J・B・S・ホールデン
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研究
1919年からニューカレッジでフェローを務め、1922年にはケンブリッジ大学に移り、1932年以降はユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンで研究を行った。
共産主義思想
彼は1928年にソビエト連邦を旅行し、また以前から唯物論的思想を抱いていたことから、共産主義に惹かれるようになる。 彼の名を冠した法則など
1922年に「系統の異なる動物の雑種第1代で一方の性にのみ現れない、少ない、あるいは不妊といった異常が見られる場合、そちらの性が異型接合(ヒトでいえばXYの性染色体をもつ男性)である」ことを見出し、これはHaldane's rule(日本語ではホールデンの規則)と呼ばれる。 彼は溺れている兄妹のために命を投げ出すか?と問われて次のように語ったと言われる。「2人の兄妹、4人の甥、8人のいとこのためなら喜んで命を差し出すだろう」。これはホールデンが後年の遺伝子中心視点主義や血縁選択説を先取りするアイディアを持っていた証として語り継がれている。 教育
ホールデンは多数の後進を育成した。中で最も有名なのはジョン・メイナード=スミスであろう。メイナード=スミスによればホールデンは学生を励ますのが上手かったが、やや短気で怒るときには容赦がなかった。巨体で威圧感があったために彼の周りのグループは小さかった。R.A.フィッシャーとは対立しており、それぞれの学生同士も反目しあっていた。