フィリップ・K・ディック
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主題
ディック的人間性
それはポーランドにナチスが攻撃を仕掛けている時代。子供達が飢え死にしそうな中、施設で泣いている環境下において、隣の豪華なホテルでナチス親衛隊が宿泊している。
そして彼らはそんな子供たちの泣き様を聴いて迷惑だと吐き捨てる。そんな日記を読んだディックはなんで非人間的なんだ。と感じ、それはナチスドイツの残酷性ではなく人間性を失ったことによる残酷性であると論じる。
つまりアンドロイドは人間性を持たない存在であるが、その人間性を持たない人間に似た存在を殺した人間はかえって人間性を失う。だからこそアンドロイドを殺すことは悪いことではないが、同時に己を汚し、自らに呪いがかかってしまう。というのがディックの主張(ディック的人間性)である。 つまり動物虐待や誹謗中傷など、それらが正義の名のもとであっても、相手のためであっても、自分自体を欠損させてしまうことであると捉える。
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妻との口論
ムードオルガンの機能集
382...自虐的抑うつ、そして絶望
481...未来に開かれている多様な可能性の認識、そして新しい希望
104...???
888...どんな番組であってもテレビをみたくなる
3...ダイヤルをセットする意欲が湧くような大脳皮質への刺激
594...すべての問題における夫の優れた判断を心から受容する態度
???...職業人的態度、自己の職業への創造的かつ新鮮な態度
主題との関連
デッカードへの揶揄
「警察に雇われた人殺しよ」「生まれてこの方俺は1人の人間も殺した覚えはないぞ」~「可哀想なアンドロイドを殺しただけよね。」
これこそまさに失われる人間性を示しているのではないか
その後の下記討論は技術の権力によるアナーキズムな妻の性質を表している。
「今はなにもダイヤルしたくない気分なのよ」〜「3をダイヤルしろよ」〜「まっぴらだわ〜だってもしそうすればダイヤルしたくなるに違いないし、ダイヤルしたくなる気分というのは今の私は想像のつかないほど縁遠い衝動だからよ」~彼女は身動きさえしなくなる。のしかかる重圧、絶対に近い無力感の本能的に偏在的な膜に押し付けられたように
妻のムードオルガンの使い方
妻が抑うつを接種する理由
「今日のあたしの予定表には6時間の自虐的抑うつが組み入れてあるのよ」~「まるでムードオルガンの目的を根底から覆すようなものではないか」~「あの日テレビの音を切ったとき私はナンバー382のムードだった。~その空虚さを頭では認識をしても心では感じなかった。~ムードオルガンを買える身分なのはありがたい~その後で、それがどんな不健康なことであるかに気づいたの~あらゆる場所での生命の不在を感じながら、それに対してなにも反応しないことが...わかる?~昔はそういう鈍感さが精神病の一つの証拠と考えられていたのよ、適切な情動の欠落という名で。」
絶望から希望への切り替え
「そしてとうとう絶望を味わえる調節法を発見したわ!~それからは月2回の割合で、それを予定表に組み入れてるのよ。目端の人たちが他に移住してガラ空きになった地球に残っていることに絶望を感じるには、それくらいの分量がちょうど手頃だと思う。違う??~三時間後には他のダイヤルに自動切り替えするようにプログラムしてあるわ。~ナンバー481、私の未来に開かれている多様な可能性の認識、そして新しい希望」
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1
いまはまだわからない。しかしやがて知ることになるだろう。わずか17年の旅路の果てに
2
珍重に価するアントニオ・イ・クレオパトラのタバコを吹かしながら、ラクマエルの提言した真実を照合するために群衆の騒音を録音したテープを聞いていた。
彼は辛辣に想像してみた。息子よ、 「鯨の口」に着いたら手紙を書いておくれ。おかあさんに、植民地世界のことを、その新鮮な空気や日の光、かわいらしい小さな動物たち、THLのロボットが築きあげる見事な建造物のことを教えておくれ⋯⋯電気的な信号によって返事の手紙が、間違いなく送られてくる。しかし親愛なる息子が、自分で戻って来て、直接に報告することは絶対にない。自分の体験したことを物語るために帰って来ることはあり得ないのだ。それはちょうど、ライオンの洞窟についての昔の物語のようなものだ。罪のない動物たちの足跡は、どれもこれも、洞窟のなかへ向かっているだけで、外の方へ向かっているものはひとつもない。いま起こりつつあることもひとつの寓話にほかならない―しかも、そこには遙かに悪意のこもったなにかが付け加えられている。すなわち、検討してみればみるほど完全なつくり物としか思えない、外向きにつけられた足跡
