続・デライト開発者の井戸端体験記
2026年5月4日のCosense本格利用開始と井戸端参加からちょうど一ヶ月経った昨日6月4日、ようやくデライト開発者としての自分の中での「井戸端現象」を完全消化できたhiro.icon この一ヶ月、自分がなぜ井戸端に惹かれ、何をしようとしているのか、整理出来そうで出来ない、という歯痒い状態が続いていた
https://dlt.kitetu.com/KNo.F85E/0758-699A.webp?20260605143630
なんか、思っていたより、全体的に活力というか元気がないなあ、という印象だった
どこでも出来るような内輪話のためだけのコミュニティにするには、あまりにも惜しい可能性を秘めた場所だと感じていた
最近の「井戸端荘」関連のページの盛り上がりを眺めていて、ちょっと新しい井戸端像が見えてきた ようやく、ちょっとだけ、私が作るページが埋もれてくれるようになった
私が思い描いていた理想の井戸端像はこの先にあるな、と思えた
こういう、万年文化祭的な感じで、面白コンテンツが群生している場所に出来ないだろうか 「なんでも書いていい場所」としてただ漫然と拡大していくのではなく、色々な趣味嗜好・関心を持った人の輪がたくさんあって、互いに緩やかなつながりを持ちながら広がっていくイメージ その「輪」には、プロジェクトという「柵」とはまた違った可能性がある
たぶん、これまでの井戸端って、「一つの輪」しかないコミュニティだったのではないかという気がする
私とは無関係に、気の合わない人がいるせいで来なくなったという人もいた
人の輪が排他的に競合しあってる場でしかないなら、そりゃスケールもしないし、健康的とも創造的とも言えないよな
それは、自分の心の健康を守るための安全地帯なのだから、苦しくなったら逃げ込んでいい
でも、そこから他人を攻撃したり、鍵をかけて閉じ籠り続けることが良いこととは言えない
そこで、「輪」ではあるけど「柵」ではない場所、というのが重要になってくる
Cosenseには、「輪」をつなげる力がある
フィルター機能もあるし、緩やかな棲み分けは十分可能だろう
2 hop linkなどを通して、気が合わないなと思っていた人との間にも意外な共通点を見出せたりする 「善の幾何学」のように、人々が、それぞれの立場からそれぞれの足で漸近していける場になりうる それこそ、真に自由で多様で平和的な場になるということではないだろうか
少なくとも私は、その可能性に対して常に開いている人間でありたい
1人の人間の知識管理としては10000ページのぬかるみを感じるかもしれないが、そういう人が10000人いれば、きっとそれを補って余りある化学反応が得られるはずだ これこそ、単なる個人知識管理ツールではない共同知識管理ツールとしてのCosenseの真の可能性かもしれない
この一ヶ月、私がやっていたのは、現代の壁に向けての「大壁打ち」であることに気付いたhiro.icon 自由参加の公開プロジェクトなので記録というほどのことでもない
井戸端における記録の性質は昔「パロログ」と呼んでいたものに似ている 儚いことにこそ意味がある言語活動
井戸端の規模的に宣伝というほどのことでもない
しかしまだ何か違和感が残る
ここまでの時間をかけるには意義も効果も怪しく、自己満足感の方が強過ぎる
一体、私はここで何を得ているのだろう
デライトを含めた希哲館事業について語ることで得られるものの多大さたるや
ここはこう説明できるんだとか、この用語と用語がこう繋がるんだ、という発見が毎日、たくさんあった
とりわけ大きかったのは、万軌構想の言語化が出来たこと 輪郭法の閃きで知機とともに生まれた大構想だったが、四半世紀近くものあいだ、語る機会に恵まれなかった 私の文章もよく読んでくれているデライトのヘビーユーザーが全く存在を知らなかったというほど デライトは底無し沼、井戸端はぬかるみ
