ウェーバー
1904 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
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執筆背景
『ピューリタンとアングリカン』の踏襲
厳密に典拠として明記している訳ではないが以下の通有性がある
第一部の末尾でピューリタンの「現世に対する厳粛な関心」を示すものとして、ダンテの『神曲』と比較してミルトンの『失楽園』に注目
第二章冒頭、ピューリタンの内面世界を示すものとしてバニヤンの『天路歴程』の主人公が参照される
結論では宗教運動が本格的に経済的発展に影響を与えたのは「神の国を求める激情が次第に醒めた職業道徳へと解体しはじめた」ときであるとして、「バニヤンの巡礼者の内面的に孤独な奮闘に代わって、『ロビンソン・クルーソー』、つまり、同時に伝導もする孤立的経済人が姿をあらわしたときだった」という。
単純化して言えば、ヴェーバーはミルトンを「ピューリタンの神曲」として読んで、その現世生活に対する厳粛な態度を知り、バニヤンの描く「巡回者クリスチャン」を手掛かりにしてピューリタンの性格学的特徴を理解し、ピューリタンから資本主義の精神への途上にあるものとしてダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』を置いている。これらは全て同書に取り上げられ更に多様な情報源を得ている(詳細はエドワード・ダウデンのページに記載)。
本書のパースペクティヴ
研究の基礎
本書には「資本主義の精神」とある。本書を読み解くには、このことをなんと定義しているかから始めなければならない。それにあたって「「精神」をものがたっている一史料」として、また、「資本主義の精神」の象徴として『アメリカ文化の姿』から下記を引用する。
時間は貨幣だということを忘れてはいけない。一日の労働で一〇シリングけられるのに、外出したり、室内で怠けていて半日を過ごすとすれば、娯楽や懶惰のためにはたとえ六ペンスしか支払っていないとしても、それを勘定に入れるだけではいけない。ほんとうは、そのほかに五シリングの貨幣を支払っているか、むしろ捨てているのだ。 信用は貨幣だということを忘れてはいけない。だれかが、支払い期日が過ぎてからもその貨幣を私の手もとに残しておくとすれば、私はその貨幣の利息を、あるいはその期間中にそれでできるものを彼から与えられたことになる。もし大きい信用を十分に利用したとすれば、それは少なからぬ額に達するだろう。 貨幣は繁殖し子を生むものだということを忘れてはいけない。貨幣は貨幣を生むことができ、またその生まれた貨幣は一層多くの貨幣を生むことができ、さらに次々に同じことがおこなわれる。五シリングを運用すると六シリングとなり、さらにそれを運用すると七シリング三ペンスとなり、そのようにしてついには一〇〇ポンドにもなる。貨幣の額が多ければ多いほど、運用ごとに生まれる貨幣は多くなり、利益の増大はますます速くなっていく。一匹の親豚を殺せば、それから生まれてくる子豚を一〇〇〇代までも殺しつくすことになる。五シリングの貨幣を殺せば、それでもって生みえたはずの一切の貨幣──数十ポンドの貨幣を殺し(!)つくすことになるのだ。 支払いのよい者は他人の財布にも力をもつことができる──そういうがあることを忘れてはいけない。約束の期限にちゃんと支払うのが評判になっている者は、友人がさしあたって必要としていない貨幣を何時でもみな借りることができる。 これは時にはたいへん役に立つ。勤勉と質素は別にしても、すべての取引で時間を守り法に違わぬことほど、青年が世の中で成功するために役立つものはない。それゆえ、借りた貨幣の支払いは約束の時間より一刻も遅れないようにしたまえ。でないと、友人は失望して、以後君の前では全く財布を開かぬようになるだろう。 信用に影響を及ぼすことは、どんなに些細なおこないでも注意しなければいけない。朝の五時か夜の八時に君のの音が債権者の耳に聞こえるようなら、彼はあと六ヵ月延ばしてくれるだろう。しかし、働いていなければならぬ時刻に、君を玉突場で見かけたり、料理屋で君の声が聞こえたりすれば、翌日には返却してくれと、準備もととのわぬうちに全額を請求してくるだろう。 そればかりか、そのようなことは君が債務を忘れていない印となり、また、君が注意深いだけでなく正直な男であると人に見させ、君の信用は増すことになろう。 自分の手もとにあるものがみな自分の財産だと考え、そんなやりかたで生活しないよう気をつけなさい。信用を得ている人々が多くこの間違いをやる。そうならぬように、長きにわたって支出も収入も正確に記帳しておくのがよい。最初に骨折りを惜しまず小さなことまで書き記すようにすると、こういうよい結果が生まれるだろう。どんなに小さな支出でも積み重なれば巨額となることに気づくし、また何を節約できたか、将来は何を節約すべきかが分かるようになる。…… 君の思慮深さと正直が人々に知られているとすれば、年々六ポンドの貨幣を一〇〇ポンドにも働かせることができるのだ。毎日一〇ペンス無駄使いすれば一年では六ポンド以上無駄使いすることになり、ちょうど一〇〇ポンドを借りるための代価となるのだ。自分の時間を毎日一〇ペンスの価値に当たるだけ(おそらく数分に過ぎぬだろう)無駄にすれば、一年には一〇〇ポンドも使える特権を無駄にしてしまったことになる。五シリングの価値にあたる時間を無駄使いすれば五シリングを失い、五シリングを海に投げ捨てるのと少しも変わらない。五シリングを失えば、その五シリングだけではなくて、取引にまわしてけることができたはずのその金額も全部失ってしまったことになる。──そうした額は、青年が年配となるまでには、そうとう大きいものになるだろう。
ウェーバーはそれを「単に処世の技術などではなくて、独自な「倫理」であり 」としながら「そこには一つのエートス(Ethos)が表明されているのであって、このエートスこそがわれわれの関心をよび起こすのだ」とする。ではこのエートスとはなにか。訳者の補論を当てるとしたい。
ウェーバーのばあい「エートス」Ethosという語は、ドイツ語ではしばしば「エーティク」Ethikとも言い換えられておりますが、それは、その意味内容が「エーティク」という語の中にその一面として含まれているからでしょう。が、しかし、他方ではエートスと規範としての倫理(エーティク)とを厳密に区別しております。といって、そうした規範としての倫理ともまったく無関係なのではない。というのはこういうことです。──「エートス」は単なる規範としての倫理ではない。宗教的倫理であれ、あるいは単なる世俗的な伝統主義の倫理であれ、そうした倫理的綱領とか倫理的徳目とかいう倫理規範ではなくて、そういうものが歴史の流れのなかでいつしか人間の血となり肉となってしまった、いわば社会の倫理的雰囲気とでもいうべきものなのです。そうした場合、その担い手である個々人は、なにかのことがらに出会うと条件反射的にすぐその命じる方向に向かって行動する。つまり、そのようになってしまったいわば社会心理でもあるのです。
