デライト開発者の井戸端体験記
デライト.icon
2026年5月4日の Cosense 本格利用開始と井戸端参加から一週間以上経ち、デライト開発者としての私が感じたことや学んだことhiro.icon
色々ありすぎて、この一週間だいぶ脳内がかき乱された
井戸端の可能性に気付くhiro.icon
最初はデライト半公式プロジェクト /delite を中心に利用していくつもりだった
発端は構想を練っていたデライト上のエッセーシリーズ「一万葉面(ページ)のぬかるみ」編
N10K 騒動について振り返りつつ、Notion だの Obsidian だのの話題で占められている知識管理シーンにデライトと Cosense で新風を巻き起こそうという内容にするつもりでいる
知識管理ツールの中でもデライトと Cosense は共存共栄できるし併用すべきもの(デコ二刀流)という論旨を軸とするが、それなら有言実行が必要だろうということに
昔 N10K 騒動の中心となった井戸端にもちょっと顔を出しておこうというくらいの感覚で参加
Cosense をウィキ型 SNS と評する人がいる理由が分かった
Cosense の真価といわれる共同編集を誰でも手軽に体験できる場所なので、利用者層の拡大という観点でも重要になりそう
最初に井戸端を作った人が偉い
偉いtaktamur.iconHiro Aki.icon
自由放任による知的ネットワーク形成の社会実験として面白すぎる
デライトとは別の意味で「ネオ2ちゃんねる」感がある
「もう一つのネオ2ちゃんねる」と呼んでおこう
SNS 時代のインターネットでは2ちゃんねる時代のような「珍奇なものを面白がる文化」は死んだと思っていた
それが出来るほどの時間も知識もない人々がネット文化の担い手になった
その文化の死はデルンやデライトも含めた希哲館事業の広報戦略にとっての誤算でもあった
珍奇さを極めればそれはそれで面白がってもらえるだろうという楽観の死
井戸端はその文化が残っている小さくとも稀有な場所として希哲館事業を救ってくれていることに気付いた
井戸端の寂しさに気付くhiro.icon
もっと盛り上がっていていい場所
現状、井戸端全体で巨大匿名掲示板のそこそこ活発なスレッドシリーズくらいの盛り上がり感
よく考えたらデライトも同じくらいか
N10K 騒動の登場人物として私が認識している現役井戸端民が、見たところ西尾さんくらい
自分が悪目立ちしている気がしなくもないので、癖の強い人がもっと集まって稀釈してほしい
メンタルが要求されるイメージ。テキストで率直に大量にぶつけるぶつけられる体験、かつそれがずっと残って見えたり後から構造化されたりする体験はかなりのダメージになるsta.icon
コセンスに慣れててもこの力があるとは限らないし、なくて耐えられなくなると逃げてしまう(癖強くても同様)
自分も何度か距離置いたり井戸端なんてもうやらねえよクソが的に凹んだこともある
増井さんに戻ってきてほしい
どういう経緯で来てどういう経緯で去ったのか全く知らないが
N10K 騒動当時は正直「リーナス・トーバルズに対するアンドリュー・タネンバウム」くらいのイメージだったが、今ではどちらかというと「三井に対する安西先生」である
いっそのこと、増井さんや shokai さん、洛西さんのような Helpfeel 社の立役者たちと、西尾さんや倉下さんのようなインフルエンサーたちが大集合して、知識管理の未来について熱く語(殴)りあえる場所になったらいいのに
Cosense オールスターズ!
