本歌取り
和歌や連歌で,よく知られている古歌(本歌)の言葉や趣向をかりて新しい歌をつくること。この技巧は,『新古今和歌集』の時代にとくに愛用された。
◇たとえば,藤原定家は『万葉集』にある
「苦しくも降くる雨か三輪の崎 狭野の渡に家もあらなくに」を本歌にとって,
「駒とめて袖打払ふ蔭もなし 佐野の渡の雪の夕暮」とよんだ。
https://kids.gakken.co.jp/jiten/dictionary06500468/#:~:text=和歌や%20連歌%20れんが%20で,愛用%20あいよう%20された%E3%80%82
掛詞以上に文脈・意味を重層化させる技法
例
たちばなのにほふあたりのうたた寝は夢ぞ昔の袖の香ぞする(新古今・夏歌・二四五、俊成卿女)
さつきまつ花たちばなの香をかげば昔の人の袖の香ぞする(古今・夏・読人しらず、伊勢物語・六〇段)
古今和歌集は「花たちばなの香から、昔慣れ親しんだ人の袖の香を思い出す」。
新古今はこれを下敷きに、より婉曲的に表現している
直接香をかぐのではなく、「にほふあたり」
思い出すのも、現実の中ではなくうたたねの夢の中
津の国の難波の春は夢なれや葦の枯葉に風渡るなり(西行)
心あらん人にみせばや津の国の難波あたりの春のけしきを(能因法師)
季節は春→秋へと変わっている
春の(おそらく花ざかりの)景色がまったく面影もない。枯れた葦に秋風が吹く……
具体的なつくり方は近代秀歌にある
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/kagaku/kindai.html
詞はふるきをしたひ、心は新しきをもとめ、をよばぬたかき姿をねがひて、寛平以往の哥にならはゞ、をのづからよろしき事も、などか侍ざらん。ふるきを戀ねがふにとりて、昔の哥の詞をあらためずよみすへたるを、すなはち本哥とすと申也。
詞は古きを慕い、心は新しきを求め、及び難い立派な姿を願って、寛平時代からの後の歌にならうのなら、自ずと良いことも、ないことがございましょうか。
寛平は年号。大体古今和歌集に収録されている頃の歌のこと
古い姿ををこいねがうにつけて、昔の歌の詞を改変せず、(歌の中に)詠み据えるを、すなわち、「本歌とする」と呼ぶのです。
彼本哥を思ふに、たとへば五七五の七五の字をさながらをき、七ゝの字をおなじくつゞけつれば、新しき哥に聞なれぬ所ぞ侍る。五七の句は、やうによりてさるべきにや侍らん。たとへば、礒のかみふるき都、時鳥鳴やさ月、久かたのあまのかぐ山、玉ほこの道ゆき人、など申ことは、いくたびもこれをよまでは、哥いでくべからず。年の内に春はきにけり、袖ひぢてむすびし水、月やあらぬ春や昔の、さくらちる木の下かぜ、などは、よむべからずとぞをしへ侍し。
この「本歌」について考えますと、たとえば五七五の後半、七五を古歌そのまま置き、七七の字を同じように古歌のように続けたのならば、新しい歌とは聞こえないところもございます。また、五七の句は、場合によっては避けた方がよろしいかと存じます。たとえば、「いそのかみふるきみやこ」、「ほととぎすなくやさつき」「ひさかたのあまのかぐやま」「たまほこのみちゆき人」など申します句は、幾たびもこの句を詠まないでは、とうてい歌が出来るものではございません。「としのうちにはるはきにけり」、「そでひぢてむすびしみず」、「つきやあらぬはるやむかしの」、「さくらちるこのしたかぜ」などは、詠んではならぬと、(亡父俊成)は教えておりました。