『PSYCHO-PASS』
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S1
Introduction
シビュラとは
そんなシビュラシステムの決定論的世界観に不確実性の小石を投げこまんとし、そこから発生するやもしれない人間の魂の輝きを見たいという槇島の信念がチェとの下記会話に垣間見える。
槇島「このディスクが小石になる~池に投げ込んで波紋を広げる。ドミノ効果やバタフライ効果みたいな...ね。これはドミノの最初の一枚、迷える仔羊にきっかけを与えてあげるんだ。~ただのモルモットかもしれないし、もしかしたら狼に化けるかもしれない。結果がわからないからやるんだよ。とにかく準備は整った、あとはどんな摩擦が発生するか」チェ「摩擦?」槇島「クラウゼヴィッツだ。彼は戦場ではどんなに緻密な計画でも些細な要因で遅延する可能性を指摘した。机上の作戦はどんなに練っても机上のものでしかない。偶然のトラブル、天候などのコントロール不可能な要因によって作戦が直面する障害。これが戦場の摩擦だ。もちろん僕たちがこれからやることにも当然摩擦が発生するだろう。それが少しも楽しみじゃないと言ったら嘘になる。」 /icons/白.icon
執行官とは...
征陸「狡噛を理解するってのは、狡噛のように物を見て、狡噛のように考えるってことだ。それができるようになったとしたら、その時あんたのサイコパスは狡噛と同じ数字を叩き出していることだろうよ。~狡噛は闇を見つめすぎた。そして今でもまだ見つめ続けている。あいつにとって世界でたった一つの正義ってやつは、闇の奥底にしかないんだろう」
征陸が次いで発揮する猟犬の感とはまさに現実感覚(機械に代替不可能な観点) /icons/白.icon
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アバター乗っ取り事件
リアル/サイバーの当為論
常守「ネットってものを調理するための刃物とか記録するための紙とかそういうレベルのものじゃないですかね??いい悪いじゃない、そこにあるんだから受け入れる 」征陸「『人類不平等起源論』って知ってるかい?」〜征陸「二人のハンターが森にいて、それぞれ別々に行動して兎を狩るか、協力して大物を狙う。どちらが正しい判断か。」常守「ゲーム理論の基本では後者。」 征陸「そう、それが人間の社会性だ。言葉、手紙、通貨、電話、この世のあらゆるコミュニケーションツールはこの社会性を強化するものだ。ネットにその効果があると思うかい?」 /icons/白.icon
御堂の信念と槇島の否定
槇島の期待
槇島「ところで御堂将剛をどう思う?」チェ「不安ですね、目立ちたがりは、犯罪に向かない」槇島「そこが面白いんじゃないか、今回の事件を通して彼の真価が試される。人間の価値を図るには、ただ努力させるだけではだめだ。力を与えてみればいい、法や倫理を超えて自由を手に入れたとき、その人間の魂が見えることがある。弱者が強者になったとき、善良な市民が暴力を振るう自由を手に入れたときも、そういうときに何が起きるのか。興味があるんだ。」チェ「旦那はやるんですか?ネットやら高機能アバターやら」槇島「たまに覗くよ、情報収集さ。全体的にアバターを纏ったほうが、人は本音に近いことを語りやすいと思う。さきもいった通りある種の自由があるんだろう。しかし安易な手段で手に入れた自由は、すぐにチープな万能感に負ける。その点御堂将剛はどうなるか」
更に殺すまえにより固有な能力について槇島は言及する
あらゆるアバターの個性を熟知し、完全に模倣する。何者にもなりうる君の個性とはどのようなものなのか、僕はとても興味があった。だから人を貸した、力を貸した。
つまり自由を授けた
御堂の信念
作中で自身が言及している通り、過去のもとに生起するイデアの再現・反復である。
ただそれは槇島に言わせれば、人間の魂の輝きではなく、固有性がちっとも活かせてないからっぽな静的なもの。過去、即ち既存の繰り返しに過ぎず自己完成への努力を指定ない点にオルテガ的大衆及び他人指向型を感じ、シビュラのもとの市民と同じ性質と捉えうんざりしたのかもしれない 最後の幕引きくらい、借り物ではない君だけの志向をこらしてみてはどうだ
