知的生産の動機
「新しいことを言う」が感覚的に大事というか、「これを他の人が言ってんだったら、別にオレは言わなくていいな」という感じでスルーする部分が多い
インプット(というのは感覚的によくわからない部分もありつつ)するのは、他の人からの思考の刺激を受けつつも、すでに言われてしまっている部分をある程度確かめるという意味があるのかも
新規創造のため、被らないため
「自分の気持ちや考えを自分で表現できない」という絶望感からスタート
自分のことを言い表せないということにものすごい恐怖があり、他者に支配される未来像がリアルにそこにあって、それから逃れるために自分自身を正確に捉えて言語化しようとしている
自分がわからない恐怖
自分がわからない何か、という切り口は僕もありそう
ある意味自動的みたいなところがある。パイプラインの中を流すように、それらの個々の挙動の継ぎ目は、かなり省エネ化された構造になっている。
ターボをかけて、無理矢理流速を生み出している感覚ではない。
パイプラインと表現している
刺激→言語化→発表のパイプライン
知的生産をしているという意識はぜんぜんない
どうすればもっと書かれていることがわかるようになるのか、ここでは何が問われているのか。自分がわかっていることとわからないことを、どうやったら言葉に表わすことができるのか。そんなことばかり考えてます。
もやもやの言語化
吸うと吐くのバランス
少しtrain.iconするけど、個人のIO比のような話も出ていて面白いsta.icon 層として捉える
動機はたった一つだけではないだろうし、上手く捉えたさあるsta.icon
層なのか
モードなのか
sta.icon
「楽しさ」、「自分で好き勝手にしやすい」から、あとあわよくば「自己顕示」