社会はなぜ左と右にわかれるのか
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3つの道徳心理学の原理を主張する。その3つとは、
私は本書で、 人間には、 (必然的に独善に至る) 正義へのこだわりが一般的な本性として備わっていることを示したい。つまりそれは、進化によって設計された特徴の一つであって、 本来は客観的かつ理性的であるはずの私たちの心に混入した、 異物や誤りなどではない。 私たちの〈正義心〉 は、 親族関係という接着剤なしに、大規模で協力的な集団、部族、国家を形成することを人類に可能にしたものであり、他の動物はこの能力を持っていない。 しかし同時に、 協力関係によって成立している集団同士が、 道徳をめぐる争いに終始するような状況をもたらした。 とはいえ、 集団間のある程度の競争は、社会の安寧や発展に必要なのかもしれない。 私は一〇代の頃、世界の平和を願っていた。 しかし現在では、いくつかの対立するイデオロギーのバランスが保たれ、説明責任の名のもとで悪事が見過ごされることなく、 「正義のために暴力的な手段を正当化する」などとは誰も考えないような世界の実現を切に望んでいる。 それは確かにロマンチックなバラ色の未来像ではないが、実現の可能性は十分にある。社会はなぜ左と右にわかれるのか ジョナサン・ハイト ・ 位置140 人は理性的に思考する能力と、道徳的な直観(情動も含める) 能力の両方を備えている。 だが、これら二つのプロセスはどのような関係にあるのだろうか? プラトンは「理性が主人たるべき」 と、 ジェファーソンは「〈頭〉と〈心〉 は、おのおのに割り当てられた領地を統治する平等なパートナーである」 と、 そしてヒュームは「理性は情熱の召使いであり、それ以外の仕事には向いていない」と主張する。 本章では、これら三つの見方のうち、ヒュームのものが正しいことを示した。社会はなぜ左と右にわかれるのか ジョナサン・ハイト・位置1246 項目