雄と雌の数をめぐる不思議
https://gyazo.com/bf34008a81c27a80a117ee59e404eb2e
はじめに
多くの生物の雄と雌の数は大体等しくなっている
生物の中には、どちらかに偏った数を示すものもある
例えば、ある種のダニは、雄1匹に対して雌が5, 6匹の割合で存在 イギリスのケンブリッジ大学で飼育されているアカゲザルは、上位の家系の雌は娘を多く海、下位の家系の雌は息子を多く生むと報告されている 多くの生物で性比が1対1で、いくつかの生物では性比が非常に偏っているのはなぜか
生物学におけるこの問題への取り組みには、二通りのやり方がある
理論的な研究と実証的な研究
生物の性比を決定している要因は何かという問題は、二つのレベルに分かれる
生物の研究にはすべてこの二つのアプローチがある
究極要因に関する問題はあまり触れられていないのが現状ではないか
第1章 世の中に雄と雌がいるわけ――性の起原
有性生殖: 雄と雌の2性があって生殖が行われること 雌雄異体と雌雄同体
雄機能と雌機能が別々の個体に分かれている
多くの動物
雄機能と雌機能が同一個体の中に並存している
花をつける植物の多くは雌雄同体
動物の中にも雌雄同体のものもある
植物はたいてい雌雄同体だが、イチョウなどは雌雄異体 ギンナンをつける木が雌株で、つけない木が雄株
雌雄同体生物は、自分の中の雄と雌同士で受精するのではない
自家受粉、自家受精はあまりよい結果をもたらさない事が多い
ある2個体が、染色体上の同じ場所にまったく同じ不利な遺伝子を持っていることはほとんどない
他家受粉・他家受精して、他の個体由来の遺伝子とセットになれば、たいてい正常な遺伝子の方が優勢なので、不利な遺伝子は隠されてしまう
近縁関係にある個体同士の場合には、同じ祖先から受け継いだ不利な遺伝子を、同じ場所に持っている可能性が高くなるので、不利な遺伝子が二つとも揃ってしまう確率が高くなる
雌雄同体と雌雄異体に分かれているのは、相手を見つけるコストと関係がある
植物と動物の大きな違いは、移動できるかできないか
雌雄同体動物である、ミミズ、ヒル、ホヤ、カイメン、クモヒトデ、ナメクジ、カタツムリなども、固着性か、移動性がきわめて低いか、または非常に低密度で分布している動物
雌雄異体であるということは、潜在的に、自分の繁殖相手となれる個体は、個体群全体の半分しかいないということで、固着性、低移動性、低密度の生物にとっては、繁殖に不利
雌雄同体であるならば、どんな相手が近くにこようと繁殖の相手になれる
感覚器官の発達した移動性の高い生物では、相手を見つけるコストはそれほどではない
一方、一つの個体の中に雄機能と雌機能の両方を備えるためには、生殖器官に相当の投資をせねばならない
鳥類、哺乳類のようにからだが複雑になると、それは困難になってくる
相手を見つけるコストが小さければ、両性の生殖機能を兼ね備える必要はないはず
卵と精子
大きい配偶子を生産する個体を雌、小さい配偶子を生産する個体を雄と呼ぶ
なぜ大きさの違いがあるか
精子は遺伝子のパッケージのみ、卵子は遺伝子のパッケージ+栄養
大きさの違い友関係があるが、精子にはたいてい鞭毛があってよく動くが、卵には運動性がない 精子と卵の大きさが非常に違うもの
二つの配偶子の間にほとんど大きさや形に違いのないもの
つまり、同型配偶子は原始的な性質なのだろう
原生生物や菌類の中でさえも、多くの種類の配偶子は、異型へと向かう傾向を示している
どうして配偶子は違う大きさへと分化していったのか
地球上の最初の生命は約35億年前に海の中で生じた
有性生殖はおそらく30億年前ごろ
最初の有性生物は配偶子を海の中に放出し、受精が起こるのを運任せにしていた
このような環境では、栄養を少しでも身につけていることは有利だったに違いない
相手に出会うまでと、受精後の発生にも役立つ
やがて配偶子には、様々な程度に栄養をつけたものが色々出現したと考えられる
栄養をたっぷりつけているのはよいことばかりではなく、足が遅くなってしまう
泳ぐ速度が遅くなると、動き回る範囲が狭くなるので、相手を見つけるという点では不利になる
初期の配偶子たちの間には次のような事態が起こったはず
両者とも栄養をたくさん持ったものは、それ自体はよく生き延びるが、出会う確率は非常に低い
両者とも栄養をほとんど持たないもの同士は、出会う確率は高いが、受精後に生き延びる確率は低い
唯一のあり得る可能性は、栄養をたっぷり持ったものと、栄養をほとんど持たないものが出会うこと
これは異形配偶子の進化として考えられる、ありそうなシナリオの一つ この説では、どの配偶子が栄養をつけ、どれが栄養をつけないかは、偶然の変異によるものと考えていた しかし、それは偶然ではないかもしれない
精子と卵子には栄養の有無以外にも重要な違いがある
ミトコンドリアは細胞の中でエネルギーの生産をする工場の役割
ミトコンドリアは動物の本来の細胞由来ではない
ミトコンドリアのする仕事が細胞にとっても便利であったため、今では、細胞もミトコンドリアなしには生きていけなくなってしまった
人間では37個
ミトコンドリアの遺伝子が受け継がれるのは卵子を通してのみ
このような結果、精子はミトコンドリアをつけない分、ますますからだを軽くする方向へと進んだのだろう
一方、卵子の方は、ミトコンドリアを持っている分だけ、そもそもはじめから重く、それが前述のような過程を経てますます重くなったと考えられる
これもあり得るシナリオの一つ
有性生殖はなぜ出現したか?
性の起原は現代生物学のもっとも大きな謎の一つであり、結論はまだ出されていない
そもそものはじめに、繁殖の手段として性が出現することはできなかったはず
生物というものは定義上、自己複製が可能な存在
地球上に生命が最初に現れた時の自己複製の方法は分裂 しかし、現在では多くの生物が有性的に繁殖する
有性生殖が不都合なのは、1匹の子どもを作るのに親が2匹必要だということ
無性生殖には身体が半分に分かれてそれぞれが新しい個体になる分裂、親細胞から芽が出てそれが切り離される出芽などがあるが、どれも親は1匹しか必要ない したがって、有性生殖は、無性生殖に比べて本質的に半分の効率でしか繁殖できない
性の本質は、2個体がそれぞれ出し合った遺伝子を混ぜ合わせること
遺伝子の混ぜ合わせ
無性生殖は子は親のコピーになる
突然変異が怒らない限り、子の遺伝子構成は、親のそれとまったく同一 性が何故生じたかという疑問は、遺伝子の組み換えがなぜ重要なのかという疑問
有性生殖がなぜ繁栄しているかは、遺伝子的に異なる子を持つことが、有性生殖の2倍のコストを上回るどんな利益をもたらしたのか、という疑問
この疑問にはまだ確かな解答が出されていない
毎世代遺伝子を組み替えることの利点(諸説の簡単な紹介)
有害な遺伝子の蓄積を避けることができること
無性的に繁殖する生物は、いったん生じた突然変異は、ときがたつにつれて確実に蓄積されていく一方となる
無性的に繁殖する生物の少数団がいるとする
突然変異は、遺伝子の読み間違いや紫外線、化学物質などの影響により、かなりの頻度で起こっている
突然変異の多くは良くも悪くもない中立の変化だが、生存に影響のあるものの中では、よいものよりも悪いもののほうが数多くある
どの個体にも、多かれ少なかれ悪い影響のある突然変異が出てくるだろう
一方、有性生殖であれば、他の個体と遺伝子を半分ずつ混ぜ合わせるので、まったく同じ場所に同じ悪い突然変異を併せ持つ個体というのは滅多にできない
有利な遺伝子の組み合わせを作り出したり、有利な遺伝子を広めたりすることができること
有利な変異を三つとも兼ね備えた個体は三つの変異が起こらない限り出現しない
無性生殖する生物集団の中のある個体に有利な突然変異Aが起こったと仮定する
この突然変異は、その個体の子孫たちには受け継がれていくが、無性生殖では、それ以外の個体には広がらない
別の有利な突然変異BもCもそれぞれの個体の子孫のみに伝わる
有性生殖であれば、遺伝子が個体間で混ぜ合わさる結果、すぐにも、変異A,B,Cを兼ね備えた個体が出現してくるはず
また、無性生殖の場合に、不利な突然変異を備えた個体の中に、たまたま有利な突然変異が生じたとする
その遺伝子は、不利な突然変異遺伝子に足を引っ張られて、うまく真価を発揮できないことになる
無性生殖である限り、この有利な遺伝子がその個体の身体を抜け出して、不利な遺伝子を持っていない他の個体のからだに移ることは不可能
しかし、有性生殖であれば、遺伝子の混ぜ合わせにより、有利な遺伝子は、自分のコピーを他の個体の中に容易に入り込ませることができる
性は寄生者に対抗する手段であるとする説
最近、特に注目を浴びている仮説
前述の2つの仮説では、生存に対して「有利な」遺伝子と「不利な」遺伝子を仮定しているが、性は、世代ごとに遺伝子を混ぜ合わせてしまうので、いったんできた有利な遺伝子の組み合わせをも壊してしまうことになる
最近「赤の女王仮説」として注目されている説は、とくに「有利な」組み合わせも「不利な」組み合わせもなく、ともかく、つねに遺伝子の構成を変え続けていくことこそが、性の本質であると考えている 病原菌やウイルスなどは、宿主の細胞をやぶって中に侵入し、自らを複製させる 生物は様々な対抗策をたてねばならない
寄生者はたいてい宿主よりもからだがずっと小さいので、寄生者の寿命のほうが短く、進化速度が早くなる 宿主がある防御策をたてて寄生者を締め出したとしても、早晩、寄生者はそれを破るように進化してしまう
時間がたてば必ず破られてしまうのであれば、宿主としては、こちらの構造を変化させておくだけとなる
これが性の意味だということ
第2章 どのように雄になるのか、雌になるのか――性の決定機構
本章は至近要因の解明
性比がどのように進化するかという究極要因の問題は、どのようにして性が決定されるかという至近要因による
性染色体
ヒトの性決定には染色体というものが関与しており、XXだと女でXYだと男になる
ワトソンとクリックが発見した二重らせん構造をしていて、全く同じものを複製していけるように、実にうまく働いている 3文字一組で特定のアミノ酸を合成するよう指示が書かれている 遺伝子とは、このようなアミノ酸合成の指示情報
DNAの長い鎖は、生物の各細胞にすべて備わっており、それは「核」という部屋の中に入れられている 核がなく、DNAが細胞中にもやもやと浮遊している生物
DNAが核に入っている生物
DNAの鎖がきちんとたたまれて、いくつかの束にまとめられているのが染色体
染色体が何本あるかは種ごとに違う
ヒトは全部で46本
染色体の数が多いからと言って、特に複雑な生物であるとは限らない
遺伝子には、情報が利用されて意味をなしているものと、まったく読まれていない不要情報とがあり、全情報量が多いからといって、必ずしも複雑な生物ができるわけではない
また、いくつの染色体に分けて束ねるかということも、生物自体の複雑さとは関係がないようだ
卵や精子が作られるときにはこれが半分になって、一つ一つの配偶子には、半数の染色体が入る
ヒトでは23本
減数分裂でできた生殖細胞
全部揃ったからだ
有性生殖では減数分裂を行わないと染色体数がどんどん増えていってしまう
染色体は、大きいものから順に1番、2番と番号がつけられているが、最後の2つ
性染色体以外の染色体
XXで女性、XYで男性
減数分裂により、卵子はどれも一つのX染色体、精子はXを一つ持ったものとYを一つ持ったものの両方が作られる
つまり、ヒトのような性決定機構を持っている生物では、子の性は、男性の提供する精子がどちらの性染色体を持っているかによることになる
単純に考えれば、XであるかYであるかは半々の確率なのだから、そのために性比はおよそ1対1に保たれるのだろうと考えることもできる
この議論は、この限りにおいては全く正しいのだが、話はそれでは終わらない
次章
二つの性染色体による性決定機構
ヒトに限らずすべての哺乳類は、このような、XXが雌でXYが雄という性染色体による性決定機構を持っている しかし鳥類ではこれが逆で、全ての鳥類では、二つの同じ性染色体を持つ個体が雄、異なる性染色体を持つ個体が雌になる 鳥の場合はZとWの記号を使うので、ZZが雄、ZWが雌になる
このように二つの性染色体の関与による性決定機構はすべての生物を通して最もよく見られる機構
どちらのタイプが雄になるか雌になるかはどちらもある
哺乳類と鳥類はこの分類群に含まれるすべての種が同じ性決定様式を取るが、爬虫類、両生類、魚類、無脊椎動物、昆虫、植物などはでは、目ごとに違ったり科や種ごとに違ったりと千差万別 全体としてみれば、XYが雄である場合の方が多いようだ
例外的にXO(X一つだけ)やXXYが生じたときの異なる結果から、二つの性染色体による性決定機構にも二つの種類がある
Xがいくつ存在するのかの数には関係なく、Yがあるかないかだけで雄が決まる機構
Yの存在には関係なく、Xが一つであれば雄、二つ以上あれば雌になる
全体ではY優性型の方が、より一般的
三つ以上の要因によって決まる性決定機構
三つ以上の遺伝子がかかわって性が決められる生物もある
なかでも、ブユやカなどの双翅目の昆虫によく見られる形式は、AとBの二つの遺伝子座が性決定に関係しており、aabbであれば雌になり、AabbまたはaaBbであれば雄になるというもの このような性決定機構でも、理論的には雄と雌の数は1対1になる
雌が作る配偶子はすべてabとなり、雄はAa, ab, aB, abの4通り
Aaab(雄), aabb(雌), aaBb(雄), aabb(雌)
このような複数要因で決まる性はそれほどポピュラーではない
両方ともW, X, Yの三つの要素があり、XX,WX,WYは雌になるが、XYとYYは雄になる
もっともレミングの場合、YY雄はすぐに死んでしまう
環境要因による性決定
卵が付加する温度によって性が決められるのは、爬虫類のトカゲ、カメ、ワニに見られる これらはどれも、地上に卵を生む種類
このような種では、性比の極端な変動が日常的に見られる
多くのカメ類は、温度が高ければ雌、温度が低ければ雄になるが、トカゲやワニでは逆
北アメリカのカミツキガメでは、極端に暑かったり寒かったりすると雌になるが、中間的な温度では雄になる 温度による性決定では、ある温度のところで急に性が変わるようで、ヌマガメ科の一種であるチズガメやウミガメ科のアカウミガメでは、28度C以下だと雄のみ、28度Cはから30度Cの狭い範囲だと雌雄両方、30度C以上だと雌のみになる 温度による性決定は魚にも1種ある
温度が低いと雌、温度が高いと雄になる
環形動物のユムシの仲間で、雄と雌の体の大きさが極端に違うので有名な動物
大きくて口吻を持つのが雌で、雄は、雌の体の中にいわば寄生して生きている
雌は雄の500倍の大きさで、動物界でも最たるものの一つ
極端に雌より小さい雄
ボネリアの幼生は浮遊性のプランクトンで、その段階では性がない
定着生活を始める時に、成熟雌の上にくっついたならば、それは雄になり、誰もいないときに1匹でくっついたならば、雌になる
どういうときに環境性決定になるか?