『さらば映画よ』を引用し、みんな誰かの代理人であり、代理人たちがさらにアバターを使って、コミュニケーションを代理させている。なにものとしても振る舞うことの出来る君自身、結局のところはなにものでもなかった。と槙島は御堂に吐き捨てる /icons/白.icon
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新標本事件
王陵父
活動主題
シビュラシステムという新たな合理的な善悪の指標を歓迎したが、過度なストレスケアによる弊害、サイコパスの進展によってストレスの感覚が麻痺して刺激そのものを感じなくなってしまい、終いには自律神経を維持できなくなり生きる屍になる、ユーストレス欠乏症となってしまった 王陵牢一は、二度殺されたようなものです。まずは科学技術によって才能を殺され、そして社会によって魂を殺された
これは安らぎという名の病。人々が望んだ死の形 -王陵娘
人は自らを労るあまり生物としてはむしろ退化している、という泉宮寺豊久のテーゼと通ずる
王陵娘
貞淑さと気品、失われた伝統の美徳。それが桜霜学園の掲げる教育の理念。男子には求められない、女子だけに付加されるプライオリティ。それを刻みつけられた後で私たちは深窓の令嬢というブランド品として出荷され、そして良妻賢母というクラシックな家具を求める殿方に購入される。結婚という体裁でね。この学校にいる生徒は誰もが、淑女という工芸品に加工されるための素材なんです。磨き上げられ完成されるのを待つ原石。悲しく、そして退屈な命ですわ。他に花開くはずの可能性はいくらだってあるのに
作品における主題としての全寮制女子学校論
システムによって決められた適正に沿って押し付けられた幸せだけで満足するしかない、〜本当に望む姿、本当の自分の価値、それを確かめてみたいと思わない?~その勤めを途中で放棄してしまった事が殊更に許せないの。
上記二つの発言より父を踏襲しイシューとして掲げている
が槙島に捨てられて窮地に陥った王陵璃華子は今際の際、既に亡き父へ電話をかける描写において、結局は踏襲ではなく依存であり独自性のかけらもない模倣に過ぎない。つまり社会への提起ではなく父を殺した社会への復讐である。
作品の展示場所に人目の多い所を選定する様が、アーティズムの無さとして垣間見える。
願わくば、さらに向こう側の意義を見出してほしいものですが -槙島
より父殺しの復讐が芸術活動の主題と解釈できる。
これは結局のところタイタスと同じで盲目になってしまっていたということ、詳細は下記。
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辱めを受けた命から解放されてラビニアは幸せだったと思うかい? -槙島
美しい花もいずれ枯れて散る、それが命あるものの全ての宿命だ。ならいっそ先起こる姿のままに時を止めてしまいたいと思うのは無理もない話だね。だがしかしもし君が実の娘のように愛していたというのなら君はあの子のために流した涙で盲目になってしまうのかな
否、「これからももっと新しい絵を仕上げていかなくてはならないんですもの」と答える。
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泉宮寺のエンハンス論
泉宮寺「不思議なんですよ、なぜみんな不自由な肉体を捨ててしまわないのか。肉体は魂の牢獄だとプラトンはいいました。〜神は自分に似せて人を作ったと言う。そろそろもう少し神が人に似てもいいのでは。〜例えばあなた、あなたも立派なサイボーグですよ。」アナウンサー「しかし私は義手も義足も人工臓器も使っていません。」泉宮寺「何らかの携帯情報端末を持っていますよね。」アナウンサー「それは誰でも持っているのでは?」泉宮寺「POSデバイス、そして家にはHOME AutomationとAIセクレタリー。それらのデータが災害や事故によって一気に失われたらどうなりますか。」アナウンサー「復旧するまで何の仕事もできません。」泉宮寺「自分の生活をそこまで電子的な装置に委託しているのに、サイボーグじゃないと言っても説得力がありませんよ。あなたにとって携帯端末は第二の脳だ。違いますか?科学の歴史は人間の身体機能の拡張。人間機械化の歴史と言い換えても差し支えない。だから程度の問題なんです。」