すなわち、エートスとは素朴な主観倫理、いわば誰かが唱える「処世訓」のようなものを超えて、社会に文化として吸着し、われわれに特定の内面性を与えるもの。これをエートスと呼ぶのだ。これは宗教に端を発する人々の社会的態度と類推することがわかりやすいかもしれない。以下は私の解釈となるが、例えば日本においてはプロテスタンティズムが「資本主義の精神」をつくったように、儒教が高度経済成長期の精神をつくったと呼べるかもしれない。そしてそうした一連はウェーバーがのちに論ずるように「生活態度の上に見られる相違の原因は、主として、それぞれの信仰の恒久的な内面的特質の中に求められるべきであって、その時々にそれらがおかれている外面的な歴史的政治的状況だけに求められるべきではない」。ということである。勿論それは宗教のみを起源とするわけではないだろう。しかし、宗教はエートスの泉である。総括するとエートスとは主体の域を超え、いずれかの信念を共有した社会的集団が有する理念的基盤。その生の態度の総合こそが特定の歴史的事件を引き起こすのだ。そして資本主義とは世界各地に、そして歴史の至る所に存在が確認されるが、世界を支配するまでに肥大化したその要因にはエートスがあるというのだ
資本主義が近代資本主義であることは言うまでもない。なぜなら、本書で論じようとしているものがもっぱらこの西ヨーロッパおよびアメリカの資本主義だということは、問題の立て方に照らしても自明なことだからだ。「資本主義」は中国にも、インドにも、バビロンにも、また古代にも中世にも存在した。しかし、後に見るように、そうした「資本主義」にはいま述べたような独自のエートスが欠けていたのだ。
そしてそのエートスの源泉として以下にウェーバーはプロテスタントの分析に入る。
新たなる仮説
さまざまな種類の信仰が混在している地方の職業統計に目をとおすと、通常つぎのような現象が見出される。それはドイツ・カトリック派会議の席上や同派の新聞、文献の中でたびたび論議されていることだが、近代的企業における資本所有や企業家についてみても、あるいはまた上層の熟練労働者層、とくに技術的あるいは商人的訓練のもとに教育された従業者たちについてみても、彼らがいちじるしくプロテスタント的色彩を帯びているという現象だ。この現象は、たとえば東部ドイツにおけるドイツ人とポーランド人の間のように信仰の種類が国籍の区別と一致し、したがって文化の発達程度とも一致しているような地方で見られるだけではない。およそ資本主義の発展期に、その結果として、住民たちの間に社会層分化と職業分化が生じた地方ではいたるところ──この分化が激しければ激しいほど明白に──信仰統計の数字をとおして明らかに見出される。このように近代の大商工企業における資本所有や経営、それから高級労働にかかわりをもつプロテスタントの数が相対的にきわめて大きいということ、換言すれば、それらに参加しているプロテスタントの数が総人口におけるプロテスタントの比率よりも大きいということは、ある点まで、古い過去の時代に発した歴史的な理由によるものと見ることができる
そしてそれは宗教改革に遡る。
宗教改革が人間生活に対する教会の支配を排除したのではなくて、むしろ従来のとは別の形態による支配にかえただけだ(...)。しかも従来の形態による宗教の支配がきわめて楽な、当時の実際生活ではほとんど気付かれないほどの、多くの場合にほとんど形式に過ぎないものだったのに反して、新しくもたらされたものは、およそ考えうるかぎり家庭生活と公的生活の全体にわたっておそろしくきびしく、また厄介な規律を要求するものだったのだ。(...)じじつ、当時経済的発展が進んでいた諸地方の宗教改革者たちが熱心に非難したのは、人々の生活に対する宗教と教会の支配が多すぎるということではなくて、むしろそれが少なすぎるということだった。
そしてそれは単に原因と帰結されるように思う。すなわちその規律こそが、社会を育んだのだと。しかしそう一律に言及するは性急である。原因だけでなく、結果でもあり、つまりプロテスタントが資本主義を育んだだけでなく、富もプロテスタントを育んだのだ。
もちろんその場合、信仰上の所属問題は、経済現象の原因ではなくて、ある程度までその結果と考えねばならないだろう。そうした経済的職能に携わることは、あるいは資本所有、あるいは巨費を必要とする教育、またたいていの場合この両者を必要条件としており、したがって今日では遺産の所有者か、あるいはある程度富裕な人でなければそれに携わることが不可能となっている。しかし、すでに、十六世紀のドイツでもプロテスタンティズムに帰依したのは、まさしく多数のきわめて富裕な、自然や交通事情に恵まれた、経済的に発達した地方、とりわけ無数の富裕な都市だった。そして、そのことの余波は今日になっても経済上の生存競争でプロテスタントの立場を有利にしている。
しかしその上で原因の側面が強いことを次のように指摘する。
近代経済における資本所有と経営的地位を今日プロテスタントたちがより多く占めているという事実は、すでに見たように、ある範囲までは歴史的な事情に、つまり、彼らが比較的有利な財産条件をすでに与えられているということの結果にすぎないと考えねばならないにしても、また他方では、原因と結果の関係が明らかにそうではないことを示すいろいろな現象も見られる。それらの現象の中から、ただいくつか示してみると、こういう事実がある。まず、バーデンやバイエルン、またハンガリーなどのいたるところで認められることだが、カトリック信徒の両親が通常その子供にあたえる高等教育の種類はプロテスタントの両親の場合とはっきり異なっている。もっとも、いわゆる「高等程度」の学校の生徒および大学志望資格者のうちカトリック信徒の占める比率が、総人口におけるカトリック信徒の比率よりも、全体としてはるかに小さいという事実は、さきに述べた歴史的な財産条件の差にもとづくところが大きいとも思えるだろう。しかし、カトリック信徒の大学志望資格者の内部でも、近代的な技術の学習とか商工業を職業とするための準備とか、総じて市民的営利生活向きの学校、たとえば実業高等学校、実業学校、高等小学校等の課程を修了するものの比率はプロテスタントのばあいに比べてはるかに小さいし、また他面、彼らが、教養課程中心の高等学校でほどこされる教育をとくに好むという事実もある。──これは、さきに述べたようなやり方では説明できない。むしろ、カトリック信徒の資本主義的営利にたずさわることが少ないという事実は、逆にこうしたことから説明されねばならないだろう。ところで、カトリック信徒が近代的大工業の熟練労働者層に参加していることの少ない理由をもっと明瞭に説明してくれる、こういう事実がある。今日工場の熟練労働力は手工業の子弟から転用されることが非常に多く、したがって、手工業が熟練労働力のために準備をほどこす場所となり、そうした準備を終えてのちそれを大企業に引き渡すことは一般に知られた現象だが、こうした事実はカトリック信徒の雇職人(Geselle)の場合よりもプロテスタントの雇職人の場合にはるかに明瞭に認められるという。別言すれば、カトリック信徒の雇職人はいつまでも手工業に止まろうとする傾向が強く、したがって親方職人(Meister)となることが比較的多いのに反して、プロテスタントの雇職人では、比較的多くのものが工場に流入して熟練労働者の上層や工業経営の幹部の地位につこうとするというのだ。こうした場合には、原因と結果の関係は明白に次のようになっている。すなわち、それらの人々の教育によって得られた精神的特性、とくにこの場合は故郷や両親の家庭の宗教的雰囲気によって制約された教育の方向が、職業の選択とその後における職業上の運命を決定している。