性染色体による性決定は 、環境要因による性決定よりはずっと安定していると考えられる
たとえ、性が基本的に性染色体で決められていても、環境要因によって、どちらの性に発生するかが影響を受ける場合がある
イモリの一種ではZZが雄でZWが雌だが、ZZの受精卵を高温度で孵化させるとそれは雌になった
つまり、性染色体による性決定機構から、環境要因による性決定機構へと移り変わるのは、それほど大変なことではないようだ
環境要因による性決定が出現する場合
1. 受精卵がどのような場所で孵化することになるかがランダムで
2. その場所の環境要因にかなりの変動があり、
3. その環境要因によって孵化後の個体の成長が影響を受け、
4. 雄の子と雌の子とで、その影響の受け方が違うときに、環境による性決定が有利となるようだ
ウミガメを例にとる
温度が高いところも低いところもあり、それがどのくらいの温度になるかは予測がつかない
温度が高いと孵化が速く進み、その子の体は大きくなり、温度が低いと小さくなる
からだの大きい雌はたくさん卵を持つことができるので、雌は体の大きさとともにどんどん繁殖成功度が増えていく
雄の場合はそれほど相関しない
性染色体ではじめから性が決まるよりは、場所の温度に応じて有利な方の性になったほうがよい
半倍数性という奇妙な性決定
父はいないが祖父はいる生物
ミツバチでは、雌は受精卵から発生するが、雄は未受精卵から発生する
雌は2倍体のからだになるが、雄は半数体のままにとどまる
このような生物は、ミツバチを含む膜翅類のほとんど(アリやハチの仲間)や、カイガラムシなどの同翅類の数種などで知られている 受精卵を生むか未受精卵を生むか、またそれぞれを何個ずつ生むかということを、状況に応じて母親が選択できる余地がある
先に述べた二つの性決定様式のときにはできない
母親による、子の性比調節が可能となる
第3章 性比も遺伝子で進化する
本章は究極要因に関する疑問
性比はどのように進化するのか
進化とは何か
生物がどのようなからだの構造になるか、どのような生理学的生化学的機能を持つようになるかは、すべて、遺伝子の中に書き込まれている 生物は、互いに似通った遺伝子を持っている、種というまとまりに分かれている 同種に属する個体は互いに交配が可能
同種に属する個体はみな互いによく似ている
多くの遺伝子が共通だから
種のまとまりを超えて、多くの生物に共有されている遺伝子もたくさんあるが、種ごとに異なる遺伝子もまたたくさんある
あるまとまりのある集団では、そこに含まれる1匹ずつの個体に注目することもできるが、さらに、それぞれの個体を作っている遺伝子、ある集団全体に含まれている遺伝子に注目することもできる
ある集団の中に含まれる遺伝子に注目すると、集団内に、ある特定の遺伝子がどのくらいの頻度で存在するかを計算できる
よく知られているABO血液型の遺伝子を例にとると、日本人という集団では、A遺伝子の頻度は35%、B遺伝子の頻度は20%、O遺伝子の頻度は45%になる
これは遺伝子の頻度なので、A型、B型、O型のそれぞれの個体数とは異なる
進化とは、種をはじめとするさまざまな集団の中の遺伝子頻度が、時間とともに変化することを指す 鳥には、鳥のからだを作っている遺伝子がある
腕のかわりに翼
ある集団の遺伝子に変化が起こり、別な形の腕ができた
腕の骨は長く伸びて、そこに羽が生え、それを動かす大きな胸筋がつく
それだけではなく、骨自体を軽くしたり、バランスをとるための尾も発達しなければならない
そのような遺伝子は、鳥になる前の動物の集団にはなかったもの
やがて、そのような遺伝子が集団中に広まっていくと、これまでの集団とは異なる遺伝子構成も持ったあtらしい集団ができる
集団中の遺伝子頻度に変化が起こり、進化が起きたことになる
この変化は外から見ると、腕で地上を歩くタイプの生物から翼で空を飛ぶタイプの生物の集団が枝分かれしたように見える
真に起こった変化は遺伝子に起こった変化であり、そのような新しい遺伝子が集団中に徐々に増えていことで、鳥ができあがった
そのような新しい遺伝子が広まらなかった集団は、もとのままのタイプにとどまっている
生物の体制に大掛かりな変化が生じて、新しいタイプの生物が生じること
鳥は腕だけでなく、頭、歯、皮膚、足にもさまざまな変化が起こっている
小規模での変化
進化のすべてが大進化ではない
人類の様々な集団で生じた、ABO遺伝子頻度の変化
ブラジルのマット・グロッソ州に住むインディオのシャバンテ族では、O型が100% 遺伝子頻度の変化ではない変化が生じても、それは進化とは関係がない
進化のプロセス
偶然によるもの
小集団で起こる確率が高いので、創設者効果が大きな影響を及ぼすのは、小集団ということになる
隔離された小集団における、偶然の要素による遺伝子頻度の変化
はっきりした外見上の効果をもたらさない、偶然の変化の蓄積によっても、遺伝子頻度は変化する
生物の染色体の多くは、アミノ酸には翻訳されない
このような部分の遺伝子には、変化が生じても何の効果もないまま、時間とともにこのような変異が蓄積されていく
アミノ酸に翻訳される部分であっても、それがたいした実質的な効果を及ぼさないものもある
表現型と遺伝子型
生物が持っている形態や行動上の特徴
形質が遺伝子によって支配されているとき、それぞれの形質に現れるさまざまな形態
表現型を作っている遺伝子のタイプ
エンドウマメで実験し、豆の色、豆の表面の形態、草丈、花の色など多くの形質に注目した 豆の表面の形態がどちらの表現型をとるかは、その遺伝子型で決まる
この形質に関与している遺伝子座には二つの対立遺伝子があり、それを仮にBとbとする
豆は有性生殖をする2倍体の生物なので、BB, Bb, bbの三つの遺伝子型が生じる BB, Bb: つるつる
bb: しわしわ
中立突然変異の場合には、遺伝子型が変わったとしても、それが表現型の変化には結びつかない
その部分の遺伝子がタンパク質に翻訳されないか、翻訳されても同じタンパク質を作る
たとえ違うタンパク質ができたとしても、それがたいした影響を与えることはない
重要なのは、生物の多くの形質は遺伝子に支配されており、実際に私たちの目に見えるのは表現型だが、表現型が直接に遺伝するのではなく、遺伝子が遺伝するのであり、遺伝子型に起こる変化に注目しなければならないということ
自然淘汰の働き
現在の淘汰の理論は、ダーウィンのころよりも多くの点で洗練されたが、彼の基本的なアイディアは正しいものだった
一般にほとんどの生物では、生き残る以上の子が生まれている
タラの1匹の雌は、1回に数百万個の卵を生む
タラの雌が100万匹いれば、全部で一兆個以上の卵になるが、ほとんどは死んでしまう
ダーウィンはこれをゾウで考えた
30歳で繁殖を開始するとし、1回に1頭の子を生み、長生きして90歳まで繁殖を続けると仮定する
その子達がすべて生き残るのならば、一組のゾウの夫婦から、750年後には1900万頭のゾウが出現することになる
はじめから1万頭のゾウがいればどうなるか
実際にはそのようなことは起きていないので、多くのゾウは、繁殖を開始する前に死んでしまうのだろう
誰が生き残って誰が死ぬか
ある架空の動物において、首の長さは、遺伝子で決められ、首の短い個体はつねに不利で、首の長い個体はつねに有利だ、というような状況があったとする
首の長さという形質について、遺伝子型にはいろいろな変異があり、毎世代、様々な首の長さの表現型が出現する
首の短い個体はつねに不利で死にやすいとなると、毎世代、首の長い個体ばかりが生き残ることになり、その遺伝子が伝えられているため、長い首を作るような遺伝子の頻度が集団中に増えていくことになる
すなわち、
1. 生物には、生き残るよりも多くの子が生まれ、
2. 個体間に変異があり、
3. 変異の中には、生存に影響を与えるものがあり、
4. それが遺伝子に基づくものならば、時間とともに、集団中の遺伝子頻度は変化していく
有利・不利を決めるのは、ある特定の環境要因
アノールトカゲの脚の長さ
カリブ海のバハマ諸島にある14の島に、1977年と1981年の2度にわたって、アノールトカゲという小さなトカゲが、それぞれ5匹または10匹、人工的に放たれた これらの島はそれぞれ環境が非常に異なる
アノールトカゲは茂みの中で枝の上を走り回り、虫などを食べて暮らすが、からだに対する後ろ足の長さと、走り回る枝の太さとの間には、一定の関係がある
小さな枝の上で暮らしているならば、後ろ足が相対的に小さい方が小回りが効くので有利になる
大きな枝や幹の上を走り回るならば、スピードの出る相対的に長い脚の方が有利になる
実験的に放したトカゲたちは、近くの三つの島から採取されたもので、割合に後ろ脚の長いトカゲが多くいた
その中からランダムに取り出した5匹または10匹のトカゲを14の異なる島に放した
元の島では木立や茂みがたくさんあったが、この14の島は、どれももとの島より茂みが大変少ない場所
最初に放してから10年または14年がたった1991年に、それぞれの島に棲んでいるトカゲたちを捕まえてからだの各部を計測した
トカゲたちの後ろ脚の相対的な長さは、もとの集団よりも短くなっていた
その変化の度合いは、話された先の島の木が、もとの島よりもどれほど小さいかという指標ときれいに比例していた
また、もともとトカゲを採集してきた場所では、14年後にも、後ろ脚の長さに変化は起きていなかった
これは明らかに自然淘汰によって適応が起こった例
このような自然淘汰の働きは、それ以外の進化のプロセスである遺伝的浮動とは根本的に異なる 偶然による遺伝子頻度の変化では、決まった方向への変化は起きないが、自然淘汰では「より有利な遺伝子が広まる」という一つの方向性が出てくるから
適応度と適応
集団中への、ある特定の遺伝子の拡散は、生存率と繁殖率の積に依存することになる
生存率に繁殖率をかけた値
それぞれのタイプについて純増率を計算し、集団全体の純増殖率で相対化したものが適応度となる
架空の首長動物
首の長いタイプ: 生存率$ 0.6で、一生の間に平均して子どもを$ 4匹残すとする
首の短いタイプ: 生存率$ 0.4で、一生の間に平均して子どもを$ 5匹残すとする
首長動物全体の順増殖率:$ 0.5 \times 4.5 = 2.25
首の長いタイプ
順増殖率: $ 0.6 \times 4 = 2.40
適応度: $ 2.40 \div 2.25 \approx 1.07
首の短いタイプ
順増殖率: $ 0.4 \times 5 = 2.00
適応度: $ 2.00 \div 2.25 \approx 0.89
したがって、集団全体としてみた時の増殖率よりも、首の長いタイプの増殖率の方が大きいので、時間とともに、首の長いタイプが集団中に増えていくことがわかる
自然淘汰とは、生き残るものが生き残るといっているだけでトートロジーであるというような議論が一時あった 色々な遺伝子のタイプによって適応度に差があれば、集団中には、適応度の高いタイプの遺伝子が広まっていくという仮定が自然淘汰
適応度が高いということは、ある環境要因に対して、他のタイプよりもうまく対処でき、繁殖率が高いことを意味している
これを擬人的、目的論的な言い方で表現すると、適応度の高い遺伝子は、そのような環境要因を克服するために優れた構造を作り出す遺伝子であり、適応度の高い遺伝子を持った個体は、そのような環境で生存・繁殖する術に長けているといえる
進化は種のためには起こらない
進化は遺伝子の複製率の差に基づいて起こるのであって、その遺伝子が所属している集団の利益とは関係がない
遺伝子の適応度ではなく集団の適応度を上げるような性質が進化してくると考える
これはまったくの誤り
複製しているのは遺伝子であって、種をはじめとする集団は、直接に複製していくことはできない
進化が種や集団の利益のために起こるとする考え
1970年代の半ばごろまでは、専門家である生態学者や行動学者の多くも、進化は種の利益のために起こると考えていた
動物の行動学は非常な停滞を余儀なくされた
適応度の高い遺伝子が増えていくことによって、集団中の個体は適応を身に着けていく
このプロセスは遺伝子から始まっているのであって、集団全体にとって有利な遺伝子が選択されて増えているのではない
もしも、自然淘汰が集団のレベルで起こり、集団にとって有利な遺伝子が選択さて増えていくのならば、ある集団と他の集団とをそれぞれ一つのまとまりとして考え、それぞれの増殖率(適応度)を比較せねばならない
ところが、集団というものは、そのような隔離した一つのまとまりとして複製の単位となることはできない
人間が任意に境界を決めた集団の増殖率を計算することはもちろんできる
しかし、自然の集団の中には様々な個体がおり、その個体の中には様々な変異があり、個体の出入りもある
ある閉鎖的な集団があり、その成員は、自己の利益を犠牲にして集団の利益になるような行動をする遺伝子を共有し、隣の閉鎖的な集団は、自己の利益だけを追求するような遺伝子を持つ個体からなると仮定する
前者の集団の内部に、一つでも、集団の利益ではなく自己の利益を優先させる遺伝子が出てくれば、その遺伝子は集団内で増えていく
自己の利益を犠牲にして集団の利益になるような行動をすること
本来、利己的であるはずの遺伝子から、どのような理由によって利他行動が進化できるのかは、現代進化学の大きな難問の一つだったが、最近では一応の解決がついた
性比の進化
雄の精子はXとYが半々、雌はXしかない、そこで、受精すれば雄と雌が生まれるのは半々である、という議論
すべてが偶然に任されていると考える限り、それはそう
この議論は進化的な見方をすると、X精子とY精子の生産率やそれぞれの生存率、受精率、受精卵の生存率などはすべて偶然に任され、そのどれかを偏らせようとする適応は働いていない、まったく偶然に任せるのが適応である、といっていることになる
つまり、もしも、生まれる子の性比を偏らせる方が適応的であるような淘汰が働くならば、性比は偏るようになるはず
この本の中でダーウィンは、雄と雌の数がどのようにして決まるのかを、問題として取り上げた人はこれまでにいないと述べ、ヒト、哺乳類、鳥類、魚類などのさまざまな動物における性比のデータをできる限り集めている
また、生涯に雌ばかりしか産まなかった雌ウマの話や、インドやニュージーランドの原住民の中に、女の子ばかりを選択的に殺す子殺しが行われていることなどを紹介している ダーウィンは性比の決定にも自然淘汰が働くはずで、これが興味深い問題であることに気づいていた
しかし、理論づけるには居当たらなかった
性比を論じる上で、どの段階の性比を問題にしているのかを明らかにしておかなければならない
受精のときの性比
出生のときの性比
第一次性比は胎児などの段階で解剖が必要なので、出生時の性比を「第一次性比」とよんでいる場合もある
紛らわしいのでこの本では「出生性比」と呼ぶことにする
生まれたあとの様々な段階における性比
子殺しその他さまざまな理由で偏ることがあるだろう
性比の進化を考えるにあたっては、どの段階でどのような淘汰があり得るかを区別して考えていかねばならない
フィッシャーの理論
架空の首長動物の集団が、はじめから雌に偏っているとする
つまり、多くの母親が雌の子を持ち、少数の母親(簡略化のため1匹の母親)だけが雄の子を持っているとする