槇島「肉体の老いは克服した。あとは心ですか?」泉宮寺「そういうことだね。生命とは他の命を犠牲にすることで健やかに保たれる。だが体の若さばかりを求め、心を養う術を見失えば、当然生きながらに死んでいる亡者達ばかりが増えていく。愚かしい限りではないか。」
メトセラの遊びというタイトルより、長寿を目指す泉宮寺の姿(メトセラ)と死と同時に常森の友人が死す事(大洪水)を表しているのではないか。 /icons/白.icon
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槙島をつき動かすもの
人は自らの意思に基づいて行動した時のみ価値を持つと思っている。だから様々な人間に秘めたる意思を問い正しその行いを観察してきた〜そもそも何を犯罪として定義するんだ、君が手にしたその銃、ドミネーターを司るシビュラシステムが決めるのか?〜サイマティックスキャンで読み取った生態力場を観察し、人の心のあり方を解き明かす。科学の叡智はついに魂の秘密を暴くに至りこの社会が激変した。しかしその判定には人の意思は介在しない。君たちは一体何を基準に善と悪を選り分けてるんだろうね?〜僕は人の魂の輝きを見たい、それが本当に尊いものだと確かめたい。だが己の意思を問うこともせずただシビュラの神託のままに生きる人間たちにはたして価値はあるんだろうか。〜せっかくだ、君にも問うてみるとしよう。刑事としての判断と行動を。〜デカルトは決断ができない人間は欲望が大きすぎる人間か悟性が足りないのだと言った。 ここで常守は打てずじまい、『情念論』 を引用した通り、奇しくも人間としての、刑事としての悟性の欠陥を証明することとなった。 /icons/白.icon
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シビュラ論
シビュラ(禾生)より
禾生「宜野座くん、この安定した繁栄。最大多数の最大幸福が実現された現在の社会を一体何が支えていると思うかい」宜野座「それは厚生省のシビュラシステムによるものかと」禾生「その通りだ。人生設計、欲求の実現。いまやいかなる選択においても、人々は思い悩むより先にシビュラの判定を仰ぐ。そうすることで人類の歴史において未だかつてないほどに豊かで安全な社会を我々は成立させている。」宜野座「だからこそシビュラは完璧でなければなりません」禾生「然り。シビュラに間違いは許されない。それが理想だ。だが考えても見たまえ。もしシステムが完全無欠ならそれを人の手で運用する必要すらないはずだ。~だが公安局には刑事課が存在し、君たち監視官と執行官がシビュラの目であるドミネーターの銃把を握っている。その意味を考えたことがあるかね?~いかに万全を期したシステムであろうと、それでも不測の事態に備えた安全策は必要とされる。万が一の柔軟な対応や機能不全の応急処置、そうした準備までをも含めてシステムとは完璧なるものとして成立するのだ。システムとはね、完璧に機能することよりも、完璧だと信頼され続けることのほうが重要だ。シビュラはその確証と安心感によって今も人々に恩寵をもたらしている~君たちはシステムの末端だ。そして人々は末端を通してのみシステムを認識し理解する。よってシステムの信頼性とはいかに末端が適正に厳格に機能しているかで判断される。君たちがドミネーターを疑うならば、それはやがて全ての市民がこの社会の秩序を疑う発端にもなりかねない」 /icons/白.icon
チェと槇島より
