パーソンズ
事実的秩序は本質的に論理的理論、特に科学というものによって理解可能
ex)自然法則としての生存競争など。
(事実的秩序)が長く維持するとすれば、何らかの規範的要素といったものが効果的に機能しなければ決して安定しえない。
功利主義においては「目的」「合理性」がそれにあたり、いかに合理的に目的を果たすかという視点に立つと万人の万人に対する戦争に代表される暴力と欺瞞の世界に繋がる。 ホッブズは「将来獲得されるだろう利益を犠牲にしてでも安全というものを確保しながら、暴力と欺瞞を排斥するのに必要な行為」として社会契約に発展する 関心を寄せている解決法はこれと同じものではない
この考えの背後には、行為者が自分のおかれた状況において目的を合理的に追及するだけでなく、状況全体を理解し安全を得るために自分の将来の利益を犠牲にしてまで行為を遂行するということが仮定されている。これは合理性の概念を過度に拡大してしまっており、また安全にたいする利害の一致をすでに想定していることで功利主義的前提(目的のランダム性)を突き崩していると指摘する。(引用) 諸利害の自然的な一致という異議のある形而上学的教義をその支えとせずに ホッブズ的秩序の問題をいかにして解決することができるか
形而上学的教義:功利主義的解決のもうひとつの方法であるロックの「利害の自然的合致」は単なる形而上学であり(この形而上学は古典派経済学に受け継がれるごとになった)とても解決と呼べるようなものではない。 行為者にとって意味のある"最小単位"としての単位行為
「行為者」:個人であるか集団であるかは問われない
「目的」
行為過程が志向する事象の未来の状態
「手段・条件」:行為過程の状況の中で目的に合わせて制御できるものが手段であり、制御できないものが条件である。
「規範・価値」:規範は行為者を内側から制御し,価値は外側から制御する。(これらを総称して規範的志向と呼ぶ) 観察者の構成する要素に区分されだ単位行為
「目的」:ある行為の結果と、その行為をしなかったときに起こる事態との差
「手段」:行為者の制御により望ましい方向に変化させれる事態のある側面
「条件」:行為一般に帰属できない状況
「規範」:行為体系の創発特性を導く要素?? (明確に定義がないため)
観察者の単位行為の特徴
1この単位行為では4要素すべてが特定できる。なぜなら観察者自身が要素を決定できるからである。
2行為には規範的志向がある。というのは行為者の目的は選択的要因である規範・価値の影響を受けているからである。ここから、条件から手段を規範から目的を導くために、条件と規範を結び付ける「意志」「努力」という要素が必要となる。
3目的は手段に先行することから、目的と手段の間には時間的な差がある。そのため単位は時間という概念を含む。
4規範的要素は行為者の心の中にのみ存在する。なぜなら観察者が規範的要素を観察できるのは規範が実現され、ある形態をとるからである。
単位行為の規範的志向を観察者の構成した要素である「創発特性」に従って統合したもの。創発特性とは、適当な大きさに統合された行為体系に典型的に現れる特性であり、特定の創発特性は行為体系が小さすぎたり大きすぎると観察されなくなる。 創発特性の5種類の合理性/具体的表現/社会科学(ミクロな行為体系に現れる順)
「原初的合理性/技術/技術学」
技術は単位行為の統合によって最初に現れる創発特性である。そこでは目的や規範に対して作用する原初的合理性が単位行為を統合する。
単位行為の特性が目的や規範に対する知識の内容に関連して、すなわち原初的合理性のみが問題になる場合、これを技術学という
「経済的合理性/効用/経済学」
原初的合理性が2種類以上作用するとき、その中のどの原初的合理性がより効率的であるかという経済的合理性が作用する。効用とは経済的合理性によって単位行為が統合されているときに出現する特性である
第一の水準に経済的合理性,すなわち効用が特性として加わる水準を経済学という
「政治的合理性/権力/政治学」
現実には、資源は有限であり、よりマクロな行為体系では資源の合理的な分配方法についての合理的な方法を必要とする。この合理的方法として政治における権力を考えた。この権力に働く合理性が政治的合理性である。
資源の希少性から資源を分配するための権力、すなわち政治的合理性が特性として加わる水準を政治学という
「社会的合理性/共通価値/社会学」
政治的合理性によって強制的に資源の分配することが出来ると考えたが、そうした権力は、さらにマクロな点から見れば、その権力を当然であると考える合理性を必要とする。共通価値とは社会的合理性のことであり、そうした権力を認める何らかの価値観である
