知的生産とは造語である
「知的生産」といっても通じないが、「造語」なら通じやすい。
よって知的生産は造語である、と言えると(主に知的生産という概念を扱っているsta.iconとしてはとても)都合が良い。
言えるかどうか見てみよう(というより、言ってしまうためのこじつけを試みよう)。
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で、このとき問題となるのが「その概念をどうやって捉えるねん」って話
非言語やイメージなどで伝える、音や身体動作で伝えるなど感覚的芸術的アプローチもあるが……
基本的には「言語」だろう
言い換えると、名前をつけるということ
そのような名前とは、十中八九新しい名前である
なぜなら、その新しい概念に対する名前が「既存の言葉だったとき」というのは、以下のいずれかだからだ
A: 実はその概念は新しくなかった
B: その名前(言葉)を誤用している
例sta.icon
「本の感想をbefore, action list, afterでまとめよう」という概念があるとしよう
このBALAは造語である
造単語あるいはイニシャルを並べた略語(造言葉)である
では、仮にScrapboxという名前をつけたとしたら、どうか
Bに相当する
Scrapboxという名前には既に既存の概念がある
それを無視して、新たなポインタを貼ろうとしている
造語ではない(単に既存の名前を侵略しているだけである)
「自分の注意に基づいたセルフシステム開発」なる概念をsta.iconが思いついたとしよう
これに「注意駆動セルフマネジメント(Attention Driven Self-Management)、通称ADSM」と名付けたとしよう
このとき、ADSMは造語か?
Noである
なぜなら、その概念は既にDoMAとして整備されているからだ Aに該当する
ただしAは知的生産と言っても良い
でないと新しいことを生み出さない限り、知的生産できないことになってしまう
我々が知的生産と呼ぶものはもっとカジュアルで個人的なものであるはずだsta.icon*3
要するに、知的生産物(新しい概念)をとらえるためには、必ず新しい名前(単語にせよ言葉にせよ)が必要なのである。
つまりは造語が必要なのである。
よって、知的生産には造語が伴うと言えるし、何なら知的生産は造語であると言っても過言ではないのである。
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英訳
これで下準備が整った。やりたかったことができる。すなわち、知的生産の英訳であるsta.icon*7
知的生産は造語であるとわかった。この前提なら、英訳はシンプルになろう
Neoterize / 造語する(知的生産する)
結論:
知的生産とは造語である
知的生産の英訳は Neoterization である
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Diary
(Aのときも知的生産と言って良い、は追加したけど)
2021/12/18 どうであろうか
15:44:15 悪くない出来に見えるがsta.icon