マグリット
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これらの絵画は、「はっきりと見えているもの」と「隠れているが見えるもの」の存在に―わたしたちは突然、その存在に気づく―関心を向けさせる。そのふたつは、自然界では切り離せないものだ。見えるものは、何かほかの見えるものを隠していることがある。だがこれらの絵画はこうした事物のあり方を、一目でわかるように、しかも予期せぬ方法で示している。世界がわたしたちに見せているものと、それが隠している、だが見えるものとの間には、何かが起きているのだ
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例えば重さが詩に影響を与えるとしたら、それは巨石によって想起される。想起されるべきは重力の法則ではなく、重さなのだ。物理学は関係ない。詩にとっては、重さの感覚、感触、あるいはイメージで十分だ。法則など余分で、芸術に物理学が介入した途端、それは過剰なものになってしまうだろう。
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スケッチブックを手元に置いておく。インスピレーションがイメージを与えてくれる。雲を描きたくなれば、ひたすら雲の絵を描く。その形が持つ意味もわからないまま絵に囲まれているうちに、インスピレーションが再びわたしのとて、この雲の下に何を描くべきなのかがわかる。それはクリスタルのグラスだと。
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わたしは、絵で示しているものからすべての記号を取り除きたいと思っている。〜これを描いたとき、わたしが戦争のことなど考えていなかったことは言うまでもないだろう。リンゴは「隠れているが視えるもの(男の顔)」を隠している「はっきりと見えているもの」である。この世界では、そういう具合に起きている。つまりこれは、ある種の緊張、あるいは戦争ともいえる。わたしたちの精神は、見えないものを見ようとする。わたしは絵を見る人に、詩によって心をかき乱されたときのような、詩的な状態を味わってほしいのだ