しかしこれは単に少数の成功者は、多数の人民の支配者となるという古典的構図とは違うのか?ウェーバーもまた「民族的あるいは宗教上の少数者は、「被支配者」として他の「支配者」集団と対立しているような地位にある場合には、自発的にせよ強制的にせよ政治上有力な地位から閉め出されていく結果として、とりわけいちじるしく営利生活の方向に向かうことになるのがつねで、彼らのうち才能ゆたかな者たちは、政治的活動の舞台で発揮することのできない名誉欲をこの方面で満たそうとする」という。その好例としてロシアや東プロイセン地方のポーランド人や、フランスのユグノー、イギリスにおける非国教派やクエイカー教徒、そして二千年にわたるユダヤ人を挙げる。しかし、こうした出来事と、プロテスタンティズムとは大きく異なる。
プロテスタント(なかでも後に論究する信団のあるもの)は支配的社会層であるときにも被支配的社会層であるときにも、また多数者の地位にあるときにも少数者の地位にあるときにも、特有な経済的合理主義への愛着を示してきたが、カトリック信徒のばあいは、前者の立場にあるときにも後者の立場にあるときにも、そうした経済的合理主義への愛着を見ることができなかったし、今日でも見ることができないのだ。そうだとすると、こうした生活態度の上に見られる相違の原因は、主として、それぞれの信仰の恒久的な内面的特質の中に求められるべきであって、その時々にそれらがおかれている外面的な歴史的政治的状況だけに求められるべきではない、ということになる。
であるとしたならばその内面的特質、すなわちエートスとは何か。ウェーバーは一般的な議論を援用する。
カトリシズムはより多く「非現世的」であって、その最高の理想が指し示しているように禁欲的な諸特徴をおびているために、信徒たちは現世の財貨に対してより多く無関心な態度をとるようになるのだ、と。事実このような基礎づけは、今日カトリック、プロテスタント両派いずれの信仰を奉ずる人々が判断をくだす場合にも一般に好んで用いられる図式に合致している。プロテスタンティズムを奉ずる人々はこの解釈を使ってカトリック的生活態度の(事実上のあるいは仮設上の)禁欲的理想を批判しようとするし、カトリック信徒の方はこれに答えて、「唯物主義」をプロテスタンティズムがもたらした生活内容全体の世俗化の結果だと非難する。現代のある学者も、営利生活に対する両派の信者の態度に見られるこのような対立は、次のように定式化すべきだと考えた。「カトリック信徒はもの静かで、営利への衝動が少ないために、危険と刺激に充ちていても、場合によっては名誉と財産を獲得しうる、というような生涯よりは、たとい所得はずっと少でも、できるかぎり安定した生活の方を大切にする。に、うまいものを食わないのなら寝て暮らせというざれ言葉がある。そうした場合、プロテスタントは進んでうまいものを食おうとするのに、カトリック信徒は寝て暮らそうとするのだ」と。
しかしウェーバーはこうした唯物論的世俗主義としての享楽的プロテスタントというパースペクティブを拒み、むしろプロテスタントとは彼岸を求める禁欲的理想主義によって資本主義の精神を勝ち取ったのだとする。
過去に溯ると事情は非常に異なっている。イギリス、オランダ、アメリカのピュウリタンたちは周知のように、「世のたのしみ」とはおよそ正反対の特徴をおびていた。しかも、その「世のたのしみ」とは正反対のものこそが、実は後に説明するように、彼らの諸特徴のうちでわれわれの問題にとってもっとも重要なことがらの一つとなってくるのだ。そればかりではない。たとえばフランスのプロテスタンティズムなどは、カルヴァン派の教会が一般に、またとくに信仰闘争の時代にいたるところで「十字架のもとに」あった場合に示したそうしたいちじるしい特徴を、その後も久しくもちつづけ、今日でさえある程度までもちつづけている。それにもかかわらず──あるいはむしろ、それゆえに、との疑問をわれわれは後に提出しなければなるまい──彼らは、周知のように、フランス工業の資本主義的発展のもっとも重要な担い手の一つだったし、また、それが迫害の影響からかに免れえた小規模な範囲では、現在でもそうだ。もしこうした生活態度に見られる真面目さや宗教的関心の厳しさを「非現世的」と言おうとするなら、それならばフランスのカルヴィニストたちは、たとえば北ドイツのカトリック信徒──彼らのカトリシズムは、疑いもなく他のいかなる民族のそれとも異なって心情の問題に属している──と少なくとも同程度に非現世的だったし、今でもそうだ。(...)すなわち、一方の非現世的、禁欲的で信仰に熱心であるということと、他方の資本主義的営利生活に携わるということと、この両者は決して対立するものなどではなくて、むしろ逆に、相互に内面的な親和関係(Verwandtschaft)にあると考えるべきではないか、と。(...)すなわち、「労働の精神」とよぶにせよ、「進歩の精神」とよぶにせよ、名称はともかくとして、通例プロテスタンティズムによって喚起されたと考えられているそうした精神は、今日一般に考えられているように「現世のたのしみ」を意味するとか、その他およそ「啓蒙主義的」な意味合いに理解されてはならない。ルッター、カルヴァン、ノックス(Knox)、フーット(Voët)らの古プロテスタンティズムは、現在われわれが「進歩」とよんでいるものなどとはおよそ無縁だった。今日ではもっとも極端な信仰をもつ人々さえ当然のことと考えている、そうした現代生活の全局面に対して、古プロテスタンティズムはまっこうから敵対的な態度をとっていたのだ。したがって、もしも、古プロテスタンティズムの精神における一定の特徴と近代の資本主義文化との間に内面的な親和関係を認めようとするならば、われわれはそれを、古プロテスタンティズムが(通常考えられているように)多少とも唯物的なあるいは反禁欲的な「現世のたのしみ」を含んでいたというようなことにではなくて、むしろ古プロテスタンティズムのもっていた純粋に宗教的な諸特徴のうちに求めるよりほかはないのだ。(...)そのためには、われわれはどうしても、いままでのような漠然とした一般的な表象の範囲で議論することをやめて、歴史上キリスト教の種々異なった現われとして示されてきたところの、あの偉大な一連の宗教的諸思想のもつ固有な特徴とそれら相互の差違という問題の究明に、あえて立ち入ってみなければならない。
プロテスタンティズムについて
ルター
そこでウェーバーは資本主義の非合理主義的側面に分析を始める。それはまさに冒頭で引用したベンジャミン・フランクリンの倫理、エートスの象徴に立ち返ることとなる。
この「倫理」の「最高善」(summum bonum)ともいうべき、一切の自然な享楽を厳しく斥けてひたむきに貨幣を獲得しようとする努力は、幸福主義や快楽主義などの観点を全く帯びていず、純粋に自己目的と考えられているために、個々人の「幸福」や「利益」といったものに対立して、ともかく、まったく超越的なまたおよそ非合理なものとして立ち現われている。営利は人生の目的と考えられ、人間が物質的生活の要求を充たすための手段とは考えられていない。これは、とらわれない立場から見れば、「自然の」事態を倒錯したおよそ無意味なことと言えようが、また資本主義にとっては明白に無条件の基調であって、その空気に触れない者にはちょっと理解しえないものだ。(...) こうしたことは資本主義以前の人々には、不可解かつ不可思議であり、また不潔で軽すべきものとしか思われないことがらだ。人間が生涯にわたる労働の目的として、莫大な貨幣と財貨を背負って墓に下ることをひたすら考えつづけるといったことは、彼らには倒錯した衝動、つまり »auri sacra fames«「呪われた黄金の飢餓」の産物と考えるほかに、説明の方法がないからだ。