槙島「ラッセルの『幸福論』を読んだことは?」チェ「ないですね」槙島「退屈の反対は快楽ではない。興奮だ。興奮するのなら人間はそれが苦痛でも喜ぶ。シビュラシステムは退屈そのものなんだ」 槙島「普通でない町か。なんだろうな、昔読んだ小説のパロディみたいだ。この町は。」 チェ「例えば、ウィリアム・ギブスンですか?」槙島「フィリップ・K・ディックかな。ジョージ・オーウェルが描く社会ほど支配的ではなく、ギブスンが描くほどワイルドでもない」 /icons/白.icon
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大規模サイコハザード
雑賀の考えるシビュラ下犯罪の脆弱性:新編集版5話を参照
雑賀「個人主義の高揚は暴力を助長する。フランスの社会学者ミシェル・ビビオルカからの著作からだ。さらにビビオルカは主体を奪われた個人がその不可能性を覆すための暴力もありうると展開した。シビュラシステム運営下で最も恐ろしいのはそうゆうタイプの犯罪と思っている。なぜなら犯罪者は動機が個人的な欲望から遠ければ遠いほど刑事にとっては手強い相手となるからだ。」宜野座「そのための色相チェックや犯罪係数解析じゃないのか」雑賀「もちろん犯罪係数を解析すれば一発だ。だが堤防が決壊する瞬間のように、突発的かつ同時多発的に暴力が発生する可能性は否定できない」~狡噛「堤防を決壊させるには、なんらかの方法でシビュラシステムの監視を潜り抜ける先導者の出現が絶対条件であるように思えたのですが」~雑賀「そんな先導者が現れたとき、今の公安局は有効な対策をこうじることができると思うか??」 ビビオルカの『暴力』 に基づいて論じられる、更にその後に続くカリスマ論 狡噛「シビュラシステムの誕生以降、最悪の犯罪者だと思われます~極めて高いレベルの知能、恐らく肉体的にも頑健。特殊なカリスマ性をもち、自分で直接手を下すことは少なく、他人の精神を支配し影響を与え、まるで音楽を指揮するように犯罪を重ねていく男です」~雑賀「カリスマ性には3つの要素がある。英雄的、預言者的資質、一緒にいて気持ちいいというシンプルな空間演出能力、そしてあらゆる事を雄弁に語る為の知性。狡噛が探しているタイプはどのタイプかな」狡噛「全ての要素を備えているように考えられます。」
これは恐らくウェーバーの『支配の諸類型』のカリスマ的支配に基づくものと考えれる。つまり槇島のヘルメット集団による大規模サイコハザードを表しており、一連はシビュラシステム運営下で最も恐ろしい犯罪であるということ。 槇島の意図
槇島「犯罪者予備軍はヘルメットの存在を知った瞬間犯罪者になる。味を知らないなら誰も蜂蜜を盗もうとはしない。シビュラシステムの従順な羊もきっかけさえあれば狂犬に変わる。~完璧に殺菌された環境で育った人間が、ある意味、どんな病人よりも弱い存在であるのと同じように。まるである日突然虐殺が内戦というソフトウェアの基本仕様と化したようだった。」チェ「知ってますよ、その本。Project Itoh。」 『虐殺器官』伊藤計劃より。アバター乗っ取り事件で語っていたように力を与えて大衆を狂犬と化すことにより揺動を行う。 さあ、それでは諸君、一つ暴き出してやろうじゃないか。偉大なる神託の巫女の腸を。
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全てを知った槇島の答え
絶対者との同化の拒絶
槙島「お笑い種だな。人間のエゴに依存しない、機械による公平な社会の運営。そう謳われていたからこそ民衆はシビュラシステムを受け入れてきたと言うのに。その実態が、人間の脳の集合体である、キミ達による恣意的なものだったのか」藤間「いいや、限りなく公平だとも。民衆を審判し監督している我々は既に人類を超越した存在だ。シビュラシステムの構成員たる第一の資格は、従来の人類の規範に収まらないイレギュラーな人格の持ち主であることだ。悪戯に他者に共感する事も、情に流される事もなく、人間の行動を外側の観点から俯瞰し裁定できる、そういう才能が望まれる…例えばこの僕や、キミがそうであるように」~槙島「まるでバルニバービの医者だな。スウィフトの『ガリバー旅行記』だよ。その第三編。ガリバーが空飛ぶ島ラピュータの後に訪問するのがバルニバービだ。バルニバービのある医者が、対立した政治家を融和させる方法を思いつく。二人の脳を二つに切断して、再び繋ぎ合わせるという手術だ。これが成功すると、節度のある調和のとれた思考が可能になるという。この世界を監視し、支配するために生まれてきたと自惚れている連中には、何よりも望ましい方法だと、スウィフトは書いている。」藤間「聖護君は皮肉の天才だな」槙島「僕ではなく、スウィフトがね」 槇島という在り方