出生性比を雌に偏らせるような遺伝子が働いていて、多くの母親は雌を産み、たまたま雄の子を生む母親が出てきたとする
そうすると、集団にいる雌の子は全員、この、1匹しかいない雄の子と交尾することになるので、娘を持った母親にはそれぞれ孫が1匹ずつできるが、息子を持った母親には、息子が交尾した相手の雌の数だけの孫ができる
ところが、あるとき雌の遺伝子に変化が生じ、雄ばかりを生むような遺伝子が出現したとする
今度は偶然ではなく「雄を生む」遺伝子によってできた息子
この場合も、そのような遺伝子を持った雌の息子の多くは、多くの雌と交尾し、多くの子どもを持つ
一方、雄を生む遺伝子を持っていない雌は娘を生むが、その娘たちは、それぞれ1匹の孫を作る
ここでは、「雄を生む遺伝子」は、たくさんできた孫を通して集団中に広まっていく
つまり、性比が雌に偏った集団の中に「雄を生む」という遺伝子が生じると、その遺伝子の適応度は「雌を生む」という遺伝子の適応度よりも高くなる
そうだとすると、最初の性比が雌に偏っていればいるほど「雄を生む」遺伝子の適応度は高く、それに応じて「雄を生む」遺伝子は急速に集団中に広まっていく
ところが、「雄を生む」遺伝子が増えれば、集団中の雄の子の数が増える
雄の子の数が増えれば、性比の偏りは修正され、1対1に近づいていく
そうなると、それぞれの雄の子が交尾できる雌の数も減っていく
「雄を生む」遺伝子の適応度も下がっていく
「雄を生む」遺伝子はどこまで広まれるのか
雄のほうが数が多くなってしまった場合を考える
娘を持った母親には、孫が必ず1匹できるが、今や交尾できる相手を見つけにくいので息子を持った母親の孫の数は何分の1かにすぎない
そこで「雄を生む」遺伝子の適応度は「雌を生む」遺伝子の適応度よりも低くなり、消えていく運命となる
「雌を生む」遺伝子の方が有利になるので、全く同様の過程を経て、雌の数が増えていく
このシーソーゲームが止まるところが、「雄を生む」遺伝子と「雌を生む」遺伝子の適応度が等しくなった時点
雄の数と雌の数が等しくなった時点
性比を偏らせる遺伝子は、極端な性比の偏りが存在すときには有利になるが、数の少ない方の性を生むことが有利となり、まさに自らの効果によってその有利さを打ち消してしまうため、早晩、有利でなくなる運命となる
そこで、自然淘汰によって、性比は1対1になるように作られ、だからこそ、多くの生物の性比は1対1なのである、というのがフィッシャーの理論
もしも、進化が集団のためによいように起こっているとするならば、集団の中に、雄は少数いれば十分なはず
精子は定義上、小さな配偶子なので、その分たくさん作ることができるので、雄はほんの少しいれば間に合うはず
実際、集団の増殖率という点で見れば、集団中にいる雌の数が多いほど、増殖率は上がる
集団の増殖に有利だからといって、集団は、雌に偏った性比であり続けることはできない
そんなところに「雄を生む」という遺伝子が生じれば、性比は1対1になってしまう
「一方の性に偏った集団構成は、それをくずすタイプの遺伝子の侵入を防ぐことができない」と表現する
ここでは「雄を生む」遺伝子という表現をしているが、それが何であり、どのような直接的要因を通して雄を生むようになるのかは、場合によっていろいろなものを考えることができる
X精子を殺す機構でもよいし、Y精子とのみ選択的に受精する機構でも構わない
この議論では至近要因は何であれ、そのような性質が進化できるかどうかの究極要因を問題にしている
また、フィッシャーの議論にはいくつかの前提がある
まず、問題にしている集団は非常に大きいとする
理論的には無限の個体がいる集団
また、雄と雌はランダムに交配する、つまり、近親者の間でだけ交配するような傾向はないとする
頻度依存の淘汰と進化的に安定な戦略
性比の話では、よくいわれる自然淘汰や適応の話と異なり、適応度は一律に決まらず、同じタイプが集団中に何匹いるかによってどんどん変わった
それぞれの遺伝子のタイプが集団中にどれだけ存在するかの頻度によって、各遺伝子の適応度が変化するような場合に起こる自然淘汰
性比も含めて、相手のある話、社会行動の多くは、頻度依存の淘汰を受けている
頻度依存の淘汰では、どのような解決を見ることになるか
性比の議論が典型だが、この場合には適応度が一致する点で集結
息子と娘に対する投資
これまで雄と雌の「数」といっているのは、そのまま個体数として述べてきたが、実はこれは単なる個体数ではない
子が親の手を離れるまでに、雄と雌それぞれの子を作るのに親がかける投資の総量を表している
受精してから、子が独立するまでに、親が子の世話にかける時間的エネルギー的努力量
受精卵を作ること、胎児を作ることは、それだけでも時間的エネルギー的投資
それも含めて、親が子に対してどのくらいの世話をするかは、種ごとに様々
哺乳類は定義上、必ず雌親が妊娠・出産・授乳をするし、多くの鳥では、卵を温め、かえったヒナに給餌をするが、これらは大変大きな時間とエネルギーの出費
フィッシャーは、息子と娘の比率をどのくらいに生むのが適応的かという問題は、その数だけではなく、世話にどれだけの出費がかかるかということも関係していると考えた
いま、雌の子はたいへん大きくて、雄の子の2倍の栄養やエネルギーや時間をかけなければ作れないと仮定する
雌の子1匹を育て上げるためには、雄の子1匹の2倍の投資がいる
そうであれば、安定性比は1対1からずれるだろう
雄と雌の個体数をそれぞれ$ M, F、それぞれの子を育てるために必要な投資の量を$ C_m, C_fとすると性比は$ C_m \cdot M = C_f \cdot Fとなるようにできているはず
投資の総量が等しくなるはず
有性生殖をする動物では、配偶形式が何であれ、1匹の子どもに雄親と雌親が1匹ずついることに変わりはないのだから、自然淘汰によって、雄の生産にかかる仕事の総量と、雌の生産にかかる仕事の総量とが一致するようになるはずだと、フィッシャーは考えた
針で刺してマヒさせた昆虫の幼虫などを巣穴の中に入れ、そこに卵を産み付けるハチ
このハチが変わっているのは長い穴に隔壁を作って、卵一つにつき一部屋ずつを割り当てることにある
部屋の大きさは詰め込まれている食物の量を反映しており、そこに置かれた食物だけが、子どもが得ることのできるすべて
雌の子の方が雄の子よりも大きく、育てるのにたくさんの餌を用意しておいてやらねばならない
そこで親は雄の子の部屋よりも雌の子の部屋を大きく作り、そこに多くの餌を詰め込む
このようなハチでは、雌の子を作る方が大きな投資が必要なので、フィッシャーの理論が正しいならば、雌の子の数の方が少なくなっているはず
15種類のハチについて観察を行ってみると、予想通り、雌の子が雄の子に比べて大きい種であるほど、雄の子の生まれる割合が高くなっていることがわかった
フィッシャーの考えた通り、安定性比は、雄の子に対する投資と雌の子に対する投資が一致する点になるようにできているのだろう 多くの生き物では、このハチのような雌雄の差がないので、このことが個体数とだいたい一致しているとみてよいのだろう
死亡率の差と性比
子育てにどれほどの投資をするか、どのような子にどれだけの投資をするかという問題も、そのような競争を通して適応的に形づくられていくことになる
親が出産後もしばらく子育てをするような生物を考える
そのような生物において、雄と雌で、子育て期間中の死亡率に差がある場合はどうなるか
途中で死んでしまった子は、そこまでの投資を受けたのに遺伝子の運び手にはなれない
生き残った子がうまく巣立っていった場合、親の投資としては、途中で死んでしまった子にも、ある程度の出費をかけているのだから、その性の子に対する投資の総量には、死んでしまった子の分も加えなければならない
そこで、フィッシャーの言うように、各々の性の子に対する投資の総量が等しくなるように子の性比が決まるのならば、子育て期間中の子の死亡率に性差があれば、死にやすい方の性の子を多く作るべきだということになる
いま、親の世話が1年間続き、子育てにかかる投資自体には性差のないような生物を考える
その生物で、雄は半年までに半分が死ぬが、雌は全く死なないと仮定する
すると、子に対する投資の総量を等しくするような出生性比は4対3となり、子が巣立つ時点では2対3になることがわかる
フィッシャーの理論の素晴らしさは、どのような条件が揃っているときに、数の上での1対1の性比が実現されているのかを明確にしたところにある
十分に大きな集団
交配がランダム
雄の子と雌の子に対する親の投資量が等しい
第4章 性比の偏りとさまざまな競争
局所的配偶競争
ハチやダニの奇妙な生活
兄弟姉妹間で交尾を行っている
雌には羽があり、雄には羽がないものがたくさんいる
姉妹たちとの交尾が終わると同時に、雄は死んでしまう
姉妹を受精させることだけが雄の存在理由
飛び立って新しい命を生み出していくのは雌の仕事であり、そのために羽を持っている
使命の終わった雄は飛んでいく必要はなく、羽を持たずにその場で死んでいく
これがもっと極端な形になると、雄は、生まれることすらせずに死んでしまうものもある
例えば、ダニの仲間
これらのダニは胎生なので、卵は母親の体内で発生し、兄弟姉妹同士の間の交尾は母親の体内で行われる そのうち、精子をもらった雌だけが母親から生まれて分散するが、雄はもう用なしなので、生まれ出ることすらせずに母親の体内で死んでしまう
このような突拍子もない生活史の携帯を持ったダニやハチなどでは、極端に雌に偏った性比が見られている
匙かげんは母親しだい――局所的配偶競争
同じ母親から生まれた兄弟姉妹の間で交尾をする
たいへん強度な近親婚が行われているということになる
フィッシャーの理論の前提は、集団内の個体はランダムに交配するというものだった
いま、ある寄生バチの母親が、大きなイモムシを見つけて針で刺し、そこに5つの卵を産もうとしていると仮定する
この5つの卵がかえったときには、この子どもたち同士で交尾が行われることになる
この母親にとって孫の数を最大化することが適応的だとすると、雄1匹に雌4匹ということになるはず
こうして雌に偏ることに対してフィッシャーが予測したようなことは起こらない
交尾が兄弟姉妹間のみで行われるので、雄を生んだ母親と雌を生んだ母親というのは一致するから
どのような性比で子どもを作らせるような遺伝子が適応度が高くなるか
雌たちの中に、それぞれ異なる性比で産むような遺伝子を想定し、それぞれの雌の孫の数を計算する
雄の方が多い場合は、残りの姉妹をめぐって兄弟間で競争することになる
兄弟の数が増えるほど強くなり、全体として生まれる子の数は減っていく
なるべく多くを雌にし、姉妹たちすべてに精子を渡すのに十分なだけの最小限の雄を作っておけば、もっとも孫の数が増えるので、そのような遺伝子が最も適応度が高くなるだろう
配偶が局所的に限定され、兄弟姉妹間で配偶者をめぐる競争が起こる状況
局所的配偶競争がある場合には、雄が少なく雌が多い性比が進化することになる
極端な兄弟姉妹交配を行っている虫の仲間では、性比は1:5〜1:20までになることがある
ここで紹介したような奇妙な虫のほとんどは、性決定機構が半倍数性 受精卵と未受精卵になるかは母親が決める
膜翅類の雌の生殖管には貯精嚢があり、交尾したときにすぐに卵が受精されるのではなく、精子はみんないったんここに貯められる 産卵のときにその精子を一緒に出してきて受精させれば受精卵になり、精子を出さずに産卵すれば未受精卵になる
これらの種で母親が子の性比を適応的に調節することは比較的簡単に進化することができたのだろう
重複寄生と性比の変化
フィッシャーの理論では、交配がランダムに行われる場合を扱っていた
雄は、集団中のすべての雄と競争関係にあって交尾をすると言う仮定
兄弟姉妹婚が行われているということは、集団が家族ごとのサブグループに分かれており、交配は、そのサブグループ内で行われていることを意味する
では、このような寄生バチで、同じイモムシに別の雌も卵を産みに来ることがあるとしたら性比はどうなるか
重複寄生が起こる場合には、血縁関係にない個体との外婚もすることになる
寄生バチの母親は、イモムシにすでに卵を生んでいるかどうかを察知することはできるようだ
同じタイミングで卵を産み付ける場合
からだの表面に卵を産み付ける場合
体内に埋め込まれる場合であっても、雌は、針の刺しあとがあるかどうかで見分けているようだ
もしそれが見分けられるならば、重複した場合の性比の調節も十分にあり得るだろう
架空のハチで考える
2匹の寄生バチの母親が、一つのイモムシに同時に10個ずつ産卵するとする
重複寄生がない場合は、各雌とも、雄1匹に雌9匹を生むとする
2匹ともが1:9で産めば、それぞれの孫の数は9匹になるので重複寄生がない場合と同じ
しかし、血縁関係のない2匹の雄同士の間に交尾をめぐる競争が起きるのだから、ここで雄を2匹生む雌が出てきたら、その方が適応度が高くなるだろう
したがって、重複寄生があるときにも、雄1匹、雌9匹を生むという戦略は、進化的に安定にはなれない
性比は、まだかなりの数の兄弟姉妹婚もあるので、完全なランダム交配のときのような1対1まではいかない
1箇所に産卵する雌の数が増えるほど、ランダム交配に近い状態になっていくだろう
ハミルトンは、創設雌の数が$ nであるときの安定性比は$ \frac{(n-1)}{2n}になるだろうと考えた(雄の割合)
その後の研究ではもう少し複雑になって$ \frac{(n-1)(2n-1)}{n(4n-1)}という式が出されている
いずれにしても$ n が非常に大きくなるにつれて、値は$ \frac{1}{2}に近づいていく
創設雌が1匹だけ=重複寄生がないときには値は0になる
雄がまったくいない場合は受精できない
「重複寄生がないときには、受精に十分なだけの最小限の雄を産むべき」ということだと解釈されている
実証研究
動物の死体にたかるハエの蛹に寄生する
ハエの蛹を実験室にたくさん集め、そこに産卵する雌の数を1匹から10匹以上にまで調節して、生まれる卵の性比を調べた
実際に、はじめは雌に偏っていた性比が、創設雌の数が増えるごとにだんだん1対1に近づいていくことが示された
あとから来た雌はどう振る舞うべきか
さらに驚くべきことに、単にすでに寄生が行われているかどうかだけではなく、最初の雌が何個の卵をそこに産んでいったかも察知しているようだ
というのも、2番目に生む雌は、すでに産み付けられている卵の個数と自らの生む卵の個数との比に応じて、生む卵の性比を変化させている
このことも、キョウソヤドリコバチで発見されている
最初に産卵した雌は、あとで他の雌もここに卵を生みに来るかどうかを予測することはできない
そこで、重複がないときと同様の性比で産むだろう
2番目にやってきた雌はどうするのが最適か
先に産んだ雌に比べて非常に少数の卵しか産まないとき
例えば1個だけならば、もちろん雄
2番目の雌の産む卵の数が多くなるにつれ、雄ばかりを産んでいると、配偶をめぐる競争が激しくなる
そうすると、雄の数を少なくしていったほうが良いので、2番目の雌が生む卵の数が相対的に増えていくにつれ、雄に偏った性比から雌に偏った性比へと変化していくことが予想される
キョウソヤドリコバチの2話目の雌の産卵を調べたところ、理論値と実測値が一致した
彼女らの行動は遺伝的にプログラムされたもの
自然淘汰によって形成されてきた
近親婚ではどの性比が最適か?
