エドワード・ダウデン
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ピューリタニズムはできる限り、人間の見えない精神とみえない神の関係を、媒介されたものではなく、直接的なものと主張した。神は直接啓示の言葉で人間に語られるので、伝統をほとんど重視しなかった。また、人間的な儀式については、それが被造物と創造主の間に立つことから不信を抱いた。キリスト者の神殿の栄光は、神の子の心の中の生きた神殿の神聖さなのである。〜アーノルドが強調するカルヴィニズムの強理は、それが聖書的であると考えられ、人間生活のあらゆる場面に直接に神の主体を持ち込むと考えられることから支持された。予定とは、地球上で起こるあらゆる行為と思想に対して、神があらかじめ知り、かつ意志していることを意味している。
精巧な神学体系が構築され、カルヴァン学派の体系の大意は、ウェストミンスター信仰告白と大小の教理問答のうちに働いていることが知られる。〜小教理問答だけでも熟知したものは、あらゆる事柄を一貫した計画と解釈する確固とした努力を身につけ、それによって与えられる関心を持つようになる。〜(またそこでは)神の栄光を表すため、あるものを永遠の命をに予め定め、他のものを永遠の死に定める神の永遠の定め。この世を無から創造したこと、創造主はこの世界に対し、絶えず、賢明に、神聖に摂理を持って支配すること。神の人間との契約、罪の継承、キリストの仲介、恩恵の抗しがたい性質、有効な召命、終わりの日までの聖徒の堅忍、天国における永遠のよろこび、地獄における終わりなき歯軋り が解かれている。更にこうした神学体系に則して、ピューリタンの道徳神学体系が形成されたことを指摘する
宗教改革の神学者が教理の巨大な建築物を作り上げたと同様に、プロテスタントの道徳学者や決疑論者は、それに対応する行為の体系を細部にまで描き出した。決疑論の研究は、バーキンズ、エイムズといったピューリタン神学者から、サンダーソン、ホール、ジェレミー・テイラーの手に渡された。リチャード・バクスターの『キリスト教指針』は、キリスト教倫理学、すなわちキリスト者の個人的義務から、家政学、すなわち、家庭の義務へ、さらに教会論、すなわち教会の義務、キリスト教政治学、すなわち支配者と隣人への義務と続いている。義務及び義務の違反の一覧表は、精密に仕上げられ、自由で寛大な善の志向がもつ幅広さを犠牲にしているように思われるが、人間生活のあらゆる行為を揺るがせにしない良心の姿を示していることは疑いない。 第一に罪の確信としと最後の審判の恐怖が生まれた。それからしばらくして彼の描く巡礼者のように、律法主義者の住む道徳の村に立ち寄った。彼は彼自身の義を確立しようと努めた。彼は敬虔な人物と評判になったが、結局は「哀れな表面だけの偽善者」に過ぎなかった。最後に、彼は彼自身、彼を離れ、彼を超えるものに全面的に身を委ねた。神の偉大な力があって、彼はそれに従ったのである。〜彼は精神的なエゴイズムを全て断念し、ただ神の事物の秩序に自分自身を投げ入れなければならなかった。
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『天路歴程』は「ピューリタンの信仰と感情の特徴的産物」であり、「神とサタンと孤独な人間の魂」が織りなす内面的なドラマである。 制度、教会、規定、聖礼典、儀式は、ほとんどあるいはまったく助けられない。滅亡の町から天の町への旅は、各人によって自分自身のために特別な召しとして始められた。途中で仲間が加わるのであれば、行く道の試練を軽くする。しかし、仲間であってもそれぞれは個々の巡礼者であり、重大な個人的冒険に踏み出し、暗い川に入り込む時には、一人一人が希望と恐怖の経験を引き受けなければならない。だが、各人のきわめて個人的な事柄を通して、共通の魂が見られるのである。誰かに人生の重大問題のなかのもっとも個人的な経験を記録させれば、彼の言葉は他の魂の中に無数の反響を引き起こすのである。深い交わりは制度や団体や教会の中にではなく、孤独な心の内奥に見出されるのである。
上記ではバニヤンの描く巡礼者の天国への旅が、孤独な旅であり、教会、聖礼典、儀式の力をあてにすることができない救いへの道であったことが記されている。
バニヤンの自伝を読めば、彼が、天国は紛れもない事実であり、地獄は自分の魂と同じように現実的であると確信していることが分かる。一方には永遠の至福、純粋、光明があり、他方には永遠の苦悩、暗黒、歯噛みがある。〜人間生活のはかなさに気がつき、天国と地獄の間で、細い糸によって吊り下げられ、喘いでいる、感受性のある、感情的な人間を想像してみよう。〜バニヤンの心理状況はそのようなものであった。魂はひどい罪意識、切迫した死、確かな裁きに押つぶされそうである。彼を招いている神がいる一方、何千もの悪魔が彼を支配しようと待っている。バニヤンができることは、ただ指で耳を塞いで、地上のあらゆる声に耳を閉ざし、後ろを振り返るのを拒み、「命、命、永遠の命」をと叫びながら走りだすことであった。しかし、彼の前に横たわる路は、短くもなく平坦でもなかった。
彼にとって天国と地獄は、少なくとも自分の足で歩んだベドフォードの野原の小道のように、現実的なものであった。〜この僅かな死すべき地上での日々は、生命か死かを決定する故に非常に重要であったが、終わりのない悦楽や苦悶の混沌の中で失われてしまう。
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本書で得た知識を、ほとんどそのままで紹介している箇所
第一章第三節「ルターの天職概念」で引用されているクロムウェルの下院議長に宛てた手紙 「救いを目的とするのは欲得づくであろうか」という疑問に対するバクスターの答え ピューリタン的政治家ハッチソン大佐の性格についての記述
クロムウェルがルネサンス期の芸術品を保護した記述