槇島「さながら神の如くかね?それはそれで良い気分になれるのかもしれないが、生憎、審判やレフリーは趣味じゃないんだ。そんな立場では試合を純粋に愉しめないからね~僕はね、この人生と言うゲームを心底愛しているんだよ。だからどこまでもプレイヤーとして参加し続けたい」藤間「…やめ…ろ…」槇島「神の意識を手に入れても、死ぬのは怖いか?」
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狡噛と槇島の対峙
正義について
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狡噛と槇島と雑賀の朝食
雑賀「ところでアナーキズムの定義とは?」狡噛「支配と権力の否定です。ただ、混乱と無秩序という意味ではない」雑賀「そうだ。非人間的な支配システム、より人間的なシステムの構築。槙島はアナーキストに近いが、彼ほど破壊を好むとなると本来の語義からだいぶ離れる」狡噛「非人間的な支配システム・・・すなわちシヴィラですよね」雑賀「マックス・ウェーバーの言葉を借りれば、理想的な官僚とは憤怒も不公平もなく、さらに憎しみも激情もなく、愛も熱狂もなくひたすら義務に従う人間のことだという。シビュラシステムはそういう意味では理想の官僚制的行政に近いかもしれない。ただしそれは公表されているシビュラの仕様がすべて真実という前提の上での話だ」狡噛「槙島は電話でオレに、シビュラの正体を知ったと言っていました。お前が命を懸けて守るようなものではない、とも」 雑賀「マックス・ウェーバーからもう少し引用しよう。官僚制的行政は知識によって大衆を支配する。専門知識と実務知識、そしてそれを秘密にすることで優越性を高める」狡噛「槙島はその優越性を剥ぎ取ろうとしている」雑賀「それは上手く行きかけた。例の暴動でこの社会はかなりの危険ラインまで脅かされた。そして厚生省から牧島に対して何らかの提案があった」狡噛「だがその提案を拒絶した」 狡噛の考える槇島像
狡噛「あいつは、マックス・ウェーバーを持ち出された次の瞬間には、フーコーやジェレミー・ベンサムの言葉を引用して返すでしょう」槙島「システムというよりは巨大な監獄では? パノプティコン。一望監視施設の最悪の発展形。最少の人数で最大の囚人をコントロールする。」狡噛「もしかしたら、ガリバー旅行記あたりも引用するかもしれない。あの男はシニカルで歪んだユーモアの持ち主です」雑賀「なるほど、進みすぎた科学と政治への風刺として」~「槙島の過去は何もわかっていません。ただ一つ確実なのは、奴の人生には重大な転換点があった。自分が特異体質だと気づいた瞬間です。自分のサイコパスを自在にコントロールできる体質―それを特権だと思う人間もいるでしょう。でも、槙島は違った。奴が覚えたのは・・・恐らく疎外感です。この社会でシビュラシステムの目に写らないという事は、ある意味、人間としてカウントされないのと同じでは」 雑賀「仲間にいれてもらえなかった子供。なるほど、案外そんな気分が槙島の原点なのかもしれないね」 もし仮に農作物の健康管理にトラブルが生じたら、単一品種のハイパーオーツは疫病によって壊滅的な被害を被り自給体制は崩壊。日本は再び海外から食糧を輸入しなければならないし、他国に対してコミュニケーションを拒絶しているが それを急激に改めなければならなくなる
食糧不足によって日本国民全体の犯罪係数が上昇、食糧輸入を解禁すれば国境警備はどうしても緩めざるを得ず難民の流入も始まる。そうなれば犯罪係数の測定そのものが無意味になるかもしれない。これが次の一手の全貌だと推理する。
