他人の視点からものを見る
彼〔デイル・カーネギーのこと:引用者註〕は、ヘンリー・フォードの次のような言葉を引用する。 「成功の秘訣をたった一つあげるとすれば、それは他者の考えを把握して、 自分の視点からと同程度に、 他人の視点からものごとを見通す能力だ」 この指摘は当たり前に思われるかもしれないが、実際にそれを道徳や政治の議論で実践しようとする人はあまりいない。というのも、私たちの 〈正義心〉 は、いとも簡単に戦闘モードに入ってしまうからだ。 〈乗り手〉 と 〈象〉 は、円滑に協力しながら、 相手の攻撃をかわし、 言葉の礫を投げ返す。 その行動は味方に強い印象を与え、「われわれは皆、チームに身を捧げているのだ」 というメッセージを伝える。 しかし、どんなにまっとうな論理を駆使しても、戦闘モードに入っていたのでは敵の心は変えられない。 道徳や政治の議論で、 誰かの心をほんとうに変えたいのなら、自らの観点ばかりでなく、 相手の観点からも、ものごとを見通せなければならない。 真に他者の観点から、ものごとを深く直観的に見られるようになれば、それに呼応して自分の心がオープンになるのがわかることもあるだろう。 道徳的な議論で共感を保つことがきわめてむずかしいのは確かだが、 共感は、独善的になりがちな〈正義心〉 の解毒剤になる。社会はなぜ左と右にわかれるのか ジョナサン・ハイト・位置1233 もっとも、仮に他者の心を正確に推論できたとしても、それが円滑な相互作用や幸せな他者との関係につながるわけでもないだろう。他者の痛みや欲求、自分に対して持つ悪意を正確に知ることは、日常に大きなストレスをもたらすことになる。加えて、自分の心を他者に知られてしまうことになるわけで、これもまた不都合な事態を生じさせるだろう。それなりの不正確さやバイアスの存在ゆえに心の推論が日常生活で機能するのかもしれない。なぜ心を読みすぎるのか みきわめと対人関係の心理学 p.126