フィッシャーの理論やハミルトンの理論は、それぞれ独自に独立の現象を説明しているのではなく、一連の性比の変化の中の両極端を説明している
本当に重複寄生がない場合の性比は、産卵数の逆数になっているか
甲虫やガの幼虫や蛹に寄生し、母親が産卵後の宿主を守る
また、雌よりも雄の方が少し先に蛹になり、そこから出てくる
一足先に蛹から出てきた雄は、雌の蛹を食い破って中に入り、交尾をする
このような状況なので、アリガタバチ科には重複寄生はないと考えてよいだろう
いくつもの産卵数における彼らの性比を調べた
理論と現実がぴったり合っているとはいえない
実際には性比は予測されているよりも雄に偏っている
産卵数が大きくなるほど理論値よりもずれている
考えられるのは、受精のためには雄1匹で十分であっても、交尾までに死んでしまうことを考慮すると、もう少し多くの雄を産むという、いわば保険のようなものだということ
頼みの雄が死んでしまうと、残る姉妹たちは全員受精できずに終わってしまう
産卵数が多くなるほど余計に雄の数が多くなるのは、産卵数が多くなるほど不慮の事態が起きたときに損害を被る姉妹の数が多くなるので、よけいに保険をかけているのだと考えられる
アゲハチョウの蛹を食い荒らすハチ
筆者が昔、アゲハチョウの蛹をビンに入れて観察したところ1匹のハチが食い破ってでてきた
ヒメバチの一種だったのだろう
産卵数は1個だっと思われる
出てきたハチの性は何だったのだろうか
局所的資源競争
雄に偏った博物館の標本
クラークは、南アフリカの研究者で、オオギャラゴのの生態を調べていたところ、雄に出会う確率のほうがいつも高いので、この動物では性比に偏りがあるのではないかと考え始めた
世界各地の博物館が所有しているギャラゴの標本を調べたところ、これもまた、どれもが極端に雄に偏っていた
後ろ脚が非常に発達していて、木から木へと飛び移る
母と子の争い――局所的資源競争
自然状態で本当に雄に偏っているかどうかは疑問が残る
しかし、アン・クラークは、自分自身の調査結果から、ギャラゴは本当に性比が雄に偏っているのだと考え、なぜそうなるかの仮説を提出した
ギャラゴの主食は、木の汁や樹脂
そのために適応した前歯を持っている
栄養価が高くて質のよい樹液や樹脂を出す木はそれほど多くはないので、おとなの雌はそれぞれ、そのような良質な木を何本か含む、狭い縄張りを持っている
こんな特殊な食べ物を食べている哺乳類は、何匹もが集まって暮らすことはできない
おとなの雄も単独制だが、なわばりを持っていない
彼らにもっとも重要なのは配偶相手の雌を探すことであり、そのためには、広い範囲を歩き回ったほうがよいから
ギャラゴも哺乳類なので、生まれた子は授乳されて育つ
独り立ちしたとき、雄の子は、母親を遠く離れて広い範囲を動き回るようになるが、雌の子は、それほど遠くには行かない
実際、母親と成熟した娘の行動圏には、ある程度の重なりが生じる
すると、母親と息子が同じ食料源をめぐって競争するということはありえないが、母親と娘は同じ木をめぐって競争する事態が生じるだろう
母親が一方の性の子と資源をめぐって競争するような状況
クラークは、局所的資源競争下では、母親は、競争の少ない方の性を多く産むようになるだろうと考えた
もしそうならば、母親が一方の性の子どもとのみ競争関係にあるような種では、一般にこの傾向が見られるはず
雄の子が出生地から分散し、雌の子が母親のもとに留まる
出生性比は雄に偏っていると報告された
鳥類における局所的資源競争
鳥は、巣立ちした子が、親から離れる距離に性差が見られる
多くの研究では、性比は1対1から有意にずれてはいなかったが、有意にずれている場合を見ると、予想通り、スズメ目では雌に、ガンカモ類では巣に偏っていることがわかった
局所的資源競争理論の今後
局所的資源競争の理論は面白い理論だが、局所的配偶競争の理論と比べ、資源競争の強さを測るのが難しいという難点がある
哺乳類では、野外に実験的状況を持ち込むことは困難だが、今後は競争の強さを正確に測るために、様々な実験を導入して確かめていくべきだろう
局所的資源拡充
ヘルパーの役割
鳥の中には、子が性的成熟に達しても親元を去らず、自らは繁殖をしないで親の繁殖を手伝う、ヘルパーを持つ種がある
ヘルパーは多くの場合、年上の子どもたちで、親が次に産んだ新しい弟や妹を育てる手助けをする
どちらの性の子がヘルパーになるかは、種によって色々
ヘルパーを抱えている種は、生息地がほとんど飽和していて、若い個体が新しく独立して持てるようななわばりはほとんど残っていないことがわかってきた
また、そのようにヘルパーを続けていると、繁殖鳥が死ぬなどのチャンスが生じたときに、ヘルパーをしていないときよりも、自分自身のなわばりが得られる可能性が高くなることもわかってきた
ヘルパーとして留まるのが、どちらか一方の性の子で、親のその後の繁殖成功度は、ヘルパーの数が多くなるほど高くなるとしたらどうなるか
大いに有り得ることで、ヘルパーが何をしているかを詳しく観察した研究によると、多くの種類では、ヘルパーの存在は子育てにとってかなり重要であり、餌の補給、捕食者に対する警戒などの点で、ヘルパーの数が多いほど、生き残る弟や妹の数が増えていくようだ
親は有能なヘルパーの数を増やすために、そちらの方の性の子を多く産んでも良いはず
雄の子が居残ってヘルパーになる
6年間に85の巣のヒナを調べたところ、雄のヒナが99羽に対して雌のヒナが69羽になっていた
これは有意に1:1から偏った性比
別の説明も可能か調べた
雌のヒナの方が雄のヒナよりも大きくて、育てるのにコストが多くかかるということはない
巣にいる間の死亡率も差がない
なので、これはヘルパーをたくさん持ったほうが親の繁殖にとって有利だから生じたと考えられる
資源利用をさらに拡充することができる事態による性比の偏り
セイシェルヤブセンニュウにおける見事な研究
局所的資源競争は、親と、親の近くに残る子どもとの間に、資源をめぐる競争が起こることを指している
ヘルパーというのは、親元に居残って下の弟や妹の世話をする個体だが、当然ながら、親元に居残っている文、局所的資源競争が起きるはず
この二つは正反対の効果を及ぼすと考えられる
局所的資源競争が強ければ、親元に居残る性の子は少く産むという淘汰がかかる
局所的資源拡充が強ければ、親元に居残る性の子を多く産むという淘汰がかかる
そのあたりに資源が十分にあり、局所的資源競争が働かないか、極めて弱くしか働いていないときにのみ、ヘルパーを持つことの利益が大きくなり、局所的資源拡充が可能になるのではないかと考えられる
この鳥は主に虫を食べており、夫婦がなわばりをもって繁殖する
1年に1回の繁殖期に、親はたった一つの卵しか産まない
小さい鳥にしては親鳥の寿命は長くて死亡率も低く、およそ9年ぐらいは繁殖を続ける
島に棲んでいる鳥の個体数が多くなると、ヒナが巣立ってもなかなか自分自身のなわばりを持つ機会がない
そのようなとき、雄の子どもはそれでもどこかに行ってしまうが、雌の子どもは親元にとどまってヘルパーとなる
以前からの研究により、生息地の環境が悪く、餌となる虫の量が少ない場所では、ヘルパーは、局所的資源競争により、かえって親のその後の繁殖成功度を下げることが知られていた
しかしながら、餌の豊富にある良好な生息地では、巣に1, 2羽のヘルパーがいると、局所的資源拡充により、親の繁殖成功度は上がっていく
コムドゥールたちは、質のよい生息地と悪い生息地とで、親が毎年一つ産む卵の性が異なっているのではないかと考えた 鳥のヒナは小さく見た目が同じなので生まれたばかりの性別を決めるのはたいへんな仕事
ヒナの採血をしてDNAを調べた
大変に大きな偏りが見られた
良好な生息地に棲んでいて、まだヘルパーの1羽もいない夫婦たちは、その87パーセントもが雌の子を産んでいた
貧しい生息地に棲んでいて、まだヘルパーの1羽もいない夫婦たちは、その23パーセントしか雌の子を産んでいなかった
しかも1993年から1995年にかけて、個体数が多くなりすぎたクーザン島から、まだセイシェルヤブセンニュウの棲んでいないアリド島とクージーヌ島とに、鳥の一部を移したため、去年まで質の悪い生息地から質のよい生息地に移った鳥で、絶好の実験も行うことができた
悪い生息地からよい生息地に移された夫婦達は、以前は2対18の比で息子を多く産んでいたところが、翌年から29対5の割合で娘を生むようになった
もともとよい生息地に棲んでおり、移されたあともよい生息地であったような夫婦は、移住の前もあともともに娘を多く産んでおり、そこに変化はなかった
卵の性比がどうやって変えられるのか、まだわかっていないが、この見事な適応的変化を見ると、何らかの強力なメカニズムがあるとしか考えられないだろう
第5章 哺乳類の性比の偏り
配偶競争と資源競争
繁殖のチャンスをめぐる競争
第4章で扱った議論では、集団中の個々の個体が、配偶競争や資源競争などに対処する能力に個体差があるかどうかは考えてなかった
雄と雌の大きさに差がある場合には、雄の方が大きいものがほとんど
角や牙やらの武器を持っているのも、殆どの場合、雄だけ
哺乳類では雌は大きな卵子を作り、さらに妊娠・出産・授乳をするので、相当な投資を行うことになる
一方、雄はたいてい精子を渡すだけであとはほとんど何もしない
いま、ある1匹の雄と雌とが交尾したとする
子に対する雄の世話がまったくないとすると、今回の繁殖に関する雄の仕事は終わり
精子は作るのが安上がりなので、雄にはまだ精子がたくさん残っているだろう
そこで雄は次の雌を探しにいくと考えられる
一方、雌の方はこれで妊娠したとすると、何ヶ月かの妊娠期間をおいてから出産し、その先もしばらくは、その子に対する授乳にかかりきり
つまり、哺乳類では、1回の繁殖から次の繁殖にかかるまでの潜在的時間が、雄と雌とで非常に異なる
1回の繁殖から次の繁殖にかかるまでの時間は、(配偶に要する時間) + (子育てに要する時間)だが、多くの哺乳類では、雌が子育てに要する時間が雄に比べて非常に長いので、雄の方が潜在的繁殖速度が速くなる
ある時点をとって、繁殖が可能な雄の数と雌の数を比べてみると、繁殖可能な雄が、雌に比べて余っていることになる
余っている雄同士の間には、繁殖をめぐる強い競争が起こるだろう
ただ、ダーウィンは、このような雄同士の競争が生じる究極的な理由が、潜在的繁殖速度の性差にあるとは考えつかなかった
いずれにせよ、ダーウィンは、配偶者の獲得をめぐる雄間競争が存在することによって、雄のからだが大きくなったり、角や牙などの武器が雄に発達したのだと考えた
トリヴァース=ウィラードの仮説
1973年に行動生態学者のトリヴァースとウィラードが、条件のよい母親は息子を産むべきで、条件の悪い母親は娘を産むべきという仮説を提出した 5つの仮定
1. 繁殖のチャンスをめぐる雄間の競争が、レスリングしたり、角突きあったり、殴ったり噛んだりするタイプの闘争であるならば、からだの大きい雄が、小さい雌よりもずっと有利になるだろう
2. 母親自身が、順位が高くて栄養条件がよければ、大きい子を産むことができ、ミルクもたくさん出すことができるだろう
3. そのようにして育った、条件のよい母親の子は、離乳の時点で、そうでない母親の子よりも大きく育っているだろう
4. そして、離乳の時点でのからだの大きさの差は、その後の成長にも影響を与え、結局、離乳の時点で大きかった子は大きい大人に育ち、小さかった子は、小さい大人にしかなれないだろう
5. (2)~(4)までは、雄の子にも雌の子にも当てはまるが、雌は配偶相手をめぐって雌同士で戦わないので、からだが大きくなっても、繁殖成功度という点で、雄ほどの有利さはないはず
もしも、これらの条件が満たされるのならば、順位が高くて栄養条件のよい母親は雄を産むべきで、条件の悪い母親は雌を産むべきだということになる
1匹の雄が数匹の雌と配偶するシステムなので、当然のことながら、1匹の繁殖できる雄に対して、数匹の繁殖できない雄が出ることになり、雄の間の繁殖成功度のばらつきが非常に大きくなる
集団の中で一握りの雄しか繁殖できないのならば、繁殖のチャンスをめぐる雄同士の闘いは激しいものとなり、その闘いが肉体的な闘争であれば、からだの大きい雄は非常に有利になるだろう
事実、一夫多妻の哺乳類のほとんどは、雄の方が雌よりもからだが大きくなっている
雌どうしの間の繁殖成功度のばらつきは、それほど大きくはない
雌の繁殖成功度は、自分自身の産む子の数によって決まる
雌にしても、あまりからだの小さい雌よりは大きい雌の方が繁殖成功度は高くなるだろうが、からだの大きさに対する繁殖成功度の高まりは雄よりずっと小さいと考えられる
また、雌の場合、何匹の雄と交尾するかは、繁殖成功度とあまり関係がないので、雌同士の間には、配偶相手の雄をめぐる肉体的闘争はほとんどないといってよいだろう
このような事態は、多くの一夫多妻の哺乳類で成り立っていると考えられる
順位の高い母親が息子を産むラム島のアカシカ
この仮説のほとんど完全といってよい検証がなされた例がある
アカシカは、一夫多妻のハーレムを作る種で、そのハーレムの獲得をめぐる競争は、角突あっての力づくの闘争 からだの大きい雄ほど、それに有利であることが、まず確かめられている
雌には順位があって、順位の高い雌は、草のたくさん生えるよい場所をなわばりにしているが、順位の低い雌は、それほど食料が豊富ではない
すなわち、母親の順位によって、条件がかなり違う
雌は毎年、または1年おきに1子を出産するが、順位の高い母親は大きな子を産み、その子は大きく育つ
順位の低い母親では子は小さく、あまり大きな子にはならない
長年の調査結果をまとめると、順位の高い母親ほど息子を多く産み、順位の低い母親ほど娘を多く産んでいることがわかった
これは、本当に珍しくよくできた証明
ただ単に、一夫多妻の競争下で、順位の高い雌は雄の子を多く産むと報告しただけでなく、トリヴァース=ウィラード仮説のそれぞれの条件が、すべて段階を追って証明されている
オポッサムとコイプー
一夫多妻の配偶システムを持っており、雄は雌よりも少し大きく、繁殖のチャンスをめぐる闘争では、からだの大きい雄が有利なようだ
アカシカと似たような状況にあるが、一つ違うところは、アカシカが一度に1匹の子しか産まないのに対し、オポッサムは1度に7~8匹産むこと
ヴェネズエラのサバンナで行われた実験
繁殖期の始まる前に40匹の雌を個体識別し、それぞれの巣穴を確認しておく
栄養状態のよい雌とそうでない雌を実験的に作り出す
半分の20匹には、1日おきに巣穴の前にイワシの缶詰を置いてやり、大量の余分の食糧を食べさせる
残りの20匹には何もさせない
繁殖期になってそれぞれの雌に生まれてきた子どもたちの数と大きさ、性別、生存率を調べた
栄養状態の良い雌たちは、とくにたくさんの子を産んだわけではなかったが、雄を有意に多く産んでいた
栄養状態のよい雌の子どもたちは、普通の雌の子どもたちよりも体重が重く、離乳後の生存率も高いことがわかった
その息子たちが実際に繁殖をめぐる競争に勝てたかどうかは、この実験だけからはわからない
しかし、栄養状態のよい雌の息子は、相当大きな雄になれるだろう
また、別の研究では、たしかに、からだの大きい雄の繁殖成功度が高いことが確かめられている
したがって、このオポッサムの例も、トリヴァース=ウィラードの仮説にあてはまっていると言える
しかし、イワシの缶詰は大変なごちそうであり、1日おきにこんなものをもらえる事態に相当するものが、自然状態でもあるだろうか
自然状態で、雌たちの栄養状態にどれだけのばらつきがあり、それに応じて本当に性比の調節が行われているのかどうかは、わからない
また、栄養状態がよくなったときに、どのような機構で性比の調節が行われるのかもわかっていない
かなり大きな齧歯類で、南米原産の、水辺に近くに棲むネズミの仲間
害獣となってしまったため、個体数をコントロールするために研究が行われた
一夫多妻の配偶システムを持ち、雄の体重は雌よりも約15パーセント増えている
増えては捕獲し、研究上のサンプルサイズは12年間で1485匹になった
まず、夏にはあまり雌が生まれないことがわかった
コイプーは、一腹子数が小さくその構成が雌に偏っていた場合、そのような胎児の全部が流産されてしまうことがわかった
流産をするのは若い雌で、平均以上に脂肪蓄積の多い、栄養状態のよい雌であることがわかった
流産した後再妊娠すると、そのときの一腹子数は、前回よりも大きくなる傾向があった
これを研究した英国のモリス・ゴスリングは、このコイプーの例も、トリヴァース=ウィラード仮説に合致するものと解釈している コイプーでも、からだの大きい雄はからだの大きい雌よりもずっと有利なので、栄養状態のよい母親は、大きな娘よりも大きな息子を作ったほうがよいだろう