では、なぜフランクリンとはこうした非合理性に献身するのか。ウェーバーはフランクリンの自伝を引用しつつ、次のように説明する。
なぜ「人から貨幣をつくら」ねばならないのかと問われれば、ベンジャミン・フランクリンは自伝で、彼自身どの教派にも属さない理神論者であったにもかかわらず、聖書の句(この句は、彼のいうところによると厳格なカルヴィニストの父が青年時代にくり返し教えたものだ)を引用しながらこう答えている、「あなたはそのわざ(Beruf)に巧みな人を見るか、そのような人は王の前に立つ」と。貨幣の獲得は──それが合法的に行われるかぎり──近代の経済組織の中では、職業(Beruf)〔後段で詳しい説明があるように、この原語は職業という意味と神から与えられた使命という意味とを含んでいる〕における有能さの結果であり、現われなのであって、こうした有能さこそが、もう容易に分かるように、フランクリンの前掲の文章だけでなく全著作に一貫して見られる、彼の道徳のまさしくアルファでありオメガとなっているのだ。
この職業の聖性、天から授かった職業という概念は何を隠そうマルティン・ルターの概念である。
「職業」を意味する〕ドイツ語の「ベルーフ」»Beruf« という語のうちに、また同じ意味合いをもつ英語の「コーリング」»calling« という語のうちにも一層明瞭に、ある宗教的な──神からあたえられた使命(Aufgabe)という──観念がともにこめられており、個々の場合にこの語に力点をおけばおくほど、それが顕著になってくることは見落としえぬ事実だ。しかも、この語を歴史的にかつさまざまな文化国民の言語にわたって追究してみると、まず知りうるのは、カトリック教徒が優勢な諸民族にも、また古典古代の場合にも、われわれが〔世俗的な職業、すなわち〕生活上の地位、一定の労働領域という意味合いをもこめて使っている »Beruf«「天職」という語と類似の語調をもつような表現を見出すことができないのに、プロテスタントの優勢な諸民族の場合にはかならずそれが存在する、ということだ。さらに知りうるのは、その場合何らか国語の民族的特性、たとえば「ゲルマン民族精神」の現われといったものが関与しているのではなくて、むしろこの語とそれがもつ現在の意味合いは聖書の翻訳に由来しており、それも原文の精神ではなく、翻訳者の精神に由来しているということだ。(...)また、語義の場合と同様に、その思想も新しく、宗教改革の産物だった。(...)すなわち、世俗的職業の内部における義務の遂行を、およそ道徳的実践のもちうる最高の内容として重要視したことがそれだ。これこそが、その必然の結果として、世俗的日常労働に宗教的意義を認める思想を生み、そうした意味での天職(Beruf)という概念を最初に作り出したのだった。つまり、この「天職」という概念の中にはプロテスタントのあらゆる教派の中心的教義が表出されているのであって、それはほかならぬ、カトリックのようにキリスト教の道徳誡を »praecepta«「命令」と »consilia«「勧告」とに分けることを否認し、また、修道士的禁欲を世俗内的道徳よりも高く考えたりするのでなく、神によろこばれる生活を営むための手段はただ一つ、各人の生活上の地位から生じる世俗内的義務の遂行であって、これこそが神から与えられた「召命」»Beruf« にほかならぬ、と考えるというものだった。ルッターにおいてこうした思想の展開をみたのは彼の改革活動の最初の一〇年間だった。最初ルッターは徹頭徹尾、たとえばトマス・アクイーナスに代表されているような中世の支配的な伝統にしたがって物事を考えていたので、世俗的労働は、神の意志によるものだが被造物的で、飲食と同じく信仰生活の不可欠な自然的基礎だとしても、それ自身としては道徳にかかわりのないものだとしていた。ところが、彼の »sola-fide«「信仰のみ」の思想がますます明白な形に徹底化され、その結果として「悪魔に口伝された」カトリック修道士の「福音的勧告」に対する反対がいよいよ鋭く強調されるとともに、世俗的職業のもつ意義はいよいよ大きなものとなっていった。修道院にみるような生活は、神に義とされるためにはまったく無価値というだけでなく、現世の義務から逃れようとする利己的な愛の欠如の産物だ、とルッターは考えた。それどころか彼は、世俗の職業労働こそ隣人愛の外的な現われだと考えたのだが、しかしその基礎づけはおそろしく現実ばなれしたもので、とくに分業は各人を強制して他人のために労働させるということが指摘されていて、有名なアダム・スミスの命題に比べると奇怪なほどの相反を示している。が、見られるとおり、この本質上スコラ的な基礎づけはやがてまた消失した。そして、どんな場合にも世俗内的義務の遂行こそが神に喜ばれる唯一の道であって、これが、そしてこれのみが神の意志であり、したがって許容されている世俗的職業はすべて神の前ではまったくひとしい価値をもつ、ということがその後指摘されつづけたばかりでなく、ますます強調されるようになっていった。
ここで言われたアダム・スミスの概念とは『諸国民の富』の以下に象徴される。われわれが自分たちの食事を期待するのは、肉屋や酒屋やパン屋の仁愛にではなくて、かれら自身の利益に対するかれらの顧慮に期待してのことなのである。われわれは、かれらの隣人愛〔スミスではhumanity〕にではなく、その自愛心に話しかけ、しかも、かれらにわれわれ自身の必要を語るのではけっしてなく、かれらの利益を語ってやるのである」。すなわち、交換とは、再分配に抗う贈与の回復であるとルターは考えていたのだ。勿論この事も職業倫理から来ていると言える。職業とは分業化の表象であるからだ。なぜならばルターは人類は神のもとに皆平等であり、そこに位階を敷いたカトリックを嫌悪していた。しかし、彼は祭司の存在を認めないわけではない。その権威性を否定するのである。ゆえに祭司は崇めるべき対象ではなく、崇めるべきは神のみであり、同時にあくまで役割、すなわち職業としてその存在が認められるべきと論じたのだ。このように論じてしまえば本質的に肉屋と、漁師と、神父に序列はなく、神父が聖的なのであれば、肉屋も聖的なのである。したがってウェーバーは続け、「世俗の職業生活にこのような道徳的性格をあたえたことが宗教改革の、したがってとくにルッターの業績のうちで、後代への影響がもっとも大きかったものの一つだということは、実際疑問の余地がなく、もはや常識だと言ってよい」、「カトリック教徒の見解とは対照的に、世俗内の職業として編制された労働に対して道徳的重視の度合いや宗教的褒賞をいちじるしく強めたということだった」とするのであった。しかし同時に次のようにもいう。
以上の観察の示すように、こうしてルッター派的な意味における「天職」 »Beruf« の思想──ここで確認しておかねばならぬのはひとまずそれだけなのだが──だけでは、いずれにしろ、われわれが探求している点についてまだ問題が残されたままだ。とはいっても、ルッター派的な形での宗教生活の変革が、われわれの考察しつつある対象にとって何らの実践的意味もなかったなどと言うのではない。まさにその反対だ。ただその実践的意味は、明らかに、ルッターおよびルッター派教会の世俗的職業に対する態度からは直接には導き出すことはできないし、また他のプロテスタンティズム諸派の場合ほどその特徴を把握しやすくはない。
すなわちルターだけでは資本主義の精神は不完全であるとするのだ。これはなぜか?
