群淘汰
個体ではなく群れ(小集団)を単位として,群れ間の生存確率の差によって起こる淘汰 その単位集団としては、種を含めて考えられたこともあったが、最近では地域個体群、なんらかの特性群trait group, deme、血縁集団などの種内集団を想定することが多い。 生物に作用する自然淘汰は個体を通して働くとするのがダーウィン以来の一般的常識とされるが、理論的にはかならずしもそうではない。さまざまな集団を単位とみなしたり、また遺伝子を単位とする視点も提唱されており、現在も活発に論議されている。 しかし、これらは一般的には注目されず、1962年にイギリスの生態学者ウィン・エドワーズV. C. Wynne-Edwards(1906―97)が、利他的行動も含めて動物の社会行動は、過剰密度によって個体群を絶滅させないための密度調節機構として、群淘汰によって進化したとする見解を発表して、個体淘汰論者との間に大論争を巻き起こすこととなった。近年では、適応度(どれだけの子孫を残すかという尺度)を指標として次のように問題とされる。 個体の適応度を犠牲にして同種の他個体あるいはその総計としての集団の適応度(たとえば増殖率で示す)を高める効果をもつ行動――利他的行動(他個体の繁殖を手伝ったり、外敵の接近を群れ全体に知らせる警戒音を発する行動などがあげられている)を発現する遺伝子を仮定すると、その集団内の遺伝子頻度は、それをもつ個体の適応度は相対的に低いので、個体淘汰によって減少する一方である。しかし、利他的個体を含む集団の適応度は、それを含まない集団の適応度よりは高いと期待される。群淘汰の理論はこの可能性を検討している。 ライトやウィン・エドワーズの説では、生殖隔離された集団が前提にされているが、ハミルトンW. D. Hamiltonの1964年に提唱した包括適応度の概念に基づく血縁淘汰説では、生殖隔離を前提とせずに、近縁者間で近縁度が高く、自らの子孫を残さずとも近縁者経由で同祖遺伝子を次世代に伝えうる確率の高い場合に、利他的行動のおこる根拠を説明しうるとしている。ほかに、非近縁者間での協働淘汰を考える説も1970年代になってウィルソンD. S. Wilsonらによって提出されている。 群淘汰は、個体淘汰で説明される限りは不要な仮説として、いわゆる論理の「節約の原理」によって退けられることも多いが、特定の条件下では理論的におこりうる可能性はあるし、個体淘汰ともかならずしも対立しない。ただし、利他行動の詳細な把握(たとえば、適応度も含めて実際の収支計算は相当に困難)とともに、淘汰の現実過程の解明が依然として残された重要課題であることは事実である。