和歌を学ぶモチベ
数学を学ぶモチベを作ったのでかわりに自分も書くか……cFQ2f7LRuLYP.icon
モチベはある方
モチベが尽きてきたら別のことをする
出てきたらまた始める
モチベをもたらしてるのはなんなんだろう?
好きな題材の歌を読解したり声に出して読んでみたりするのが好き
四季・哀傷・述懐・無常などがお気に入り
暗い歌ばっかだ
声に出して読んでみると新しい発見をすることもある
ex.大海の 磯もとどろに よする浪 われて砕けて 裂けて散るかも
初見の歌を見たときに「これはこの作者だな!」と個体認識できるようになりたい
あまり認識できてない
好きな作者がいるのでその人達を追っかけたい
在原業平
伊勢物語の主役と目される人で、大胆な見立て・対句表現に特徴あり
見ずもあらず見もせぬ人の恋しくはあやなくけふやながめくらしつ
ちはやぶる神世も聞かず竜田川からくれないに水くくるとは
むらさきの色濃き時はめもはるに野なる草木ぞわかれざりける
植ゑし植ゑば秋なき時や咲かざらむ花こそ散らめ根さへ枯れめや
藤原義孝
春は花散るや千種におもへども言の葉しげしかくてやみなむ
露くだる星合の空を詠めつついかで今年の秋を暮らさむ
藤原良経
月のすむ都はむかし惑ひ出でぬ幾夜か暗き道をめぐらむ
われながら心のはてを知らぬかな捨てがたき世のまた厭はしき
おのづから心に秋もありぬべし卯の花月夜うちながめつつ
春の花秋の月にも残りける心のはては雪の夕暮
まだ知らない作者が大勢いる
これから新しく知って「好き!!!」ってなる作者がいるかもしれない
未探検の惑星がいっぱい広がってる感じ
歌風の変遷を追うのは楽しい
例「思わなかった」という表現の具体性が消失する過程
万葉集抜書(佐竹昭広)に詳しい
万葉では「心ならずも我が思ひきや」という表現だったのが古今になると「思ひきや」でそれを代表するようになる
このあと新古今までのパースだとどうなるか調べてない
最近はこのパースを広くしようとがんばっている
万葉→古今→新古今までの数百年のパースから
和歌→連歌→俳諧→俳句くらいのパースへ
和歌→……→謡曲の流れも面白そう
くずし字読むのおもしれ~
純粋に「何がかいてあるのかわかる」体験がたのしい
三十六歌仙の歌仙絵を読んでみる
古今集仮名序の翻刻
書道・芸術品としての価値もあるらしいんだけどそちらはよくわからない
https://gyazo.com/20bb84586567d429a729f6bb932cab5b西本願寺所蔵の万葉集の写本(いわゆる西本願寺本万葉集。20巻・4500首余りを全部揃える最古の写本)。
山上憶良の秋の七草の歌。万葉仮名で表記されてる
https://gyazo.com/17bf22b72c03dc826ed1573dac6625f2
高野切。古今和歌集の現存最古の写本
かな書道の練習によく使われる
日本古典文学の基礎教養
組み込みライブラリみたいなもの(?)