こうした権力による行為の制御は、その権力による強制の妥当性を社会の構成員が道徳的に持っことを必要とする。よって権力問題の解決は、社会の構成員が共有する価値によって統合されていることを必要とする。この共有された価値は共通価値という創発特性によって分析される。こうした社会的行為体系に関する分析が社会学である
「パーソナリティ/心理学」
遺伝的基盤で理解可能な行為体系の特性を心理学という。
科学の対象と方法論
科学の対象はあらかじめ構成された図によって区別される
自然科学とは,空間内での時間の推移を表す図式である「時間・空間図式」を用いる科学である。 行為の科学とは、観察者があらかじあ設定した「目的・手段図式」によって行為者の主観的行為を解釈する科学である。目的・手段といった要素は空間には表せない。しかし行為では、目的が手段に必ず先行するから、時間という概念を含む。 上記に対して、文化の科学は非空間的で非時間的な図式を持つ。というのは文化はシンボルとして見いだされるからである。文化の科学において使われている図式は「シンボルの図式」であるが、それはシンボルが観察可能であり理解可能だからである。シンボルの意味の体系は、非空間的・非時間的な性質を持つシンボルという「永遠的客体」の相互関係の体系である 科学の方法
「記述的方法」
現象を詳細に記述する方法のこと。これには言語による記述の方法が該当する。この方法の目的は、説明する現象を定義することである。これに対して現象間の関係を何らかの形で分析的に説明することに用いられるのが説明的方法である。この方法には現象を単位あるいは部分に区分することで説明することと、「分析的リアリズム」を用いることで説明することの二種類がある。 「単位分析」
前提:単位は「具体的現象」を分解することによって得られる。創発特性や共通価値は要素分析上の概念であり、具体的現象の部分ではない。
単位によって現象を区分して説明しようとする方法のこと。単位分析では,現象は、物理学ですべての物質が原子に分解されるように、部分に分解されて単位となる。そしてその単位間の相互分析によって当の現象を説明する。この場合、単位は具体的な「実在」である。すなわち単位は具体的現象の一部分である。また単位分析による比較から諸現象に共通する単位が導き出される。これが「経験的一般化」である。
「要素分析」
前提:要素はあらかじめ構成された概念によって分析的に得られる。
要素分析は、「分析的要素」によって現象を説明する方法である。要素分析は単位分析では捉えられない特性を捉えるために考案されたものである。単位分析では、単位は具体的現象を分解したものである。ここで、行為体系を分解して残るのは単位行為だけであるから、前述の行為体系を考える際に必要とされた創発特性は消滅していまい、創発特性で現象を考察することが出来なくなってしまう。ここでパーソンズは、観察者の観点から要素を構成して区分することを提案する。観察者の観点を導入することで、単位分析によって見過ごされがちな側面、たとえば合理性の概念で分析することが可能になる。
分析的リアリズムについて
分析的リアリズムにおける科学の区分の根拠
一つの科学が取り扱う実在の客観的性質の中にではなくて、科学者の関心の主観的な方向のうちにある
すなわち実在の区分は科学者という主体の概念構成によって形成されたものであるとする。だから、分析的リアリズムでは観察者の構成する概念によって分析がなされている。この分析的リアリズムによって、要素分析が可能となり適切な体系が考察可能となる。このように分析的リアリズムによれば、具体的な実在は様々の理論によって把握可能である。従って現象は社会現象としても自然現象としても把握可能である
パーソンズによれば、この4人の行為理論は「経験主義」の影響によって、単位行為や行為体系を適切に考察することが出来なかった。経験主義とは、現象の性質によって科学の方法を固定化したものである。だから、現象を分割して説明する方法である単位分析のみが分析の方法であり、経験的一般化以上の分析ができない。そして、この方法では価値は現象の中に実在しないから単位分析では捉えられない。
「功利主義的思想」、そして「実証主義的行為理論」と「理念主義的行為理論」が価値を行為の理論に含めることができなかった理由を、パーソンズは、価値という「実在」が具体的現象として存在すると考える「経験主義的認識論」に求めている。この場合の「経験主義」とは日常使用している「経験的」という用語とは異なっている。経験主義とは実在に本質的区分があり、この実在の区分に基づいて主体の側の認識の区分が成立しているという考え方である。
経験主義の区分
実証主義的経験主義
本主義は実証主義的行為理論の前提条件になっていて、すべての実在は本質的に時間的、空間的な位置を占めると考える。それ故、一つの理論体系によってすべての実在が把握可能であるとされる。ここでの一つの理論体系とは自然科学、特に古典力学の論理形式のことである。だからこの考え方によれば、社会現象はすべて自然現象に還元される。現象の変化は理論体系において与えられた諸変数の値を知ることによって、説明され予測されると考えられている。