また、一腹子数が小さくなるほど、個々の子は大きくなれる
一腹子数が小さくて、それが雄に偏っていたならば、その息子たちはたいへん大きくなれるに違いない
一方、一腹子数が大きければ、まず第一に、その構成に雌雄の偏りが少なくなる
また、子の数が多ければ、それが息子であれ娘であれ、母親の全体的繁殖成功度は高くなるだろう
したがって、一腹子数小さいときこそが問題
また、夏場はコイプーたちがもっとも栄養十分で脂肪を蓄積している季節
夏場の栄養状態のよい雌は、十分に大きな子を作る余力があるので、そのようなときに、一腹子数が小さく、しかも雌ばかりを妊娠してしまうと、それを全部犠牲にしてやり直し、もっとたくさんの子を妊娠するか、数が少なくて雄に偏った構成の子たちを妊娠するかに賭けるのだろう
しかし、こんなことがたやすく起こるためには、1年中妊娠可能というコイプーの繁殖生理がおおいに関係しているに違いない
繁殖期が1年に1回などと決まっていたならば、こんな、いわばぜいたくな選択はできなかったはず
ライオンの兄弟のきずな
血縁関係にある数頭の雌からなるプライドと呼ばれる集団に、外からやってきた数頭の雄が加わった群れを作って暮らしている ライオンも基本的に雌が出生地に残り、雄が生まれてきた群れを出ていくタイプ
ライオンもハイエナと同様に食肉類なので、獲得をめぐる競争は激しく、一つのプライドにたくさんの雌が同居することはできない 一つのプライドの最適サイズは3~10頭の間のようで、これを超えるような場合には、雌でも出生地から離れて新天地へ向かう
若い雄たちは、一緒に生まれた兄弟たちが一丸となって放浪し、プライドを他の雄から乗っ取らねばならない
雄グループは、最高7頭までの雄を含むが、雄グループのサイズが大きいほど、より大きなプライドを乗っ取ることができるので、彼らの繁殖成功度は上がる
新しい雄たちがプライドの乗っ取りをしたあとでは、前の雄の子どもは殺されたり追い出されたりする
すると、プライドの雌たちは、みんなが同調して発情するので、子どもたちも同調して生まれることになる
そういうことがなければ、雌ライオンたちは、それぞれの発情サイクルにしたがって発情し、子どもが生まれる時期も同調しない
一腹子数は1~6匹
ライオンではどんな性比の偏りが予測されるか
雄は一緒に育つ仲間や兄弟がたくさんいるほど、将来大きなプライドを乗っ取ることができ、それが繁殖成功度を決める
雄を産むときには、まとめてたくさん産んだほうが有利
まとめてたくさん生まれるのは、群れが新しい雄たちに乗っ取られた直後と、一腹子数が大きいとき
乗っ取りがあったあとは、約300日でほとんどすべての雌が新しい子どもたちを出産する
この子達は、一緒に育ち、大人になってからも強い絆を保ち続ける
そこで、群れの乗っ取り後300日前後で生まれた、同時出産の子どもたちの性と、それ以後にぽつぽつ生まれてくる、同時出産ではない子どもたちとの性を比較した
確かに乗っ取り後の同時出産のときには、雄の子が有意に多く生まれていた
では、一腹子数の多いときはどうか
雌ライオンは1回に1~6匹の子を有無が、そのほとんどは4匹以内
一腹子数が1, 2, 3, 4匹だったときの子の性別構成を、それが偶然で決まっていると考えた場合と比較した
一腹子数が3匹と4匹の場合、雄が3匹生まれるという事態が、確率的に生じる以上の比率で起こっていることがわかった
これらの結果を考え合わせると、ライオンたちは、将来の雄の連合にそなえて、連合できる子どもたちがたくさん生まれるような場合には、雄の子を多く産んでいると言ってよいだろう
ラム島のアカシカのその後
最近になって、ラム島のアカシカでは、かつて見られたような、高順位の母親は息子を多く産むという傾向が消えてしまったことが報告された
ラム島のアカシカの個体群は1973年以来、自然保護のために狩猟が禁止されてきた
それ以前は、かなり頻繁に狩猟が行われていたため、シカの個体密度は低く抑えられていた
クラットン=ブロックたちは、そのように個体密度が低かった個体群が、狩猟の禁止によってどんどん個体数を増やしていく途中の状態を観察していたのだと言える
つまり、当時は生息地の使いすぎということはなく、良い場所と悪い場所があって、高順位の母親は良い場所を独占し、低順位の母親は悪い場所に追いやられていたのだろう
個体数の増えたアカシカによって草が食べ尽くされ、そんなによい場所はどこにもなくなってしまった
資源競争が全体として非常に強くなって、草の食べすぎが起きたと言える
すると、個体群全体として、雄の生まれる率がどんどん減っていった
それは主に、高順位の雌が雄の子を産まなくなってきたからだった
原因としては次のことが考えられる
雄の子は体重が重く、育てるのに負担が大きいので、順位の高い母親であっても余力のあるときのみにできることなのかもしれない
しかし、これが、母親の適応的な戦略として起こっていることなのか、男の子の胎児は栄養ストレスに弱いために、胎児死亡率が高くなっていることによるだけなのか、詳しいことはわかっていない
トリヴァース=ウィラード仮説による性比の調節は、理論的に正しい感じがしても、それが自然界で実現するには、いろいろな仮定が成り立っていないとだめなようだ 1980年代のはじめにラム島で起こっていたことは、仮定がすべて実現されていた、非常に稀なケースであるのかもしれない
育ちで得をするのは娘か、息子か――霊長類の性比をめぐる論争
育ちのよい娘
哺乳類の中で最も研究されている霊長類においては、性比がどのように適応的に調節されているかについて、まちまちな結果が報告され、たいへんな論争を巻き起こしている
論争はまだ決着がついていない
まず、トリヴァース=ウィラード仮説とはまったく正反対の結果が報告された
順位が高くて栄養状態がよいと思われる雌ほど、息子ではなくて娘を多く産んでいた
雌間には家系ごとに順位があり、その順位は母親から娘へと受け継がれるが、群れを離れる息子のその後の順位は、母親の順位とはあまり関係がないと思われる
ヒヒやアカゲザルがアカシカやコイプーと違うところは、彼らが、複数の雄と複数の雌を含む、1年中安定した群れを作って暮らしていることにある
雄には順位があり、順位の高い雄は他の個体の行動を制限することができるので、発情雌が他の雄と交尾するのを妨害することが、ある程度はできる
しかし、一つの群れの中に複数の雄がおり、一時期に発情している雌の数も複数なので、順位の高い雄がつねに発情雌を独占することはできない
また、雌も、つねに順位の高い雄を交尾相手として好むとは限らないので、順位の低い雄にも、交尾のチャンスはたくさんある
それに加えて、雌は、1回の発情期に複数の雄と多数回交尾するので、子どもの父親が誰であるのかはさっぱり見当がつかない
これまでに調べられている範囲では、これらの複雄複雌の霊長類では、雄の順位と繁殖成功度との間にはっきりした相関は見られていない 雄は、性成熟前に群れを離れ、しばらく放浪生活を送ってから他の群れに入る
そして順位を獲得していくが、知能が高くて複雑な社会生活を送っている霊長類では、からだが大きいことだけが、それほど決定的な要素ではないようだ
からだの大きさ以外にも、他の雄との協力関係や雌からのサポートが、雄の順位の獲得と維持に非常に大事であることがよく知られている
そうであるならば、雄の順位と繁殖成功度や、雄の順位とからだの大きさとの間には、単純な相関関係は見られないだろう
だとすると、雄間の闘争が肉体的な闘争で、からだの大きい雄ほど繁殖成功度が高くなり、栄養状態のよい雌は大きい息子を産んだほうが有利であるという、トリヴァース=ウィラード仮説の状況は、ヒヒやアカゲザルでは当てはまっていないことになる
雄の繁殖成功度にばらつきが大きいというのはおそらくそのとおりだが、母親の順位が高いか低いかによって息子の繁殖成功度が決められる可能性は低いといえる
そうだとすると、順位の高い母親にとって、息子はあてにならない投資であり、逆に、順位の低い母親にとっては、息子は賭けに値する投資ということになる
そこで、これらの霊長類にとっての、息子と娘の価値を比べる
順位の高い母親にとっては、自分の高い順位を確実に受け継ぐ娘は確実な投資となるが、息子は将来どうなるかわからない不確実な投資
一方、順位の低い母親にとっては、娘は、自分の低い順位を確実に受け継ぐ悪い投資となるが、息子は母親の低い順位を受け継がないので、賭けてみる価値がありそうだ
このような理由で、順位の高い母親は娘を多く産み、順位の低い母親は息子を多く産むことが適応的になるのかもしれない
「女の子いじめ」と局所的資源競争
霊長類の雌の順位と繁殖成功度が相関するのは、雌の繁殖成功度にとっていちばん重要なのは食糧資源なので、順位の高い雌がより多くの資源を独占することができるからだと考えられる
雌が生まれた群れに留まる種類では、雌間に局所的資源競争が起こる
そこで雌間に順位が存在すれば、順位によって、各雌が局所的資源競争に対処する能力に差が出る
霊長類の雌の順位と性比の偏りには、局所的資源競争が重要な役割を果たしているようだ
順位の高い雌たちは、順位の低い家系の雄の子はあまりいじめないのに、雌の子たちをよくいじめる
これは局所的資源競争の結果だろう
雌同士は、資源をめぐる潜在的競争相手であり、順位の高い雌は、順位の低い雌をいじめることによって、資源を独占しようとしている
カリフォルニア大学霊長類センターのボンネット・モンキーを研究したジョーン・シルクは、このような「女の子いじめ」の結果、順位の低い雌は息子を多く産んだほうが有利なのだと考えた シルクの考えは、先のアルトマンの考えと少しニュアンスが違う
アルトマンは、母親の順位による、娘と息子の将来の繁殖成功度の予測を比較し、順位の高い母親にとっては娘を産むのが有利であり、順位の低い母親にとっては息子を産むほうが有利であると考えた
これはそれぞれの母親にとっての「有利さ」に着目した考え
一方、シルクは、母親の順位による、娘を持つことと息子を持つことの「コスト」に着目した
順位の高い母親の子どもはいじめられないので、娘も息子もそれほどのコストではない
しかし、順位の低い母親にとっては、娘は非常にいじめられるので、娘を育てるコストは大変大きくなる
一方、息子はそれほどいじめられないので、順位の低い母親にとっては、息子を産んだほうがコストが少なくてすむだろう
ケンブリッジ大学のアカゲザルの飼育群では、このことが詳しく研究された
ここのアカゲザルでは、離乳前の順位の低い雌の子は、順位の高いおとなの雌から頻繁にいじめられる
いじめられた子は、母親のもとに帰り安心のために乳首をくわえるので、頻繁な授乳が繰り返されることになる
実際に授乳があるかないかにかかわらず、子が頻繁に乳首をくわえると、母親のホルモンが影響を受け、次の妊娠が大幅に遅れる結果を招く
そのため、順位の低い母親が娘を産んだあとでは、息子を産んだあとよりも、出産間隔が有意に長くなることがわかった
クモザルの「育ちのよい息子」
仮説を補強するために、娘が群れを出ていき、息子が出生地にとどまるという、全く逆の社会構造を持った種類では、逆に、高順位の母親が息子を多く産んでいるかどうかを調べる
ほとんどの霊長類では雌が留まるタイプで、その逆は少数の種しかない
南米
細長い手足に長い尾を持っており、その尾を第五の手として自由自在に使う
ヴェネズエラに生息する野生のクモザルを観察した研究
その群れでは1981年から1986年までの間に、息子を産んだのはすべて高順位の雌で、低順位の雌は娘しか産まなかった
この研究では、群れを出ていく娘が母親の順位を受け継がないことは確かめられているが、息子が母親の順位を受け継ぐかどうかは「その可能性がありそうだ」ぐらいでとどまっている
また、低順位の母親の息子が、高順位のおとなたちからいじめられるのかどうかもわからない
ただし、高順位の雄は低順位の雄よりも繁殖成功度が高そうなので、もしも母親の順位が息子に受け継がれるのならば、高順位の息子は有利となるだろう
筆者の研究したタンザニアのチンパンジーでは、母親の順位による子の性比の偏りは見られないようだ
チンパンジーはヒトに近く、子どもが離乳するのが5歳、性成熟に達するのが15歳、雄がおとなの雄のグループの中で順位を築き上げていくのは、20歳から30歳にかけて
それまでの間には、他のおストの協力関係や雌との関係など、さまざまな社会関係のネットワークを築いていく
そこに、母親の順位がどれだけの意味を持っているのかはわからない
発情した雌が1日のうちに続けて何頭もの雄と交尾することもある
順位の高い雄が、1頭の発情雌を独占して他の雄を寄せ付けないこともあるが、逆に、順位の低い雄が、発情雌を群れの外に連れ出して2頭だけで過ごす「ハネムーン」も知られている
なので、雄の順位と繁殖成功度との関係も、一筋縄ではいかない
クモザルについては、まだわからないことがたくさんあるが、これらのことを総合すると、雄が出生地に留まるという同じ社会構造であっても、個体の競争関係の内容は異なり、順位の高い母親が雄を産んだ方が有利であるという状況は、クモザルにはあるのかもしれないが、チンパンジーでは可能性が低いということになるだろう
混迷するカヨ・サンチアゴのアカゲザル
霊長類の長期研究といえば、最も有名なのは、30年以上続けられているカヨ・サンチアゴ島のアカゲザル 1939年に400頭のアカゲザルがインドから連れてこられ、以来、多くの行動学的、生態学的研究の舞台となってきた
性比論争に決着をつけてくれるに違いないと期待された
ところが、カヨ・サンチアゴのアカゲザルの性比に関する報告は、1984年、1986年、1988年と続けて出されたが、内容はどれもが互いに異なっていた
最初の報告では、1964年から1978年までの14年間の出生記録を調べたところ、6つある群れのうち、順位の高い群れほど雄の子を多く出産しているとされた
この話は、個々の雌の順位を問題にしているのではなく、群れ同士の順位を問題にしていることに注意
この研究では、順位の高い群れほど、雄の子の生まれる率が高いと報告された
これを研究した人々は、このことを、トリヴァース=ウィラード仮説と結びつけて論じているが、これは少し見当違いと思われる
個体ごとの競争力の違いと群れ間の競争力の違いとは、異なる話
次に出された研究では、1976年から1984年までの出生記録を調べたところ、先の研究とは違って、群れの順位による性比の偏りは存在しないと報告された
群れの順位、群れ内の家系の順位、母親の年齢の三つの変数をとって出生性比の偏りを調べてみたが、意味のある変異は発見できなかった
彼らは霊長類に性比の偏りはなく、以前の研究での偏りの報告は、偶然の変動にすぎないだろうと示唆した
1988年に出た最後の研究は、カヨ・サンチアゴ島のすべての群れを対象にしているのではなく、その中の一つの群れだけを対象に、1974年から1984年までの出生記録を調べた
この群れでは、発見された唯一の性比の偏りは「中くらいの順位の雌は、娘を多く産む傾向がある」というものだった
この研究を行ったキャロル・バーマンは、雌達の順位だけでなく、脂肪蓄積量も測り、雌の栄養状態を調べているが、脂肪蓄積で測った栄養状態と子の性比との間には、相関はなかった
したがって、中順位の雌が雌の子を多く生む傾向があるとしても、それは、母親の栄養状態のせいではなかった
バーマンは、この性比の偏りを適応的に説明することはできず、ただの偶然の結果であるか、中順位の母親たちに娘を多く妊娠する遺伝的バイアスがあるのかもしれないと結論している
性比の偏りは存在しない
前述の論争に刺激されて、いくつかの集団から、そのような性比の偏りは存在しないという報告も出された
カリフォルニア霊長類研究センターで飼われているアカゲザルの、1976年から1985年にかけての645の出産例を調べたところ、母親の順位と子の性比との間には相関は見られなかった
同じ研究センターの、隣の飼育場で飼われているボンネット・モンキーが、シルクの局所的資源競争の理論のもとになったのだから、おかしな話だ
アカゲザルもボンネット・モンキーも同じような社会構造を持つマカカ類であり、同じ研究センターなのだから、飼い方も同じだと思われる 京都の嵐山で餌付け放飼されているニホンザルの群れでも、過去30年間の出産記録を調べたところ、母親の順位による性比の偏りは見られなかった このニホンザルの群れは、昔、二つに分裂した半分をテキサスに持っていって「嵐山ウェスト」と名付けられて研究されている
そちらの方の群れでも、やはり母親の順位と子の性比には何の関係も見いだされなかった
アフリカで野生状態で棲んでいるオリーブヒヒとベルベット・モンキーでも、性比の偏りは見られなかった
また別の理由による性比の偏り?