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新編集版11話の冒頭
老いは死と事情がよく似ている。人によっては事もなげに老いと死に立ち向かうが、それは他人より勇気があるからではなくて想像力に乏しいからだ。人は愛するものを否認してこそ初めてそれを再びつくり出すことができる。おそらくは私の書く本もまた私の生身の肉体と同様にいつかは死ぬことになるだろう。けれども死んでいくのはやむを得ないことと認めなければならない。10年後には自分自身がいなくなるだろう。100年後にはもはや自分の本もなくなるだろうという考えを人は受け入れる。永遠の持続は作品にも人間にも約束されていないのだ。
そしてシビュラシステムについて述べる
槇島「…生まれたから生きている。生殺与奪の権利を全てシステムに握られているような人間は人間ではない…家畜だ。どんなに表面を取り繕っても畜産業者が家畜を友と認めることはない。不思議だ。この退屈な社会で家畜扱いされてどうして何も壊さずにいられる?この世界に永遠などない。あるのはあがなう者の魂の輝きだけだ。」狡噛「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。自分の命を愛する者はそれを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。」
八木重吉は『キリスト』という詩にて「“永遠の命”とは、ただ今の命がそのまま永続するということではありません。神と人、人と神の親しい関係が完成した充実した命です。~この世で人間が苦闘したその実りは、新しい世界に何らかのかたちで引き継がれると思います。しかしこの地上を、神とともに、キリストとともに、誠実に、熱心に、人々が生き抜いたその先にひらかれるであろう世界こそが、神が人間のために望まれた世界だ、というのがキリスト教なのです。 」といった。 イエスは別の例えを持ちだして言われた。天の国は次のように例えられる。ある人が良い種を畑にまいた。人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。
これは計画自体が最後の審判となることを暗示しているのではないか
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槇島の孤独の昇華
狡噛「貴様は孤独に耐えられなかっただけだ」槇島「この社会に孤独でない人間など、誰がいる。誰もがシステムに見守られ、システムの規範に沿って生きる世界には、人の輪なんて必要ない。みんな小さな独房の中で、自分だけの安らぎに飼い慣らされているだけだ。君だってそうだろう、狡噛慎也。誰も君の正義を認めなかった。君の怒りを理解しなかった。だから君は信頼にも友情にも背を向けて、たった一つ自分に残された居場所さえかなぐり捨てて、ここまできた。そんな君が僕の孤独を笑うのか?」
槇島の遺言
槇島「誰だって孤独だ、誰だってうつろだ。もう、誰も他人を必要としない。どんな才能も、スペアが見つかる。どんな関係でも取替が効く。そんな世界に、飽きていた。でも、どうしてかな。僕が君以外の誰かに殺される光景は、どうしても、思い浮かばないんだ。~なあどうなんだ狡噛、君はこのあと僕のかわりをみつけられるのか」狡噛「いいや、もう二度とごめんだね」
槇島は笑みを浮かべ、同時に狡噛は銃把を強く握った。そして常守のナレーションへと移る
すれ違ってたわけでもない、わかりあえなかったわけでもない。彼らは誰よりもお互いを理解し、相手のことだけを見つめていた。
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常守の法
狡噛との対峙で発する法概念
狡噛「悪人を裁けず、人を守れない法律を、なんでそうまでして守り通そうとするんだ」常守「法が人を守るんじゃない、人が法を守るんです。これまで悪を憎んで正しい生き方を探してきた人々の思いが、その積み重ねが法なんです。それは条文でもシステもでもない。誰もが心に抱えている脆くてかけがえのない想いです。怒りや憎しみに比べたらどうしようもなく簡単に壊れてしまうものなんです。だからより良い世界を創ろうとした過去全ての人の祈りを、無意味にしてしまわないために。」
