まず直感、それから戦略的な思考
道徳的な直観は、道徳的な思考が始まるはるか以前に、すばやく自動的に生じる。 そして前者は後者を駆り立てようとする。 真理を発見するための道具として道徳的な思考をとらえると、 自分の意見に賛成しない人は、 愚かで、偏見に満ち、 非合理であるように見え、 それに対して自分はつねにフラストレーションを感じることだろう。しかし社会的な目的を達成するために、 言い換えると自らの行動を正当化し、 自分が所属するチームを守るために、人類が発展させてきたスキルとしてとらえれば、ものごとをもっとよく理解できるはずだ。 直観に注意を払い、人々の繰り広げる道徳的な議論を額面通り受け取らないようにしよう。 それらは、 戦略的にその場ででっち上げられた正当化である場合が多いからだ。社会はなぜ左と右にわかれるのか ジョナサン・ハイト・位置157 私の疑問は単純で、 「人は、 認知プロセスに重い負荷をかけられても、軽い負荷をかけられた場合と同じように道徳的な判断ができるのか?」というものだった。 実験の結果、 その答えは 「イエス」 だと判明する。 負荷の影響はまったくなかったのだ。 いくつかのストーリーで試してみたが、 結果は同じだった。 そこで別のやり方をとってみた。 コンピューターを利用して、十分に考える前にただちに答えなければならないよう仕向けたり、 答えるまで一〇秒間の余裕を与えたりして、 被験者によって条件を変えてみたのだ。 このような操作は、 道徳的な思考能力を強めたり弱めたりすると考えられ、 よって結果も変わるだろうと私は予測した。 だがその予測ははずれた。社会はなぜ左と右にわかれるのか ジョナサン・ハイト・位置960