個別主義的経験主義
本主義は、社会現象が自然現象と同一の理論体系によって説明可能であるという考え方を拒否している。個別主義的経験主義は「理念主義的行為理論」の前提条件になっている。この考え方によれば、すべての実在はそれぞれ本質的に独特のものであり、数多くの理論体系によっても、すべての実在を把握することは不可能である。特に理念主義的行為理論を導く個別主義的経験主義では、自然現象には自然科学の理論体系が必要であるが社会現象、とりわけ人間現象においては理論体系自体が拒否される。なぜなら人間現象は物質的なものではなく精神的なものだからである。人間現象は具体的独自性と個性を持つ。故に人間現象を理論的に把握することは困難である。理念主義的行為理論の前提条件である経験主義では、人間現象そして社会現象に関しては具体的に詳細に記述することのみが唯一の客観的な方法である。よって個別主義的経験主義では理論的把握自体が成り立たない。
直観主義的経験主義
本主義は、個別主義経験主義における上記の性質を満たす。+α、直観主義的経験主義では、個別主義的経験主義とちがって、具体的な現象を記述し説明するためには理論的な把握が必要であるとされる。しかし、人間現象の個別的特性が強調されたために、人間現象に対応している各々の理論にも個別的な特性があると主張される。この立場では理論は説明される当該の人間現象ごとに必要となり、各々の理論は本質的にはなんら結び付いてはいない。
以上の思考方法の欠点を修正した理論がウェーバーの理念型という方法である。理念型は「具体的なものから抽象され、統一的な概念形式を形成するように組み立てられたもの」である。しかしこの理念型も、前述の単位分析と要素分析との両方の視点が混同されたものであった。このため、この理念型の理論もまた科学の一般体系を形成することはなかった。こうした経験主義はいずれも一つの実在に対して一つの理論のみが当てはまるという考え方に基づいていたために、社会現象を有効に説明することができなかったとパーソンズはいう。これらの考え方では、行為の理論は自然科学と同一になるか形而上学的な哲学となるかのどちらかである。そして価値は自然科学的な実在か哲学的な形而上的なものになる パーソンズ的主意主義とは行為が条件と価値から二重に規定されている(則、アプリオリで外在的でな環境)。これはパーソンズ以前の行為が条件のみ、価値のみによって規定されていたことに対して、それぞれの要素だけでは行為は把握不可能であり、行為には条件と価値を考慮する自発性が必要となると指摘する。 マーシャル・パレート・デュルケームは実証主義的行為理論の傾向を持つ
本理論は、科学の方法と自然科学の方法を同一視したものである。
単位行為を「条件」「手段」「目的」から分析する。その方法では行為体系は条件によってのみ規定されるから自然科学と同一になる。
ウェーバーは理念主義的行為理論の傾向を持つ。
本理論は、行為科学の方法と文化の科学の方法を同一視したものである。
単位行為を「手段」「目的」「規範・価値」から分析する。よってこの方法では、行為体系は規範や価値によってのみ規定されるから文化の科学と同一になる。
以上の考え方に対して主意主義的行為理論は分析的リアリズムによって、単位行為を「条件」「手段」「目的」「規範・価値」から分析できる。だから行為体系も行為の科学内での体系として考えられる。
実証主義的行為理論も理念主義的行為理論も経験主義を前提条件にするから、行為の科学の方法を導く事が不可能になる。単位行為では実証主義的行為理論が条件決定論に、理念主義的行為理論が価値決定論になるのに対して、主意主義行為理論では行為を価値と条件から二重に規定する。そこで価値と条件を結び付ける要素である意志や努力が重要となる。これが主意主義的行為理論で考察されたことであろう。(この思想は批判的継承を持ってパーソンズの思想の原点となる。)
内面化(摂取)、制度化、システム論(パーソナリティシステム、社会システム、文化システム)、機能──構造分析、役割、期待の相補性、ダブルコンティンジェンシー、価値の共有、行為の準拠枠(価値志向と動機志向、内面化、制度化等 行為者──状況図式等)
価値の共有
例)対面的状況で、自分の欲求/意図が達成される程度は、相手が自分の行為に対してどう反応/理解するかに依存している。それは対象となる相手も同様である。この事態をダブル・コンティージェンシーと呼ぶ。 パーソンズは、二人の行為者AとBとがそれぞれの予期を確かなものとするためには、価値あるいは規範を共有する必要があるという。翻っていえば、そのことが規範が発生する根拠となるというわけだ。(引用) 訳すと「変数」だが、variablesは「変化するもの」という意味のため、数字でなくても問題ない。本概念は行為者が客体(他者)に関わるときの関係の性質を記述するときに使う「あれか/これか」式の選択肢。つまり、行為者が社会的客体に対したときに、どのようなジレンマに直面しているのか、というパターンである。