新しく知った語を使っていく
知っておくと色んなところで出くわす
江戸の文芸の浄瑠璃や狂歌
能楽
もうちょいマニアックな話
百人一首はほとんど知らない
なんとなく覚えてる程度
基礎教養レベルで知っておくべきなんだろうけどモチベーションがあがらない
各作者にもっといい歌があるのでそっちを見に行きがち
古今和歌集の歌は好き
でもあまり面白くないのも多いcFQ2f7LRuLYP.icon
正岡子規がすごく攻撃している
貫之は下手な歌よみにて『古今集』はくだらぬ集に有之候。
先づ『古今集』といふ書を取りて第一枚を開くと直ちに「去年こぞとやいはん今年とやいはん」といふ歌が出て来る、実に呆れ返つた無趣味の歌に有之候。日本人と外国人との合の子を日本人とや申さん外国人とや申さんとしやれたると同じ事にて、しやれにもならぬつまらぬ歌に候。この外の歌とても大同小異にて駄洒落か理窟ツぽい者のみに有之候。
再び歌よみに与ふる書
古今和歌集でよく使われている、掛詞や見立ての技法のおもしろくなさ
まあたしかに「年のうちに春はきにけり ひととせを去年こぞとやいはん今年とやいはん」がいきなり来ると「何?」となる
年内立春といって12月のうちに立春が来たときのことを詠んでいるのだ
なんでこの歌が巻頭歌を飾っているのか、cFQ2f7LRuLYP.iconにはよくわからない
ゲストと主催者の関係でないか、と誰かが言っていた記憶(うろ覚え)
作者の在原元方は古今集撰者らよりも前代の歌人
ゲストのスピーチから始めて、主催者の挨拶する流れ
これは連歌や俳諧が始まるときとも近い
わからないことばっかだよこの歌集……
たしかに掛詞は駄洒落と紙一重の技法ではある
掛詞と駄洒落を分ける境界は雅言か俗言かどうかなのかもしれない
口頭語・卑俗語・漢語などは和歌・連歌においてはまず使われない
使われるときは諧謔性を帯びている
そうした語句が入ってくるのは俳諧の時代を待たないといけない
定型的表現も多い
月見れば千々にものこそかなしけれ我が身一つの秋にはあらねど
大江千里 (おおえのちさと)
(大江千里 (おおえせんり)ではない)
悲秋的表現
月を見ると悲しい
もっともあとの時代の人にはそう見えるだけなのかもしれない
ええ、そうなんだwはるひ.icon
よみ人しらず〜六歌仙くらいに面白い歌を見出す
在原業平が好きな作者
万葉集の雰囲気を残しているのとか
みどりなるひとつ草とぞ春はみし。秋は色々の花にぞありける。
よみ人しらず。春の野辺の草はどれも緑の同じ草だとみてたけど、秋に見たらぜんぶ別の花だったんだなあ。(秋歌上・245)
草を見る目線だと「紫の ひともとゆゑに 武蔵野の 草はみながら あはれとぞ見る」もある(これも古今集)
哀傷歌
夢とこそ言ふべかりけれ。世の中に、うつつある物と思ひけるかな。
紀貫之の歌で、相知った人が亡くなったので詠んだ歌(哀傷・834)
無常観のある歌とか
幾世しもあらじ我が身を、なぞもかく、海人の刈る藻に思ひみだるる。
よみ人知らず。思い乱れる様子と藻の乱れを掛けている(雑歌下・934)
いずれも個人的な好み
正直古今和歌集の歌々が放つ周波数を、cFQ2f7LRuLYP.iconがうまく受信できてないなって思う
四季歌とか恋歌などのわかりやすいところは聞き取れるけど、物名や賀の歌、雑躰などはあんまりよくわからない
敬遠してるといつまでもわからないままのためモチベが上がらない
上げろ
周辺の歴史や漢文脈を学ぶの大変で避けがち
避けるな
古今集の歌より、なぜこれが発表されたのか?規範となり続けたのはなぜか?ということへの興味が強いcFQ2f7LRuLYP.icon
時の推移を配列で表す
万葉集では起こらなかった
20巻による部立
春夏秋冬、賀、離別、羇旅、物名、恋歌、哀傷、雑歌上下、雑躰、大歌所御歌その他
半分以上四季と恋で占められている
四季が6巻、恋歌が5巻
仮名序
仮名序の文言は美文章というべきもので、終わらない言葉の連なりが好き
古の世々の帝、春の花のあした、秋の月の夜ごとにさぶらふ人を召して、ことにつけつヽ歌を奉らせしめ給ふ。あるは花をそふとてたよりなきところに惑ひ、あるは月を思ふとてしるべなき闇にたどれる心々を見給ひ、賢し、愚かなりとしろしめしけむ。