デライトでは深遠な表現が出来過ぎて、分かりやすい言葉が浮き上がってくるまでにとにかく時間がかかる
要するに、デライトと井戸端の性質の差を利用した希哲館事業「先行総言語化」の試み
いずれはデライト上でも読めるようになるだろうが、井戸端は希哲館事業がどこよりも早く言語化される場になるだろう
デライトで気になった私の考えについて、もっと分かりやすい説明が欲しければ井戸端に来ればいい
井戸端で気になった私の考えをもっと深く知りたければデライトに来ればいい
焦土か花園か
重要なことは当然デライトに記録しているし、私自身の知見になってもいるので、私は明日Cosenseが無くなろうが井戸端が無くなろうが大して困らない
もちろん、残念なことではあるが
井戸端を焦土にしてでも言語化の知見を得るという選択肢も考えられなくはなかった
井戸端が語るに値しないような、つまらないコミュニティならそれでよかったかもしれない
私は井戸端を穴が開くほど信じたい(破壊的過信主義)
私は私が可能性を感じている井戸端に最大限の貢献をしたい
その他の井戸端の世界線を全て破壊してでも
それは横柄なのではseibe.icon
まあそう思わない人は別の活動をすればよいだけなのかもしれませんが
希哲館事業はその構想規模と密度の両立において世界史上類をみない事業であり、その言語化活動は必ず井戸端の一大コンテンツとなるだろう これを共有可能なコンテンツにすることは、井戸端ひいてはCosenseと、デライトひいては希哲館事業の双方にとって大きな利益になる
正直、中途半端にデライトについて語り始めてしまったことで、私自身が「不思議の谷」にハマってしまった、ということもある 逆にデライトの謎が際立つようになってしまった
毒を食らわば皿までだ
Cosense向けの文体や句読法もおおむね完成されてきたhiro.icon
参加当初はデライトに最適化された文体や句読法をそのまま持ち込んでいたが 井戸端で主流の句読法に合わせないと共同編集しにくいリソースになってしまうことに気付いた
面白いのは、Cosenseでは自然と口語的な表現が増えるということ
デライトでは自分自身との対話、Cosenseというか井戸端では不特定多数者との対話という意識の切り替えがみられる
原則として、末尾に自分のアイコンを置いた箇条書きで始め、適度に空行で分割していく
まずアイコンのみの行から始めて次行から箇条書きを始めるというスタイルもあるようだが、個人的にはこちらの方が簡潔で好み
他人の挿入行の同階層以下に箇条書きを加える場合、最初の行末にアイコンを置く
これはみんな自然にやっている感じだが、何か呼び名はあるんだろうか
読点は「、」で統一することにした
個人的に句読点は「,」(全角カンマ)と「。」の組み合わせ(「公用文作成の要領」式)を好んでいるが、井戸端では不調和感が目立つ
「,」の方がラテン文字表記の名詞などが混ざった場合に自然に見えるし、「、」を置き換えてもさほど違和感がない
一方で、「.」は「。」に対し字形差で違和感を与えやすく、視認性にもやや難がある
原則として句点は使わない
文の箇条書きでは句点がないと折り返し次第で行末が視認しにくい場合があるが
Cosenseでは個々の項目の長さや文体もばらばらになりやすいので、かえってごちゃごちゃして見えるし、何より無駄な入力が増える
ラテン文字名詞の前後に半角スペースを挿入しない
個人的には、「これはHelpfeel Cosenseです」より「これは Helpfeel Cosense です」という書き方を好む
審美的にも視認性的にも後者の方が優れているとは思うが、井戸端では無駄な表記揺れを生む
項目の階層は出来るだけ浅く
単に文脈を継承しているだけの項目の階層を深くしないのがメリハリを維持するコツだなと気付いた
とりあえずこれを「宇田川式」とでも呼んでおきたい
もし私の書いている文章で明らかな宇田川式違反を見つけたら、勝手に修正してもらって構わない