ここで言われる非可逆性は「地球は平面であり、淵に行くと落ちる」実際に淵を見た人はいないが、それはそれらの人間が落ちて亡くなっているからだという説に通有性を感じる。
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父は子にとって永遠に意志を通わせるのことのできぬ相手、コミュニケィションを絶した謎の存在でありながら、子は父のために何事かをなさねばならぬと執拗に求められる。『ハムレット』の亡霊にあたる存在が負債取立て用ジェット・バルーンだとすれば、話の結末はすでに見えているようなもの。 細部の仕掛けに創意を凝らすディックの小説の中でも〜入念な描写を施された点に特徴のある作品である。しかし、われわれはそのような描写に説話論的な一貫性を見出すことができない。LSDによる幻覚の描写が端的に示している通り、描写される対象は、絶えざる生成変化の過程にあるものとしてとらえられているのであり、そのため、その対象がたとえ瞬時のあいだでも同一のものであり得るかどうかは定かでない。そのような生成変化の跡を忠実に追ってゆくしかない読者は、目まぐるしい逸脱の繰り返しのなかで、いつしか、そもそもの出発点を忘れはじめる。もちろん、自分がどこに到着するかもわかってはいない。その状態は、物語の事実上の終わりに達してもなんら改善されはしない。われわれは永遠に(物語とともに)中空にさまよっているしかないのである。
陥没し続けるテクスト
主人公の旅立ちの動機そのものに一種の逸脱が働きかけていることに、あなたは気づかれただろうか。主人公ラクマエル・ベン・アップルボームは、父の残した負債を返済することができないまま(彼は負債の相続人なのである!)、それから逃亡するように旅に出ようとする。しかし、この旅は、真相を解明し自分が引き継いだ企業の窮地を救い、さらには不名誉な死を遂げた父の復讐を果たすという目的を持つ意味で、彼のかかえるいまひとつの負債と化すのである。このような逸脱というか倒錯は、しかし、読者たらんとする限りわれわれがあまねく共有しなければならぬはずのものであろう。われわれが眼にするテクストは、本来の軌道と思われたものから無限にそれてゆき、中心という概念そのものを空虚なものにする。いや、より正確にいうならば、われわれが見出すテクストの中心は、果てしなく陥没し続けてゆく。ネオ・プラトン主義的な球状のテクストの理念とはまったく正反対に、ここでは、テクストは内なる空無へ向けただひたすらに没してゆくのだ。そこには、もちろん、なにも存在しない。われわれがテクストを読んだという行為自体も、あるいは、存在しなかったかも知れないのである。
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1
グロリアの精神
言語に絶する心理的なゲーム機ひきこまれていたのだ。遁れでるすべはなかった。〜ファットはグロリアの落ち着いた声の中に、ニヒリズムの調べ、虚無の響を感じ取った。ファットは人間を相手にしているのではなかった。電話線の向こうにいるのは、反射作用によって受け答えするだけの存在だった。
さらに衝動的、快楽的な自殺衝動に駆られたことが多分にあるファットを下記観念を抱く。
グロリアの精神は肉体を完全に支配している。グロリアは合理的に狂っていた。
虚の正体
グロリアは話しながら消えはじめた。〜一語一語口にするたびに、少しずつ自分の存在を消していった。それは、そう、非存在のために奉仕する合理性だ、〜いまや現実にのこっているのはグロリアの脱け殻、つまり生を喪失した死体だけ。グロリアはもう死んでいる〜「きみが自殺してしまったら、ぼくは死ぬまで気分をめいらせつづけるよ」〜ファットはこうして生きるためのまずい理由をすべてグロリアに提示してしまったのだ。グロリアは他人に対する好意として生きることになってしまう。〜ひき殺してしまうほうがまだましだった。
グロリアの死
シナノン・ビルの十階の窓から身投げをして、マッカーサー大通りの舗道でばらばらにくだかれた。〜「カーミナがシナノンに行くようにいったのさ」〜カーミナとはナスドン夫人のこと。〜クロリアはシナノン財団のビルのドアを開けたとたん、集団療法をうけさせられたのだ。誰かが面接を待って坐っているグロリアのまえを通りすぎながら、故意に醜い女だといった。つぎに通りすぎた人物が、鼠が寝ているような髪をしているといった。グロリアはいつも自分の短いカーリー・ヘアには神経質だった。みんなのように長ければいいのにと思っていた。シナノン財団の三人目のメンバーが何をいおうとしていたのかはわからない。グロリアはすでに十階にのぼっていた。〜ボブがいった。「人格をたたきつぶすテクニックさ。個人を完全に外的指向、つまり集団に依存させるファシズム的な療法だよ。そうすれば、麻薬になじまない新しい人格がつくりあげられるというわけだ」 依存対象をすりかえ他人指向型に落とし込む。おそらくファットがある種のワクチン(「他人に対する好意として生きることになってしまう」)をグロリアに打っていたから、すりかえと人格の分裂に気づき、己の人格のまま死を選ぶことに執着したのではないか?? なんかこのファシズム的療法、SNSのインフルエンサーが陥ってそうだな。
