新古今和歌集
鎌倉初期、後鳥羽院の命によって編まれた8番目の勅撰和歌集
撰者は五名
源通具
藤原有家
藤原定家
藤原家隆
藤原雅経(飛鳥井雅経)
建仁元年(1201)以降、和歌所寄人らに和歌撰進の命が下り、建仁三年ごろまでに入集候補作が集まる
後鳥羽院がこれをさらに精選し、撰者が部類し目録を作成した
元久元年(1204)の三月に「新古今和歌集竟宴」が催される(これが成立時と見做される)
このあとも改定がたびたび加えられる
特に有名なのが、承久の乱以後に隠岐の島に移った後鳥羽院がさらに四百首を除いた隠岐本
歌風
万葉集から新古今時代の作品を収めており一様ではない
中心は新古今時代
本歌取りの技法が多用される
観念的・幻想的な作品が多い
百人一首にも採られている歌
春すぎて 夏きにけらし 白妙の 衣干すてふ 天のかぐ山(持統天皇 夏、175)
田子の浦に うち出でて見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ(山部赤人 冬、675)
鵲(かささぎ)の 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける(大伴家持 冬、620)
難波がた 短き蘆(あし)の ふしの間も 逢はで此世を すぐしてよとや(伊勢 恋一、1049)
みかの原 わきてながるる いづみ川 いつみきとてか 戀しかるらむ(藤原兼輔 恋一、996)
由良の門を わたる舟人 かぢをたえ ゆくへも知らぬ 戀の道かな(曽禰好忠 恋一、1071)
忘れじの 行末までは かたければ 今日をかぎりの 命ともがな(儀同三司母 恋三、1149)
巡りあひて 見しや夫(それ)とも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな(紫式部 雑上、1499)
秋風に 棚引く雲の 絶間より もれ出づる月の 影のさやけさ(藤原顕輔 秋上、413)
永らへば また此頃や しのばれむ うしと見し世ぞ 今は戀しき(藤原清輔 雑下、1843)
村雨の 露もまだひぬ まきの葉に 霧たちのぼる 秋の夕ぐれ(寂蓮 秋下、491)
玉の緒よ たえなばたえね 永らへば 忍ぶる事の よわりもぞする(式子内親王 恋一、1034)
きりぎりす なくや霜夜の さむしろに 衣かたしき 獨りかもねむ(藤原良経 秋下、518)
みよし野の 山の秋風 小夜更けて ふる郷さむく 衣うつなり(藤原雅経 秋下、483)
構成は?基素.icon
https://ja.wikipedia.org/wiki/新古今和歌集
全20巻で以下の通り(『新日本古典文学大系』所収本による)。『古今和歌集』にならい、「真名序」と「仮名序」の2つの序文がある。
巻第一 春歌上
巻第二 春歌下
巻第三 夏歌
巻第四 秋歌上
巻第五 秋歌下
巻第六 冬歌
巻第七 賀歌
巻第八 哀傷歌
巻第九 離別歌
巻第十 羈旅歌
巻第十一 恋歌一
巻第十二 恋歌二
巻第十三 恋歌三
巻第十四 恋歌四
巻第十五 恋歌五
巻第十六 雑歌上
巻第十七 雑歌中
巻第十八 雑歌下
巻第十九 神祇歌
巻第二十 釈教歌
https://www.digital.archives.go.jp/file/1237395.html 4冊ある。20じゃないの?基素.icon
正徳四年の刊本なので、二十巻の内容が四冊に分けられているのだと思うcFQ2f7LRuLYP.icon
おそらく5巻ごとになってるのではないか
帰ったら見てみる見た
https://gyazo.com/3c4f1c36a2b3d67772d894021cb69978
1冊目だと巻五・秋歌下だったのでそうっぽい
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/186502
『新古今和歌集』の鎌倉時代の古写本で、巻第一より巻第十五までの三冊を存する
各冊末にある奥書によれば、この本は文永十一年、同十二年に大夫阿闍梨円嘉【えんか】の真筆本を以て書写したもので、
その円嘉本は藤原定家筆の御室御本を底本として、延応元年(一二三九)に藤原家隆書写前内大臣(九条基家)家本を以て校合し、これに合点を加え、さらに寛元元年(一二四三)に藤原定家書写前内大臣家本を以て再び校合を加えた本であることが知られる。
そもそも何冊あるのか?
現存する『新古今和歌集』写本のなかで、本書は書写年紀の明らかな最古写本で、
現物はもう残っていないのかな
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/148858 あるっぽい
藤原定家(一一六二~一二四一)が嘉禄二年(一二二六)に書写した『古今和歌集』(二十巻)で、中世以降の『古今集』研究に多大の影響を与えたいわゆる「嘉禄本古今集」の原本である.帖の末尾に嘉禄二年、定家六十五歳の時に書写した旨の奥書があり、
これは古今和歌集の話cFQ2f7LRuLYP.icon
新古今も古今も20巻なのか!基素.icon
基本的に20巻構成ですcFQ2f7LRuLYP.icon
古今和歌集がそれ以降の勅撰和歌集の規範となっているため
金葉和歌集と詞花和歌集は10巻
嘉禄二年本は冷泉家時雨亭文庫蔵、国宝
基本的に「現物」が残るケースは稀cFQ2f7LRuLYP.icon
現物を書写した本が伝承されたり校合されたりして作った本が残っている、のがほとんど
戦火で消失したり、行方不明になったり、調度品として切り出されて一部しか残らなかったり(〇〇切と言われる)
ex.高野切、本阿弥切
上の嘉禄本古今集にしても「現物」からはおおよそ三百年経過した後の写本の一つである
編集過程の草稿本も、完成した奏覧本にせよ、現物が残っていたならとんでもない価値になる
上の文章を見ると藤原定家は書いていたようだが、他の人も書いたのだろうか
後鳥羽院による隠岐本もあるcFQ2f7LRuLYP.icon
写本もあったりなかったり?
未知語の森に入ってしまった基素.icon