しかあるのみにあらず、さざれ石にたとへ、筑波山にかけてきみをねがひ、喜び身にすぎ、楽しび心にあまり、富士の煙によそへて人を恋ひ、松虫の音に友を慕ひ、高砂、住江の松も相生のやうに覚え、男山の昔を思ひ出でて、女郎花の一時をくねるにも、歌をいひてぞなぐさめける。
又春の朝に花の散るを見、秋の夕暮れに木の葉の落つるを聞き、あるは年ごとに鏡のかげに見ゆる雪と波とをなげき、草の露、水の泡を見て我が身をおどろき、あるは、昨日は栄えおごりて、時を失ひ世に侘び、親しかりしもうとくなり、あるは松山の波をかけ、野中の清水をくみ、秋萩の下葉をながめ、あか月の鴫の羽がきをかぞへ、あるは呉竹の憂き節を人にいひ、吉野川をひきて、世の中をうらみきつるに、いまは富士の山も煙たたずなり、長柄の橋もつくるなり、と聞く人は、歌にのみぞ心をばなぐさめける。
モチベの話でてこねえな
和漢朗詠集
紫式部と同じ頃の人で、詩文・和歌・管弦のどれも優れた藤原公任という人が編んだ漢詩・和歌のアンソロジー
https://gyazo.com/47294795fc4fd83fcd6ee0e73ee7bb26https://gyazo.com/05c1e67ca4057f49e511226aa0523be9https://gyazo.com/5e1dad186a52b978d086637ac78b84c2https://gyazo.com/cbf7fc7da912d7a1ef7ade19545a4095
古今和歌集よりも歌の題材が広がっているのが面白い
源氏物語の時代にどのような漢詩・和歌が好まれていたのかが垣間見えて面白い
白居易か元稹の詩が多い
白居易は長恨歌(唐の玄宗と楊貴妃の悲恋の詩)が有名
こちらも無常の詩・歌がたのしい
なにをして身のいたづらに老いぬらむ年のおもはむこともやさしく
述懐・762。
一体何をしていていたずらに老いてしまったんだろう。年の方も私をどうおもってるのかな。はずかしい……
「年」を擬人化する表現
手にむすぶ水にやどれる月影のあるかなきかの世にこそありけれ
無常・796、紀貫之
最近めちゃたのしい
新古今和歌集の歌
塚本邦雄の本を手がかりにして読んでいる
『新古今の惑星群』(塚本 邦雄):講談社文芸文庫|講談社BOOK倶楽部
『王朝百首』(塚本 邦雄):講談社文芸文庫|講談社BOOK倶楽部
時々kindleでセールになってる
読むのが大変だけど……
本歌取りの技法のおかげで先例・故事を踏まえて読解をする必要がある
橘のにほふあたりのうたた寝は夢ぞ昔の香ぞにほひける
切り出そうとしたら次元の狭間に吸い込まれてしまった
こちらは好きな作者がいるのが大きい
藤原良経(後京極摂政前太政大臣)
鎌倉殿の13人視聴者なら九条兼実の子というとわかりやすいのかな(未視聴)
慈円の甥、という方がわかりやすいcFQ2f7LRuLYP.icon
月のすむ都はむかし惑ひ出でぬ幾夜か暗き道をめぐらむ
われながら心のはてを知らぬかな捨てがたき世のまた厭はしき
おのづから心に秋もありぬべし卯の花月夜うちながめつつ
春の花秋の月にも残りける心のはては雪の夕暮
こういう作風が好物なので…………
どうしてこんな歌が作れるんだろう?
800年以上前にこういう語彙の感覚を持っていて心情を三十一文字にまとめている、その詩情の結晶化する過程というかメカニズムというかがなんなのかもう少し詳しく見たい
万葉集の歌
万葉仮名がどうなってるのかもっと知りたい
山形浩生が書いたラノベっぽい文章の『歌よみに与ふる書』
from 2023/07/28
和歌を学ぶモチベ
和歌に関してはかなり長くモチベーションが続いているがなぜかは謎
慣性・複利(?)的なもんが大きい気がする
これまで時間をかけてきて知識が貯まっている
それが色んなとこと関連してまた刺激されて調べる→また知識が貯まる→たのしい…
マタイ効果か
成果を求められる訳でないのも大きい
試験もなんにもない
今年の数学本読んでるときは和歌読解をあまりしていなかった、今は気運が高まってる
しばらくすると落ち着いてまた少し離れそう
毎日うまいもの食べてたらふと飽きた、豆腐でも食べるか、みたいな
他の人の反応によるドリブンなとこもある
振り付けを考えたりして遊ぶので遅々として進まないけど大変面白がれておりますsume.icon
詩情、暦、見出す瞳、かさねる気持ち、どれも魅力的です(2024/7/12)