まず、指摘する必要もないことだが、ルッターが本書にいう意味での──あるいはまた、その他いかなる意味においても──「資本主義精神」と内面的に親和関係をもっていたなどと言うことはもちろんできない。今日宗教改革のあの「業績」をもっとも熱心に賞讃するような教会の人々にしても、彼らはいかなる意味においても資本主義の味方などではない。また、ルッター自身がフランクリン見られるような心情との親和関係をはげしく拒否するだろうことも疑問の余地がない。(...) ルッターは聖書から彼の天職思想を導き出したと考えたが、聖書はそれ自体としてみると、典拠となりうる個所は全体としてむしろ伝統主義の方に有利だ。なかでも旧約聖書については、純粋の預言書の中には世俗内的道徳の重視などまったくなく、その他の書にも僅かにところどころでその痕跡や萌芽がみられるだけで、全体として一個のほぼ均質の伝統主義的思想をはっきりと形づくっている。すなわち、各自その「衣食の道」に止まり、神なきものは利益を追求するに任せよ、これが直接世俗の営みについて述べられている章句全体を通ずる精神だ。(...) 新約聖書に記されている使徒時代のキリスト教の、とくにパウロの世俗の職業生活に対する態度は、あの初代のキリスト教徒にれていた終末観的期待の結果として、無関心的であるか、あるいは根本的に伝統主義に傾いていた。すべての人は主の再臨の日を待っているのだから、各自が主の「召し」を受けたときと同じ身分と世俗の営みに止まり、いままでと同じように労働すべきだ、そうすれば貧しさのために兄弟を煩わすことはない、──しかもそれはただ暫くの間のことなのだ、と。ルッターは聖書を、自分のそのときどきの精神的態度という眼鏡をとおして読んだのだが、その態度は、ほぼ一五一八年から一五三〇年にいたる彼の展開の時期を通じて、つねに伝統主義から離れなかったばかりか、むしろますます伝統主義に傾いていった。(...) ルッターが現世の紛争に巻きこまれることがますますしげくなるとともに、職業労働の意義を重視することもいよいよ強くなっていった。ところが、彼は同時に、ますます、各人の具体的な職業は神の導きによって与えられたものであり、この具体的な地位を充たせというのが神の特別の命令だ、と考えるようになってきた。そして、「熱狂者たち」〔洗礼派の過激派を指す〕や農民騒擾との抗争ののち、ルッターは、神によって各人がその裡におかれている歴史的な客観的秩序は直接に神の意志の発現だというふうに、ますます考えるようになっていったが、それとともに、人間生活の個々の過程のうちにも神の摂理を強調する彼の態度は、「聖慮」»Schickung« という思想に照応する伝統主義的な色彩をいよいよつよく帯びるにいたった。すなわち、各人は原則としてひとたび神から与えられれば、その職業と身分のうちに止まるべきであり、各人の地上における努力はこの与えられた生活上の地位の枠を越えてはならない、のである。こうして彼の経済的伝統主義は、最初はパウロ的な無関心的態度の結果だったのに、のちには、いよいよその度を加えてきた摂理の信仰にづくものとなり、神への無条件的服従と所与の環境への無条件的適応とを同一視するにいたった。このようにして、ルッターは結局、宗教的原理と職業労働との結合を根本的に新しい、あるいはなんらかの原理的な基礎の上にうちたてるにはいたらなかった。教説の純粋さをもって教会の唯一無の基準だと考えたルッターの立場は、十六世紀二〇年代の抗争を経たのちには一層確固としたものとなり、このことだけからでも、倫理の領域における新しい立場の展開は阻止されたのだった。 このようにして、ルッターの場合、天職概念は結局伝統主義を脱するにいたらなかった。世俗的職業なるものは神の導き(Fügung)として人が甘受し、これに「順応する」べきものであって、──こうした色調のかげにかくれて、職業労働は〔天職として〕神から与えられた使命、否むしろ使命そのものだとする彼のいま一つの思想は色あせてしまった。しかも、正統ルッター派の発展はこの傾向にさらに拍車をかけた。こうしてこの派がもたらした唯一の倫理的収穫はさしあたって消極的なもの、すなわち、禁欲的義務を強調すれば世俗内的義務を軽視するようになる、といった〔カトリック的〕態度を除去したということだけで、それのみかこれに結びついて政府への服従と所与の生活状態への順応が説かれることになったのだった。
ゆえにルターは確かに資本主義へと繋がる天職概念を準備したが、しかしそれは不十分であり、なぜなら資本主義の精神とは消極的禁欲主義ではなく、積極的禁欲主義なのだ。この意味で「政府への服従と所与の生活状態への順応」としての消極的な天職は、あの爆発的な産業革命に不十分であると結論づけられる。だからこそあの産業革命の爆心地となったイギリスに、ウェーバーは目をつけるのであった。
カルヴァン
さて、十六、七世紀に資本主義の発達がもっとも高度だった文明諸国、すなわちオランダ、イギリス、フランスで大規模な政治的・文化的な闘争の争点となっていた、したがってわれわれが最初に立ち向かわねばならない信仰は、カルヴィニズムだ。当時この信仰のもっとも特徴的な教義とされ、また一般に、今日でもそう考えられているのが恩恵による選びの教説〔予定説〕である。
もちろんこのことは「改革派教会の「本質的」教義であるか、「付随的なもの」であるか」という問いではなく、「文化史的な影響の如何に関連してその重要性が問題にされるときには、選びの教説がきわめて高く評価されねばならなくなる」ことである。ウェーバーはその文化史的影響を次のように語る。
オランダでオルデンバルネフェルトの文化闘争が瓦解したのはこの教義のためだったし、ジェイムズ一世治下のイギリスで国教会の分裂が恒久化したのも王室とピュウリタニズムとが教義の上で──まさしくこの教説に関して──分裂を生じて以来のことだったし、また、総じてカルヴィニズムが国家に有害だとして政府から攻撃をうけたのは、何よりもまずこの教説のためだった。十七世紀の宗教会議(Synod)、なかでもドルトレヒト(Dordrecht)、ウェストミンスター(Westminster)の大会議のほか多数の小会議で課題の中心となったのは、この教説を教会の規準的な教義にまで高めることだったし、「戦闘の教会」の無数の英雄たちにとって、この教説は堅固な拠り所となり、また十八、九世紀を通じていくたの教会分裂の原因となり、大規模な信仰復興にさいしてはその鬨の声ともなった。われわれは、この教説に触れないですますことはできない。
ゆえにウェーバーはこの説を詳しく論じる。
そこで、(...)権威ある典拠として、一六四七年の「ウェストミンスター信仰告白」»Westminster confession« を引用しようと思う。独立派やバプティスト派の信仰告白は、その点では、この信仰告白の単なる繰り返しにすぎない。「第九章(自由意志について)第三項 人間は罪の状態への堕落によって、救いをもたらすべき霊的善へのすべての意志能力を全く喪失してしまった。従って生まれながらの人間は、全く善に背反し罪のうちに死したもので、みずからの力で悔い改めあるいは悔い改めにいたるようみずから備えることはできない。第三章(神の永遠の決断について)第三項 神はその栄光を顕わさんとして、みずからの決断によりある人々……を永遠の生命に予定し(predestinated)、他の人々を永遠の死滅に予定し給うた(foreordained)。第五項 神は人類のうち永遠の生命に予定された人々を、世界の礎の据えられぬうちに、この永遠にして不変なる志向と、みずからの意志の見ゆべからざる企図と専断にもとづいて、キリストにあって永遠の栄光に選び給うた。これはすべて神の自由な恩恵と愛によるものであって、決して信仰あるいは善き行為、あるいはそのいずれかにおける堅忍、あるいはその他被造物における如何なることがらであれ、その予見を条件あるいは理由としてこれを為し給うのではなく、かえってすべて彼の栄光にみちた恩恵の讃美たらしめんがためである。第七項 神はみずからの被造物に対する主権に栄光あらしめるため、聖意のままに恵みをあたえ、あるいは拒み給う測るべからざる意志にしたがい、人類の残余の人々を看過し、彼らをその罪の故に恥と怒りとに定め、こうして彼の栄光にみちた義の讃美たらしめることを喜び給うた。第一〇章(有効なる召命について)第一項 神は生命に予定された人々、しかも彼らのみを、みずから定めかつ善しとし給うた時期に、みずからの言と霊をもって有効に召命することを喜び給う。……こうして神は彼らの頑固な心をとりさって柔順な心をあたえ、また彼らの意志を新たにして、その全能の力によりこれを善きことへと定め給う。第五章(摂理について)第六項 神が正しい審判者として、その過去の罪ゆえに盲目にし頑なにし給う悪しき、不信仰な人々についていえば、神は彼らに恩恵を拒み、これによって彼らの悟性が照らされ心を動かされることを無からしめ給うのみでなく、また時には彼らのもてる賜物をもとりさり、その廃が罪の機会を作るにいたるべき事物に近づけ、それによって彼らをみずからの欲望と世の誘いとサタンの力とに委ね給う。その結果彼らは、神が残余の人々を従順にし給うと同じ手段によってさえも、みずからをますます頑固とするのである」。
