護と引き換えに義務を要求し、戦争の代わりに平和を提供する、死すべき人造神である。ホッブズは敵意を包含しようとしたのであり、なおかつそうした包含は強力な主権者によってのみ可能となると考えた(...)しかしシュミットは、さらに断固とした調子で、友と敵の対立によって示された敵意は決して完全には包含されないし、もっともらしい「合理的な」解決策によっても完全に取り除かれることは決してない、と主張する。そんなことが起こったなら、それは政治の終わりであろう。 先ほどの論述を借りるなら「公的な敵であって、たんに私的な敵ではない」のだ。この点においてホッブズと相反する自然状態を想定するのだ。またこの意味で運命的なのだ。彼らは「正反対のことを主張しているにもかかわらず(...)人間本性への問いを避けることができない」。そしてそこに闘争が密接に関与するという点で近しいのだが、逆に言えばその点のみが通ずる箇所なのである。
自由主義批判
シュミットは、自由主義の匂いが放ついかなるものに対しても憎しみ籠った論争を仕掛け、あらゆる自由主義を戯画化せずにはいられない。
ベンヤミンが扱う暴力を措定する材料をマルクーゼの引用から始めるとしよう。
「ベンヤミンがの分析が扱っている暴力は、いたるところで批判されているようなそれではない。とくに、下層にいる者が上層にいる者に対して播ったり(試みたり)する暴力ではない。(...)ベンヤミンが批判する暴力は支配者層のそれであり、法、真理、正義を独占し続けているような暴力である」(...)論文の出だしで、ベンヤミンは次のように述べている。「暴力批判論の課題は、暴力と法および正義との関係を描くことだ、と言ってよいだろう。というのは、ほとんど不断に作用している一つの動因が、暴力としての含意をもつにいたるのは、それが倫理的な諸関係のなかへ介入するときだからである。この諸関係の領域は、法と正義という概念によって表示される」。したがって、ベンヤミンがその出だしから表明しているのは、彼の批判は、道徳上の問題に関わる限りでの暴力に、とくに法と正義に関わる限りでの暴力に向けられている、という点である。
上記のもとにベンヤミンの論じる暴力の外延をまとめると、「法と正義」に代表される、道徳的或いは「倫理的な諸関係のなかへ介入する」、「支配者層」の暴力である。
モーセ的区別について
「モーセ的区別」とは換言するなら「一神教」によって宗教「記憶史(mnemohistory)」に「最初の区別が設けられる」ことを指しているのだ。「古代世界の多神教的な宗教においては、多様な人々が多様な神々を崇拝」すると同時に「誰も他所の神々の実在に異議を唱えたりはしなかった」訳だが、モーセ的一神教は「唯一無二の真なる神がいて-他のすべての神々と宗教は虚偽である」とするところに「最初の区別」があるのだ。