下記五組のうち(1),(3),(5)は行為を構成する「志向」の選択の分析から導出され、(2),(4)は「客体」をどう捉えるべきかという問題についての検討から構成された。
(1)感情性―感情的中立性
やや通俗的にいうと、行為の規範という観点からは、ひとは単にある行為において自らの感情を発露するか、それとも抑制するかだけではなく、行為状況に応じて、これをどう扱うべきか文化的規範によって決まっていることも少なくない。こうして、親しい仲間内では変に感情を抑制していると、冷たいとか、他人行儀だとかと非難を受けることにもなるし、逆に、フォーマルな関係で、みだりに感情を露呈するのは、はしたないことだと考えられてリウ。また、医師が患者の感情的動転に付き合っていたら正しい医療行為を行うことができなくなるであろう。行為状況に応じて、このどちらを選ぶべきかが第一のジレンマである(感情性対感情中立性)。
(2)無限定性―限定性
前者は客体の限られた側面にだけ関心を寄せるか,多面的な関心を寄せるかの区別であり,後者は客体にたいしで情動的な態度をとるかとらないかの区別である。(引用) (3)個別主義―普遍主義
普遍的な価値とか理念とか正義とか信義とかのためにやるのか、それとも特定の自分たちの利益とか自分たちなりの価値観や習慣、あるいは自分たちの存続とか伝統を重視するのか
(4)所属主義―業績主義
人間を評価するときに、その人の先天的な属性やラベル(人種・性別など)によるのか、その人が獲得してきた業績によるのか。
(5)集合中心的志向―個人中心的志向
これは、自分のためにやるのか、会社のためにやるのか、など。たとえばお家の名誉のために命を捨てるというのは集合志向的だけど、俺にとってはそんなことはどうでもいいと思って自分のことだけを考えれば自己指向的になる。
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本概念の成立
ex)医者は自己利益を第一とせず、公平無私であるという点ではゲマインシャフト的。合理的で分業(専門職)的という意味ではゲゼルシャフト的。どちらか一方だけにおおざっぱに分類できない。 上記例のように中間形式であって、中間形式でない概念が存在するため下記のようにより詳細に分類したということ。
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客体が社会的対象と非社会的対象に分かれること、社会的対象は「他者」のことであり、非社会的対象は「文化的対象」と「物理的対象」であるということ。主体と客体(他者)は相互作用状況内にあること。主体は文化的対象を内面化している。
「適応」(Adaptation)機能を担う経済:普遍主義―限定性
「目標達成」(Goal attainment)機能を担う政治:業績主義―感情性
「統合」(Integration)機能を担う社会共同体:無限定性―個別主義
「潜在的パターンの維持(および緊張の処理)」(Latent pattern maintenance)機能を担う文化:所属主義―感情中立性
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機能的要件とは社会システムが存続するために必要十分条件として要求される機能であり、他に代替できない機能である。もしどれかひとつでも充たされない、機能していない場合は、社会システムの均衡と安定が変化し、構造が変化し、社会変動が生じるとされている。
システムの構造と過程とを特定化しようとする分析を機能要件分析という。 /icons/白.icon
適応(A)とは
社会システムの目標を達成するために必要とされる用具を提供すること〜状況における対象の諸特性に限定的にかかわる関心の認知的な学習の程度を特徴づける
適応が首尾よくおこなわれるためには下記二点が必要である。
(a)「現実」が行為(者)システムに付与する「要請」にたいして,システムの側が自らを調整するということ
(b)システムが外的状況にたいして能動的な変形を加えるということ
いずれの場合においても必然的に認知的な志向が強調される。外的状況を終局的に統御するためには、諸対象に関する「一般化された予見(generalized predictions)」によって現実的な判断を下すことが必要とされる。
したがって,行為者の対象に対する関係は普遍性本位的なものたらざるをえない