すなわち、上記を総じて、我々の自由意志に基づく行動によって救われるなんてことはなく、神はすでに救われる人を選別している。すなわち救済は我々の行動に関係なく、すでに予定されているというのだ。「ミルトンがこの教説を批判して、「たとい地獄に堕されようと、私はこのような神をどうしても尊敬することはできない」と言ったのは有名だ」。したがって「「ピュウリタニズムの神曲」とよばれているミルトンの『失楽園』」とは、欺瞞であると言えるだろう。そんな話はさておき、この教説は如何にして誕生したのか。ウェーバーは次のように語る。
それには二つの道が可能だった。アウグスティヌス以来キリスト教史の上に繰り返し現われてくる偉大な祈りの人のうちでも最も能動的で熱情的な人々のばあい、宗教的な救いの感情は、すべてが一つの客観的な力の働きにもとづくものであって、いささかも自己の価値によるのではない、という確固とした感覚に結びついて現われている。(...)ルッターも彼の宗教的天才が最高潮にあり、あの『キリスト者の自由』を書くことのできた当時には、神の「測るべからざる決断」こそ自分が恩恵の状態に到達しえた絶対唯一の測りがたい根源だ、とはっきりと意識していた。その後もルッターは、形の上では、この思想を捨てていない。──しかし、それはもはや中心的な位置を占めるものではなくなったばかりでなく、彼が責任ある教会政治家としてしだいに「現実政治的」となるにしたがって、ますます背景に退いていった。メランヒトン(Melanchthon)はこの「危険で理解しがたい」教説をアウクスブルクの信仰告白に採り入れることをことさらに回避した(...)。カルヴァンの場合にはことがらの経路はそれとはまさに逆で、教義上の論敵に対する論争がすすむにつれて、この教理の重要性が目にみえて増大していった。予定の教説がはじめて十分に展開されたのは彼の『キリスト教綱要』»Institutio « の第三版(一五四三年)であり、さらに、それが中心的な位置を占めるにいたったのは、ようやく彼の死後、ドルトレヒトとウェストミンスターの宗教会議がそれの決着をつけようとした大規模な文化闘争のさ中においてだった。まさにカルヴァンにおいては、この »decretum horribile«「恐るべき〔神の〕決断」の教理はルッターのように体験によってえられたのではなく、思索によってえられたのであり、したがって神のみを思い人間を思わない彼の宗教的関心が思想的に徹底されていくたびに、その重要性もますます大きいものとなっていった。人間のために神があるのではなく、神のために人間が存在するのであって、あらゆる出来事は──したがって、人々のうちの小部分だけが救いの至福に召されている、というカルヴァンにとって疑問の余地のない事実もまた──ひたすらいと高き神の自己栄化の手段として意味をもつにすぎない。地上の「正義」という尺度をもって神の至高の導きを推し量ろうとすることは無意味であるとともに、神の至上性を侵すことになる(5)。けだし、神が、そして神のみが自由、別言すれば、どんな規範にも服さないのであり、神がわれわれに知らしめることを善しとしたまわないかぎり、われわれは彼の決意を理解することも、知ることさえもできないのだ。われわれが拠り所としうるのはこうした永遠の真理の諸断片だけで、他の一切──われわれの個人的運命のもつ意味は見るべからざる神秘にわれており、それを究めようとするのは不可能でもあるし、身の程を知らぬことでもある。たとえば、神に捨てられた者がその運命の不当を訴えるとしても、それは獣類が人間に生まれなかったのを呟くのと同じだ。けだし、すべての被造物は越ゆべからざる深淵によって神から隔てられており、神がその至上性に栄光あらしめるために別の決定をなし給わないかぎり、神のみ前にあってはただ永遠の死滅に値いするだけなのだ。われわれが知りうるのは、人間の一部が救われ、残余のものは永遠に滅亡の状態に止まるということだけだ。
そこで第一に生じるのは内面的孤独化である。
この悲愴な非人間性をおびる教説が、その壮大な帰結に身をゆだねた世代の心に与えずにはおかなかった結果は、何よりもまず、個々人のかつてみない内面的孤独化の感情だった。宗教改革時代の人々にとっては人生の決定的なことがらだった永遠の至福という問題について、人間は永遠の昔から定められている運命に向かって孤独の道をらねばならなくなったのだ。誰も彼を助けることはできない。牧師も助けえない、──選ばれた者のみが神の言を霊によって理解しうるのだからだ。聖礼典も助けえない、──聖礼典は神がその栄光を増すために定め給うたもので、したがって厳守すべきだが、神の恩恵をうるための手段ではなく、主観的にただ信仰の »externa subsidia«「外的な補助」となるにすぎないからだ。また教会も助けえない、──真の教会に属しないものは神から選ばれた者ではないとの意味では »extra ecclesiam nulla salus«「教会の外に救いなし」の命題は妥当するが、しかし(外形上の)教会には神に却けられた者もまた属しており、彼らも、救いをうるためにではなくて──それは不可能だ──教会に属してその懲戒に服し、神の栄光のためにその律法を守らされねばならないからだ。最後に、神さえも助けえない、──キリストが死に給うたのもただ選ばれた者だけのためであり、彼らのために神は永遠の昔からキリストの贖罪の死を定めてい給うたのだからだ。(...) また他面では、この内面的孤立化は、今日でもなおピュウリタニズムの歴史をもつ諸国民の「国民性」と制度の中に生きているあの現実的で悲観的な色彩をおびた個人主義──これは後世「啓蒙思想」が人間を眺めた視角とは著しい対照をなしている(...)。
そして第二に生じるのは脱呪術化である。
このこと、すなわち教会や聖礼典による救済を完全に廃棄したということ(ルッタートゥムではこれはまだ十分に徹底されていない)こそが、カトリシズムと比較して、無条件に異なる決定的な点だ。世界を呪術から解放するという宗教史上のあの偉大な過程、すなわち、古代ユダヤの預言者とともにはじまり、ギリシャの科学的思考と結合しつつ、救いのためのあらゆる呪術的方法を迷信とし邪悪として排斥したあの呪術からの解放の過程は、ここに完結をみたのだった。真のピュウリタンは埋葬にさいしても一切の宗教的儀式を排し、歌も音楽もなしに近親者を葬ったが、これは心にいかなる »superstition«「迷信」をも、つまり呪術的聖礼典的なものが何らか救いをもたらしうるというような信頼の心を、生ぜしめないためだった。神が拒否しようと定め給うた者に神の恩恵を与えうるような呪術的な方法など存在しないばかりか、およそどんな方法も存在しない。(...) 世界の「呪術からの解放」、すなわち救いの手段としての呪術を排除することは、カトリックの敬感情のばあいには、ピュウリタニズムの宗教意識(それ以前ではユダヤ教のみ)のばあいのように徹底的に行われなかった。カトリック信徒は教会の聖礼典〔秘蹟〕のもたら恩恵によって、自分にはどうにもならぬものを補うことができた。司祭が呪術者として、ミサにおける化体の奇蹟をとり行い、天国のをその掌中に握っていたのだ。信徒は悔い改めと懺悔によって司祭に助けを求め、彼から贖罪と恩恵の希望と赦免の確信をあたえられ、これによって、カルヴァン派信徒にみるような恐るべき内面的緊張から免れることができた。
そして第三に生じるのは実存的不安である。助けも、繋がりも、儀礼も失い、人々はなにを求め、なにに安住し、生きていけばよいのか。