タンザニアのミクミ国立公園に生息するキイロヒヒについては、また別のタイプの偏りが報告された
母親の順位と子の性別との間には関係が見られなかったが、出産期の始まる早いうちには、あとの方よりも、雌が産まれる確率が高いことがわかった
キイロヒヒは1年中出産可能だが、乾季のはじめに出産数がピークに達する
ミクミは広大なサバンナで、キイロヒヒは食物を求めて広い範囲を動き回らなければならない
食物をめぐる競争はかなり激しいようで、大人の雌どうし、および大人の雌と子どもの雌との間の闘争がしばしばある
闘争の結果は、けがをしたり、排卵が抑制されたり、流産が起こったりするらしく、攻撃を受ける頻度が高い雌ほど、出産から次の出産までに多くの時間がかかる
これはやはり、雌間の局所的資源競争のためだろう
当然ながら、出産期のピーク前には、雌間の競争がもっとも激しくなる
出産期のあとの方に生まれた雌の子ほど、他の雌からの攻撃による死亡率が高いことがわかった
このような傾向は、雄の子の間には見られなかった
これも局所的資源競争で説明できそうだ
このような状況で、まだ空きが多くて競争が少ないときに雌を産み、あたりが混雑してきてからは、競争の影響をあまり受けない雄を産むようにするというのは、子の生存率を最適化するという点で適応的かもしれない
しかし、もしも、雌間の競争が闘争という手段を通して表れるならば、その影響は、順位の低い雌に対してもっとも強く表れるだろうから、このような性比の偏りは、順位の低い雌において強く表れるはず
一方、順位の高い雌はそれほどの攻撃は受けないのだから、雄の子を産んでも雌の子を産んでもかまわないはず
実際には順位と子の性比の偏りとの間には関係が見られなかったのだから、あまり納得がいかない
霊長類の性比論争の今後
局所的資源競争はありそうな話だが、その競争の強さを正確に測ることが大事
競争がどのような個体間関係を通じて各個体に影響を及ぼしているのかを明らかにする必要がある
その意味で、有り余るほどの十分な餌をもらっている飼育集団での研究は、あまり意味がないように思う
ケンブリッジ大学の研究所のアカゲザルは、サルが肥満になるほどの十分な餌をもらっているわけではない
この研究では、食糧を巡る競争が、順位の低い雌の娘二台するいじめを通じて表れる過程を明確にしているから説得力がある
したがって、雌が出生地に居残る社会だからといって、必ず雌間に局所的資源競争があるわけではない
資源競争の強さは、その種が主食にしている食物の種類と分布におおいに左右されるだろう
局所的資源競争の考えが作られるもとになったギャラゴでは、樹脂という特殊な食物を主食にしていた
また、局所的資源競争は本質的には存在しても、母親の順位によってその影響をどのように被るかに大きな差が出る場合と、そうでない場合とがあるだろう
局所的資源競争が子の性比に影響を与えるためには、それなりの行動的連鎖が必要だが、その行動の表れ方が問題
その詳細な過程、行動の連鎖と因果関係を明らかにしなければ、最終的には結論が出せない
トリヴァース=ウィラード仮説についても同じ
雄の繁殖成功度のばらつきが、雌のそれよりも大きいというだけでは、条件のよい母親が雄を産むべきだということにはならない
栄養条件にせよ、社会的順位にせよ、母親の置かれている条件が、息子に対してどのようなルートで影響を及ぼすのか、それは、息子のからだが大きくなるためなのか、息子が母親の社会的順位を受け継ぐためなのか、やはり、その因果関係の連鎖を明らかにせねばならない
霊長類は、肉体的闘争に勝った雄が、雌のハーレムを独占するという単純な社会ではない
アカシカやネズミでは、繁殖期にのみ、雄が雌に接近する
このとき、同じように雌に接近しようとする雄同士の間に闘争が生じ、からだの大きい雄が勝つ可能性が高くなるが、霊長類はそうではない
肉体的な闘争だけが雄の繁殖への道ではないし、順位が高いことが必ずしも、雌に対する接近のパスポートにもならない
雄同士の協力関係、群れへの滞在年数、雌からのサポート、雌の好み、ストレンジャーかどうか、などが雄の繁殖に影響を与えることが知られている
これまでの研究は、ごく少数のものを除いて、個体間の競争関係がどのようなメカニズムを通して性比調節に結びつくのかが、具体的に明らかにされていなかった
雌間の競争関係の強さも、雄の繁殖成功度も、あまり正確には測られていない
子育ての負担――息子と娘はどちらが手がかかる?
トリヴァース=ウィラード仮説は論理的には正しいはず
正しいはずだから、実際に起っている可能性はある
1980年代のラム島のアカシカのように、本当にその通りのことが起こっていることが示されたこともある
ところが、雄が雌よりも大きく、雄間の闘争がからだのサイズに依存しているような多くの哺乳類で、トリヴァース=ウィラード仮説はあてはまっていない
ネガティブな証拠はポジティブな証拠の何倍も立証するのが難しい
大きな息子を育てるコスト
条件の良い母親は息子を産むべきだという説
息子のほうが大きいから
この仮説が想定している動物は、配偶者の獲得をめぐるおとなの雄同士の競争が肉体的な闘争であるような動物
闘争で勝ったときに得られる雌の数が多いほど、つまり闘争にかかっている賭けが大きいほど、雄のからだは、雌に比べて大きくなる
アカシカは闘争に勝った雄が獲得できる雌は5, 6頭で、雄のからだの大きさは雌のおよそ1.8倍
ゾウアザラシになると、雄が獲得できる雌の数は数十頭にも及び、雄の体の大きさは雌の7倍にもなっている このような動物では、雄のからだの大きさは繁殖成功度において極めて重要
そのため、トリヴァース=ウィラード仮説では、雄がおとなになったときになるべくからだを大きくするためには、生まれたときからからだを大きくし、成長速度も速くして、離乳するときまでにすでに雌よりも大きくしておくことができれば、その方が有利だろうと考えた
一方、雌の方は、からだのサイズの繁殖成功度における重要性は雄ほどではない
栄養条件の悪い母親は小さめの子しか作ることができないので、そういう小さい子どもは娘にしたほうがよく、栄養条件の良い母親は大きい子を作ることができるので、そういう子は雄にしたほうがよいことになる
もし、トリヴァース=ウィラードのシナリオが起こっているならば、出生時の体重に雄と雌ではっきりした差があると考えられる
おとなの雄と雌のサイズが非常に違う動物、性的二型の大きい動物では、雄と雌で、出生時の体重や成長速度にも違いがあるか ラム島のアカシカでは本当にそうなっていた
このようなことは性的二型の大きい動物では一般に起こっていることなのか
これまでの研究結果を見ると、そのような哺乳類の多くは、雄の子を育てるコストの方が大きいようだが、そうではない種類もかなりある
同じように一夫多妻の社会構造を持ち、雄と雌のからだの大きさの性的二型が大きく、雄のからだが大きい方が繁殖に有利である哺乳類なのに、結果は、全て同じではない
雄の子を育てるコストの方が大きいと報告されている種
このオットセイの長期的な研究が行われており、研究所のまわりのオットセイはすべて一度捕獲して、標識をつけてある
標識個体は定期的に捕獲し、繰り返し体重測定を行う
雄の子の出生時体重は平均3.8キロ、雌は3.4キロ
雄の子は雌の子よりも成長速度が速く、2歳になったときの体重は、雄の平均がおよそ18キロなのに対して、雌のそれはおよっそ15.5キロだった
生後30日以後は、雄がミルクを飲む時間の方が、雌のそれよりも長くなっていた
授乳期間はおよそ3年
20際になるころまでに、雄は雌よりも顕著に大きくなり、25歳までには雌のおよそ2倍の体重になる
野生のゾウの赤ん坊を捕獲できないので出生時体重のデータはない
地面についた足跡の大きさを測ることによって、からだの大きさを推定した
雄のこの方が雌の子よりも少しばかり足が大きく、その成長速度も速かったので、雄の子の方が大きく生まれて速く大きくなるのだろうと推定される
ミルクを飲む行動でも、雄の子の方が飲む頻度も時間も長くなっていた
おとなの雄は雌の1.6倍の体重
子どもは毎年4月から5月に産まれるが、10月の体重測定では、雄の子が平均149キロだったのに対して、雌の子は134キロ
雄の子の方が雌の子よりもミルクを多く飲むので、母乳の授乳負担は、雄の子に対しての方が重くなっていっると考えられる
それを反映して、前年に雄を産んだ母親は、翌年子を産まない事が多く、また、産んだとしても雄の子を続けて産むことはなかった
1年おいたとしても、それでも息子を続けて産む母親はいなかった
一方、娘を生んだ後に、また娘を生む場合と息子を生む場合は同等にあった
コストのかからない息子
これらの研究は、このような哺乳類では息子を育てるコストの方が大きいことを明らかに示している
それでも、これらの動物では、条件のよい母親、順位の高い母親が雄を産んでいるという性比の偏りは見られていない
一方、オジロジカなどの動物では、おとなの雄はおとなの雌よりも大きいのに、息子を育てるコストの方が大きいと言う証拠は得られていない おとなの雄の体重が雌の7倍あるゾウアザラシでもそうなっていない 雄の方が大きく、成長速度も速い
平均出生時体重は雄41.6キロ、雌38.7キロ
平均離乳時体重は雄136.5キロ、雌126.2キロ
しかし、栄養状態のよい母親が雄の子を多く産むということはなく、また雄の子を産んだ後で母親の次の妊娠が遅れたり、雄の子を続けて産むことがなかったり、ということはなかった
キタゾウアザラシと近縁
社会構造やからだの作りなどほとんど同じなのに、こちらは統計的な差はまったくなかった
雄の出生時体重の平均が44.1キロ、雌のそれが43.4キロ
離乳時の雄の平均体重が131.5キロ、雌のそれが131.4キロ
それに対応して、ミルクを飲む量にも雄と雌とで差は見られず、母親の状態と子の性比にも偏りはなかった
霊長類の多くでは、おとなの雄が雌よりもずっと大きいのにも関わらず、出生時や離乳時の体重では、差がないものがほとんど
ゴリラですらそうで、雄の大きなからだのサイズは、離乳後から性成熟までの間に達成される 親の世話残すとという点では、息子はそれほどのコストではないということ
実際に雄の子が大きく産まれるかどうかには、他の条件も働いているようだ
たとえば、アザラシの仲間の多くでは、授乳期間中の母親はほとんど採食をせず、蓄えておいた脂肪ですべてをまかなう いくら栄養状態のよい母親といっても、できることには限りがあるだろう
からだのおきい息子を作るほうがよいとしても、母親のエネルギー支出に上限があるために、実際にはできないのかもしれない
イノシシは、一腹の子の数が多く、雄の子であれ雌の子であれ、素早く成長してさっさとおとなになるタイプの動物 成長速度という点では、雄も雌も最大級に速くなっているので、これ以上、とくに雄の子の成長速度を上げて大きくすることはできないのかもしれない
そのような場合には、さらに雄の子を母親が大きくしてやることはできないのだろう
脳という器官は非常にエネルギーを食う装置で、維持し、大きく育てていくことは大変な仕事
霊長類の成長速度は、同体重の他の哺乳類に比べて長くなっているが、その原因に一つが脳であると考えられている
霊長類の母親にとっては、そもそものはじめから非常に大きな脳を持った子どもを育てるのが大変なので、雄だからといってさらに大きな赤ん坊を作ることはできないのかもしれない
これまでの研究から浮かび上がってきたことは、トリヴァース=ウィラード仮説は、それを実現できるような条件が整っているときには起こるのだろうが、おとなの雄のからだの大きさが繁殖上有利であることだけで、その過程が働くということはないだろう、ということだと思う
第6章 息子がいいか娘がいいか――ヒトの性比と子育ての性差別
ヒトの性比に偏りはあるか
どちらかの性の子を欲しがる悲劇
16世紀イギリスのヘンリー8世
ヒトにも性比の偏りはあるか?
