知的生産に「新しさ」は必須か
「新しさ」とは何か問題
専門家ではない情報の受け手にとって「新しい」とは、「自分が知らなかったこと」である
情報の届き方も重要で、だからこそ翻訳にも意義がある
新しさは観測者がいてこそ成り立つ
観測者が観測できなければそもそも新しさなどわからない
ゆえに自分一人にしかわからないオレオレ概念に新しさはない
内容の独自性
表現の独自性
二つは割合として含まれる
入る(sta.iconの持論)
知的生産と「知的生産物の価値」は分けて考えるべき
hr.icon
哲学みが出てくるなぁー。。。sta.icon
どこにおける新しさなのか
世界にとって新しい
世界にとって新しいかどうかは、よほど広まらないとわからないだろうsta.icon
分野Aにとっては新しい
しかし別の分野Bでは(名前がついてないだけで)当たり前に使われているものかもしれない
会社Aにとっては新しい
個人にとって新しい
Aさんにとっては新しい
Bさんにとっては新しくない
なんとなく、lvが5つくらいある気がすると扱いやすい気がする
新しさの価値とは
面白い
役に立つ
sta.iconここがちょいピンと来てないなぁ
上記でいう「表現」は面白いの方に入る
「内容」の方、もうちょっと何とかできないか
表現も内容の一種ではないか?
内容=概念?
そして「概念とは多様に解釈することができる」みたいな
新たな面白いor役に立つを生み出すのに貢献できる