常守とシビュラ論
尊くあるべきはずの法を、何よりも貶めることはなんだかわかってる?それはね、守るに値しない法律を作り、運用することよ。人間を甘く見ないことね。私たちはいつだってよりよい社会を目指してる。いつか誰かがこの部屋の電源を誰かが落としにやってくるわ。きっと新しい道を見つけてみせる。シビュラシステム、あなた達に未来なんてないのよ
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S2
脆弱性2. 集団的サイコパスという新たな指向
単一個人を特定する心理学と社会心理学及び集合力学なるものは、数多の矛盾を抱えており、それは別箇の概念であり一部包含関係であるといえる。それ自体は自明なことだが、バイオコンピューターによる意思決定プロセス自体が合議のため、己自身を裁くという全能のパラドクスな思考に集合的無意識的なバイアスにより至らなかったと考える。 https://scrapbox.io/files/64b4f8cb200814001b8cd653.png
劇場版 PSYCHO-PASS
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Case.1:罪と罰
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Case.2:First Guardian
須郷の直情的で繊細で男臭さが、実直に正義と信念を伝播させている。
そんな須郷を余すことなく描いた「人間の意志」というイデオロギーを示すシーン
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Case.3:恩讐の彼方に
殺人を犯した狡噛は死者という枷の元歩んでいる。それを悪霊に取り憑かれたと同然と揶揄する
過去のテンジンを自身に重ね、君自身が悪霊なんじゃないかと槇島を通じ問われ、過去を逃避する狡噛がスケープゴートにされることによってハイデガーの既往に気づく。 市九郎はガルシア/狡噛で、実之助がテンジン/フレデリカに対応してるのでは
表裏一体のマッチポンプに見出した前者、一貫した実存のもとにシビュラの御心を得た後者。 https://scrapbox.io/files/64b4fa82acbe8e001b30662e.png
S3
2
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PROVIDENCE
雑賀譲二の遺言
正義も真実も多面的だ。上から見なければ理解できないこともある。
この言葉通り、心理的指標「PSYCHO-PASS」だけには還元できない、善悪を己という贄の創設的暴力による法の象徴化のもとに、法務省の解体を防ぎ法の必要性を魅せた。 ピースブレイカーの組織と哲学
砺波の哲学
パウロは厳格な教育を受けユダヤ教徒としてキリスト教を迫害していましたが天からの光を浴びイエスの声を聴く。その後目が見えなくなり仲間の助けでたどり着いた目的地でキリスト教信徒の祈りにより目からうろこのようなものが落ち目が治るという出来事で回心し伝道師になる。 そしてパウロは自分の強力者であり弟子のテモテに当てた手紙で、教会での儀式や立ち振舞や正しい信仰心を保つ励まし及び偽教士への警告等を記す 更にパウロの思想は「人間は不完全であり無力である為神の恩寵によってのみ救われる」といったもので、イエスの死がその恩寵であるとパウロは考えている。ジェネラルにそれを求めてるという観点から雑賀の下記セリフに至る。
狡噛「ヒントになるかはわかりませんが戦闘中に声を聞きました。あれは新約聖書の一節です」雑賀「どこだ?」狡噛「あなたについて以前予言されたことにしたがってこの命令をあたえます。その予言に力づけられ雄々しく戦いなさい」雑賀「テモテへの手紙だな」狡噛「はい、第1章18節」雑賀「砺波はパウロに自分を重ねているのかもしれないな」狡噛「引きこもりの先生はヨハネっぽいですね」雑賀「パトモス島で黙示録でも書くか」