ヒトの出生性比はおよそ105対100
男の子が少し多い
これまでに調べられた人類のすべての集団において、男の子の産まれる数は女の子のそれを上回っている
アメリカの白人: 106:100
アフリカ系アメリカ人: 103:100
ギリシャ: 113:100
キューバ: 101:100
世界平均: 105~106: 100
これは出生性比であり、受精のときのそれではない
もしも、Xを持つ精子とYを持つ精子とが平等の確率で受精しているのならば、生まれてくるときに男の子のほうが多いのは、女児の胎児の死亡率が高いからということになる
ところがその逆で、胎児の死亡率、流産率は、男児の方がずっと高い
なので、受精のときの性比は105対100よりもずっと男児に偏っている
ヒトでも、Y精子の受精率の方がずっと高い
フィッシャーが考えたような自然淘汰がヒトにもかかってきたからなのだろう
胎児のときから始まって、生まれたあとの乳幼児期から青年期にいたるまでのどの年齢をとっても、男の子の死亡率は女の子のそれを上回る
親による子の世話が終了するとき、男の子に対する親の投資と女の子に対する親の投資とが釣り合うようになるためには、受精時には男の子をずっと多くしておくことになるのだろう
ヒトの性比は時代とともに変化してはいないのか
短い期間を取ると、ある人間の集団はかなり変動しているように見える
しかし、十分に長い期間をとって比較してみると、およそ105対100という性比に、さしたる変化はないようだ
戦争の直後には男の子が多く産まれるか
トリヴァースが書いた教科書に、戦争のあとで出生性比が変化するアメリカとイタリアの例が載せられていた
イタリアは全国資料のようだが、アメリカのデータは5つの州に限っての合計データというところに注意を要する
出生性比のようなものは偶然で変動することがあるので、適当なサンプルだけを合計すると、ある年に極端な性比の偏りが出てくることも十分に考えられる
イタリアのデータは、1940年から1950年にかけて、その前後よりも男児の出生数が多かったということを示しているようだ
また、この二つのデータとも、扱っている期間が30年前後と短いが、もっと長期にわたって変動を見る必要があるだろう
日本を調べた
日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦のどの時期をとっても、戦争の直後にとくに出生性比が男性に偏るという現象は見られなかった
男が減ったから少し足さねばならないと、誰かが計画しているわけではないのだから、非常時に偏ることがあるとしたら、それには何らかの機序があるはず
至近要因を解明しない限り、そういう現象が本当にあり得るのか、その意味は何なのかはわからないだろう
トリヴァース=ウィラードの仮説とヒト
ヒトはハチのようの卵を宿主に産み付けるわけではないし、兄弟姉妹同士が近親交配するのでもないから、ないだろう
ヒトでも親元を離れるのはどちらかの一方の性に偏っていることはよくある
そうするとギャラゴのように残る方の性に資源をめぐる競争が生じるか
ヒトは、子が乳離れしたあとは一切親子の関係がなくなるということはなく、独立した一人ひとりが自分だけの力で食物を見つけて採食し、繁殖するということもない
もっとずっと複雑な社会関係を保って暮らす
ギャラゴなどの動物で生じているようなタイプの単純な局所的資源競争も、ヒトには当てはまらないだろう
人類の文化の多くは一夫多妻の婚姻形態をとっていた&とっている
そのような文化では例外なく、資源の保有量の多い裕福な男性は、そうでない男性よりも妻の数や子どもの数が多くなっている
一夫多妻の社会では、一夫一妻の社会に比べて、男性間の繁殖成功度に大きなばらつきが生じるが、そのばらつきをもたらすもっとも重要な要因は、男性の資源の保有量
だとすると、資源保有量の多い親は、それを息子に譲ることによって、息子の繁殖成功度を非常に上げることができるはず
一方、娘の繁殖成功度には、一夫多妻の社会でも、それほどのばらつきはない
これはまさに、アカシカと同じ状況
裕福な家の母親は男の子を多く産み、裕福でない家の母親は女の子を多く生む、ということがあるだろうか?
残念ながら、そのことははっきりと確かめられてはいない
一夫多妻の民族の出生性比に関する正確なデータを集めることは大変困難
病院での出産や人口に関する国勢調査が行き渡っていないところで、正確な出生性比を知ることが不可能
出生後の子殺しや遺棄が広く見られるので、ある程度大きくなった子の性比は大きく歪んでいることが予想される これまでのところ、比較的正確な出生性比のデータが集められている、ケニアの遊牧民キプシギス族とヴェネズエラの狩猟採集民ヤノマモ族では、裕福な親が息子を多く生むという出生性比の偏りは見られていない イギリス王室は、代々、男の子を有意に多く産んでいるという報告がある
これも、実際の数で見れば、ほんのわずかの偏りでしかない
昔のヨーロッパや初期のアメリカ社会では、たしかに男の子が優遇されていた
そのことが直接、出生性比の偏りとなって現れているという証拠はない
最近のアメリカの紳士録などを材料に、親の地位や収入と子どもの出生性比を調べた研究でも、とくにどんな性比の偏りも見つからなかった
母親の健康状態と出生性比
受精時にさらに偏っているのなら、受精卵の死亡、胎児の死亡数が全体的に減れば、多くの男児の受精卵を救うことになり、結果的に男児の産まれる率が高くなるだろう
受精卵の死亡や胎児の死亡の率は、母親の心身の健康条件が悪くなれば高くなり、よければ低くなる
ある国の乳児死亡率は、その国の医療制度や国民所得、公衆衛生状態そのたいろいろな条件で決まるものだが、乳児死亡率が高いところは、概して母親の心身の健康条件も恵まれておらず、乳児死亡率の低いところは、概して条件がよいと考えられる
そこで、乳児死亡率の高い国では、受精卵の死亡や胎児死亡率も高いと考えられ、その結果、出生性比の男児への偏りは低くなり、乳幼児死亡率の低い国では、逆に多くの男児の胎児が救われるため、出生性比の男児への偏りが顕著になると予測される
世界96カ国について、乳幼児死亡率の高さと出生性比の男児への偏りを調べたところ、たしかに、乳幼児死亡率の低い国では男児の割合が高く(e.g. ノルウェー106:100)、乳幼児死亡率の高い国では男児の割合が低く(e.g. パキスタン102:100)となっていた
大きな人間の集団全体を見ると、女性の健康状態のよさと出生性比との間には、おおまかな関係が存在することを示している
19世紀のモルモン教徒の一夫多妻
原始共産制に基づく暮らしをしていたという説もあるが、モルモン教徒の男性は妻を複数持つことができ、その妻の数は、男性が所有する富と教団での地位とに正確に比例していたという ここには確かに資本の論理が働いていたようだ
モルモン教徒の女性は自分の意志で相手を選ぶことができた
女性側から見れば、わざわざ第三夫人、第四夫人となって結婚すると言う女性は、ことさらに地位が高く財産のある男性と結婚する
そこで、この19世紀のモルモン教徒について、何番目の妻であったかということと、彼女らが産んだ子どもの出生性比との関係を調べた
第一、第二夫人の産んだ子どもたちよりも、第三夫人以降の妻が産んだ子どもたちの方が有意に男児を産む数が多かった
第三夫人以降で、しかも夫の地位がもっとも高いグループでは、130.5:100
近世ポルトガルの農民たち
近代的な国勢調査が行われる前でも、教区教会における、出生と死亡の記録でかなり正確な数字を調べることができる
1671年から1720年にかけての、ポルトガルのトゥルチファルという教区教会
おもに穀物生産で生計を立てている農業地帯で、穀物の出来がよい年も不作な年もある
穀物の出来不出来に関係なく、いつもこの教区には同じくらいの子どもたちが生まれていた
奇妙なことに、穀物が不出来な年には、有意に女の子が多く生まれ、穀物の出来のよい年には、男の子が多く生まれていた
トルチファル教区におけるおとなの死亡率を調べてみると、穀物のできの悪い年には、女性の死亡率が高くなるが、男性の死亡率はそのような影響を受けないことがわかった
この地方では、家族内における男性の地位が女性よりもずっと高く、食物はすべて男性に先に給仕され、女性はその残り物しかあてがわれない
穀物の出来が悪い年には、女性まで回ってくる食物の量が極端に減ることになり、女性の死亡率が上がるのだろう
この二つの事実から考えられることは、トゥルチファルにおいては、穀物の出来の悪い年には女性の健康状態が悪化し、それが、女児に偏った出生性比をもたらしたということ
女性の健康状態が悪いと、全体に受精卵の着床率が低くなったり、胎児の流産率が高くなったりするので、結果的に女児の出生性比が高くなると考えられる
しかし、というのであれば、男児の出生数が減る分、性比のみならず全体の出生率も低下するはず
ところが、飢餓であろうとなかろうと、出生率そのものには変化がなかった
これまでの話をまとめると、乳児死亡率の低い国、裕福なモルモン教徒の第三夫人以降、穀物のできの良い年のポルトガルの農家では、男児の出生数が比較的多くなるということだが、これには二通りの解釈ができそうだ
一つは、ここに挙げたグループはみな栄養状態や心身の健康状態がよいと考えられるグループなので、受精卵の死亡・吸収率や流産率が全体的に低く、その結果、もともと多い男児の受精卵の中で救われるものの数が多くなって、出生性比が男児に偏った、という考え
もう一つは、これは、生活条件のよい母親は男の子を産むという、トリヴァース=ウィラードの説のような淘汰が働いて、ことさらに性比に偏りが生じているからだ、という考え
もしそうなら、世界の諸民族にもっと広く見られてもよいはず
これまでに手に入れられたデータの範囲では、一夫多妻の牧畜民や狩猟採集民の間に、トリヴァース=ウィラード的性比の偏りは見られていない
性比の偏りは悪い社会をもたらす
現代の産み分け方法
胎児の性別判定→中絶
X精子とY精子を分離する方法
子の性の望みはなぜ出てくるか
純粋にそれぞれの個人の好みの問題であり、ランダムで生じているなら問題はない
たいていは社会の圧力のせい
やがて、望まれる方の性の子が増えていく
全てが一夫一妻婚をすることはできなくなる
子育てにおける女児差別
子殺しの進化
子殺しはヒトでも他の動物でも見られている
子殺しは適応的行動として進化し得る
哺乳類における子殺しの多くは、乗っ取り雄による「繁殖戦略」であると考えられる
繁殖可能な雌のグループを手に入れなければ繁殖できない
やがては自分も誰か別の雄に追い出される
短い時間のうちにできるだけ多くの子を残さねばならない
離乳していれば問題ない
乗っ取り雄による子殺しとヒトの子殺しの違い
乗っ取り雄では、殺される子どもの性別に偏りはない
乗っ取り雄では、親以外の第三者が行う子殺しだが、ヒトの子殺しは実親がほとんど
ヒトにおける子殺しの性差別を考えるには、このタイプの子殺しはあまり関係がない
親自身が行う子殺し、子の遺棄は動物にもある
妊娠したネズミの雌は、交尾相手ではない見知らぬ雄のにおいを嗅ぐと、子を流産してしまう 父親ではない見知らぬ雄は必ず子殺しをするので、殺される前に流産して被害を最小限に食い止めるという、雌側の戦略であると考えられる
一生の間に複数回の繁殖をする種であれば、現在いる子のみが唯一の子というわけではない
そこで、成熟するまでに育つ見込みの少ない子に対する世話は、親は早めに中断して、次の子育てに賭けることがある
ヒトにおける子殺し
ヒトの子殺し行動に遺伝的な基盤があるわけではないし、ある状況では子殺し行動が進化するという単純な話ではない
一方、ヒトの子殺し行動は、どれもこれもが常軌を逸した、理解不可能な行動というわけでもない
まず、ヒトにおける子殺しの圧倒的多数は、実の親自身によって、子供の出生直後に行われている
伝統文化の社会で、仕方がないと認められてきたもの
子どもが奇形であったり、母親が病気であったりして、子どもの生存の見込みがないとき
父親が誰であるかわからない、婚姻外の子であるなどの理由で、実の父親からの養育援助が見込めないとき
出産間隔があまりにも短く、上の子がまだ離乳していないうちに次の子が生まれてしまったとき
人間も複数回の繁殖が可能な生物なので、うまく育てる可能性の低い子どもを犠牲にし、次のもっと良いチャンスに賭けるということは、人間でも起こってきたのだと考えられる
現代の先進国の社会でも、子殺しが起こる背景は伝統文化社会とそれほど違いはない
ところで、ヒトにおける子殺しには、文化や時代によって、殺される子の性に非常な偏りが見られるという現象がある
歴史的にも地理的にも多くの文化において、男の子よりもずっと多くの女の子が殺されてきた
北西インドの上流階級における女児殺し
上流カーストでは、何十世代にもわたって、ほとんど一人も女の子が育てらていなかった
イギリス政府はインド政府に子殺し禁止法を成立させ、罰則を導入することでやめさせようとしたが、なかなか守られなかった
1834年の人口調査では、サブカーストのジャレジャの人々で1歳未満の乳児は男児が1422人、女児が571人
その後の調査で、この数字でさえ男児の数を大幅に少なめに偽って報告したもので、実際にはもっと男に偏っていることがわかった
1840年の人口調査では、カティヤワール地方のラージプート族の総人口のうち、男性は5760人、女性は1370人で、性比は420:100という偏り
イギリス政府の調査に対して、首長たちは「女の子には、夫を見つけてあげることができないから」と答えている
北西インドの多くの社会の男性は自分よりも下のカーストから妻を迎えねばならないというしきたりがある
自分と同じでもよいが、下から迎えることのほうがずっと望ましいと考えられている
自分よりも上のカーストの女性と結婚することは、非常によくないこととされる
また、女の子を結婚させるためには、親はたいそうな金額の持参金を持たせねばならないという習慣もある
女の子を育てることは、男の子を育てることに比べて「割が合わない」ことになる
19世紀中国での女児殺し
1870年代でも、子どもで430対100、おとなで200対100というような偏った性比が報告されている
揚子江の下流、アモイや福建の近くで顕著
これらの地方では男の子はどんなにたくさん持っても、女の子はせいぜい一家に2人までしか育てなかったようだ
1887年のスワトー地方からの報告では、男の子は、全出生数のおよそ60パーセントが10歳まで生き延びているのに対し、女の子は38パーセントしか生き延びていないことが示されている
すでに産み終わり年齢に達した160人の女性たちに対するインタビューでは、男の子を殺したことがあると述べた女性は一人もいなかったが、女の子は合計158人が殺されていることがわかった
しかも、この数字も実際よりはずっと少なめだろうと考えられている
揚子江流域の農村では、土地に縛られた小作農民の貧困が原因で、20世紀に入ってからも子殺しが行われていたが、必ずしも女の子を殺すというわけではなかった
しかし、女の子を殺すことのほうがずっと多かったのは事実
1930年代に入ってからも、乳幼児の性比が375対100というような村もあった
頻度はこれよりも少ないが、都市部でも行われていたようだ
中国における選択的な女児殺しの原因は、インドと同じような事情もあったようだが、それ以外にも、伝統的な男尊女卑の考え、「家」の存続には男子が不可欠などの習慣が寄与している
一人っ子政策でもこの考えが影を落としている結果、極端な性比の偏りがまた出現しているという報告もある 女児に偏った中絶
1980年代の南インドにおける一つの統計で、クリニックで人口中絶した胎児8000体のうち、7997体が女児
インドのある産院でのアンケートによると、女の子を妊娠したことを知らされた妊婦の96パーセントは中絶を希望したのに対し、男の子は全員が出産を希望した
南インドでは、多くの他の男尊女卑で家父長制の社会と同じく、家の姓を継ぐのは男の子だけ
抽象的な意味だけでなく、男の子は稼ぎ手として実際に頼りになるが、女の子はお嫁に行くだけ
「息子は銃だ Sons are guns.」という諺
女児の養育差別
子殺しも中絶もされなくても、十分な世話を与えずに放っておくという方法で、多くの女の子は成熟前に死亡することになる
