カルト
カルトの影響にまつわる疑問に対してもっと正確に答えるには、まず次のように、正しく質問する必要がある。カリスマ的な指導者はどんなテクニックを用いて、コミュニティと意義を求める人々の根源的な気持ちを悪用するのか? 彼らはどのようにして、そうした力を生み出しているのか? / その答えは、誰もが花の冠をつけて明るい太陽の下で踊る人里離れたコミューンで生じる、奇妙な幻覚を引き起こす「魔法」とは異なることがわかっている(それはコーチェラ・フェス──コーチェラ・バレーで年に一度開かれる世界屈指の野外音楽フェスティバル――と呼ばれ、これもまた独特の 「カルト」 だと言えなくもない)。ほんとうの答えは、最終的には「言葉」 だ。 つまり、話し方。 既存の単語を巧みに再定義した言葉から (新しい単語を考え出すこともある)、迫力のある婉曲表現、暗号、改名、キャッチフレーズ、チャント(詠唱)、マントラ、異言、沈黙の強制、さらにはハッシュタグまで、言語が重要な手段となって、 あらゆるレベルのカルト的な影響が生じるわけだ。 搾取を目的とするスピリチュアルなグルはそれをよく知っているし、ねずみ講を企てる人、政治家、スタートアップ企業のCEO、 ネットで陰謀論を唱える人、フィットネスクラブのインストラクタ一、 ソーシャルメディアのインフルエンサーも、それをしっかり心得ている。カルトのことば なぜ人は魅了され、狂信してしまうのか / アマンダ・モンテル 19ページ ただし、カルト語の仕組みについて論じる前に、 重要な定義に注目する必要がある。「カルト」という語は、厳密には何を意味しているのだろうか? 実のところ、反論の余地のない定義を考え出すのは一筋縄ではいかない難題だ。 この本を書くための調べものをし、さらに執筆を続けているあいだ、この語に対する私の理解はどんどん曖昧になり、定まらなくなっていった。 カルトのことば なぜ人は魅了され、狂信してしまうのか / アマンダ・モンテル 24ページ 当時の「カルト」は単に「宗派」 や「学派」と同様の、教会に関連する分類の一種にすぎなかった。 その語は何か新しい団体や正統ではない団体を意味するもので、 必ずしも無法な団体を指すわけではなかったのだ。「カルト」の語に悪評が生じはじめたのは、第四次大覚醒が始まる少し前のことだった。 その時期、社会規範にとらわれないスピリチュアルな団体があまりにも多く出現して、 昔ながらの保守派やキリスト教徒を怯えさせ、まもなく 「カルト」は、いかさま師、ニセ者、 異端の変人と結びつけられてしまう。 それでもまだ、それほど大きな社会的脅威や犯罪行為に及ぶ集団とはみなされていなかったのだが......一九六九年のマンソン・ファミリーによる殺人事件、一九七八年のジョーンズタウンでの集団自殺 (第2部で詳しく見ていく)で大きく状況が変わった。 それ以降、 「カルト」 という語は恐怖の象徴になる。カルトのことば なぜ人は魅了され、狂信してしまうのか / アマンダ・モンテル・40ページ ここ数十年にわたり、 「カルト」という言葉は極端にセンセーショナルなものになり、同時にひどく美化されたため、私が話を聞いた専門家の大半はもうこの言葉をまったく使っていない。 彼らによると、「カルト」という語の意味があまりにも広く主観的になっているために、少なくとも学術的な文献では使えないのだという。 つい最近の一九九〇年代まで、 学者たちは何の問題もなく、 「社会から逸脱していると多くの人々がみなしている」 集団を説明するのにこの語を使っていた。 だが、 社会学者ではなくてもそのカテゴリ一の分け方に歪みが生じたことがわかる。カルトのことば なぜ人は魅了され、狂信してしまうのか / アマンダ・モンテル 42ページ だが結局のところ、 「カルト」に正式な学問的定義は存在していない。 「それは本質的に非難の意味を含む語だからです」 と、サンディエゴ州立大学の宗教学教授レベッカ・ムーアは電話インタビューで語った。「単に、 自分が好きではない集団を説明するのに使われてきただけなのです」。 ムーアは独特の立場から、カルトという研究テーマに取り組んでいる。 彼女の姉と妹がジョーンズタウンの集団自殺で命を落としており、実際にはジム・ジョーンズに指示されて集団自殺遂行の手伝いをしていた。 ムーアは、「カルト」という言葉を本気で使うことはないと私に話した。 その解釈は、明らかにそれぞれの判断に任されるからだという。そして、「誰かがその言葉を使えばすぐ、 私たちは読者や聞き手として、あるいは個人として、その特定の集団についてどう考えるべきかがわかります」と語った。カルトのことば なぜ人は魅了され、狂信してしまうのか / アマンダ・モンテル 44ページ