知的生産
定義
sta.icon2024/04/27、今はこっち
以下は定義やニュアンスをsta.iconが考察したものたち
とりあえずフリーライディング
たとえば井戸端のyyyy/mm/ddページのような営みを「共同日記」言うたり「デイリーページ」言うたりするのも知的生産
ちなみにsta.iconは
これ自体は「n人で使うべき」という制約は入れてない(n=1でも複数でも)
単に「その日の作業動線をつくる」くらいの意味合い
が、他の井戸端民だとまた違った整備の仕方をするだろう
どこまで「人にわかるようにするか」も段階がある
上記で言えば、
共同日記はただのネーミング(なのでしょぼい段階)
sta.iconのデイリーページの説明は割と頑張っている
こういう「何かに名前をつけて扱えるようにすること」を知的生産にしたい
名前をつけて誰でも一般人でも凡人でも扱えるようにしたい
するべき
研究者だけの特殊な営みでもなければ、胡散臭い言葉遊びでもないんだよsta.icon*4
別の言い方をすると、「みんな普段から頭働かせて色々やってるよね」「それらに名前つけて、必要なら前提とか補足とかも整備しようぜ」「そうしたら語れるようになる。人に伝えられるようになる。自分としても取り扱いやすくなる」
ついでにいうと「概念上・言語上で操作してカスタマイズや机上検証ができるようになる」もありますねsta.icon
が、これは実用性しか見てないので限定的かなぁsta.icon
ただ、「知的生産」という名前の響きはよろしくない
「情報」はどこまで含めるか
sta.iconは少なくとも「フィクション」は含めないと思っている
情報とは現実の知識なり、というか
まあこういう議論すると知識とは、情報とは、と哲学み増えてくるけど、いったんここまで
「高度」について
主観的なものなので無視していい
高度かどうかで価値が決まる、知的生産かどうかが決まるなんてアホらいし
が、文脈によってはある程度の品質や実用的価値が求められることもある
そういうものをつくるのはそれなりに大変
それを高度と呼んでいる、はあるだろうな
知的生産という言葉がどこを対象にしているか、から考えてみると洞察得られるかもしれないとこれ見て思った
僕が欲しいのは
利便と哲学の間に潜んでいるであろう世界に光を当てること
特に「僕が好きな部分」を明らかにすること
その「僕が好きな部分」で盛り上げていくための礎をつくりあげていきたい。
気のせいだったとか、俺の実力では無理だったとか、いやただのサンクコストやろとかならそれでもいい。