ハヌマンラングールの子殺しの研究をしていたサラ・ハーディは、最近の論文の中で、現代インドにおける娘の無視という問題を取り上げられているが、その論文に掲載された双子の兄妹の写真は衝撃的 ところで、昔は女の子が差別されていなかったのに、最近の経済発展によって、逆に女の子が差別され始めたところもある
ラージプート族は上層カーストであるがゆえで、下の方のカーストにはそのようなことはなく、道路工事や商売への従事で現金収入をもたらすのでむしろ重宝すらされていた
ところが、機械化が進んだり、地方経済の在り方が変わったりした結果、そのような女性の労働のチャンスが減るとともに、下層ラージプートの間でも、女の子の無視が始まった
世界の国々の中でも、出生性比に105対100からの大きなずれが見られるのは、インド、中国、パキスタン、バングラデシュといった国々
カースト制、家父長制、長子相続、息子による親の扶養といった、昔ながらの習慣が根強く残っている結果、親によるこの性差別がなくならない 最近の報告で特に問題にされているのは、パキスタンの事態の深刻さ
出生性比は102.5:100なのに、1995年の記録では、出生1年以内には男107.53:100になる
女児の死亡率が高い
小学校に行かせてもらう女児は全体の35パーセントにすぎず、男児の半分でしかない
過去のヨーロッパにおける女児の高死亡率
確かに近代的概念確立以前のヨーロッパでも、子殺し、女児殺しはキリスト教会や政府の介入によってあまり行われていなかった
しかし、娘と息子の「価値」との間に差があるときには、娘は差別され、それが死亡率に現れていた
ところで、特別に性による差別がない限り、出生後もすべての年齢にわたって男性の死亡率は女性の死亡率を上回っている
事故などの外的要因だけでなく、病気の死亡率も同じ
ヨーロッパおよび、ヨーロッパが移民して作った植民地アメリカは、長い間自給自足的農業が経済の柱だった
そのような社会経済状態では、女性の労働と男性の労働とは、種類こそ違え、価値としては同等とみなされていた
男性がもっと力仕事をし、現金収入をもたらすような仕事や政治的な役割についていたとしても、一家の支えにとって女性の労働がどれほど大切であるかは、誰もがよく知っていた
近世ヨーロッパでは、女児の死亡率が特に高いと言う傾向は見られないが、ある時期、それが顕著に現れてくることがあった
それは、基本的に自給自足だった農業経済が、現金収入を目当てにした商品作物栽培農業経済に転換した直後
女性の労働の内容に変化はなかったが、現金収入をもたらす男性の生産労働の方がずっと価値が高いとみなされるようになった
また、同時に進んだ都市化、工業化によっても、はじめは、男性の雇用機会を拡張したが、女性のそれは拡張しなかった
そこで、一時的に、娘の「価値」が息子の「価値」よりもずっと低くなるような、社会経済状態が生じた
もっとも早く出現したのは植民地アメリカ
はじめから自給自足よりも、ヨーロッパに対する商品作物の輸出を目的とした農業が営まれてきた
早くも17世紀から18世紀にかけて、本国では差のなかった幼児および青年期の女性の死亡率が男性のそれを上回るようになる
これは、「価値」の高い男児に対するよりも、食事や病気に対する配慮を欠く結果、女児の健康状態が劣悪化し、様々な感染症その他の犠牲となって死ぬ女性の数が増えたためと考えられる
同じことは19世紀の終わりから20世紀の初めにかけてのヨーロッパでも起こった
男女ともに比較的雇用機会の多い都市部では起こらず、まさに前述の過程の影響をもろに被る農村地域においてのみ顕著
この傾向は長くは続かなかった
さらなる工業化、都市化で女性の雇用機会が増え、結局は娘の価値も息子の価値と同等になった
スウェーデンでは、自給自足的農業から商品作物中心の農業への転換に続いて、すぐにそれを追いかけるように全国的な工業化、都市化が起こった
それに対応して、スウェーデンにおいて、5歳から15際にかけての女子の死亡率が男子のそれを上回った時代は、1880年から1900年という短い期間だけ
戦前日本における女児差別
戦前日本の女子死亡率の過剰
戦後日本では、どの年齢においても男性の死亡率が女性の死亡率を上回っている
これは先進国で共通のパターン
戦前の日本においては、幼児期から40歳ぐらいまでの期間の全てにわたって、女子死亡率が男子死亡率を上回っていた
出産に関係のない幼児期、少女期ですら、女子死亡率の過剰が見られる
1900年以前には、女子死亡率の過剰がありはしたものの、それほど大きな差ではなかったのが、1900年から1935年にかけてどんどんその差が誇張されていった
戦後になると急速になくなり、1953年以降は、どの年齢においても女子死亡率の過剰は一切見られなくなった
女性差別の証拠
1880年の死因の統計を分析してみると、女性の死亡率が男性の死亡率を上回っていた死因は「胃腸病」、「肺炎・気管支炎」、そして何よりも「栄養失調」
1935年の死因の統計では、当時の医療では手の施しの用のない病気や事故によるものは男性の方が高いが、そうでない病気は女性の方が高いことがわかる
「急性伝染病」の死亡率は、全ての年齢で男性の方が高くなっている
事故による死亡も、つねに男性の方が高くなっている
女子死亡率が上回っているのは、何よりも「結核」、そして「胃腸病」、「肺炎・気管支炎」、「腎臓病」など
明治初期の日本では、明らかに女性差別による女子の死亡率の過剰がある
しかし、1880年には、女子死亡率が男子のそれを上回っているのは11歳から43歳であって、幼児期には及んでいない
1900年ごろから、女子死亡率の過剰はたった2歳の頃から始まるようになり、また、その強度もどんどん強くなっていった
女工哀史
1900年以降、女子死亡率の過剰はなぜどんどん強くなっていったか
一つは女工哀史として知られる、紡績工場の女工たちの死亡率の高さ
農村から10代の女性たちが大量に駆り出された
一部には紡績工場に小学校が併設されており、8歳から女工として働くということもあったようだが、多くの女工は小学校卒業とともに働き始めた
1日12時間
女子である理由は、手先が器用なこと、女子のほうが真面目に働くということだった
このことは、親による女子の直接的な養育差別というよりは、親が娘を劣悪な工場労働に行かせたということの副産物だろう
富国強兵政策と男尊女卑思想
いくら日本中の10代の女性の13人に1人くらいが女工として働いていたとはいえ、幼児期から働く子どもは一人もいなかった
この時期の日本社会に、以前にもまして女性差別をどんどん強烈に促すような力が働いていたとしか考えられない
筆者は、明治政府が国家統一と富国強兵政策のために導入した男尊女卑、家父長制の思想が、日清戦争から第二次世界大戦へ向けての帝国主義的雰囲気の中でますます強められていったと考えている
歴史人口学の研究者鬼頭宏によると、江戸時代までの間で知られている限り、女児死亡率が男児死亡率を上回ったことはない 日本はもともと、イスラム文化のような強い家父長制、男尊女卑の文化ではなかった
どの親も、ことさらに女の子の世話の手を抜こうと考えていたわけではないだろう
これまで見てきたインドやパキスタンで起こっていることと同様、社会全体の価値がその方向にあると、知らず識らずのうちに、個々の親は、子育ての性差別をしてしまう
1945年に民主主義を導入し、それとともに女児死亡率の過剰もすっかり消えてしまったのだから、やはり強力な男尊女卑の思想は、日本古来の根強い文化ではなかったように思う
男の子に対する差別
ムコゴド族
ケニアに住んでいる少数民族
今では牧畜をしているが、昔は狩猟採集民であり、1930年代までは家を建てることもなく動物を住処としていた
古くからの牧畜民ではないので、彼らは他の牧畜民に比べて貧しく、また本来の牧畜民は元狩猟採集民を軽蔑する傾向があるので、ムコゴド族の社会的地位は、周辺の牧畜民よりもいまだに低くなっている
ムコゴド族の男性は、周辺の他の牧畜民の男性に比べて貧しく、したがって、お金をためて結婚する見通しも低くなる
一方、ムコゴド族の女性は、ムコゴド族の男性との結婚のチャンスがあるばかりでなく、他の牧畜民の男性との結婚のチャンスもある
ムコゴド族の親にとっては、将来、結婚して孫をたくさん作ってくれる可能性は、男の子よりも女の子の方が高くなる
子供のある人、ない人、合計121人のムコゴド族の女性にインタビューしたところ、「男の子をたくさん欲しい」と言う人の数は、「女の子をたくさん欲しい」という人の数よりずっと多く、また過半数の人々は「どちらも同じ」と答えた
実情
カトリック教会がやっている病院に連れてこられて手当を受けた子どもたちの性別
病気や怪我にムコゴド族とその周辺の牧畜民とで差がないとすれば、ムコゴド族は、統計的に有意に多くの女の子を病院につれてきていることになる
カンジャール族
特に定住生活をせず、おもにパキスタンを中心に放浪生活を送っている部族
生計活動のほとんどは女性が担っており、その分、女性の方が男性よりも強くて自立的
大道で歌や踊り、お祭りのときに芸、粘土細工や紙細工のおもちゃ人形を作って売るなど
家族の生活費の51〜73パーセントは女性が稼ぐ
女の子が生まれたときには大掛かりなお祝いが行われるが、男の子が生まれたときには、鐘の一つも鳴らない
患者ーるぞくの親子関係や母性行動に関する詳しい研究はないが、親はみな「娘の方がいい」という発言をし、一緒にいる時間なども娘との方が多いようだ
1986年から翌年にかけてパキスタンでは、大掛かりなイスラム化の動きがあった
大道での歌や踊りは禁止され、派手なお祭りの出し物も抑制された
カンジャール族の生計活動の大部分がなくなってしまった
カンジャール族の暮らしを見ている研究者の報告によると、イスラム化のあとでは、娘に対するえこひいきは少しは影を潜めるようになったということ
イファルーク島人
ミクロネシアにある小さな島
おもに漁業やタロイモ栽培で生計をたてている450人ほどの人々が住んでいる
彼らの社会は一種の階級社会で、いくつかの層に分かれている
上層のチーフ階級の男性は裕福で労働時間が少なく、彼らが持てる子どもの数は下層の男性たちよりも多くなっている
下の階級の女性は、上の階級の男性と結婚するチャンスもあり、むしろ女性の方が有利となる
また、第二次世界大戦後は、この島にも毎月の月給を現金でもらえるような仕事がわずかながら入った
そのような月給取りのしごとの機会は男性のみにしかなく、1985年にはいわばラッキーな25人の男性がそういった仕事についていた
そのようなサラリーマンの男性の持つ子どもの数も、それ以外の男性のたちよりも多くなっていた
この場合も、サラリーマンの男性は、その仕事を息子に譲ることはできるが、娘に譲ることはできない
理論的に予想できるのは、おそらく、上層のチーフ階級やサラリーマンの男性は息子をひいきするけれども、下の階級では、どちらかといえば娘をひいきするのではないかということ
行動を逐一観察することによって、ある程度立証された
上層階級やサラリーマンの男性は、子供と接しているとき、娘に接する時間の2倍の時間を息子に接していたが、下の階級の男性にはそのような差は見られなかった
上層階級やサラリーマンの男性の妻は、49〜62パーセントの時間を息子との接触に費やしていたのに対して、下の階級の男性の妻は、65.7パーセントの時間を娘との接触に費やしていた
1950年代の民族誌的研究では、イファルーク人たちはみな娘を可愛がるというように報告されていた
つまり、表向きには、娘を重視する傾向があったのだろう
近世ドイツ
1720年から1869年にかけてのシュレスビヒ=ホルシュタイン地方では、小規模土地所有農家の娘の生後1年以内の死亡率は10.9パーセントだったが、息子は15.8パーセントだった
通常の範囲を上回っている
大地主階級では見られないので、子の減少は小規模農家のおかれた特別な状況によるものと思われる
大地主に比べ、小規模農家は財産的に恵まれず、その息子が繁栄する見込みは薄いといえる
娘はいろいろなところへ嫁いでいく可能性があるので、実家の富の薄さにそれほど影響を受けない
キイロヒヒでは、親の社会的地位を受け継ぐのは娘で、低い順位の娘にはあまり将来性はないが息子は群れを出ていくので親の地位とは関係がない
18、19世紀のクルムヘルン地方ではもっと事態が明確
ここでは土地が少ないため、農家は、たった一人の息子にしか土地を相続させてやることはできなかった
通常それは一番末の息子
多くの男の子は将来のために資産をもらうことはなく、資産がなければ一生結婚できないこともあった
末の男の以外にも何らかの相続をさせてやろうとすると、それは一家の土地を削ることになる
一方、女の子はどうせお読めに言ってしまうのだが、そのときにも、男の子の半分の相続しかせずにお嫁に行く
これは現金で払われるので、農家としては男の子に相続させるよりもずっと安上がり
そういうわけで、土地持ち農家の娘のほとんどは結婚し、子供を持てる状況にあった
娘の乳幼児死亡率は息子のそれよりもずっと低くなっていた
直接的な息子殺しなのか、長期的な世話の行き届かなさに起因するのかは、明らかではない
キリスト教の風習からして、直接の子殺しは少なかっただろうと考えられる
もっと下の階級の、何も土地などを持っていない農家では、相続もなにもないので、こんなこともなかった
文化の支配と文化的適応
人権思想と性比
多くの文化では、個人は「家」を離れては存在することができず、「家」の存続こそがもっとも重要な課題だった
できるだけ多くの子孫
しかし、特定の社会制度のもとでは、男の子と女の子とで歴然とした差ができる
実質的に「家」の意味がそれほど重要ではなくなったあとも、昔の価値観は長く残り続ける
文化が人の思考に押し付けるもの
女に学問は必要がない、女が学問を身につけるとろくなことがない、という価値観があった
「弟には学問も書物も個室も与えられたが、自分に与えられたのは、家庭教師によるわずかなドイツ語の勉強だけであった」
親はなるべく幸せに結婚してたくさん孫を持ってくれるようにと思う
女性から学問を遠ざけるのは、そのとき、その時代の社会では、女性が学問を身に着けても、将来の結婚や家族の繁栄に役に立たないどころか、逆に妨げになると思われたから
息子と娘の将来性に関して予測可能な差異があるとき、場合によっては、どちらか一方の姓の子どもに食物や医療を十分に与えないことになり、最終的には子殺しに発展することになる
どの世界の親も、冷酷無残な心のためにこのようなことをしているのではない
人間の文化に対する適応性を示している
人間にとっては、自然環境と同様に、文化というものが一つ大きな、もしかしすると一番重要な環境なのだろう
ラージプート族の女児殺しを見ても、ムコゴド族の男児の無視を見ても、親は確かに、自分の置かれた文化環境の中で自分の適応度を最大化するように行動している
もちろん、女児殺し、男児無視の遺伝子があるのではない
人間は具体的な行動が何であるにせよ、「適応度の最大化にとっていちばん重要なことは何か」ということに非常に敏感にできている
文化を変えるのも人間
文化の変わり方は、文化要素によって非常に素早く変わるものから、なかなか変わりにくいものまで、様々なようだ
これまでの文化的期待とは異なることを最初に始めた人々は、適応度が低くなるようだ
封建社会で農民の自由の獲得を訴えた人々は迫害され殺された
女性が学問をすることが推奨されなかった時代にあえて学問を追求した女性は、多くの場合、結婚のチャンスに恵まれなかった
文化が変わるおちうことはこれまでの社会で最適だった行動が最適ではなくなるということであり、人々の行動パターンが変わる
最近の日本の社会では、女の子が欲しいという人の割合が増えているようだ
その理由の一部は「女の子は老後の面倒を見てくれるから」ということであるようだ
人口過密で幼児死亡率は非常に低く、平均寿命は世界でもトップクラス
子どもは滅多に死ぬことはなく、住宅事情がよくないので、あまりにたくさんの子どもを持つことは最適ではない
親は長く延びた老後の生活をせねばならない
現在の日本では老後の生活保障に関する福祉は整備されておらず、ほとんどは家族の支え、それも家族の中の女性に頼っているのは明らか
娘は実の子どもなので、面倒見てくれる可能性も高いだおるし、気持ちよく面倒を見てくれるだろうという期待も高くなる