また、状況が単に「調整」されるものではなく「統御」されるべきものであるならば、この普遍性本位的に規定された特性、,所与の目標一関心に関連した限定的なコンテクストのなかで知覚され、かつ処置されなければならない。
したがって、態度の性質は関心の限定性によって示される傾向を有する
かくして(A)位相の内容は「対象を組織化する」側の普遍性本位と、「態度を組織化する」側の限定性という、親和性をもった二つの変数の結合によって示されることになる
目標達成(G)とは
社会システムの目標を決定し、その目標を達成するためにシステムの諸資源を動員すること〜陽表的な遂行過程に動機づけが感情的にかかわっているその程度を特徴づける
後続位置としてのシステム単位の位置Bは、行為者に、所与の特定の目標志向の成就に関して欲求充足の増大もしくは減少が生じている、あるいは「産出されている」という意味で先行位置Aとは異なっている(図6参照)。
図中、Bの右側に(G)とあるのは位置BがG位相を示すということである。位置AはAdaptationの頭文字でもあるので(A)はあえて付さなかった。
先行するいかなる道具的―適応的な諸活動も早熟な欲求充足への傾向の抑制(inhibition)に結びついていた。〜だが、高潮してきた諸活動が実行に移されようとするときには,欲求充足への抑制は解除され,感情性が目標成就活動にみなぎる」
かくして,この位相の内容は,「対象組織化」の側の遂行本位と「態度組織化」の側の感情性によって説明されることになる。
統合(I)とは
社会システムが内部葛藤を起こしたりしないように、文化的価値パターンを個々人の動機づけと構造に関連付けるもの〜システムにおけるシステム単位の多面的―個別性本位的統合のレベルを特徴づける
パーソナリティ・システム(個人)の場合には、それはシステムの「欲求充足の最適化」にかかわり、社会システム(集合体)の場合にはシステム内諸単位(諸個人)の「調整」にかかわる。
いずれの場合でも,それは個別的な(particular)単位が統合される行為一システムの結果的な全体的バランスの問題である(この位相においては)対象はその多面的(diffuse)ないしは総括的な特性によってとらえられる傾向がある
また、パーソンズはことわってはいないが、ここでは明らかに集合体の場合において下記である。
対象への個別性本位的な愛着は自我(ego)と同一のシステムの成員であることを強調して〜共有される諸関心の相互に連関する全体的な複合にかかわっている。自我が愛着するのは、限定的な地位(specificstatus)についている他者(alter)ないしは限定的な役割の遂行者ではなく,むしろシステムの成員として多面的な特性を有した他者なのである。かくして態度の特徴は多面性によって示される」
「対象」の側、「態度」の側の区別は必ずしも分明ではないが、ともかくもこの位相の内容は、それぞれ、個別性本位と多面性の結合によってとらえられる。
潜在的パターンの維持(L)とは
制度化された価値システムを変動させようとする圧力に対して、システムを安定的に保持しようとする機能と、システムの中で生じる緊張(ひずみ)を処理すること〜中立性―特質本位という志向成分、すなわち抑制によって中立化された動機づけの緊張の程度を特徴づける〜「特質」が確認されるのは、行為者と遂行過程の諸帰結である対象世界との関係の中においてである
相互作用が中断している期間においてもシステムが再始動すべきものであるとするならば、「動機づけのパタン」と「文化的なパタン」は維持され続けなければならない
この中断期間においては二つのパタンは、システムが相互作用状態にある時のように顕示的なものではない(notvisible)という意味で「潜在状態」にある。
だがシステムがその生命を保持している限りそれは作動している。
それらはその潜在的位相においては、なかんずく、他の諸行為システムに自らを委譲してしまうことに対して境界を画するものとして作動する。さもなければ、システムの再活動は防害され、さまたげられることになるだろう〜(しかし)動機づけパタンと文化パタンの維持は、システムが中断状態にあるときだけではなく、特定のひとつの位相が優勢であるときにも必然的である〜(し)活動しているいかなる相互作用位相においても事実上潜在位相は存在する
また、この位相は他の諸位相とくらべると「前」と「後」のない静止した位相である
システムの成員としての諸単位間に観察できるいかなる相互作用もない位相である
単位に関して重要なのは,その自足的な特質のありよう(self-containedqualitivestate)である。
対象への志向は第一次的にその特質本位によってとらえられる
また,この位相のさらなる第一次的な特徴は,それがパタン化されてはいるが、しかし抑制された動機づけ潜勢力の潜在的な「貯蔵庫」である、という点である。