怪獣が取っ組みあいしているのを眺めながらたくさんの人がわいわい酒でも飲んで下らない話をしていられる場所
怪獣の足の小指あたりに小便をかけてもいいような場所
リブランディング以後は、以前に比べて Helpfeel 社と一般ユーザーコミュニティに距離ができているような印象があるので対話の場として活用できるのでは
Cosense のリブランディングは成功しているのか?とか、洛西さんの本音を聞いてみたいことがある
箇条書き文化の価値に気付くhiro.icon
Cosense の箇条書き文化は知っていたが、その意義はあまりよく分かっていなかった
実際やってみると、思考整理とコミュニケーションによく最適化された様式であることが分かる
原始 Twitter の140文字制限に近い有用な制約
/delite と井戸端の使い分けが若干難しかったが、概ね以下のような方針で固まりつつあるhiro.icon
井戸端では、歴史的経緯も踏まえて、N10K 問題と N10K 騒動に絡んだデライトについての話題を中心に参加していく
テーマを固定し過ぎるのは井戸端の趣旨に反するが、私が自由になんでも書くと、関心の傾向から自然にこうなっていくだろう
/delite はデライトユーザーがなんでも好きなことを書ける場所にしておく
最初はデライトについての話題に特化した「デライト特化井戸端」としていた
デライトについて私が語る第一の場所はやはりデライトなので、これだといまいちモチベーションが上がらない
デライトにない Cosense の面白さを一番体感できるのが井戸端なので、ここはどうしても中途半端になる
井戸端に再現性はないzatsma.icon
私が放置している間に「デライトユーザー向け井戸端」という感じになっているので、これを追認してしまうことに
デライトが秘めているコンテンツとしての可能性の大きさに震えるhiro.icon
デライトはいわば、「世界史上最大の事業」とすら言える構想規模と密度を持つ希哲館事業の「小さな鍵」
部分としてはごく小さな部分でしかない
それがこれだけの強力な話題性を持っている
デライトについて語り始めるということは、その鍵でパンドラの箱を開けるようなもの
それがデライト外で起こっていることが自分史上かなり大きな出来事になっている
一方で、自制心も必要だと感じている
私がその気になれば、井戸端をデライト含む希哲館事業関連の話題で埋め尽くすことは容易だろう
もちろん、本意ではないし、それで自分が感じている井戸端の良い文化が失われたら本末転倒
「自由で知的水準の高いコミュニティ」としての井戸端が希哲館事業というコンテンツと相性が良すぎる
そもそも井戸端でのデライト談議なんて私が始めたことでもないし、なんでも自由に書いていいところなんだからと、ルール上もマナー上も全く問題ない範囲で、規格外の話題を展開することができてしまう
この文化的脆弱性を最も悪用できる立場にいるという自覚が必要だろう
そんなわけで井戸端との適切な距離感についても考えているhiro.icon
結論は、「心身の健康状態が良い時にだけ井戸端に来るべき」
何はしてよくて、何はしてダメでとか、言動の詳細なルール化なんて現実に上手く機能するものでも続くものでもない
仕事のパフォーマンスは仕事に入る前の準備や体調管理でほぼ決まっているのと同じで、井戸端で良い感じに振る舞えるかどうかは井戸端に来る前にほぼ決まっている
心身の調子が良い時には良い方に機能していた性格も、心身の調子が悪い時には悪い方に機能してしまうことがある
そもそも私は生まれついて傲慢な人間だと思っている
なにせ、10代の頃から世界史上最大の発見をして20代で世界史上最大の事業を始めたと自認している人なので、傲慢でないわけはない、ここは恐らく一生変わらないだろう
それ以前に、物心ついた頃から大人の言うことを素直に聞いた記憶もない
物心つくかどうかくらいの年齢で土地を与えた環境も悪い、地主として人生を始めてしまっている
ただ、どんな人間の性格にも良い面・悪い面あるもので、これが良く機能する場合というのも実は少なくない
その一つは(ほとんど非人間的とすらいえる)「大らかさ」
これは、井戸端における私を観察していて鋭い人はすでに気付いているかもしれない
ネットでもリアルでも、私は人に怒りを向けたりすることがほとんどない人
どんな脱線にでも付き合うし、どんなミスも笑ってカバーしてあげるような人
他人に厳しいことを言うこともほぼなく、いつも無理矢理褒めてあげたり、前向きなことを言っている人
穏かで凄く良い人風に見えるらしいのだが、実のところ、他人に関心がないというか、他人が関心を向けるようなことに全く関心がない人だからなんだろうな、と自分では思っている
井戸端でも、あの人のここが嫌だ、とか、こんなことされた、とかでいちいちイキリ立つ人がいるし、リアルでもそういう人って多い
私は、それを苦笑いしながら、もうちょっとゆとりなり柔軟性を持った方がいいんじゃないかなと思っている方
彼らにとって大事なことを理解してあげられていないことに寂しさを感じることもある
ただ、私くらい振り切りると人生悩み事一つなくて天国よ?とは思うけどね