この特有な雰囲気がもたらす独自な影響を感得しようとするなら、ピュウリタンの文献のうちでももっとも広く読まれたバニヤン(Bunyan)の『天路歴程(14)』»Pilgrim's Progress « のなかで、「クリスチャン」が「滅亡の町」に住んでいることに気づき、一刻も躊躇せず天国への巡礼に旅立たねばならぬとの召命を聞いてからあととった態度の描写を見るべきである。妻子は彼にとり縋ろうとする。──が、彼は指で耳をふさぎ、「生命を、永遠の生命を!」と叫びながら野原を馳け去っていく。根本においてただ自分自身を問題とし、ただ自分の救いのみを考えるピュウリタン信徒たちの情感を描き出したものとして、どんなに洗練された筆致も、この獄中に筆をとって宗教界の好評を博した鋳掛屋の単純な感覚に及びえないが、なかでも、それは「クリスチャン」が巡礼の途上おなじ目的を求道者と語るところの、いくぶんゴットフリート・ケラー(Gottfried Keller)の「正しい細工人」»Gerechte Kammacher« にも似た、あの感激的な会話の中によく表現されている。自分が救いの地点に到達したあと、はじめて家族も傍にいればよいとの考えが目覚めてくる。こうした死と死後に対する苦悩にみちた不安は、デリンガー(Döllinger)の描いたアルフォンゾ・デ・リグオーリ(Alfonso de Liguori)のばあいにいたるところ強烈に感得されるものと同じだ。が、それは、教皇と破門に対する闘いで「おのが霊の救いを憂うるよりも故郷の町への愛を重しとした」フィレンツェ市民の名誉のために、マキャヴェリが表現したあの誇らかな現世尊重の精神とは雲泥の相違であり、また、リヒャルト・ヴァーグナーが死の決闘を前にしたジークムントに言わせている、あの「ヴォータンによろしく言って下さい。ヴァルハラによろしく言って下さい。……が、ヴァルハラの冷たい歓びのことなど、どうか一切口にしないで下さい」という言葉の与える感じとも、一層かけ離れている。ただ、この不安のもつ作用は、もちろん、バニヤンとリグオーリとでは特徴的に相違している。同一の不安が、後者ではありうべき一切の自卑の動機となっているのに反して、前者では人生との絶え間ない、組織的な闘いへの拍車となっているのだ。この相違はいったいどこから来たのだろうか。
このことは一つの問いへと帰結される。すなわち「私はいったい選ばれているのか、私はどうしたらこの選びの確信がえられるのか」という不安である。「カルヴァン自身にとっては、このことは少しも問題とならなかった。彼は、自分は神の「武器」だと感じ、自分の救われていることに確信をもっていた。そこで彼は、一人びとりが何によって自分自身の選びに確信をもちうるかという問いに対しては、根本において次の答えしかもたなかった。われわれは、神が決定し給うのだという知識と、真の信仰から生じるキリストへの堅忍な信頼をもって満足しなければならない、と」。しかし、宗教の有するその本性から、このことが如何に大衆にとって難航を極めるかはすぐにわかるだろう。ニーチェに則するならば、宗教に縋ることは一つの外的な逃避であり、そのような動機が存在していることは誰も否定できまい。そんな彼らが内的な確信を真に得られるのだろうか。したがって、彼らは儀礼や教会、葬儀や祭祀に代わる新たな救済確信への方途を探さなければならなかった。「こうして、予定説を固持した地方ではどこでも、»electi«「選ばれた者」に属しているか否かを知ることのできる確かな標識があるかどうかという問題が、無くてはすまされぬことになっていった。(...) そのさい、恩恵による選びの解釈を変更し、穏健化し、結局はそれを放棄するというのでない限り」、内面的孤独に蝕まれた精神は、その不安を癒すものとしてひとつの前提へと帰結する。その基礎づけとされるのは、「救いの確信」が得られないということは、神への奉仕が不足していることの現れであるという言説であり、これこそが来るやもわからない自己確信への旅路へと誘うのだ。
誰もが自分は選ばれているのだとあくまでも考えて、すべての疑惑を悪魔の誘惑として斥ける、そうしたことを無条件に義務づけることだった。自己確信のないことは信仰の不足の結果であり、したがって恩恵の働きの不足に由来すると見られるからだ。このように、己れの召命に「堅く立て」との使徒の勧めが、ここでは、日ごとの闘いによって自己の選びと義認の主観的確信を獲得する義務の意味に解されている。(...) それはカトリックのように個々の功績を徐々に積みあげることによってではありえず、どんな時にも選ばれているか、捨てられているか、という二者択一のまえに立つ組織的な自己審査によって造り出すのだ。
ルソーとカルヴァンの総合による近代プロテスタンティズム
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脱魔術化と合理化
(近代的経済)秩序界は現在、圧倒的な力をもって、その機構の中に入りこんでくる一切の諸個人〜の生活のスタイルを決定しているし、おそらく将来も、化石化した燃料の最後の一片が燃えつきるまで決定しつづけるだろう。バックスターの見解によると、外物についての配慮は、ただ 「いつでも脱ぐことができる薄い外衣」のように聖徒の肩にかけられていなければならなかった。それなのに、運命は不幸にもこの外衣を鋼鉄のように堅い檻としてしまった。禁欲が世俗を改造し、世俗の内部で成果あげようと試みているうちに、世俗の外物はかつて歴史にその比を見ないほど強力になって、ついには逃れえない力を人間の上に振るうようになってしまったのだ。今日では、禁欲の精神は〜この鉄の檻から抜け出してしまった。ともかく勝利をとげた資本主義は、機械の基礎の上に立って以来、この支柱をもう必要としない
そもそも鉄の檻が人間を閉じ込めてしまうのは、禁欲の精神が失われてしまったから。従って、自らの内面を支えていたエートスを希薄化させた人間が、この鉄の檻を支えているのである。
ここには人間がもたらした二重のパラドックスが存在している。合理化をすすめた人間は「禁欲の精神からの解放」をもたらしたが、逆にまた、この合理性によって、人間自身が拘束されてしまったのである。この両義性こそが近代という時代を特徴付けている。
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/icons/学歴.icon 脱魔術化の見田宗介解釈(引用)
脱魔術化はEntzauberung(エントツァウベルング)という原語です。
Ent-というのは、これ自体微妙な接頭辞ですが、ここではふつうに「離れてゆく」「脱する」「遠ざかる」という意味。
Zauber(ツァウベル)という言葉が大切で、魔術、呪術という意味と同時に、英語のcharm(チャーム)に当たる意味、「魅力」とか「魅惑」という意味もある。
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この言葉を、シラーが用いたEntzauberungderel(世界の脱魔術化)から援用する。
シラーの詩で世界中で最もよく知られているのは、ベートーベンの第九交響曲の第四楽章の主題となっている、有名な混声四部合唱の部分。これは「歓喜に」というシラーの詩をベートーベンがこの最後の交響曲の主題として選んで作曲したもの
上記詩の内容が「時代の流れがきびしく分断したものが、再び結合する。すべての人間は兄弟になる。」という理念をうたったもの
この詩の中でZauber(ツァウベル)が、キーワードとして、要の位置に立っている。以下詩の訳
おまえの「歓喜」の魔術(Zauber)は、時の流れがきびしく分断したものを、もう一度結び合わせる。おまえのやわらかな翼が停まるところでは、すべての人間は兄弟になる。
シラーはZauberを、人間と人間とを結び合わせる、ふしぎな力としてうたっており、それがピューリタンの精神によって「脱(Ent-)」っしているという意味を込めたのではないか
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/icons/学歴.icon パーソンズ訳(引用)
「鋼鉄のように硬い殻(stahlhartes Gehäuse)」を「鉄の檻(Iron Cage)」と英訳され、日本でもしばしば用いられてきた
1913『理解社会学のカテゴリー』(引用)
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1919『職業としての学問』
アメリカとドイツ
第一に本書で主題とされるのは以下のテーゼに求められる。