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2
ファットの環世界の釈義
宇宙が情報からつくられているという理論を展開した。
釈義(日誌37)にて詳しく記述される
われわれは〈脳〉の思考を物理的宇宙における配置・再配置―変化―として体験する。物理的宇宙は実際にはわれわれによって実在化される情報および情報処理ほかならない。われわれは〈脳〉の思考を単に対象として見ているのではなく、むしろ運動として、さらに正確にいうならば、対象の配置として見ている。どのように他と結びつけられているかとしてである。しかしわれわれには配置の様式を読みとることができない。内在する情報をひきだすことができない―情報を情報として、あるがままにうけとることができずにいるのだ。〈脳〉による対象の連結・再連結は、実際的には言語であるが、われわれの使用している言語ではない(〈脳〉以外の何者・何物にでもなく、〈脳〉そのものにむけられているからである)。
更に日誌36にて、ファットの観念下の人間概念について記述する
われわれはこの情報、というよりも物語を、われわれの内なる無性の声として聞くことができるはずである。しかし何かがおかしくなってしまっている。被造物は言語であり、言語以外の何物でもないが、何か不可解な理由でもって、われわれは外なるものを読みとることができず、内なるものを聞くことができない。したがってわれわれは白痴になりはてている。われわれの知性に何かが起こってしまったのである。わたしはこう思う。 〈脳〉のさまざまな部分の配置が言語である。われわれは〈脳〉の部分である。したがってわれわれが言語である。ではどうしてわれわれはこのことを知らないのか。われわれは自分たちのことすら知らないのだから、ましてやわれわれが部分であるところの外なる実体が何であるかを知るはずもない。「白痴(イデイオット)」の語源は「私人(プライヴィット)」である。われわれはそれぞれ私人になり、識闘下では別として、もはや〈脳〉の共通思考を共有していない。したがってわれわれの本当の生活と目的は識闘下でおこなわれるのである。
プラトンの宇宙論では、ヌース(純粋精神)がアナンケ(盲目的必然性もしくは盲目的偶然)を説きふせる。ヌースはたまたまあらわれ、アナンケを見いだして驚いた。アナンケとはヌースが秩序を課する混沌といっても良い(プラトンはどのようにヌースがアナンケを説き伏せるのかは述べていない)。ファットによれば、わたしの友人の癌は、まだ有情の形態に説きふせられていない不調からなりたっているらしい。ヌースもしくは神が、まだ彼女に近づいてないというのだ。
アリア=ファット
本レコードのアリアがファット自体を表すと私が告げる
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ヴァリス二部作の一つ
キリスト教神学とグノーシス主義が中心モチーフになっている。そこでは、この世界が狂った神(ヤルダバオト)により想像された混沌であるというグノーシス思想が、「黒き鉄の牢獄」というキーワードで表現され、登場人物が、混沌の中に真の唯一者の兆候を探し、救済を求める様子が描かれる。
各文学者による批評
ディック作品にはヒーローがいないが、英雄的行為は存在する。ディケンズを思い起こさせるところもあり、普通の人々の正直さ、貞節、親切、忍耐を大切にしている 彼の作品は全て、単一の客観的現実は存在しないという基本的前提から出発している〜全ては知覚の問題である。地面はあなたの足元から変化していく傾向がある。主人公は別人の夢の中で生きていることに気づいたり、薬物に影響されて現実世界をよりよく理解できる状態になったり、完全に違う宇宙に足を踏み入れたりする
実際にディックはプラットに鎮痛剤での神秘体験を下記のように語った
私の心に超越的で理性的な精神が侵入するのを体験し、これまで正気でなかったのが突然正気になったかのように感じた
何らかの強力な外部の存在によって、あるいは巨大な政治的陰謀によって、あるいは単に信頼できない語り手の変化によって、日常の世界が実際には構築された幻影だということに主人公らが徐々に気づき、超現実的なファンタジーへと変貌していくことが多い。こうした「現実が崩壊していく強烈な感覚」はディック感覚と呼ばれている