かくして守られた中立性ないしは態度の抑制がこの潜在位相を特徴づける。「対象組織化」の側の特質本位と「態度組織化」の側の中立性が親和性をもって結合し、この位相の内容が示されることになる。」
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右から図6/図7
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境界相互交換:境界とは各次元を境にしたものであり、各次元の間で「生産物」による相互交換、つまりインプットとアウトプットが行われるというもの。 A次元が「富」:財およびサービスを支配して、これを社会の種々の水準でなんらかの目標あるいは関心に応ずるように、用具あるいは報酬財として用いるという一般化された能力。
G次元が「権力」:社会の資源を動員して、これを用いて特定のかつ多少とも直接的な体系の集合的目標を達成する能力。
I次元が「連帯」:体系単位の行動を体系の統合上の必要に一致するように《一列に並ばせ》、逸脱行動に至る分裂傾向を抑制ないし阻止し、調和的な協力の条件をつくりだすという社会の機関が有する一般化された能力。
L次元が「威信」:型への同調性を保つために型の維持あるいは緊張の処理を成功させる際の生産物であって、制度化された価値の体系にうまく合致するように行為するという能力。
アウトプットされた「生産物」がサブシステム間で相互交換され、消費されることで社会システムの四機能が充足され、秩序が均衡するとされている相互交換はサブシステムの、さらにサブシステム同士で行われる。
サブシステムはさらにa,g,i,ℓへと分化する(小文字lをℓと表記する)。ℓ次元は交換境界にならないというのがポイント。潜在しているので、目に見える相互交換が行われない。
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サブシステムの運動
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例えばAの適応の次元は上記のようにさらにa,g,i,ℓに分化し下記のように運動している。Aサブシステムのgサブシステムは分配や販売をLシステムのgサブシステム(例えば家族など)にアウトプットし、Lサブシステムのgサブシステムは家族などの労働者サービスをAシステムのgシステムにアウトプットする。
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中期におけるサブシステムの「生産物」をさらに洗練させたもの。後期においては「生産物」が情報を含んだ「シンボル(象徴、文化的コード)」として交換過程そのものを「制御」するとされている。
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社会体系とは、行為理論の関係枠のなかで分析された、複数の人間の相互作用の体系である。それは、もちろん、個人としての行為者の関係によって、ただそのような関係だけによって成り立っている〜社会構造のもっとも重要な単位は人間ではなく役割である。役割とは、行為者の志向のなかで、相互作用の過程への彼の参加を構成し、また規定するような、組織化された部分である。それは、行為者自身の行為と、彼が相互作用する他の人々の行為に関する一組の相補的期待を含んでいる これによると、個人は「自由な行為」によって社会体系を構成するものとはみなされていない。もちろん、個人は強制された・不自由な存在とされてはいないが、個人は社会体系に参加する際に、規定・組織化を受けるものとされている。何によって規定されるかというと、他者の「期待」であるが、他者もこちらの期待によって規定されるわけだから、相補的期待とよばれる。つまり、この「相互作用の過程」(=社会)は、マルクス主義的な支配/従属の関係ではなく、すべての要素が相互に依存する構造主義的関係として理解されている。これはデュルケーム的である(引用) 体系のもっとも一般的、基本的な性質は諸部分ないし諸変数の相互依存である。〜相互依存は体系に入り込む諸成分間の関係にみられる秩序である。この秩序は均衡なる概念においてごく一般的にあらわされているような、自己維持への傾向をもたなければならない。だが、それは秩序立った変動の過程―出発点の状態を規準として、でたらめに変化しうるのではなく、確定した型に従って動く過程―であるかもしれない。これは動く均衡と呼ばれ、成長はその好例である。
:サイバネティックスを取り入れたシステムの変動論、、コントロールハイアラーキー(L→I→G→A図式)など。他にも社会進化論の内容などがある。
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未公刊の草稿―世界初邦訳公刊。