大学の卒業生が卒業後大学に残って職業的に学問に専心しようと志すばあい、かれは現在いかなる事情のもとにおかれているか
学問の社会彫刻論
実際に学問上の仕事を完成したという誇りは、ひとり自己の専門に閉じこもることによってのみ得られる〜これはたんに外的条件としてそうであるばかりではない。心構えのうえからいってもそう〜隣接領域の縄張りを侵すような仕事には一種のあきらめが必要である。学問に生きるものは、ひとり自己の専門に閉じこもることによってのみ、自分はここにのちのちまで残るような仕事を達成したという、おそらく生涯に二度とは味われぬであろうような深い喜びを感じることができる。いわばみずから遮眼革を着けることのできない人や、また自己の全心を打ち込んで、たとえばある写本のある箇所の正しい解釈を得ることに夢中になるといったようなことのできない人は、まず学問には縁遠い人々である。
重要性はある種道具である
ある研究の成果が重要であるかどうかは、学問上の手段によっては論証しえない。それはただ、人々が各自その生活上の究極の立場からその研究の成果がもつ究極の意味を拒否するか、あるいは承認するかによって、解釈されうるだけである。
自然科学においては、学者はただ学問それ自体に奉仕するべきであり、そこから「世界のあるべき姿」を導こうとする試みは控えなければならない。社会科学においても、自然科学と同様の態度が求められ、とりわけ政策は教師が学生に対して自分の価値観を強要することがあってはならない
一方では事実の確定、つまりもろもろの文化財の数学的あるいは論理的な関係およびそれらの内部構造のいかんに関する事実の確定ということ、他方では文化一般および個々の文化的内容の価値いかんの問題および文化共同社会や政治的団体のなかでは人はいかに行為すべきかの問題に答えるということ、—このふたつのことが全然異質的な事柄であるということをよくわきまえているのが、それである。
それ=価値自由である
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主知主義的合理化の地平
このことは世界の脱呪術化ということにほかならない。こんにち、われわれはもはやこうした神秘的な力を信じた未開人のように呪術に訴えて精霊を鎮めたり、祈ったりする必要はない。技術と予測がそのかわりをつとめるのである。そして、なによりもまずこのことが合理化の意味にほかならない。
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『職業としての政治』
正義にとって決定的な手段は暴力である。国家とは、ある一定の領域の内部で、正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である~すべての暴力の中に潜む悪魔の力と関係を結ぶのだ
1920『経済と社会』:未完の大作、遺稿
(以下は、邦訳出版された部分訳での題名の一部)
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『社会学の基礎概念』
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『支配の諸類型』
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『権力と支配』
『社会科学の方法』
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「社会・経済的なもの」とは
我々の肉体的な生存は、我々の最も精神的な欲望の充足を図る場合と同様に、生存に必要な外的な手段の量的な限界と質的な不足にいつも出会うということ、また、これらの手段を充足させるためには、前もって計画的な準備と、労働の必要、また自然への闘いや人々の結合さらには組織化が必要だということ、これらのことは、不正確さを厭わず表現すれば、我々が最も広い意味で「社会・経済的」と名づける現象のすべてに結びついている基礎的な事実なのである。
そしてその社会経済的なものの条件づけを下記のように述べる。
ある事実を「社会・経済的な」現象だとする、その性質は、〜次のことによって条件づけられるのである。つまり、我々が個人の具体的な場合に当該事象に特殊な文化意義を付与し、その結果、我々の認識関心は、その事象のうちの〔この付与した〕ある部分に照準を合わせて、この照準によりあの〔社会・経済的な〕性質は条件づけられるのである。
続けて社会科学のポジションをこう述べる。
人間生活の諸事象をそれらのもつ文化意義という観点から考察する、そのような学科を「文化科学」と呼ぼうというなら、我々の意味における社会科学は、この範疇の中に入るのである。
社会科学の描く限界
我々が研究しようとする社会科学は、一つの現実科学である。我々は、その中に、我々が組み入れられているところの、我々をとりまく生の現実を、その独自性において理解し、−つまり一方ではその現実が現にある姿で現れているその全体の中で個々の現象のもつ連関とその現象のもつ文化意義とを、他方では〔意義をもつ〕その現象が歴史事実としてかくなってそれ以外のものとはならなかったことの〔因果上の〕根拠を理解しようとするのである。
そしてそんな現実科学の現実である、部分的な描写という前提条件を述べる。
生は我々の「内部」と我々の「外部」につぎつぎに、また相並んで、現れては消えていく出来事のどうにも果てしのない多様性を我々に示している。そしてこの絶対に果てしのない多様性は、さらに果てしなく続くのである。〜「個物」についてそれを構成している個別的部分をすべて洗いざらい漏れなく叙述することだけでも真剣にやろうとすれば、多様性の果てしなさの点では依然として全然減少しないまま限りなく続くのである。ましてやその「個物」がどんな因果関係によって制約されているかを把握しようとすれば、なおさらそうなのである。したがって、限りある人間精神による限りなき現実の思惟による認識はどれも、現実のうちの一有限部分だけがそのときどきの科学的な把握の対象を構成し、この部分だけが「知るに値する」という意味で「本質的」であるということにしよう、という暗黙の前提に基づいているのである。
そんな絶え間なく流動的な編成をしている生から、生を享ける文化を下記であると示す。
「文化」とは意味のない無限の世界の出来事のうちから切り取られ、人間の立場から意味を汲みとり、意義を与えた有限の一片なのである。
そしてその文化を私たちが認識するプロセスにおいて「文化認識が価値理念によって制約されていること」を述べる
人間がある具体的な文化を仇敵として敵視し、「自然への復帰」を望むときでも、人間にとってその文化は文化なのである。というのはこのような敵視の態度をとり得るのも、彼が具体的なその文化を自分の価値理念に係わらせて、そこからそれをあまりに「軽薄すぎる」と思うからである。〜あらゆる文化科学の先験的な前提は、我々が白紙で我々の前にあるある一定の、あるいは一般に何らかのある「文化」を価値があると思うことではなく、我々が意識的に世界に対して観点を決め、かつ、これの意味を意味づける能力と意欲とを具備した文化人である、ということである。〜このように我々の意味での文化科学的認識は以下のようである限り、「主観的な」諸前提に拘束されている。つまり、その認識は現実のうちで我々が文化意義を付加する事象と何らかのある−たとえ間接的にでも−係りをもつ現実の構成部分だけを顧慮する限りそうなのである。
この最後の文が方法論的個人主義の根幹であり、文化科学的認識の主観的拘束という副題に繋がる。そしてその高度に変容する個人という図式から集合的な社会学立場を斥ける。
測りきれない出来事の流れは永遠に向かって果てしなく流転している。人間の心を動かす文化の諸問題は生ずるたびに常に新たに前とは異なる色彩をもって構成され、こうして、個別的なもののあの同様に無限な流れの中から、我々からみて意味と意義とを〔新たに〕獲得するもの、つまり「歴史的個体」となるものの範囲もまたいつまでも流動的であり続けるのである。〔人間にそのときどきに生ずる〕思想のまとまりの下で歴史的個体は考察され、科学的に把握される、そういうまとまりが変化するのである。〜それらの諸観点は、多数で特殊個別化され、互いにしばしば異質的でしかも一致しないものなのであって、以上のような諸観点の体系化を図ると、かかる観点の羅列が絶えず生じてくるだけであろうから。