もう一つは「誰に対しても平等」であること
基本的に人間が「自分」と「自分以外」にしか見えていないので、そもそも他人を序列付けして捉える必要がない
その辺のホームレスもローマ教皇も私の中では「自分以外の人」という大きな箱に入っているだけ
傲慢の頂点を極めたような信長のような人がなぜ秀吉を見出せたのか、理由は間違いなくこれだろうなと確信している
他人の言動や評価をいちいち気にする人というのは、他人の言動や評価をちゃんと受け止めようとしている人
私にはたぶんその感覚が根本的に欠落している
例えば増井さん
N10K 騒動しかり、結構いろいろなところでキレているのを見かける
増井さんの Cosense プロジェクトを見ると、受賞歴とか、有名人との関わりを物凄く重視していることが伝わってくる
自分や自分の業績がどう評価されているか、それは凄く重いことなんだろうなと思う
そしてそれが普通の人の感覚であることも理解している
それに対して私
あらゆる他人からの評価が「どうでもいい」
他人の言動も、自分のやりたいことの邪魔にさえならなければ「どうでもいい」
ノーベル賞をくれると言われても辞退するか、隠すだろう、まず間違いなく
そして、「そのお気持ちだけ受け取って、お返しに世界一名誉のある宇田川賞をあげましょう」とでも言うのだろう
なぜなら、私は「宇田川賞」という世界最高の名誉を毎日受け取っているから
自分のプロフィールに、他人の名前をそもそも入れたくない
ちなみに私が21歳で希哲館事業を始める時に乗り越えなければならかった自問自答が一つある
「自分以外の全ての人類と神を敵に回してもこの事業のために生きられるか?」
逆にさ、17歳でデライトの原型を思いついてから23年間も大して評価されない仕事を嬉々としてやっていられるような人間の性格、これ以外に思いつく?
なんか、私に一般感覚が通用すると思って語りかけてくる人に対して思うことって大体これ
「想像力不足」と言ってしまうには想像すべきものが多過ぎるとは思うが……
とんでもなくワケのわからんものを作ってきた人は、とんでもなくワケのわからん人だよそりゃあんた、というかさ
この自分という人間の、コンテンツとしての凶悪なまでの可能性にももちろん震えているさ
いいなぁsta.icon
僕もそっち側だけど、それだと生きていけないし今も苦しんでるので擬態してる
これはsta.iconには酷な意見かもしれないけど、そのようにもがいて探索していこうとする態度を持っていることとか、そういう姿を人に見せられることなんかがsta.iconの持つ強みであり格好良い部分であるように自分には思われるcaki.icon
良い話nishio.icontakker.icon
さっさと生活安定させてそっち側に行きたい
要は、自分のこの傲慢さが、「いつも上から目線で嫌味で癖強なおっさん」ではなく「大らかで面白い話を無限に持っているダンディなおじさん」として井戸端内で機能するように、いつも心身の調子を万全にしておきたい、という話
私がデライトの宣伝のために来ていると誤解されそうなのもちょっと危惧しているhiro.icon
これもデライトのコンテンツとしての繁殖力が強過ぎることがもたらす弊害といえば弊害
誤解されたところで具体的に困ることはあまりないが、しいていうならノイズが増えそうではある
私の温度感を誤解したまま「こいつ性懲りもなくデライトの宣伝に来やがって!」みたいな一人相撲をしてしまう人が現れるのは想像に難くない
しんどそうな暖簾に腕押しをしている人を見ながら、こちらが無駄に申し訳ない気分になってしまうのも避けたい
これはデライト上で私の日記や生活記録などを日常的に読んでいる人ならしない誤解だろうが、もちろんそんな人は稀なので、少し説明しておく必要があるかもしれない
私がいま井戸端でしていることは、デライトの宣伝をしているというより、ライフワーク的な趣味の一環として、盆栽を育てるような感覚でデライトへの理解をのんびり育てている、別の言い方をすれば、誤解の部分を剪定しているという感覚に近い
まさにデジタルガーデンである
冒頭に書いているように、私は最近デライト上でエッセーを書くことを日課にしているので、その一環でもある
もちろん、デライトについて語るということはデライトの宣伝につながるし、そこは切り離そうとして切り離せるものではない
それはあくまでも結果であって、仮にデライトの宣伝につながらなかったとしても、井戸端でデライトについて語ることの私にとっての意義がなくなるわけではない
実際、私の井戸端参加以後、特にデライトユーザーは増えていないし、私の井戸端参加意欲も全く衰えていない、どころか、むしろ後者は増している
注: 私の観測している限りでは宇田川参加以降に井戸端からデライトに登録した人は数名いるzatsma.icon
登録したものの投稿指定ない人もいるかも?
事実と異なる記述になっていたのでツッコミ
というのも、「デライトはもう成功している」から
井戸端に入って一ヶ月未満の人しか書けないページも覗いてみてください suto3.icon
ちょうど見てました👍hiro.icon
潜入メモ