議論
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議論や対話という形でコミュニケーションを無理やり継続させようとする人がいる問題。某トロールとか青識亜論とか。ポリコレについて論じた清水晶子の以下の主張が大変興味深い。 言い換えれば、 「止める」 ということの重要さ、少なくともある特定のアリーナにおいて 「ここは議論しません」ということの重要さがあるのではないか、と。「止める」ことには有効性は明らかにあるんですよ、いま言ったような意味で。 だけど、 それに頼るべきなのかどうか。私は「議論を止めてもよい、 あるいは止めるべき文脈はあるのではないか」 と思っています。清水晶子,ハン・トンヒョン,飯野由里子. ポリティカル・コレクトネスからどこへ86ページ 清水: そういう状況にあって、 PCをある意味で「ストップをかける」ものと考えて評価すべきなのだろうか、 と思うようにもなったんですね。 ただ同時に、「ストップをかけられた」こと自体が政治的に動員される、という問題もある。 保守派は「PC批判」 の当時から学問の自由や表現の自由という議論を利用してきたわけですが、これが最近どういうかたちをとっているかというと、いわゆる「キャンセルカルチャー批判」ですよね。清水晶子,ハン・トンヒョン,飯野由里子. ポリティカル・コレクトネスからどこへ ・ 91ページ つまり、「議論を止める」 というか 「栞を挟む」ことの必要性を真剣に考える必要があるのではないかと思う反面で、そうやって栞を挟もうとすること自体が、議論を止めまいとする人たち (あるいは、議論を止めないことによって、特定の人たちを傷つけていこうという人たち)に、逆に利用されてしまうという状況に、どう対処すれば良いのかな、と。清水晶子,ハン・トンヒョン,飯野由里子. ポリティカル・コレクトネスからどこへ 93ページ 某有名ネットトロールについての自分のDiscordでの発言。
moriteppei.iconまさにここで書いたような「議論のふりをして接待を迫る連中がいるため議論にならない」ということを大変丁寧に説明したらさすがに間が悪くなって出て行った。
moriteppei.icon意見が合わないからというより、この人格と付き合いたくないのでみんなリジェクトしてるんですが、それが「昨今の人間はみな意見の対立をおそれる。議論ができん!議論をすべきなのに!」に変換されることで、自分が人格的に否定されているということを隠蔽することができるんですよね。
moriteppei.icon@@@@という大変有名なスペースに出現するトロールなんですが、「意見が同じ同質集団でばかり集まり、意見が合わないものを排除するような在り方ではダメだ」「私のような意見が異なる人間も議論に加えろ」と言って、ありとあらゆるスペースに入っていって、リジェクトされてる人がいて。 moriteppei.icon そういう人が、議論というフォーマットだけエミュレートすれば、 「自分の話を聞いてほしい」 という欲望を、表面上は議論という形にdisguise して実現できるっていう。
言い分というと聞こえはいいですが、要は「議論」という枠組みを外すと、話をあんまり聞いてもらえない人っていますよね。 話がおもしろくなかったり、コミュニケーションに難があったり、人格的に好かれてなかったり。
議論では「双方の言い分を公平に聞かなければならない」とされる。
議論ができている間は、 自分の話を「聞いてもらえる」 し、 他人が自分に注目してくれる。
「いや、本当にわからないのです。 教えてください。理解させてください」と言い、教えてくれた人に「うーん、全然理解できない..……….」 と粘りさえすれば、理解できない枠組みに問題を変換しつづければ、原理的にいつまでも議論ができてしまう。
相手してほしいだけ。
moriteppei.icon「議論」っていうのが意味不明な構造なんですよ。一応全員を等しく、平等に話を聞かなければならないし、意見の内容で上下をつけないという。でも、それすると「会話」ができないが話を聞いてもらいたい連中がたくさん集まる上に、そういう連中の集まりは嫌だから、まともな人はその場から消えてなくなっていくという。結局、まったく場として公平でなくなる。 moriteppei.icon 人と話しがしたいけど、話すことができない人っていて。「話す」 以外のスタイルならコミュニケーションがしやすいし、 【自分が】話せる。なぜ話すができないかというと、 まず自分の話を聞いてもらえないから=永遠にターンが回ってこない。「議論」なら必ず回ってくる。 回ってくるようにすることができる。 たとえば 「公平に全員の話を順番に聞こう」 「持ち時間は5分」 のようにできる。 そこではどれだけつまらない意見でも尊重され、話を聞いてもらえる。