つまり神(ジェネラル)―パウロ(砺波)―テモテ(ピースブレイカー隊員)と考えており、実際に後の砺波の下記セリフでジェネラルに完全性を見ていることがわかる
「全てを平等に裁定できるAIでなければならない」
憑依の統治
憑依、別の誰かが乗り移ることについて共感やジョークの概念を代表に科学的に論じる
「人と動物の思考の差は客観性」~「自分自身を神の視点で見ることができる」「己を客観視する意識と主観で見る意識を分離することでまるで神の声が聞こえるような感覚になる」
つまり上記によって神すなわち完全性をもつ絶対的なものによる統治を再現・表現していたのではないか
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正義と真実
砺波と進藤と雑賀
この三者はそれぞれ、正義と真実(雑賀)/正義から真実(進藤)/真実から正義(砺波)という思考ステップで本質観取することを臨んでいる。 雑賀は「正義も真実も多面的だ、上から見なければ理解できないかともある。君ならそれが出来る。」と発言する。
進藤は結婚式で遺言家のように、悔やまない道を選び答えを出してほしい、正しさは時代によって変わる。正しさは相対的だが、真実は絶対的。大事なのは真実であり誰も傷つかない選択がそこにある。と発言する。
砺波は下記のように発する
常守「なぜジェネラルから離れないの?」砺波「正しいからだ。」
更に誰かが不当に殺され、広がりすぎた格差、それが真実だという。そこから「全てを平等に裁定できるAIでなければならない」と発し、常守の「違う」に対し「いや正しい」「シビュラもジェネラルも俺のような人間を使い正しさを求める。」と発言する。
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法の価値
常守の法概念
「あなたの神様にストロンスカヤ文書を正しいやり方で入れる」と全てを承知の上で判断を下す常守に「なんなんだお前は」と言われ「法の執行を司る刑事よ!」と発言する。これはS3での進藤灼の「それを決めるのは人間であるべきです。そのためにドミネーターには引き金が付いているんですから」にまさに継承されていることなのではないか
更に「シビュラは絶対じゃない、人とシステムは共生関係でなくてはならない、そうでなければ生きる価値を失う、その形こそ法だ」と言う。
これは国際法にのっとらずシビュラ独自のルールに縋ると海外の復興に乗り遅れ、世界から孤立化する、それを是正するため外国人を受け入れる。という進藤の補完的な試みから、上から見出した結論なのではないか
そして常盛は「ずっと悩んできたことがあり、犯罪係数によって揺るがない議論のないシビュラ社会。常に議論の余地があったはずなのに、人が人であるために議論し続ける為に今回の事件で痛感したと言います。人には法が必要であり、だから私にしかできない形で正義を問うことにしますと、あなたのおかげでこの答えを出しましたと書いてありました。」と言って自己犠牲のスケープゴートのもとに法の象徴化を実現する。 結果シビュラシステムで裁けないものを示し、法務省の解体を防ぐ。
結論
「シビュラシステムを疑いながらその色相は素晴らしい。」という進藤の投げかけに対してシビュラの価値を認めているが他に信じるものがあると冒頭で(リベラル・アイロニズム的)回答をしているように、改良主義的かつ多面的に吟味・玩味し執行するという固有の姿勢こそ、常守の答えでありアレキシサイミアスペアが加速する社会で取り戻そうとした現存在性なのではないか。 ここで局長を打ったことは槇島が1期で常守に問うた「人の魂の輝き」であり「刑事としての判断と行動」である。
イグナトフ兄と狡噛との乱闘におけるセリフ
もしも百年が この一瞬の間にたつたとしても 何の不思議もないだらう雨が降つてゐる 雨が降つてゐる雨は蕭々と降つてゐる
イグナトフ兄の殺害と共に進藤本部長は「長い雨はもう直ぐ止む」と。