理性崇拝自体が妄想
ウェブスター国際英英辞典では、 「妄想 (delusion) 」 は、 「実際には存在しないものに対する、 理性によっては制御できない誤った考えや執拗な信念」 と定義されている。 直観主義者の私としては、 理性の崇拝それ自体が、西洋の歴史上もっとも長く生き続けている妄想の一つ、すなわち「合理主義者の妄想」 だと言いたい。 それは、「合理的な思考能力はもっとも高貴な人間の属性であり、 それによって、 (プラトンに従えば) 人間は神のような存在になり、 (新無神論者によれば)神の信仰という 『妄想』を脱却できる」という考えのことだ.社会はなぜ左と右にわかれるのか ジョナサン・ハイト位置2099
私は本書を通じて、この理性崇拝を 「合理主義者の妄想」 と呼ぶ。 妄想と呼ぶのは、人々の集団が何かを神聖視するようになると、そのカルト集団のメンバーはその事実を明晰に分析する能力を失うからだ。 道徳は人々を結びつけると同時に盲目にする。 純粋なカルト信者は、現実離れした神聖なファンタジーを生むが、やがて外部から誰かがやってきて、偶像を台座から叩き落とす。 まさにそれが、 「理性は情熱の召使いにすぎない」 という、当時の哲学を冒瀆する叫びを高らかにあげたヒュームのしたことだ。社会はなぜ左と右にわかれるのか ジョナサン・ハイト・位置794